のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

ネガティブシンキングドライバー

2011年11月15日 23時59分00秒 | Weblog
先週末。
青森に行ってきたわけですが、
そこでぶち当たったタクシー運転手のお話などを。

旅行ったって、青森の場合、
行くところはだいたい決まっているわけで。
タクシーに乗った。
その家から頼むと当然同じタクシー会社。
運転手、前回青森に来たときと同じ運転手だった。

向こうは気付いていない。
とっておきの営業トークなのだろうけれど、
延々と前回と同じ話をしてくる。

それだけならいいんだけどさ。
それがすべて超ネガティブトークなんだよ。
ずっと聞くに堪えない誰かや何かの悪口を言い続ける。
正直うんざりした。
こういうときに無難な天気の話を振ってみたが、
これも天気予報が当たらないと、
気象庁への罵詈雑言にすり替えられる。

ここまで来ると一種の天才だな。
何でもかんでも後ろ向きな話に変えられる。
あ、もちろん嫌みですけど。

特に笑えなかったのは、
今までに乗せたお客さんの悪口。
これはどん引きだった。
ルール違反、守秘義務違反でしょ。
ああ、この人、他のお客さんに私の悪口言っているのかな。
「ノリの悪いお客さんがいましてね」
とか言っているのかなと勘ぐりたくもなる。

悪口は軽いものなら、
身内、親しい仲で場を盛り上げる潤滑油になることもある。
それは承知しています。
でも、延々と悪口を言い続ける人は、
周囲の人を不愉快にさせる。
これもまた教訓でありました。

とんがっている人を受け入れるということ

2011年11月14日 21時00分21秒 | Weblog
>昨日のニュースより
#プロ野球の「コナミ日本シリーズ2011」は13日、ヤフードームで第2戦を行い、中日が2-1で競り勝ち、対戦成績を2勝0敗とした。(MSN産経ニュースより)

中日ドラゴンズ監督、落合博満はとんがっている。
スティーブ・ジョブズの伝記を読んでいる最中。
だからこのふたりの共通項が余計に興味深い。

プロ野球、日本シリーズ途中。
まだ最終結果はわからない。
ホームタウンで2戦連続1点差で負けたのがソフトバンクホークスなら、
ここからひっくり返すのくらいわけないと思わせるのもホークスだ。

だからこの時点でとやかく言うのは間違っている。
チームを優勝させるのが監督の仕事なら、
優勝して辞めさせられるならいったいどんな仕事をすればいいのか。
その批判は聞き飽きた。

間違いないのはこの日本シリーズを
類い稀な面白いものにしている主人公のひとりが、
落合さんだということ。

日本は「和」を大切にする国。
とんがっている人は煙たがられる。
かく言う私、「和」の人と思っている人もいる。
「誰とでもうまくやれる人ですね」
そう言われたこともある。
それはちょっと違うんだな。
誰とでもとことん話す。
だから和の人という評価になるのかもしれないけれど、
とことん話すとわかり合えるなんて思っちゃいない。
そんなのうわべだけの平和主義者の妄想だよ。
とことん話すと相手と自分の価値観が違うことがわかるのだ。
それを忌み嫌うか面白いと思うか。
それで人生、変わってくる

私は落合博満になれない。
スティーブ・ジョブズにもなれない。
なれるとも、なろうとも思わない。
でも面白い人生だと思う。
尊敬している。

落合博満も。
スティーブ・ジョブズも。
世の常識に迎合することをよしとしない。
周りが皆、馬鹿に見える。
天才にありがちなことだ。

とんがっている人が世界を変える。
それを否定したら世の中、途端につまらなくなる。
誰とも仲良くする必要はない。
でも誰とでも話すことを苦にしないほうが人生楽しい。
何度も言う。
自分と相容れない他人の価値観で、
自分を洗脳せよと言っているわけじゃない。
違いを受け入れることはない。
でも「違うということ」は受け入れたほうがいい。

日本シリーズを観戦し、偉人の伝記を読み進める。
似たもの同士の同時進行というのは面白いものである。

叔母の誕生日

2011年11月13日 22時22分23秒 | Weblog
青森から帰ってきました。
取り壊すことになった亡くなったおばあちゃんの家とのさよなら旅行でした。
まったくの偶然ですが、
今日は叔母の誕生日。
母は3人姉妹の長女。
その一番下の妹である叔母さんです。

