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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

幸福な時間

2024年08月30日 18時50分11秒 | ライフスタイル
*朝の目覚めが快適な時
*寝たい時間を寝ていることができるしあわせ
*ドライバーとしてドライブしている時
*時間を自分の思う通りに過ごせること
*友人と楽しく語り過ごすとき
*兄弟、家族と和気あいあいに過ごすとき
*同じ目的の仲間と一緒に行動している時
*家の中を少しずつ改善して行く過程
*一日が終わり湯船にひたっている時
*旅行
*大自然の中にいるとき
*自分が健康に過ごせている時
*書いている時
*瞑想的精神になっている時
*太陽が昇り始め今日一日が良い日になりそうな時間
*特別なイベントがある日のワクワクしている朝
*大谷がホームランを打ってドジャースが勝った日
*テレビでマラソン、駅伝、中長距離走を見ている時
*大相撲を見ている時
*春、秋の季節を感じている時
*美味しい物を食べている時
*朝食を食べながら新聞に目を通している一人の時間
*家族が揃って食事をしている時
*今の生活環境を思う時
*ラッキーや奇跡が続く時
*スケジュール通りに事が運んだ時
*今日一日を無難に過ごせたと思った時
*etc・・・幸福な時間って随分たくさんあるもんだなあ!





 74歳 この頃思うこと

2024年08月18日 17時45分29秒 | ライフスタイル
 人生は早く流れて短い年月だと思うようになったのは、この頃
気が付けば74歳、ついこの前、古希だ70歳だと言ってたのに、もう70代半ばに差し掛かっている
何といってもコロナ騒動が、我々の人生を意味のない無駄遣いさせた
あれに気をとられているうちに貴重な年月が失われた
あの国を挙げての大騒ぎは一体何だったのだろうか、今は一番騒いだテレビ、医師、政治家が何もなかったかのように口をつぐんでいる

過ぎ去った年月は取り戻せない、そして日常に戻りかけたら突然のガン宣告
これでまた半年、何もできずに家ごもりだ
だけど、この病気になって考え方も生活もすっかり変わった
自分は永遠に死なない気でいたが、ここにきてやはり自分も死を逃れない存在であることを認識した
そうなると人生が定まった、心が定まった、悔いのない人生を送るために考え始めた
命は天命に任せて、自分は生きている限り精一杯やりたいことをやればいいと思った、なにか今までのごちゃごちゃした複雑な思いは消え去って、ものすごくわかりやすくなった
人生が見える、見えて来た、自分がやるべきこともすっきりと見えている
もう、あれだこれだと探し回ることは無い、やりたいことが向こうからやってくる、だから病気がやって来たのも満更意味がないわけではなく、悪いことでも無いと思う、きっと人生の足しになる意味があってやって来たのだろう

今朝、年配の女友達から電話が来た、所帯を持った子供(50近い)に絶望したと嘆く、「もういいかげん子離れの時だよ」と言ってやった
「あんな夫でも、今となれば長生きして一緒に暮らせていたら良いと思った」と故人になった旦那の事を言うから
「それは旦那を粗末にした自業自得だよ」と言ってやったら
「何言ってんの、私をさんざん裏切って家にもほとんど帰ってこなかった人なのよ」と言うから「じゃあ居なくなって、せいせいしたんじゃない」
「まあ、そうなんだけど」と何が何だかわからなくなっている
今は一人暮らしでいる、「無い袖を振って大学まで出して、立派なお嫁さんももらったのに、『かあさんの面倒をみるほど楽じゃないから、母さんは自分の事だけは自分でやってほしい、僕らの事は何もしてもらわなくても良いから』と言うんだよ」と嘆くから、「息子なんか当てにならない、息子さんが言う通り、自分の事だけ考えればいいんだよ」と言ってやった
「そうだね、今までは安定収入がない息子を助けようと援助してきたけど、こんなことを言われて、もう嫌になった、お金だっていろいろ我慢して使い道を節制したけど、これからはやりたいこと、食べたいもの、行きたいところに全部使うわ」
「そうそう、やっと俺と一致したね、もうお互い先も見えたから自分の為だけに生きればいいと思うよ」
「そうだよね、そうしよう、あんたの病気が治ったら軽井沢へ連れて行ってくれない、もちろんAさんも誘ってだけど」
「いいよ、治ったらどこでも行って、うまい物を食べてリフレッシュすればいい」と答えた
日帰りドライブだが、やはり私は一人旅より、連れとワイワイ言いながら遊ぶのが好きだ
私より年上の女性は夫が先だった人が多くて、はたから見れば優雅な暮らしと趣味に生きているように見えても、孤独な人が多い
私も年上の人といるとカッコつけなくてよいし、気楽なのだ、だから年上の友達は男女問わず多い

