●防犯対策
侵入窃盗事件に遭遇して、防犯への意識がにわかに高まった私ですが、犯罪を未然に防止することが防犯の目標と考えると、その対策は、実に多岐にわたることがわかりました。
というのは、事業も個人の生活も含めて、あらゆる犯罪の被害者になる可能性が高まっている現在の社会にあって、犯罪を未然に防ぐという目標をどのように実現すればよいのか、漠然としすぎていることに気づいたのです。
まず、防犯の成果というものが見出しにくいことです。つまり目標がどの程度達成されているかということを測る仕組みが存在していません。
被害に会わないことが、防犯という行為に対する結果ではないからですね。
四六時中窃盗団に狙われていて、このところ侵入事件がまったく起きていない。というのであれば、その行為に対する成果というものが出ているのだ。とその効果を推し量ることが出来るのですが、何しろ、四六時中狙われているとはとても思えません。
仮に日本の総世帯を4000万とした場合、およそ年間に40万件の侵入事件が発生しているので、その確率は1%です。
大体こんなものだと考えられますね。自分の家が侵入される確率は、年間およそ1%位ということです。
単純に考えれば、100年に一度ということですね。
なぁ~んだ、そんなもんか。
と安心しないでいただきたいのです。
なぜなら、被害に会うところというのは、何度も被害に会っているのです。
犯罪というのは、地震の被害に会う、病気になる、火災にあう、落雷にあう、などと似たところがあって、その被害がいつ起るかわからない。
また、自分の知り合いで被害に会った人を知っている。など、いくつかの共通点があります。
しかし、犯罪は特殊なケースを除いて、これらの天災や火災とはまったく違う面を持っているのです。
犯罪には、被害者のみが存在するということがありません。
必ず、加害者という人間と被害者という人間が存在しているのです。
この点が、天災などとちがって、起ることを防ぐことはできない。ということは無い。ということを意味しているのです。
地震や噴火、落雷、台風などが起ることを防ぐ手立てはありません。
これらに対して、いかに最小の被害に抑えるかが防災といわれるものの目標です。
犯罪に対しては、いかにその犯罪を未遂に終わらせるか、またその被害を最小のものするか、というのが防犯の目標ということになります。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く、罪深い私をお許しください。
犯罪には、必ず被害者と加害者という、ともに人間が存在しています。
そこに悲しむべき”罪”の存在があります。
加害者は、悪意をもって行為に臨み。被害者は加害者に対して憤り、恨みを抱きます。そのどちらもが、主のいとわれる”罪”です。
願わくは主よ、この愚かで弱く罪深いしもべですが助け導いてください。
しもべにできることは、人の悪意を消すことではありません。
ただ、犯罪の被害に会う人を少なくすることのみです。
しかも、家屋への不法侵入をいかに少なくするか、侵入されても盗難されることをいかに少なくするか、がこの愚かなしもべの目指すところです。
これによって、一人でも被害に会う方が減れば、憤りと恨み抱く人を一人でも減らせるのではないか、という愚かな考えによるものです。
主よどうか、この愚かなしもべの智恵と力とを増し加えてください。
家屋への侵入をひとつでも減らすことが出来ますように、この愚かで弱いしもべを助け導いてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン。
侵入窃盗事件に遭遇して、防犯への意識がにわかに高まった私ですが、犯罪を未然に防止することが防犯の目標と考えると、その対策は、実に多岐にわたることがわかりました。
というのは、事業も個人の生活も含めて、あらゆる犯罪の被害者になる可能性が高まっている現在の社会にあって、犯罪を未然に防ぐという目標をどのように実現すればよいのか、漠然としすぎていることに気づいたのです。
まず、防犯の成果というものが見出しにくいことです。つまり目標がどの程度達成されているかということを測る仕組みが存在していません。
被害に会わないことが、防犯という行為に対する結果ではないからですね。
四六時中窃盗団に狙われていて、このところ侵入事件がまったく起きていない。というのであれば、その行為に対する成果というものが出ているのだ。とその効果を推し量ることが出来るのですが、何しろ、四六時中狙われているとはとても思えません。
仮に日本の総世帯を4000万とした場合、およそ年間に40万件の侵入事件が発生しているので、その確率は1%です。
大体こんなものだと考えられますね。自分の家が侵入される確率は、年間およそ1%位ということです。
単純に考えれば、100年に一度ということですね。
なぁ~んだ、そんなもんか。
と安心しないでいただきたいのです。
なぜなら、被害に会うところというのは、何度も被害に会っているのです。
犯罪というのは、地震の被害に会う、病気になる、火災にあう、落雷にあう、などと似たところがあって、その被害がいつ起るかわからない。
また、自分の知り合いで被害に会った人を知っている。など、いくつかの共通点があります。
しかし、犯罪は特殊なケースを除いて、これらの天災や火災とはまったく違う面を持っているのです。
犯罪には、被害者のみが存在するということがありません。
必ず、加害者という人間と被害者という人間が存在しているのです。
この点が、天災などとちがって、起ることを防ぐことはできない。ということは無い。ということを意味しているのです。
地震や噴火、落雷、台風などが起ることを防ぐ手立てはありません。
これらに対して、いかに最小の被害に抑えるかが防災といわれるものの目標です。
犯罪に対しては、いかにその犯罪を未遂に終わらせるか、またその被害を最小のものするか、というのが防犯の目標ということになります。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く、罪深い私をお許しください。
犯罪には、必ず被害者と加害者という、ともに人間が存在しています。
そこに悲しむべき”罪”の存在があります。
加害者は、悪意をもって行為に臨み。被害者は加害者に対して憤り、恨みを抱きます。そのどちらもが、主のいとわれる”罪”です。
願わくは主よ、この愚かで弱く罪深いしもべですが助け導いてください。
しもべにできることは、人の悪意を消すことではありません。
ただ、犯罪の被害に会う人を少なくすることのみです。
しかも、家屋への不法侵入をいかに少なくするか、侵入されても盗難されることをいかに少なくするか、がこの愚かなしもべの目指すところです。
これによって、一人でも被害に会う方が減れば、憤りと恨み抱く人を一人でも減らせるのではないか、という愚かな考えによるものです。
主よどうか、この愚かなしもべの智恵と力とを増し加えてください。
家屋への侵入をひとつでも減らすことが出来ますように、この愚かで弱いしもべを助け導いてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン。