一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「道行」雑考 その3

2005-11-24 00:01:20 | Essay
▲作詞者大和田建樹(おおわだ・たてき)直筆の鉄道唱歌
(鉄道博物館所蔵)

社会の世俗化が、より進展するに従い、〈道行〉も、より脱宗教化/散文化していく。
下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下にやって参りまして、三枚橋を渡って上野広小路に出てきた。
あれから御成り街道をまっすぐに参りまして、その頃堀様と鳥居様のお屋敷の前をまっすぐに、筋交御門から大通り、神田須田町へ出て参りました。
新石町(しんごくちょう)から鍛治町(かじちょう)、今川橋を渡って本銀町(ほんしろがねちょう)、石町(こくちょう)から本町(ほんちょう)、室町(むろまち)を抜けまして日本橋を渡って通り四丁、中橋から南伝馬町を抜けて京橋を渡ってまっすぐに、尾張町を参りまして、新橋を右にきれて、土橋から久保町、新シ橋(あたらしばし)の通りをまっすぐに、愛宕下へ出てまいりまして、天徳寺をくぐって神谷町から飯倉六丁目、坂を上がって飯倉片町、その頃おかめ団子という団子やの前をまっすぐに、麻布の永坂を下りまして、十番へ出て、大国坂を上がって一本松から麻布絶江、釜無村の木蓮寺についた時は、みんな随分草臥れた。」(落語『黄金餅』)
――ああ、志ん生が懐かしい!

早桶(棺桶)の「道行」なのだが、ここにはもはや情緒はない。
地名の羅列が、散文的な印象をより強める(森田芳光監督作品『の・ようなもの』に『黄金餅』の「道行」のパロディーがあった)。
近世も末期になって、「時間」と「空間」を認識する方法が変ったという印象を与える。それでも、棺桶の「道行」という点に、かろうじて宗教性の痕跡を留めていると言えようか。

「絵すごろく」の登場も、このような経過と関係があるように思えるが、それはまた別に論じたい(「盤すごろく」という、抽象的な升目の上をサイコロの目に従ってコマを進めて行くゲームが、「絵すごろく」*という、具体的な絵柄の描かれたマスを進んでいくゲームへと変ったのは江戸時代のことである)。
*『滑稽東海道中弥次喜多寿語六』『天満宮参詣双六図』などの道中ものが、人生ものと並んで存在する。いわば前者が「空間軸」に沿った展開だとすれば、後者は「時間軸」に沿った展開と言えよう。

さて、明治に入ってから、「道行文」の伝統は、近代産業の所産を媒介にして、思いもかけない復活を遂げる。
それが、各鉄道路線で盛んに作られた、沿線の地名・名所・名産・歴史などを歌い込んだ「鉄道唱歌」である。
「汽笛一声新橋を」に始まる東海道線は、あまりにも有名であるので、ここでは山陽本線編の冒頭をご紹介しよう。
夏なお寒き布引の
滝のひびきをあとにして
神戸の里を立ちいずる
山陽線路の汽車の道

兵庫 鷹取 須磨の浦
名所旧蹟かずおおし
平家の若武者敦盛が
討たれし跡もここと聞く

「鉄道唱歌」を最後にして、「道行文」に目立ったものは見られなくなる。

そして現在、情緒も宗教性もない、「旅の恥は掻き捨て」というアジール的道中観が零落した感覚が、われわれの中に残っているだけなのである。

『「道行」雑考 』了