ここまで来たら理屈無しに楽しむ、楽しい日々を送る。






「今日は何もしない」ができない

2024年08月12日 17時16分38秒 | ライフスタイル
 昨日は4時半に目が覚め、前夜はは22時半に寝たので6時間、十分だけどやることも無いから5時半までベッドにいた。
いつものルーティンをこなして、まだ涼しいので畑に出て収穫
スイカはやはり今年は失敗で、出来た数は6個だけど4個はまず食べるまでいかない、リンゴ大から少しも大きくならず、もう蔓が変色してしおれたので収穫
どうすりゃいいのかわからない
大きいのも蔓が変色したので収穫、でも900gしかない
他はキュウリを4本、オクラ1本、ししとう1本、キュウリは8月になってどんどんできてきて、毎日4本収穫だから食べきれない。
トータルで70本くらい取れたので昨年並みになった、ナスもまずまず取れているが、トマトが低調で未だ6ケ位で青いのが6ケ位収穫を待っているが、もうこのくらいでお終いだろう。
朝から「熱中症警戒アラート」が行政から出された、今日は外には出ない方が良い、まして3連休の中日だからまた流行って来たコロナの事もあるから家ごもりが良い
抗がん剤で感染症にかかる率が高まっているから、なおのこと大人しく
良い塩梅に10時からドジャースがあるし、その後は「鬼平」「西園寺さんは・・」「ギークス」「新宿野戦病院」など録画を見ていれば「女子マラソン」がスタートする、これで17時までは家でじっとしていられる。
ところが朝食作りが面白くなって1時間もかけてしまい、朝食は8時になった
それから抗がん剤を飲み、少し休んでブログネタの?の部分を補うために読書
そのうちにドジャース戦が始まり、ドジャースは勝ったが、追い上がる2チームも勝って、2位とのゲーム差は2.5ゲームのまま
すこしドジれば来週は3位まで落ちる可能性もある、大谷がホームラン以来、また停滞して打率も2割台に落ち込むおそれが出て来た、しかも今日で打率は2位に下がり、ホームランも追いつかれた。

どうも野球をずっと座って見ていることができない、襖が気になって仕方ない
4枚の内、2枚は終えて、あと2枚お盆前に終わらせたいがいつやる?
「今日でしょ」と言うわけで急きょ野球を見ながら襖張り、ところが糊が足りない、仕方なくホームセンターへ買い出しに
帰って来て、さっそく始めようと思ったが長椅子が邪魔で移動させなけりゃ、重い上につかみどころが無いので集中して「せーの」で腹に力を入れて速攻で動かした
すると今度は高さ1.8mのラックが邪魔に思えてきて、これを廊下に出すため、ラックの中の本やアルバムを全部出して、廊下に移動させた
そしてまた中身を戻して、それから襖2枚を小一時間かけて張り終えた
そうこうしていたらアマゾンに注文していた「のれん」が宅急便で届き、これもすぐにやりたくて3枚を各窓にセットした。
マラソンが始まった、マラソンは最初の1時間は見ていても、見ていなくても勝敗の行方は定まらないから退屈
退屈だから、今度は私がこの家に来る前から、色んなものが押し込んである押し入れの整理整頓を思いついた
冬物をしまうスペースを作りたかったらだ、押し入れに入っていたものを全て出した、ちょっとした小山が出来た
父のカメラだけで4台、三脚も出て来た、ファックス電話も2台、そのほかもう必要ないものもたくさん出て来たので、捨てるもの、またしまうもの、物置に持って行くものと分類
これでまた1時間、24歳初マラソンの鈴木選手が6位入賞、それも3位には52秒差、1位とも1分7秒差の大健闘、上位1位から5位までは世界のトップ選手ばかり、鈴木との持ちタイム差は7分くらい早い選手ばかり
それに39kmまで、くらいついて行ったのだから大したもんだ、まだ若いから次のオリンピック、世界陸上は大いに期待できる。

