のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

快挙「はやぶさ」世界最速320キロ、そして疑問。

2013年03月16日 19時13分37秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#東北新幹線:「はやぶさ」世界最速320キロ運転(毎日jpより)

正直に言うとね。
日本においてこのレベルでの鉄道速度を競うのってそんなに意味あるのかな、と思うのです。
どんなに鉄道が速くなっても、所詮飛行機にかなわないわけで。
鉄道新設に至っては用地買収の「問題」が事実上存在しない中国とかには逆立ちしても敗れてしまうわけで。
速さを追求すればするほど、技術面とは別に、「ルートはなるべく直線に近く」って縛りが出てくる。
原野だらけの場所ならともかく、日本でなら、都会のビル、商業施設や住宅、半端じゃない量ぶっつぶさなければいけない。
全部トンネルにする?
現実的じゃないし、可能だとしても、数時間景色の変わらない暗闇の中を走る超高速鉄道、乗りたいと思います?
さりとて技術だけ開発して、敷設は海外でじゃ、日本国民としてモチベーションが上がらない。
難しい問題です。
横浜生まれの横浜育ちだが本籍が青森県の半青森県人として、青森まで鉄道で早く行けるようになるのは嬉しい。
技術は世界一を争ったほうが技術者の意気が上がる。
その原則を理解した上で、問題山積の日本国。
費用対効率を考えたら、鉄道のスピードアップよりも先にやるべきことはあるのではないか。
そう考える私は「非国民」なのでしょうか。

生きることそのものが希望なのだ

2013年03月15日 05時59分50秒 | Weblog
負けるの「あり」だと思う。
負けが立て込む時期もあるだろう。
負けてもいい。
ずっと負けのままでいなければいい。

それが難しいと言う人もいる。
希望を持てないと言う人がいる。
希望というのは「望みを希う(こいねがう)」と書くから、
それが無い状態もあるだろう。

希望無しでも生きてはいける。
実際そういう人もいるから。
それでも希望は無いよりあったほうがいい。
それを否定する人はあまりいないと思われる。

最終的にはね。
生きてりゃいいさ。
そこに行き着く。
希望が無くても、生きていることそのものが希望と思えばいい。
「死んでたまるか」とでも思えれば万々歳。

私の人生でも絶望的な状況はあった。
でも「生きてやる」の意気は失わなかった。
だからこその今がある。
生きることこそが希望。
そう考えてこれからも生きていく。

本日のお薦めケーキ。ん?!

2013年03月14日 04時29分01秒 | Weblog
昨日は誕生日でした。
姉と姪が来てささやかなパーティ。

姪がケーキを買ってきてくれたのですが、
お店でとあるケーキに
「本日のお薦めケーキ」
と書いてあったそうなんです。

スルーしそうだけれど。
本日のお薦め。
じゃ、前日と翌日にはお薦めできず、
当日だけピンポイントでお薦めするケーキってこと?

さすが我が姪。
引っ掛かるポイントは私と似ているらしい。
お店の人にしたら軽い気持ちで書いたことなのだろうけれど。
こういう「揚げ足取りが趣味」の人間もいますよ。
ご注意、ご注意。

はっぴばーすでー自分。49歳になりました。

2013年03月13日 04時35分22秒 | Weblog
本日無事誕生日を迎えました。
49歳。
語呂合わせで「始終苦労する」
とかとなりますが、
七福神×ラッキーセブン=49
そんな風に前向きに考えます。
40代最後の年。

これを言うと驚く人もいるのですけれど、
私は今日に至るまで、誕生日、歳をひとつ重ねることを、
嫌だと思ったことが一度もないのです。
一年無事過ごせたことに感謝して。
親に家族に友達に、いろんな人に感謝して。
よしまた一年やってやるとの意気。
幾つになっても誕生日は嬉しい日なのです。

さて49歳。
予定では人生の半分にまだ到達していない。
超長生き、百歳超えを目指していますからね。
冗談でも何でもないです、本気です。
おばあちゃんは99歳直前まで生きたから、
遺伝的には私に素質は十分ある。
それも寝たきりとかじゃなくてね。
ピンシャンと。

101歳の医師。
聖路加国際病院の日野原重明先生のように。
この人の凄いところは、年寄り顔、同じ顔になっていないということ。
ある程度、歳をとると人間皆同じ顔になる。
同じような「老人顔」になる。
私はそう感じています。
でも日野原先生はいまだに個性を保った顔をしてらっしゃる。
凄いことだよ。

