のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

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生徒に50回のびんた、受けた心の傷や如何に。

2013年03月29日 05時20分28秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#中学教諭が生徒に50回びんた 鹿児島、当初は過小報告(朝日新聞デジタルより)

良い体罰と悪い体罰。
その分け方も変ですが、少なくとも私が子どもの頃に受けたものについては私自身が「納得できる体罰」というのはあった。
でもさ。
50回のびんた。
異常でしょう。
子どもが大の大人に、それも男性に、50回びんたされたらどうなるか。
50回という時点でそれは「軽いびんた」ではないわけで。
少し想像力を働かせればわかることです。

すべての体罰を否定する人間ではありません。
私の体験として、今となっては良い思い出となっている体罰がある。
あとはさ。
言っても言っても聞かない子どもっていると思うんだ。
話せばわかるって言うのは理想だけどさ。
理想であって現実にはそぐわない。
例えば・・・
いくら言葉で叱っても同級生への暴力によるイジメをやめない生徒がいるとする。
そのイジメ現場に先生が居合わせた。
イジメられている子どもを守るための結果的には体罰。
そういう体罰まで否定する気になれないのです。
この例に限らず、やむを得ない避けられない体罰、あると思うのです。

それにしても今回のは明らかに、許されない体罰だ。
過少申告をした時点で、教師の心にやましい部分があるはずなわけで。
体罰があった時点で病んでいたのは生徒ではなくて、体罰をした、この男性教諭の心の方かもしれません。