本当に暑い日だった、でも夕飯頃になったら少しは凌ぎやすくなったので、食事前にまた畑に出たら、またキュウリ2本、ナス1ケ収穫
トマトの枝葉も気になって、これを剪定、ついでに追肥して、水も撒いた
どうにも体は動きたくて困っている、やりたいこと、やるべきことが次々に出てきて明日も明後日もやってしまうんだろうな
お盆の支度も迫っている、14日には家に住職を頼んでお盆と母の8年目の読経をしてもらう、もう七年経つのか月日の速さを感じるばかりだ。



このごろ気分の良いこと

2024年08月09日 17時02分39秒 | ライフスタイル
 暦は秋の始まり
日中の蒸し暑さは相変わらずだがここ数日、朝夕が過ごしやすくなった
長崎、広島に原爆が落とされた日、そして終戦の昭和20年8月15日は暑い夏日だったとか。
我が父20歳は終戦の時は兵隊で、東京調布の高射砲大隊の中隊の通信兵であったが、天皇陛下の「堪え難きを耐え・・・」の玉音放送を全員整列でここで聴いた。
「戦争が終わった」突然頭が空白になった、戦争中には耳に入らなかったセミの鳴き声が耳に聞こえた。
天皇陛下の敗戦宣言を聞いた大隊長は、演台の上で崩れたあと。何も語らず下りて自室に消えた
父の終戦の日は真夏の一日だった。
そんな父が語った言葉を思い出している午前5時半、未だ涼しい。

この頃気分が良いことがある
毎朝4時半には目が覚めて5時から始まる一日、これが第一
ダメになったまま放置しておいた10か所の網戸を全て取り替えて、今まで風を取り入れられなかった窓から一斉に風が入ってくるようになったのが第二
障子と襖をお盆前に自分で張り替えたことが第三
抗がん剤治療の副反応も最小限度で治まっていることが第四
心配していた病気による体力低下と夏バテが全くなく、食欲旺盛であるのが第五
思ったより日中活動できることが第六、治療終了後のビジョンが出来たことが第七

今日も元気でいられることがありがたい
私を支えてくれているすべての人、すべての事象に感謝。

大宰府天満宮











二つの異なった生活

2024年07月06日 19時45分05秒 | ライフスタイル
 昨日の暑さのせいか21時半に寝てしまった
今朝は相変わらず5時に目が覚めた、珍しく夜中も一度目が覚めたきりでハッピーなラッキーな夢を見ていた。

退院してから一日の過ごし方が真逆になった
入院中は「何もすることがない(できない)時間をいかに退屈せずにいるか」ばかり考えて体を動かすことに専念した
有料テレビは目の前にあるが、ドジャース戦と「光る君へ」、「虎に翼」しか見なかった
退屈しのぎはブログを書くこと、ノートに小説を書くこと、友達とのラインのやり取り、廊下での散歩、そして三度の食事が待ち遠しかった

パソコンがない環境でスマホが大活躍した
ベッド上にはスマホの充電コード、髭剃りの充電コード、看護師呼び出しボタンのコード、点滴の管が絡み合ってベッドサイドの手すりに縛り付けてあった
基本的に21時に消灯、朝6時起床だがそれは個人の自由で7時くらいから検温、血圧、酸素濃度、血糖値の検査が行われる
日替わり、昼夜交代で様々な年代の看護師(一人を除いてすべて女性)が担当する、その人たちと治療についての他愛ない短い話をするのも楽しみだった
とにかく入院生活は人との接触に飢える、だから隣の病床の82歳のMさんと親しくなったのは退屈逃れとしては最高に良いことだった。