いろいろ世話になった人です。
子どもの頃、ひとりで青森に行かせるのは不安だからと、
その叔母がわざわざ青森から迎えに来て、
一緒に寝台列車で青森に行く。
そしてほぼ夏休み中青森のおばあちゃんの家にいる。
そんなことをしていました。

47歳の私。
その叔母ですから、だいたいの年齢はお察し頂きたく。
おめでと!
こういうときだからこそ笑って祝おう。
天国のおばあちゃんも笑っている
なんだかそんな気がした今日でありました。

おばあちゃん、さよなら。

2011年11月12日 22時25分11秒 | Weblog
青森に来ています。
去年おばあちゃんが亡くなりました。
おばあちゃんの住んでいた家。
皆にとって思い入れの深い家を取り壊すことになりました。
長く人の手が入っていなかったため老朽化が激しく、
雪の季節になって、文字通りぐしゃっと潰れてしまったら、
(現実それが冗談と言えない状況なのです)
処理も大変だし、ご近所さんにも迷惑を掛けることになる。
よって苦渋の決断でありました。

おばあちゃんの家とのお別れに来ました。
単に偲ぶというのもありますが、
中にあるものの整理処理という、
現実的な問題ももあったりして。

おばあちゃんが。
もっと前に亡くなったおじいちゃんが。
暮らしていた家。
子どもの頃、夏休みの間中滞在したこともある。
思い出が一杯詰まった家。

基本的に私は中のものは持ち出さないことにしました。
仮に価値があっても、持ち帰っても活かせないものばかり。
だから壊すという形になっても、
おばあちゃんと一緒に成仏させよう。
そんな気持ちからでした。

そりゃ、辛かったです。
でも避けては通れなかったこと。
あと十日ほどで解体業者が入ります。
これが真の意味での、
おばあちゃんとの「さよなら」なのかもしれません。

メジャーに羽ばたけ!青木宣親。

2011年11月11日 05時08分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#プロ野球ヤクルトの青木宣親外野手(29)は10日、東京・新橋の球団事務所で記者会見し、ポスティングシステム(入札制度)を利用して米大リーグ移籍を目指すことを表明した。7日に青木本人の申し入れを受け、球団が容認した。(MSN産経ニュースより)

また若者が往く。
若者とは言えない歳だって?
私から見れば十分若者だよ。

アメリカ。
メジャーリーグへの挑戦。
決まったわけではないけれど、
まあ九分九厘間違いなく行くことになるのだろう。

挑戦という言葉は心をウキウキさせる。
それは他人の話でも同じこと。
自分をレベルアップさせようとして挑戦する若者。
やはり気持ちのいいものだ。

順風満帆ではない。
メジャーは甘いところじゃない。
先陣の例を見ればわかる。
不調になれば日本の比ではないほどに叩かれる。
それが続けば簡単に「ポイ」だ。
蒼き選手の英語語学能力は知らないが、
ぺらぺらだったら情報は知れ渡るはずだから、
そこそこの会話力しかないというのが当然の見方。
自分の周りがすべて英語。
私は決してしたくない想像だな。

だからこそ、本人、半端な覚悟でないのは間違いないわけで。
頑張れよ。
君の特別なファンではないけれど、
同じ日本人として応援するから。

意地悪をされたら、辛すぎることがあったら、
英訳をしたら殺されそうなことを日本語で呟いてみる。
それくらいのストレス発散は許す。
そして本当の激励は決まったときに。

中途半端なウルトラマン

2011年11月10日 22時48分00秒 | Weblog
物騒な夢を見ました。
(寝ているときに見る夢のほうね)
空襲される夢です。
過去にタイムスリップした夢ではなく、
現代の自分の生活上で、自宅にいて突然爆弾が降ってくるという夢でした。
現代の爆撃というのは破壊力の凄いミサイルがズドンだと思うのですが、
なぜか太平洋戦争の時代のイメージがあるのか、
ちっちゃめの飛行機が焼夷弾のようなものをぱらぱらと落としていくという、
古典的な空襲でした。

私の家は直撃から免れ、周囲の家が燃えている。
逃げなきゃ、ってことなんですが、
私は冷静なんだかそうで無いんだか、とっさにリュックに、
薬と懐中電灯とラジオとボールペンを放り込み逃げ出しました。

さすが夢だなというのは、
火に囲まれてにっちもさっちもいかなくなったとき、
ウルトラマンが現れて、指の先から放水して、
ある程度火を消してくれて難を逃れたという。
しかしやはり私が見る夢だけあって、面白い展開になっており、
完全消化する前に、ウルトラマンの体内貯水タンクが空になったらしく、
1分くらいで水が出せなくなり、
「シュワッチ!」と言いながらきょろきょろして困った表情のウルトラマン。
私が「もたもたしてないでさっさと水汲んで来いよ!」と叫ぶと、
「わかった」とばかりに「シュワッチ!」と言って去っていく。
と思ったら3分経過でエネルギー切れらしく、
飛べないウルトラマン。
バランスを崩してこちらに倒れてくる。
ぎゃー、潰される!

