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ポーランドとCIA/ヤヌコビッチ/預金者切捨て /目の瞬膜 舛添

2016-05-17 19:23:57 | (旧 新) 米国

ポーランドとCIA


ロマノフ時代  ウクライナクーデター  ナチスを米、独は支援   ソ連は危険視


スロバキアを訪問しているポーランドのビトルド・バシチコフスキ外相は4月15日、記者団に対し、

ロシアはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)より危険な存在だと語ったという。口先だけでなく、ポーランドはダーイッシュへの武器供給ルートになっているとする情報もある。

 
 
ポーランドの隣国、ウクライナでは2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領がクーデターで排除された。その主力になったのがネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で、その勢力を操っていたのがアメリカのネオコン/シオニストだ。

 

ネオコンのひとりとして現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補は2013年12月13日、

米国ウクライナ基金の大会で自分たちは1991年からウクライナへ50億ドルを投資したと発言している。

1991年12月にソ連が消滅しているが、その頃からウクライナ乗っ取りを目論んでいたということだ。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンである。

 
 
年明け後に抗議活動は暴力化、ネオ・ナチのグループが前面に出てきて、2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。その際、ネオ・ナチは2500丁以上の銃を持ち込み、狙撃も始めている。

 こうした混乱を話し合いで解決しようとしたEUにヌランドは不満を抱き、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしている。


 
このクーデターにポーランドも深く関与、2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換留学生としてポーランド外務省が招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたという。

この訓練が終わった直後にユーロマイダンで抗議活動が始まったことになる。

 

ヤヌコビッチ大統領を排除したアメリカの傀儡政権はウクライナの東部や南部でロシア語系の住民を殺戮、追い出しにかかる。 ポーランドの軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加したようだ。

 

ポーランドは18世紀の末からロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリーの3帝国に支配されていたが、第1次世界大戦でこの3帝国が崩壊し、独立した。

この大戦の最中、ロシアのロマノフ朝は1917年3月(ロシア歴では2月)の「2月革命(3月革命とも)」で崩壊し、臨時政府の中枢には資本家が座る。


 ロマノフ朝を支えていた2本柱は大地主と資本家。



大地主は農民を確保する必要があるため戦争に反対していたが、資本家はカネ儲けのチャンスだと考えて戦争に賛成していた。この対立が王制を揺るがす一因になっている。

 
 ケレンスキーが首相になっても資本家が主導権を握る実態に変化はなく、戦争は継続されることになった。この人物を通じてイギリス政府とシオニストは新政権に影響力を及ぼしていたと見られている。

 東のロシアと西のフランスを相手にしなければならないドイツはボルシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)に目をつけた。戦争に反対していたからだ。


そこでドイツはウラジミール・レーニンなど亡命していたボルシェビキの指導者をロシアへ帰国させ、11月の「10月革命」につながった。ロシア革命をひとつの革命だと考えてはならないということである。混同すると歴史の流れを見誤る。

 

ドイツの思惑通り、10月革命で成立したボルシェビキ政権は即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。この革命後、ポーランドは独立するが、その時からボルシェビキ政権(ソ連)と戦い始めたのがウラジスラフ・シコルスキーだ。

 この大戦で敗れたドイツは領土を削られ、その時にドイツ本国と東プロイセンの間にポーランド領(ポーランド回廊)ができ、東プロイセンは飛び地になる。



この問題を解決したかったドイツはポーランドと話し合おうとするが、イギリスを後ろ盾とするポーランドは交渉で強硬な姿勢を崩さない。

この間、ポーランドに支配された地域に住むドイツ系住民が虐殺されるという出来事もあったと言われている。


 そのドイツでは1932年11月に行われた議会選挙でナチスが第1党になり、33年1月にはアドルフ・ヒトラーが首相に就任した。そして2月に起こったのが国会議事堂の放火。

ナチスは共産党が実行したと宣伝、同党を非合法化し、3月に実施した選挙でナチスは44%を獲得、全権委任法を成立させて独裁体制へ入った。この放火はナチスの自作自演で、そのナチスをドイツだけでなくアメリカの巨大資本も支援していたことがわかっている。