夜は手術前はぐっすりと寝られたが、退院が近づくとなぜだか夜は目が覚める、寝付けないで3時間くらいしか寝ていない日が数日続いた
昼間寝ればいいと思ったが、検査や食事、散歩でなかなか寝ることができない
それでも朝方4時頃から6時の間に二度寝をして不足を補っていた

小説で退屈しのぎを考えたが、あまり面白くない本だったので短編二話読んで三冊のシリーズは今もほったらかしだ。

さて家に帰ってからはあまり活動的なことはできないので、せいぜい畑作業を細切れで1時間ほどやって、散歩を夕食後に30分3000歩
その程度の運動量、あとは録画した夜ドラや映画を一日3時間以上見る、それにドジャース戦でテレビは一日に6時間くらいは見ている
これは、その間は体の活動を停止しているということだから健康的には良くないし、テレビから一方的な情報を得るだけで、「物思いにふける」という感傷的な時間を失ているともいえる、これが入院生活との最大の違いだ
ゆえに病院で毎日10ページくらい書いていた未完の小説も、家に帰ってからは一文字も書いていない

その代りブログの書き込みとチェックに2時間くらいかけている
あと大きく変わった生活は食事作りだ、最初は病院生活食を女房殿に教えるためやっていたが、体調が整い始めてからはいろいろ工夫してだんだん凝った料理になって来た
ジャガイモが予想外に多く獲れたので、ジャガイモとベーコンと野菜のチーズ焼きだとか、茶わん蒸しだとか、高圧鍋を使った野菜料理などに夢中だ
こんどジャーマンポテトを勉強して作ろうと思っている
(ドイツにジャーマンポテトはないと映画のセリフに出て来た)

まだ完治したわけではなく、これから抗がん剤が始まり体力低下、免疫低下も医師から言われているので人と会うことも少ない
病院はなんやかんやと医療関係者の出入りが退屈させなかったけど、(前の職場で私と40年近く働いた女性も勤務していた)
家では一度だけボランティアの会合に出ただけ、あとは月一のヘアカット、つー君にたまに会ったり、数人の同級生の家をそれぞれ1回だけ訪ねたり、あとは息子と月2回海に行ったくらいで、それだった抗がん剤が始まれば2~3か月は人との交流はほぼできなくなる
最近は身近なところでコロナ感染の話をたまに聞く、とにかく抗がん剤中は感染症が怖いので10月まで静かに家で過ごすことにしよう
畑の土いじりもだめらしい、土には微生物や細菌がいるし、いろいろな虫や蚊とか羽虫とかもいるので畑作業もほぼできなくなりそうだ
水やりと、外からのチェックくらいにして収穫や整理は女房殿に頼むしかないないだろうな。
春先には気合を入れていたのに残念だ、スイカも7月に入って急に元気が出たきて葉が大きく伸びて来た、少し期待が持てる。

この夏はベッド暮らし、テレビ暮らしになりそうだ
せっかく腹囲がすっきりしたのだから、今度は腹筋をつけてカッコいい体つくりに励もうかと思っているが、それも副反応の状況次第だ
さてどうなるのかはお楽しみ、お楽しみ。
・・・では、ないか!




車と仕事とドライブ

2024年06月28日 20時42分24秒 | ライフスタイル
 74歳になった、私と自動車との付き合いも長い
自動二輪の免許を取って57年、普通自動車免許が56年、大型免許は38年になる
いずれも趣味のためと言うより、仕事のためにとったという方が正しい
高校生の時には家業の配達のためにとった自動二輪と普通免許
それまでは自転車で配達していたから、足腰はそれで強くなったともいえる
家業は魚屋+仕出し店で魚の配達を手伝っていたが、自動車免許を取ってからは仕出し料理の配達も手伝うようになった。
板前修業に行った時も、傍らその店の仕出し配達もした
個人宅への法事や祝い事の料理を運んだり、寺へも法事や葬式料理を20人前、30人前と運んだ、御膳一式すべて届ける時代だった
もっと大変だったのは、結婚式場への配達で、これは普通でも50人前以上だったからワンボックス営業車で二台くらいで運んだ、一人前が9品、それに籠盛りも人数分運ぶ、それに一の膳、二の膳も人数分、更に銚子、盃、はかま、箸、風呂敷まで届ける
しかも部屋に配膳までしてくる、今思えばよくやったものだと思う
結婚式が終われば30分以内で片づけをしなければならない、次の夜の部の披露宴の準備があるからだ
残物を全て処理して、皿、御膳すべて回収してくる、式場の仲居さんたちが片付くのを待っていて終わると同時に換気、掃除、準備を行うからうかうかしていられない。