で、目が醒めた。
当然気分はよろしくない。
そのくせちょっと笑える。
ま、仕方が無い。
支離滅裂は夢の専売特許だ。
そんな今日の夢日記。

バカでいられる幸せ

2011年11月09日 23時59分00秒 | Weblog
母:「このズボンあんたが穿いてんの?」
私:「うん、被ってはいない」
母、呆れている。

そういう家庭。
万事がそんな感じ。
おふざけが好きな家である。

こんな風に育ててくれた両親には感謝している。
私の周りには常に笑いがあった。
私は心の病を患ったけれど、
それで決定的に暗くなることはなかった。
心の病の知り合いに冗談で言う。
「俺、躁躁病だから」
ははっ、そんな病名の病気はありません。
ま、躁病というのは有りますけどね。
それを二倍にした「躁躁病」なんていうのはない。

笑いはいい。
気分を明るくする。
人を幸せにする。
笑っている瞬間に不幸はない。

これからも笑っていたい。
笑って生きていきたい。
人に笑顔を与えられる人間でいたい。
笑われてもいいから笑いたい。
自分の言動が人から笑われることが苦にならない。
たとえそれが馬鹿にされていることであっても、
笑われることは私にとって勲章なのだ。
ある種お笑い芸人に近い感覚かな。

下を向いて歩くのはゴメンだ。
前述の通り心の病を患った。
「人生最悪の選択」をしてしまった知り合いが少なからず居る。
彼らのためにも生きなければ。
幸せに生きなければ。
私の人生は私だけのものではない。
他人の人生を背負って生きるとか、そういう大仰なことじゃない。

ただ、自分のためだけでなく、
家族のため、友だちのため、愛する人のため、
私の生活を支えてくれる見知らぬ誰かのため。
それは常に考えているよ。
それを負担とは思わない。
励みだよ、励み。
生きていく上での目標、励み。

そして長く生きる。
長く楽しく生きる。
笑っていれば健康でいられる。
人生で学んだ経験則。
笑いは病を吹き飛ばすというのは、あながち間違いじゃない。

もちろんこんなこと言っておいて早死にする可能性だってある。
人生、何があるからわからないからね。
ある程度、心積もりができる病気ならまだいい。
突然の事故死だって考えられる。
場合によっては理不尽な死、殺されることだってあるかもしれない。

だから毎日、一日一日をたいせつに生きる。
毎晩、眠るときに考える。
このまま目覚めず死に至っても後悔はないか?
大抵の日には自分に「うん」と応えられる。
やり残したことはないのか?
とは、また別次元の話。
そりゃやりたいこと、やり残したことは常にある。
だからこそ生きていられるってもんだ。
それでも一日目一杯生きたと心から思えれば、
今、死んでも後悔はない、と思えるんだ。
これに限って言えば最近のことだ。
私も長く生きてきて少しは成長したのかな。

生きる。
ホームページアドレスも、
ikiru.jp
だからね。
その名に恥じないように、
これからも生き生き生きる。
みんな~、楽しく生きようぜっ!

酒が飲めないという親不孝

2011年11月08日 23時59分00秒 | Weblog
父に対する最大の親不孝があるとすれば、
それはお酒を飲めない人間になってしまったことかもしれない。

お酒をまったく飲まなくなってずいぶん経つ。
まったく飲めないわけじゃない。
事実、学生時代は付き合い程度に飲んだ。
ただし美味しいと思ったことは一度も無い。
はっきり不味いと思った。
飲めば飲むほどテンションが下がる、暗くなる。
でも周りが盛り上がっているから無理して明るい自分を演じる。
皆と別れると自己嫌悪。
だから飲んでも、飲めても酒は苦痛、大嫌いだった。

