「寒い」という言葉は昨今では、一定の人格を指す意味によく使われる。
「あいつは寒い」と言ったら、それはその人の傍にいると何だか寒い気持ちになるということだ。
この「寒い」という言葉が使われる場合について共通するシチュエーションを発見した。
寒いと思うときは、その相手が自分のことだけを考えているときや、自分の世界に閉じこもってしまっているときである。そういうときは一緒にいて寒いと思う。
そういう相手といるのは、虚しいし、さみしい。まさに寒いというボキャブラリーがぴったりだ。
やはり理想の人間関係は、相手のことをちゃんと考える者同士でのそれだ。
そういう関係におかれて初めて私たちは、「温かい」と感じるのだ。
もちろん、相手のことをちゃんと考えるというのは、表面的にいかにも優しげな言葉をかけることや、わざとらしい親切とは何の関係もない。相手のことを深く理解できる想像力を身につけることに尽きる。
こういうことをちゃんと分かるのにはある程度の鍛錬が必要であり、結構な年月がかかるのが普通だ。私たちは相手のことを深く理解できる大人になって初めて、本当に温かい関係というものと築くことができるのだ。
そういうことができずに年だけ取るのは、いかにも虚しく、お寒いことであるに違いない。
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