寺の場合はお御堂で配膳してくるが、法事を行っている間に控えの間か、御堂の裏の狭い仮納骨室で料理を膳に配膳するのだ
それは、御膳を縦に7つくらい重ねて、御膳の足の間から5品を差し込んでいくという技で、それもすぐに慣れた。
二の膳には4品を入れていく。

大型免許はマイクロバスを運転するためにとった、お客様の送迎だ、板前をしながらバスの送迎もした
だから忙しいこと忙しいこと、毎日が時間との戦いだった、38年間、いろいろな職種の送迎バスの運転をしたのだったが、70歳でやめた、来年の書き換えでは大型免許は返還する。
人を乗せる運転だったから、普通車でも人を乗せていると安全運転に気を遣う
だから割と私の運転は「がっつん、ごっつん」にならないから安心感があると言われることが多い。

観光旅館の仕事の時には、県をまたいでの送迎もたまにあった、そんな時は片道100km以上を送迎したこともある
また上田市の老人会から送迎依頼もあったが、さすがに何かがあれば困るので、それは中止になった
取引があった富山の旅館業者などは毎日のように群馬県まで送迎していて、手伝いを頼まれて行ったこともあったが日帰りと言う強行軍で一回きりで社長が断った。

結婚式場の仕事の時には、特に気を使った、何より自分の服装も決めていかなければならないし、ヘアスタイルから話し方まで注意が必要だった
当然板前兼用と言うわけにはいかず、運転手専門だった、これも県をまたいでの送迎が度々あった
送迎以外は暇が空くので、披露宴の裏方を手伝う、新郎新婦の入場の時にドライアイスの演出があるが、あれを担当した
2会場掛け持ちもあった、30分差なので会場から会場への移動、ドライアイスの取り換えや温湯の管理など、慌ただしかった。
でもきれいな花嫁さんを見ることが出来たのは嬉しかった、キャンドルサービスの時にはスポットライト係をして、新郎新婦を追った
同時に調光の仕事もあるので幾つもある調光器のボタンを薄明かりで見定めてやるのもテクニックが必要だった。

仕事と車はこんな風だったが、趣味のドライブも楽しんだ
マイクロ運転は、同級生旅行、友達との旅行、ボランティア団体と、ほとんど自分から買って出て運転した、とにかく運転するのが好きで好きで仕方ない
一日300~400km平気で走っていた。
乗用車だと日帰りで600kmくらい走ったこともある
74歳の今でも1日200kmは肩慣らしで、300kmくらいは走ることができる
というより走りたい、でも50代ころのように400kmも走れば、流石に下りた時フラフラする、途中で足に痙攣が来ることもあるし眠気もでてきた
見学しながら一日250kmくらいが一番良さそうだ。

人生を振り返ってみれば冠婚葬祭と、料理と、観光の仕事ばかりだった、ある意味、動的な部分で自分に合っていた仕事を形を変えながらやっていたと言える
静的な部分で考えれば、恐竜や宇宙の学問か、歴史研究、物書きをして見たかった、あるいはゲーム作り(当時はボードゲーム)または確率とかデーターの活用ができる仕事・・・いまさら、詮もないが。