この人がいるから、超長生きをしようと思えるようになった。
昔は百歳とか良いイメージを持っていなかったのですよ。
あんなヨボヨボでなんにもできない状態になってまで生きていたくないと。
今は違う。
生き生き生きている百歳もいる。
そんな百歳になりたいと心から願う。

残念ながらご逝去なさいましたが、
101歳の詩人、柴田トヨさん。
そういう例もある。
物書きの端くれとして目標にしたいものです。

以上は机上の空論。
大きなことを言っておいて明日ぽっくり逝く可能性も皆無じゃない。
それでも目指したい。
今から日々の心がけ、節制が重要になってくるのはもちろんのこと。
「健康のため回り道をしません。身体に良いものを適量食して、適切な運動をします。」
自分で定めた「おきて」のひとつ。

さあ、頑張るぞー。
49歳の年。
良い一年にするぞー。

3月11日が終わった。記憶の風化について。

2013年03月12日 02時56分51秒 | Weblog
3月11日が終わった。
3月11日に起きたことは終わらない。
3月11日が3月12日に変わっても、
3月11日が3月11日であることは変わらない。

偉そうなことは言わない。
実際、偉くないし。
記憶を風化させるな。
昨日書いたばかりだが。
悲しみはある程度風化させたほうがいいのでは。
あの日の身を引きちぎられるほどの悲しみ、苦しみ。
それがまったく風化せず、減らなかったら。
ずっと涙に暮れて暮らさなければならない。
亡くなった方の記憶。
記憶を風化させたときに初めて死者は成仏できる。
そう考える自分もいる。

心の中は矛盾だらけ。
その矛盾を抱えて生きていく。
残ることを許されたこの世で。
この世を去る日まで生きていく。

あ、やっぱ偉そうなこと言っちゃいましたかね。
ごめんちゃい。

東日本大震災。あれから2年。風化させてはならない記憶。

2013年03月11日 19時10分08秒 | Weblog
あの日、あの瞬間。
僕は旅行先のホテルのロビーで迎えた。
西への家族旅行。
奇跡的なくらい幸運だった。

それでも大きく揺れた。
速報で震源地を知ったとき。
普通じゃない大地震であることを悟った。
電車も止まり、すぐ家に帰るという選択肢は無かった。
ホテルの部屋。
食い入るようにテレビに見入った。

震撼の映像。
大津波に飲まれる人、家、車。
そして僕はそのとき何もできなかった。
そしてあれから2年。
今日に至るまで僕はいったい何をできていたのだろう。

忘れないこと。
それが最大のことなんだ。
微力であっても何ができるか。
それを考え続ける。

祈り、考える。
家族、友人、家、職場。
いろんなものを失った人たち。
その人たちのために祈る。
被災者、被災地のために祈る。

僕にもできることは必ずある。
長い年月。
復興はこれからも長い時間がかかることだろう。
原発事故。
仮設住宅や避難先での生活。
自宅に戻る見通しさえ立てられない人もいる。

僕に言えることじゃないのかもしれない。
それでも。
希望を失っちゃ駄目だ。
諦めちゃ駄目だ。
頑張る、信じる、行動する。
例えば高齢の方には酷な言葉なのかもしれない。

頑張りすぎるほど頑張った人たち。
病気とか様々な要因で、頑張ることもできない人たち。
頑張れない人に頑張れと言うのは酷なこと。

かつて私は裕遊字的でこう書いた。

がんばれないときに
がんばらなくていい
がんばれるときに
がんばればいい

その気持ちは今も変わらない。
明日、希望、信じること
あれから二年の今日。
改めて。

花粉症の敵。こりゃもう初夏だわな。

2013年03月10日 04時28分54秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#暖かい南風が流れ込んだ影響で日本列島は9日、関東以西を中心に気温が上がり、各地で軒並み4月~6月並みの暖かさとなった。(YOMIURI ONLINEより)

暖かさもそうだけれど、花粉がねえ。
昨日は酷かった。
ティッシュの消費量が半端なかった。

上には上がいるもので。
父の付き添いでいった泌尿器科。
先生が凄いことになっていた。
眼は兎のように真っ赤っか。
風邪か?っていうくらいの鼻づまり。
「先生大丈夫ですか?」
と患者側が聞くのも変な感じだから黙っていましたが。
お大事に。

アンバランスカップル

2013年03月09日 04時52分18秒 | Weblog
街を歩く。
見るからに幸せそうな二組のカップルとすれ違う。
友達らしく横に4人並んでいる。
なんでカップル二組とわかるかというと、それぞれ手を繋いでいたから。
横に4人並んで通行に邪魔というのはさておき。
ここから先は表現に気を遣う。