 
ナチスを危険視したソ連は1938年にイギリスやフランスに同盟を呼びかけるが拒否され、次善の策として39年8月にドイツと不可侵条約を結んだ。

条約の秘密条項で両国はポーランドを分割することを取り決めたと宣伝されているが、流れから考えて独ソ開戦のレッドラインを決めたと解釈すべきだろう。


 1939年9月1日にドイツ軍はポーランドへ軍事侵攻するが、目的は「ポーランド回廊」問題の軍事的な解決。9月3日にイギリスとフランスはドイツに宣戦布告するが、しばらくは目立った戦闘はなく、戦局が動き始めるのは1940年になってから。その期間は「奇妙な戦争」と呼ばれている。


 ソ連のNKVD(人民内務委員会)がポーランド軍将校を大量処刑したのは1940年の4月から5月にかけてとされている。

 ドイツは1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行、6月にドイツはソ連へ向かって進軍を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。


ドイツ軍がソ連を攻めている間、イギリスはドイツを攻撃しないという約束を取り付けるためにヘスはイギリスへ向かったという噂がある。実際、イギリスやアメリカはその間、ドイツを攻撃していない。

 
7月にドイツ軍はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、1942年8月にスターリングラード(現在のボルゴグラード)の攻防戦が始まる。43年1月にドイツ軍はソ連軍に降伏した。

 
 大戦後、ポーランドはソ連圏に含まれるが、CIAの対東欧工作の拠点になる。
 


 2010年代になってアメリカの好戦派は自立した体制を倒すため、カルト色の濃い武装集団やネオ・ナチを使っていることは本ブログで何度も指摘してきた。

ポーランドの外相がロシアはダーイッシュより危険な存在だと語るのは必然だ。

彼らは以前から西側の巨大資本に楯突く体制を倒すためにダーイッシュのような集団を使ってきたのである。


http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201604180000/





3.26 EU、ヤヌコーヴィチ元大統領とその息子たちに17万ポンドの賠償金を支払うようウクライナに義務付け


欧州連合(EU)裁判所は制裁解除事務の枠内による支払いへの賠償金として、ウクライナの元大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ氏とその息子たちに17万ポンド(24万ドル)を支払うよう、ウクライナに義務付けた。金曜、ウクライナのエレーナ・ルカシュ元法相(2013-2014)がFacebook上で発表した。

ウクライナで2014年2月22日に政権交代が起き、新指導部はヤヌコーヴィチ氏をはじめ、多くの元高官や政治家の責任追及を開始。

EUは2014年3月5日に、ヤヌコーヴィチ氏とその息子たちを含め、一連のウクライナ国籍者に制裁を課した。

一部の役人は裁判所に反訴を提起した。





4.3 ポーランド農民党  EUによる対露制裁の解除を求める

ポーランド農民党は、欧州による対ロシア制裁の解除を求めた。同党は以前、連立与党の一員だった。「ラジオ・ポーランド」が伝えた。

「数年間でEUとロシアの政治的問題が解決されないのはありえないことであり、これによってポーランドの農家や起業家たちが苦しんでいる。禁輸措置の解除が必要不可欠であり、政治的問題は別の形で解決する必要がある。」




預金者切捨て   ベイルイン

オーストリア、ヘタの優先債でベイルインを実施-EU加盟国で初

ベイルインとは金融機関の内部に損失を負担させるというものです。 それはつまり、預金者から預金を勝手に奪って自分達を救済するという強行手段に出るということです。

人の預金を勝手に奪う手段であるため、金融機関はある日突然預金封鎖を行い、預金者の資金を凍結してしまうのです。



オーストリア、ヘタの優先債でベイルインを実施-EU加盟国で初
https://www.youtube.com/watch?v=6XyyC52QKmk


ベイルインで丸裸にされれば、ゴイムも気付くのでしょうか?

http://blog.goo.ne.jp/zabuyamato/e/7ed8f41946c8f9edc139cc054fa464a2




爬虫類の目の瞬膜   舛添要一


http://reptilianbuster.blogspot.jp/2016/05/blog-post_35.html