社会人になってもやはり付き合いでは飲んだ。
でもあるとき、はっと気付いた。
学生時代は先輩に強制的に飲まされたりして無理していたけれど、
大人になっても無理することはないじゃないかと。
そう考えて酒を一切飲まなくなってからすーっと楽になった。
周りも大人だから、飲めないと言って無理して飲まされることもない。
新しい発見は酒を飲むと気分が暗くなるが、
酒を飲んでいる場の雰囲気は嫌いではない。
ウーロン茶で明るくなれる。
馬鹿騒ぎしても自己嫌悪になることもなく楽しいものだ。
飲み会が急に楽しくなった。
とりあえずビール的な雰囲気の中で、
ハイテンションで「ウーロン茶お願いします」と言うと、
笑いが取れることも知った。
(ハイテンションでというのが重要。普通に言うと逆に雰囲気をぶち壊す)

飲まない、飲めないとなってから、
実際酒に弱くなった。
アレルギーと言ってもいいほどだ。
料理の中に残っている酒や甘酒でも、
真っ赤になって気分が悪くなるようになった。
習慣とは怖ろしいものである。

母は下戸。
姉は結構飲む。
要はクロス遺伝してしまったのですな。
飲兵衛の父の血を姉が継ぎ、下戸の母の血を私が継いだ。

以上が私のノンアルコールライフであるが、
やはり父に対して言えば親不孝であった。
父は飲兵衛。
言葉には出したことはないが、
息子と酒を酌み交わすことは楽しみにしていただろう。
晩酌に付き合ったことは一度も無い。
やはり寂しかったろうな。
その点だけは父に申し訳ないと思っている。

負けて強しの錦織圭

2011年11月07日 05時47分04秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#男子テニスのスイス室内は6日、スイスのバーゼルで行われ、シングルス決勝で世界ランキング32位の錦織圭は、同4位で4大大会通算16勝の元世界王者のロジャー・フェデラー(スイス)に敗れ、2008年以来のツアー2勝目はならなかった。(asahi.comより)

以下、私はテニスに関しては素人で、
「知ったか」と言われはしないかと怯えつつ、
それでもテニスの評論ぽいことをすることを許して頂きたい。

生テレビ観戦いたしました。
昨日の準決勝、世界ランク一位のジョコビッチを破る代金星。
これは観なきゃいかんということで、
睡眠時間をうまく調節して真夜中の観戦となりました。
GAORAさん、生中継ありがとう。

観て思ったのはね。
確かにスコアの上では完敗なんだけれど、
こいつは凄いぞと。
この相手にあれだけのテニスをされたら、
誰だって勝てやしないでしょう。
それくらい凄いレベルの戦いだった。

フェデラーが錦織をナメてかかっていないのは明白だった。
「こりゃ気を抜いたらやられる」
その気迫がありあり。
その上での全力プレーの王者。
錦織も負けていなかった。
完全アウェーの中で、随所で観客から拍手を貰えた。

1-6、3-6。
完敗だった。
それは事実。
錦織の今の実力では勝てなかったのも事実。
ただ彼の「のびしろ」は無限を感じさせる。
現に今日の試合の中でも、ちゃんと成長していた。
試合中に成長したんだよ。
第1セットの錦織より第2セットの錦織のほうが間違いなく強かった。

人間は学ぶ。
勝ちよりは負けから多くを学べる。
それは誰でも同じこと。
勝ちを成功、負けを失敗と置き換えてもいいだろう。
人間は成功より失敗から多くを学べる。
錦織圭ほど凄くなくても、
より良き自分になるために日々学ぶこと、
チャンスはいくらでもある。

私はあんなに凄くはなれない。
私はダメな人間だ。
そう嘆く前に。
ダメな人間なら余計のこと。
学ぶことはたくさんある。
成功の機会もたくさんある。
ピンチはチャンス。
錦織圭もこの完敗を決して無駄にしないであろう。

ヒガシ、父親に。おっさん世代の希望の星!

2011年11月06日 21時37分14秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#女優の木村佳乃さん(35)が4日に女児を出産したことを、夫で俳優の東山紀之さん(45)の所属事務所が明らかにした。夫婦の連名で「僕らにとっても希望という名の光となりました。感謝の気持ちでいっぱいです」とのコメントを出した。(YOMIURI ONLINEより)

ヒガシ!
いよっ!おっさん世代の希望の星!