何ともアンバランスなカップルであった。
例えて言うならね。
向井理さんとお笑い芸人の安藤なつさんが手を繋いでいる。
その横で武井咲さんとザブングルの加藤歩さんが手を繋いで歩いている。
芸能人に例えるとこんな感じ。
圧巻でした。

別に笑いにしようということじゃなくてね。
気持ちが明るくなりました。
やっぱ人間、顔じゃねえぞと。
見ている人は見るべきところをちゃんと見ているぞと。
私もブサイクですからね。
励みになりますよ。

基本タイプがなくて、好きになった人がタイプ。
過去の例、好きになった女性の共通点が見つからない。
もちろん美人もいたけれど、
第一印象「別に」で、スルー。
つまり当初外見には惹かれなかったけれど、人となりを知って好きになった。
そういうパターンもある。

これは男女一緒だと思うので言いますが、
世間一般の美男美女とブサイク。
それと個人の異性ストライクゾーンは違う。
「あれは異性としてあり得ないでしょ」
と友達同士で言っているけれど自分的には直球ど真ん中。
その逆。
仲間内で外見大人気の異性。
「そんなにいいかなあ?別に」
とか。

つまりは人間は外見じゃないというのは正しいのだ。
ブサイク必ずしもモテナイということではない。
絶世のブサイクを自認していても諦める事なかれ。
数は少なくてもマニアはいますよ。
あ、これは自分自身に対しても言っていることね。

マニアの方。
私なんかいかがですか。
ブサイクかもしれませんけれど。
性格まあまあ。
笑顔には自信がありまーす。
よろしくぅ!

明るい未来に試練はつきもの

2013年03月08日 15時44分26秒 | Weblog
昨日は一日遅れで心理的ダメージが来て一日大人しくしていました。
何だかんだ言って強い人間じゃないです。
それでも前向きであれ。
明るい未来に試練はつきもの。

火曜日。
辛いことがあった。
辛い話があった。
水曜日。
なんてことはなかったのかな、それくらいの感覚。
昨日木曜日。
一気にダメージが来た。
自分がどうにかなっちゃうようなそんな深刻なものではないけれど、
決して楽ではない、そういうレベル。
こういうときは無理をしないに限る。
夕方まで大人しくしていた。
嘘のようにけろりと復調した。

今回の不調が心の病とリンクしたものかはわからない。
単なる不調だったのか、それとも・・・
自分自身でわからないのだから深く考えても仕方がない。
放っておくことにする。

改めて抱えている心の病との関わり方について。

負けず嫌い。
それでいて矛盾する「負けてもいいや」という姿勢も抱えている。
この相反するふたつの姿勢は、
心の病の克服に必要不可欠のものに思える。
完全に病に負けたら話にならない。
それでも病に全勝なんて無理だ。
ほどほどに勝ち、ほどほどに負ける。
完治するのが見込めそうにない病を抱えてしまったら、
そういう取り組み方が必要だよ。

心の病が辛いときにも外見はいたって普通。
軽いジョークのひとつも飛ばせる。
対応している人に悟られることはない。
そんな風に回復した。
長年の訓練で自分を飼い慣らしたといったほうが正しいかな。

元気、元気。
前向きに。
「元気があれば何でもできる」
アントニオ猪木さんの名言は実に深い。
その深さ故に心に響く。

「明るい未来に試練はつきもの」
これは私の言葉。
実体験に基づいているから少しは説得力があるかな。
駄文?駄言?
ま、いっか。
それも含め明るく前向きに。
馬鹿と言われようが脳天気と呆れられようが。
明るい未来を信じていこう。
諦めることなく生きていこう。

先に怒った方が負けである

2013年03月07日 20時05分09秒 | Weblog
バスに乗った。
何十年かぶりに降りた駅からである。

乗り場は事前に調べておいたからわかっていた。
定刻5分くらい前、始発のバスが来た。
入口でPASMO読み取り機にタッチ。
乗り込んだはいいものの定刻より早く発車。
こりゃおかしい。
運転手さんに尋ねる。
「●●(←停留所の名前)には停まりますか?」
さて問題はここからである。

運転手さん:「停まらないよぉ」(かなり投げやりな口調で)
私:「すいません、降ります」
運転手さん:「まだ出たばっかりだよぉ」(呆れた、という口調で)