80歳まではドライブを続ける気持ちである。








終活開始

2024年06月22日 20時11分33秒 | ライフスタイル
 退院後、終活をゆっくりと始めている、入院中から手術にかけても重要事項だけはノートに書いておいたのだが。
それにしても「終活」「エンディングノート」「遺言」「断捨離」と、なんか寂しい響きだね、ほかにもっと楽し気なネーミングは無いのかね。
「人生満足ノート」「残りの人生やることノート」「やり残しノート」「みんなへの伝言版」「ありがとう、これからもノート」「老いの一押しやったるでぇ」「100歳までの人生プラン」なんてのはどうだろう。
人は知らねど、わが気概はかくあるべし。

ともあれ始めたのは、がちゃがちゃに、あちらこちらに散らばっている「紙」
相変わらず「紙」の多いこと
電子書面が横行する時代だが、スマホやパソコンであっても、望みの資料を一瞬で引き出せる人間はどれだけいるだろうか、ましてや70歳過ぎでは
結局、紙であれ、パソコンであれ整然と分類が出来ていて、しかも目次らしき分類と、そのありかを明記した一覧表がある
そんな状態でなければ、電子でも紙でも、探す手間は一緒だ。
自分の部屋の中で、一目で見える引き出しや、ボックスに分類の紙を貼り付けて、その資料がどこにあるか見えるようにした。
これなら、小さなスマホ画面でキーボードを誤字、脱字でてまがかかってイラつくより遥かによい。
しかも紙だから文字も大きい実物大、読むにも楽だ。
今、そんな作業が古い書類を廃棄しながら、ほぼ90%出来上がった
これで本棚もすっきりしたし、病院へ行くときは病院資料の引き出しを開ければ、すぐに出てくる
年金、筆記具、郵便・宅急便、文房具、使用頻度高い道具、テープ・ガムテープ、薬、取り説、保険証券、公共料金、支払い納付書、諸団体資料、ルーツ資料、電池、税金関係、etc
ざっと、こんな風に分類してある、本棚もすっきりしたし、少しは人間の生活に近づいた、あと10%
これが終わったら、最初に書いた「老いの一押しやったるでぇ」「100歳までの人生プラン」を書き始める

「これでいいのだ」、またワクワクが一つ増えて来たぞ。

早くこれを食べたいよ~






早朝の思考

2024年05月16日 19時32分27秒 | ライフスタイル
 電灯は文明の利器ではあるが機械的に人の思考を奪ってしまう
今朝はカーテンの外に薄明かりを認めて僕は目を覚ました
夕べは22時に寝たので、そうなったのだろう
起きて、トイレに向かったが(4時45分だな)そう思って階段を下りて時計を見たら4時15分だった。
(そうか今日は5月16日)、もう一か月ほどで夏至がやってくる、一番昼が長い日だ、それから一日ごとに嫌いな冬に向かっていくのだ。

目が覚めると毎回(今は何時だろう)ゲームを始める
階段を下りながら今の時間を当てるのだ、朝方だと外の光で見当をつける
真っ暗だと自分の今の覚醒状態で時間を計る
あるいは外の音に耳を傾ける

薄明るいものの4時15分は何の音も聞こえなかった
ところが4時30分になったら小鳥のさえずりが少しだけ聞こえて来た
それから電車の音が遠くに聞こえるが、まだ通勤電車の時間ではない
「ガタゴトガタゴト」と同じ音を長々と繰り返しているのは貨物列車でコンテナ列車だろう
雨音がパラパラと数十秒だけ聞こえて、鳥の声は雨音と共に消えた

僕は枕元のスウィッチを押して電灯をつけた
静寂の中で楽しんでいた思考は明かりがつくと同時にすべて吹き飛んで、また活動的な一日がこれから始まるのだ。




 Bring It On Home To Me

理想の生き方

2024年05月16日 05時28分48秒 | ライフスタイル
 学生の頃には、将来の事や、ベターハーフ、あるいは恋愛だの恋だの友だとか、いろいろ思っていた。
社会に出て、組織の歯車となってからは現実しか見ないようになって、夢や憧れは並の人間より遥かに小さなものになっていった。

