たまに、シンクロニシティが似非科学だという批判を聞くことがあります。
でも、私はシンクロシティが科学的かどうかについては、議論の実益がない、という立場です。
というのは、私たちの日常において起きる出来事を単なる偶然と捉えず、そこに何らかの意味や暗示されていることを想像することによって私たちの生活がより豊かになることは間違いのないことであって、実際にそれが本当の偶然か、それともそうでないかはそのことにかかわりのないことだからです。
例えば、初めて出会った人が、たまたま、自分と同じ苗字であると分かったときに、それが何かの意味や暗示を感じて何となく元気になるようなことって結構ありますよね。こういうときには、そういう流れの中で元気が出たということこそが重要であって、その出会いが偶然かそうでないかは全く関係のないことなのです。
あるいは、ある種の似たような出来事が続いたときに、それが何かの暗示だと解釈して、今度はその流れに乗るような行動を自分が起こすことを決めたというような場合、自分が新たな行動に移れたという現実こそが大事なのであって、その一連の出来事が単なる偶然の連続なのかそれともそうでないのかは大して重要ではないわけです。
というわけで、シンクロニシティが科学かそうでないかについて論じる実益というのは実際のところあまりなくて、似非科学だなんだといい続けること自体、実益のない不毛な論だというのが私の立場です。
実益がない無駄な論を続けて、せっかくの素敵な出来事を単なる偶然として片付けて想像力に乏しい生活を送ることこそ、科学的に言っても間違っていると私は考えています。
だから、そういう議論を持ちかけて、いかにも私が非科学的な議論をいつもしている頭の弱い人、あるいは現実逃避的な人間であるかのごとき扱いをされたときでも私として本音ベースでは、「馬鹿じゃないんだから、そんなことは分かった上で言ってるんであって、それに水を差そうとするのは全体像を見失ったナンセンスな話!」と思ってしまうのです。
が、急に言われてその場で分かりやすく反論できるような論説をいつも心に持ち合わせているわけでもなく、まるでたま出版の韮澤社長のように見えるかも分からない苦笑いを浮かべながらきっちりとした論理にもならない論理で反論するしかないことが多いので、こういうところでできっちり言わせてもらったわけです。
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