まあこういう人もいるだろう。
突っかかるのもつまらないから、スルーして降りる。
そのときいつもの癖で、降り口のPASMO読み取り機にもタッチしてしまった。

運転手さん:「あーあーあーあー」
朝の連ドラ「純と愛」の待田愛くん並みに心が読めたなら、
「めんどくせえなあ」
という心の声がビンビンに聞こえてきたであろう。

気の短い人間ではありませんが、
こんな対応をされたらさすがに気分快調とはいかない。
返金処理をして貰うこともできたが、
この人とはこれ以上会話をしたくないな。
その気持ちで最低料金をドブに捨ててバスを降りた。

この段階ではまだ「呆れ」であったが、
これ以上関わったら、マイナスの感情「怒り」に支配されそうだったので。
間違えたバスに乗ったことにしろ、誤ってPASMOタッチしたことにしろ、
基本悪いのは自分でもあるし。

でもさ。
酷くない?
この対応。
仮にもお客様相手の商売だぜ。
でも考え直す。

考え方は人それぞれ、いろいろあれど、
個人的には怒ってもいいことは何もない、先に切れた方が負け。
だと思っている。
問題や理不尽から逃げろということではない。
言うべきことは言ったほうがいいし、やるべきことはやったほうがいい。
でもその上で。
怒ったらつまらない、自分が不快になるだけ。
人格者を気取るわけじゃない。
今回、相手の「対応」は別として責は私にあった。
だから黙って怒ることを避けた。

ま、いいじゃん。
こうやって書くネタにもなったことだし。
さて、あんな接客態度を続けたとしたら、
あの運転手さんに「明るい未来」はあるのだろうか。

意地悪な運命を笑え

2013年03月06日 04時42分01秒 | Weblog
昨日。
姉と一緒にちょっと遠出。
用事本体は深刻な話をするためだったが、
なんか色々あった一日だった。

よかったこと。
不快になったこと。
笑っちゃうようなこと。
色々あったよ。

何だかんだ結果疲れた。
夜ベッドに入り、眼を瞑り、眠りに落ちるのに30秒もかからなかったと思う。
今は深刻な用事本体のことで一杯いっぱいです。
泣き言は言わない。
泣き言を言っても事態は決して好転しない。
抱えている問題。
十字架を背負ったなんて思わないことだ。
些細なこととは言わないが、
それで過度に思い詰めたら疲弊してしまう。
意地悪な運命を笑え。
そんなとこかな。

今日はここまで。
昨日起きた様々な出来事はまた日を改めて。
では。

挨拶は大切です

2013年03月05日 02時28分16秒 | Weblog
外出、駅への道。
お隣の息子さんとすれ違った。
高校生?大学生?
それくらいの年齢。
背がちっちゃくて憎めない顔をしている。

挨拶をしようとした。
目が合った。
普通に通り過ぎようとする。
あれ?人違い?
知らないおじさんに挨拶されたら気まずいかな。
結局挨拶をせずにすれ違った。

でも間違いない。
「彼」だった。
お父さんとは幼なじみ。
見間違えるわけがない。

そういう難しい年頃なのかな。
後悔。
ならばなおさら挨拶しなくちゃ。
親から言われたりやられたりしたら反抗してしまうことがあるだろう。
反抗期ってそういうものだ。
他の大人だったら素直に受け入れられる。
そんなことがあるだろう。

すれ違ってこちらから挨拶をして、
それでもそれを無視するような子じゃなかったはずだ。
大人は教えてあげないと。
一般常識。
子どもは馬鹿じゃない。
態度で示せばわかってくれる。

挨拶をしなかった後悔。
すれ違った隣人と挨拶をしないのはやはり後味が悪い。
人間の基本。
挨拶は大切です。

Evernote危機。それでも手を引かないという決断。

2013年03月04日 04時27分50秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#不正アクセス:米エバーノート流出か パスワード再設定(毎日jpより)

大丈夫と言われても、やはり利用者としては気持ちの良い話ではない。
そりゃ最低限、ものすげー重要な情報は保存していませんよ。
それでも個人情報、少し重要な情報。
そういうものは預けている。
嫌な話だねえ。

クラウドは便利。
例えばバックアップとして欠かせない手段、ツールとなった。
少なくとも私に関してはそう。

クラウド時代のリスク。
見極めることが重要。
されど今さらクラウド環境を捨てるわけにもいかず。

Evernoteだけじゃない。
SugarSync(シュガーシンク)
Microsoft(マイクロソフト)のSkyDrive(スカイドライブ)
私は利用しまくっている部類に入る。