穏やかで睦まじいい家庭環境も望んだけれど、一年365日ひっきりなしに仕事をしている自営業になって、どこが休みで、どこが仕事かもわからない状況
旅行していても観光業でもあったから、それは勉強であり遊びでもあった
また商工会などの宴席に出ても、営業であり接待でもありリップサービスに終始して疲れるばかり。

そんな日々も楽しくもあり、辛くもあったが、今この時となってすべては幻のように消え去った。
あまりの180度転換に2年ほど戸惑っていたが、今はあるがままを受け容れて、自分の意志でやりたいことをやりたい時間に、やりたいだけできる幸せ
もう過去は何も思うことは無く、今日これからの生き方に集中すればよい

形はだんだんできつつあって、仲間とのボランティア(これだって「社会奉仕」などと重いのでな無く、やりたいことをみんなでやるのが楽しいだけ)
畑の楽しさも日々増していき、同じ趣味の仲間も増えて来た
昨日はつーくんが、へた無しのエンドウとサツマイモの苗を持ってきてくれた
今朝は隣の奥さんがスナップエンドウとグリーンレタスを持ってきてくれた
季節の野菜をしかも自家製とれたての新鮮野菜をいただけるのもありがたい

旅先からは、私に会いたいという便りが来るようになり、スケジュールの調整をして夏前には行きたいと思う
漁師からも最後の切り札としての誘いが月に1~2回来るのもありがたい
もう賃金の為の仕事をする気は無いので、こういう隙間埋めのような仕事が嬉しい、しかも賄いの新鮮鮮魚も手に入るので一石二鳥
天気の良い日はカメラ片手に散歩するのも健康と心の洗浄の一石二鳥
テーマも花、鳥、風景に絞られてきたし、知らない場所を求めて行動範囲は広がるばかりだ

この頃は、夜寝るのも嬉しく、朝早く目が覚めるのも嬉しい
今朝も自分一人の朝食を作って食べた、ヤナギカレイの干物を焼いて、納豆
みそ汁は、ホウレンソウ、エノキ、シメジ、ジャガイモ、これは我が家の一日分を兼ねて作る。 これだけの朝食だが、それでよい。

リラックスチェアーに足を延ばして庭を見る、仏様のお下がり米を食べにやってくる、ちゅん太たちの愛らしい姿を15分ほど見ている
頭が空っぽになって、ただただ脳が空気を吸っていることを感じる
こんな平安を73年間思ったことも無かった、生き方は確実に理想形に向かっている。





Bus Stop [日本語訳・英詞付き] ホリーズ

久しぶりの雨の一日

2024年04月30日 17時58分56秒 | ライフスタイル
 朝は6時に起きて早速庭を見たら、物干しざおに雨粒が滴っていた
「これはいけない」慌てて、干しておいた魚を取りこんだ。
昨日はずっと曇りで、寝るまでも降っていなかった、予報を見たら明日の夕方までずっと曇り予報で、降水確率は40%
雨が降らない60%にかけて干物の魚を夕方干したのだけれど、これが大外れ
雨に濡れた魚を洗いなおして、塩水につけて今日の午後に冷凍した。
大好物のヤナギカレイだったのが残念、塩焼きでも美味しいが干物にすればもっと美味しい。

一日中霧雨が降っている、畑の野菜や花はきっと喜んでいるだろう
野菜と言ってもまだスナップエンドウを植えただけで、そのほかの苗は用意してあるが、植えるのは温かくなる5月6日と決めてある。

今日はこれから6名の仲間たちと、電車に1時間半ほど乗って一年ぶりに先輩に会いに行く
先輩はもう77歳くらいになるのだろう、数年前にがん手術をして以来げっそり痩せてしまい、今は歩くこともなかなか大変らしいので、先輩の家で会うことにした。
その昔、奥様が腎臓病になって、その時も自分の腎臓を一つ移植したのだった。
残念ながら奥様は甲斐なく亡くなられた、お気持ちは私にはわからないが、それからも変わることなくお付き合いさせてもらっている。
全員で10名ほど集まる、久しぶりにみんなで笑い合いたいと思っている。


雨に濡れても  [日本語訳付き]   B.J.トーマス