40代半ばになっても、
美人のかみさんを貰って子どもを作れる。
そういう前例を作ってくれたんですから、
これはもう大大大感謝であります。

私、47歳。
結婚も子作りも諦めちゃいない。
10歳以上歳下の美人のかみさんというのは、
ちょっと無理かもしれませんが。
男としての魅力、ルックスも全然違いますから。

所属するグループが「少年隊」というのも興味深い。
後々のことも考えて命名しなよ。
還暦過ぎても少年隊って冠される立場も考えないと。
そう思ったこともある。
でもかの有名なジャニーさんことジャニー喜多川さんは、
そこら辺も織り込み済みだったのかなと今は思う。
人皆若くあれ。
青春よ永遠なれ。
そういうメッセージを含めての命名だったのかなと。

数字的な実年齢と見た目の若さは全然違う。
人に年齢を言われたときは、
多分にヨイショの意味が含まれているから、
実年齢より多少低い年齢を言われても真に受けちゃいけない。
「若いですね」
と言うことはあっても、
「老けていますね」
と本人に面と向かって言う人もあまりいないだろう。
でもね。
これも根拠のない自信と言われてしまえばそれまでなのだけれど、
私、実年齢よりは見た目は若いと思われている自信があるんです。
それくらいの空気は読めますから。
それは自身本当に誇れること。

いつまでも若くあれ。
若くある努力は怠ることなく続けたいと思う。
もっと歳をとって、
「年寄の冷水」
と言われることは憧れですらある。

百歳の医師、日野原重明さん。
百歳の詩人、柴田トヨさん。
おふたりに共通しているのは、
いわゆる年寄り顔をしていないこと。
亡くなる直前の老人というのは皆同じような顔になってくる。
蔑視でも何でもなくて、これはもう自然の摂理なのだと思う。
去年亡くなった私のおばあちゃんも、
凄いしゃんとして若々しい個性的な顔をしていたが、
亡くなる直前には悲しいほど見違える顔になっていた。

習慣。
私が今やっている早朝ウォーキング。
サプリメントも摂っている。
おしゃれに気を遣う。
そういう小さなことから。
このあいだ、近くのスーパーに出かけるとき、
部屋着のジャージ上下のままで行くところだった。
危ねぇ。
老いはこういうところから始まるのだと、
慌てて着替えた。

明日はお出かけだ。
ちゃんとおしゃれして。
若々しい気分で。
はいっ!

なんて格好付けて。
メインで行くのは病院。いやはや・・・(苦笑)

ワンピース。凄い作品を読まない自由。

2011年11月05日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#集英社は4日、尾田栄一郎さんの人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」第64巻の初版を400万部発行したことを明らかにした。同社によると、日本の出版史上最多の初版発行部数になる。(MSN産経ニュースより)

初版400万部か。
凄えな。
これでも出版を経験している身であるから、
この数字の持つ物凄さはよくわかる。

売ろうとなった段階で、
出版社が400万部は売れると判断した、自信があったってこと。
減少に転じたといっても日本人の人口、1億2500万人超。
そのうちの400万人が同じ物を買う。
言っちゃなんだが「たかが本」だ。
たとえば主食の米が売れるのとはわけが違う。

ワンピースの漫画本を読んだことはない。
映画は甥っ子の付き添いで観に行ったことが数回。
つまりは間接的な読者であるわけだが、
私にはその魅力がわからなかった。
心血を注いだスタッフの方々には申し訳ないが、
鑑賞中にうたた寝してしまったこともある。
表現には気をつけたいが私にとっては、
私にとっては「そういう作品」だったってこと。

支持者がこれだけいるのだから、
私の感覚のほうがおかしいのかもしれない。
でも私にとってはおかしいことではない。
100人中99人が同じほうを向き出したら、
それは間違いなく「危険」なことなわけで。
そうなると病的、ファシズム。
結局日本が敗れた「あの戦争」がそうだった。

たとえばこれがさ。
初版4000万部だったら、
もう誰も文句を言うことが許されない雰囲気になるわけでしょ。
初版400万部は「凄い」で片付けられる、
健全ギリギリのレベルと思える。

ワンピースという作品を批判する気はさらさらない。
これだけ多くの人に支持されるというのは、
本当に優れた作品でなければできないこと。
その点では素直に脱帽する。
たまたま私の趣味嗜好とは合わなかった。
それだけのことだ。

多くの人に支持され、初版400万部を達成した傑作。
ワンピースを発売当日に買う権利、自由。
そしてワンピースを読まないという選択の自由も与えられている。
日本はつくづく幸せな国であると思う。