クラウドから一切手を引くのもひとつの方法だが、
なんだか悪いヤツに負けるようで癪に障る。
そう、危機をもたらすのはクラウドサービスそのものではなく、
悪意、悪いヤツなのだ。

結論、決断。
私はそれでもEvernoteを使い続ける。

知らぬが当然

2013年03月03日 14時01分19秒 | Weblog
昨夜。
家族で歌番組を鑑賞。
父がぽつりと一言。
「少しはうまいけれど、最近の歌手はサッパリわからない」

そりゃそうです。
父上様。
観ていた番組。
「NHK のど自慢2013 チャンピオン大会」
ですから。
全員知っていたら逆に怖いです。

以下は真面目な話。

誰とは言わないが下手な歌手より余程うまい。
口パクの可能性ゼロだしね。

その上で言うのだけれど、
プロで活躍する歌い手って歌のうまさだけじゃない。
見てくれっていうか、エンターテイメント性が重要。

もちろんプロの歌手として歌がうまいに越したことはない。
(ここで誤変換「疑うまいに越したことはない」ナイス!)
多くのプロ歌手は人を感動させられる歌のうまさで飯を食っている。
でもやっぱそれだけじゃないんだよね。

例えばアイドルグループ。
そりゃその多くは歌は下手ですよ。
口パク当然みたいな世界。
それでも消えていかないのは、
それ以外の要素で生き残っているってこと。

もちろん「歌が下手なだけの歌手」は消えていく。
歌が下手でもプラスアルファの「消せない魅力」のある歌手は残る。
だから。
歌の下手な歌手。
私は否定しない。

昨日観た番組からプロが育つ可能性は低いと思われる。
プロにはプロの誇り。
アマチュアにはアマチュアの領分がある。
そう思う。
「一過性の感動」では長い目で見てプロとして食っていけないのである。

プロ棋士。厳しい世界、優しい人たち。

2013年03月02日 20時16分12秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#将棋:名人戦順位戦A級 谷川、長かった一日 最終戦負け、危うく「降級」に苦笑 「言い訳はしない」(毎日jpより)

昨日、A級順位戦最終戦一斉対局。
「将棋界の一番長い日」
森内俊之名人への挑戦者に羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)が決まった。

名人位挑戦が誰になるかも注目だったけれど、
リアルな話として誰と誰がB級1組に降格するのかも注目していた。
プロ将棋に詳しくない方のほうが多いだろうから説明しておこう。
将棋のプロ棋士の定義。
正直なところ私も正式なところは把握していない。
今日取り上げた記事によれば、
現在、最高峰である名人位を争うプロ棋士は約130人。
上から順番に、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組に分かれている。
それぞれで1年かけてリーグ戦を戦い、成績によって昇級と降格が決まる。
A級の優勝者が名人位への挑戦者となる。
ちなみに棋士と女流棋士は別もの。
女流棋士は以上の「くくり」には含まれない。
男女差別でも何でもなく、同じ条件で、C級に在籍できる実力の女流棋士は現在いないのだ。

谷川浩司九段。
辛くもA級に踏みとどまった。
亡くなった米長邦雄さんのあとを受けて日本将棋連盟会長も務めている。
A級プロ棋士として将棋を指しながら、会長も務める。
半端なことではない。

私自身と将棋の関わり合い。
小学校時代はよく指したな。
友達の中でも弱いほうではなかったと自負している。
所詮ガキの遊びだから可愛いレベルなんですけれどね。

今はほとんど指さない。
もっぱら観るほうだ。
将棋ファンと言うより「プロ将棋観戦ファン」と言ったほうが正しいのだと思う。

「勝ち」にも注目するけれど、「負け」も興味深い。
負けたことのないプロ棋士はいない。
プロ将棋では素人のように王様が取られるまで指すことはしない。
勝ちが決まる瞬間というのは、勝者が決まるのではなくて、
敗者が「負けました」と頭を下げた瞬間に成立するのだ。

「負けました」と頭を下げられる人。
傲慢であるわけがない。
だからプロ棋士は皆謙虚。
そりゃ人間だから本音はぐちゃぐちゃ。
心の中でどう思っているかは知らないよ。
でも人に見せる部分として「謙虚」を保つことができる。
凄いことだよ。

私はプロ棋士を尊敬する。
勝負のない人生はない。
勝ちだけの人生はない。
将棋は人生の縮図。
へぼ将棋指しでもそれくらいのことはわかるのである。