のんびりかな打ち日記  ini's blog

NikonD7100やSonyRX100M3で撮影した画像と日々の出来事を“ かな入力 ”でのんびり綴るブログです。

しゃぼん玉

2008-02-15 22:12:47 | 通勤快読
乃南アサさんの作品。
一人の若い悪人がたどり着き、ふとしたことから住み着いた九州のド田舎の村で老人達に囲まれて過ごすうちに人間らしさを取り戻していくという話、ストーリーだけ聞くとただ、へぇ、そうなのって話なのですが、実に巧みに小説になってて見事です。

この小説を読んで考えることは「更生」というもの、そのものでしょうか。

結果的に殺人は犯していなかったことがエピローグで明かされますが、それまで主人公本人が死刑をも覚悟しているように犯してきた罪を考えたとき、全く「更生」の余地などない人間だと思えます。
実際、犯罪をおかす原因そのものに情状酌量の余地がないかぎり、特にこの主人公のようにそれこそ何の罪も無い人々から強盗をしたり躊躇なく傷つけたりする犯罪、しかも反省のかけらもないのでは、いかなることがあっても厳罰にしなければならないと思えてなりません。

この小説の導入の部分、罪を重ねながらヒッチハイクしている部分だけ読んで、エピローグを読んだなら、たった3年間で仮釈放されることに強い憤りを感じるでしょう。
たとえその間に大自然の村のくらしや人びとに触れて心を入れ替え、自首したと聞かされたとしても、ごく短期間で性根が変わるとも思えないのが正直なところです。

ところが著者の巧みなところは、そんな私でもエピローグを読んで、結果的に殺人を犯していなかったことにホッとし、仮釈放されてその田舎を訪れ暖かく迎えられることに安堵してしまう。そう思わせてしまう組み立ての巧みさでしょうか。

どんな人間であっても「更生」の余地というものは残されていると信じさせる、信じたいと思わせるストーリーであり、それが著者の思いや訴えなのかも知れません。