夢見生47歳、悠仁様の世まで生きるという野望。

2011年11月04日 05時30分13秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁(ひさひと)さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。5歳を迎える頃に健やかな成長を祝う皇室の儀式で、平安時代から伝わる。男子皇族では秋篠宮さま以来41年ぶり。(YOMIURI ONLINEより)

皇室に特別な思い入れがあるわけではないです。
人格者の集団ということで尊敬の念は抱いていますが。
「天皇陛下万歳」
みたいな盲目的な礼讃は好きになれない。
戦時中、この言葉を叫びながら死んでいった人たちを考えると、
やっぱり複雑なのである。

一方、人間的な尊敬の念は揺るがない。
特権階級という人もいますが、
よく考えてみてください。

思想、信教の自由
集会、結社及び言論の自由
居住、移転及び職業選択の自由
選挙権、被選挙権

我々が当たり前のように持っているこれらの自由・権利。
皇室の方たちは持っていないのです。
これじゃあまるで贅沢な籠に閉じ込められた小鳥ですよ。
そんな生活、1兆円積まれても嫌ですね、私は。
突出して経済的に恵まれた生活ができるとしても。

これらの不自由にもかかわらず、
皇室の方たちは人格的に「出来た」人ばかり。
誰かを批判していたり怒号を浴びせたりしているのを、
見聞きしたことがありますか。

たとえば被災地に赴いたとき、
彼らは必ず被災者の目線になって話す。
腰を落とし、あるいは座って、
相手を見下す目線にならないことを自分に課している。
そして当然のように威張らない。

いたでしょ。
誰とは言わないけれど、
被災地に行ってもふんぞり返っていた、
政治家とか政治家とか政治家とか。

本当に言いたかったことからそれてしまった。
悠仁さまに対しては、親近感を持っている。
なぜかというと、
「この人の世まで生きてやる」
と強く思っているから。
今の制度で順調に皇位が継承されれば、
皇太子様、秋篠宮様、そして悠仁様となる。
皇太子様、歳上。
秋篠宮様、歳下。
微妙な位置に私はいるが、
悠仁様が天皇になるまで頑張ろうという目標を持っている。
そしたら、昭和、平成、##、%%、&&。
元号5つ制覇だ。
いいねえ。
生きるぞぉ。
そこまで長生きしたら、昭和生まれというのが
今の明治生まれと同じような感覚になっているのだろうな。

生き生き長生き。
しかも健康で。
図々しい私の遙かなる野望は、
悠仁様がおじいさんになるところまで見据えているのである。

ジョブズ死すとも精神は死なず

2011年11月03日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#講談社は2日、先月5日に死去した米アップル社共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏の評伝「スティーブ・ジョブズ」1、2巻(各1995円)が、合わせて100万部を突破したと発表した。(毎日jpより)

買いましたよ。
Iは入手済み。
IIは明日届く予定。
経路はamazonちゃんです。

まだ読んでいません。
チラ見はしましたけど。
目次を見てチラ見しただけで、
「これははまる」と確信いたしましたので、
下手に読み始めると「時間食い虫」になることが目に見えております。
時間をとってしっかりと読みたいと思っているところ。

彼の「生い立ち」に関しては亡くなってから知りました。
事を成す人って、必ず負の何かを抱えている。
マイナスってマイナスだけには働かない。
巨大なエネルギーを秘めている。
災い転じて福と成す
よく言ったものだ。

スティーブ・ジョブズの生い立ちに関していうなら、
捨てる神有れば拾う神有り
だったわけで。
ジョブズはチャンスを与えられた。
経済的な後ろ盾がなければ、賭けには出られない。
「拾う神」がいなかったら、
天才誕生はなかった。

流行ではあるけれど、流行では終わらないもの。
ジョブズが創り出したのはそういうもの。
流行を追うだけなら容易いことだ。
流行を真似ればいい。
流行で終わらないものを生み出すためには、
オリジナリティ、独自性が不可欠になる。
それはとても難しいこと。
けれどそういうものを創る過程って、
とても楽しいものだと思う。

iPod、iPad、iPhoneを創るとき、
ジョブズが楽しいと思っていたかは知らない。
今となっては推測するしかないわけで。
でも「生き甲斐」を感じていた。
これらの製品の設計図をジョブズが直接書いたわけではない。
けれど決裁も含め多大な関与をしたのは間違いない。
革新を生み出したのはやはりジョブズだったわけで。

努力を継続できるというのも才能だ。
その意味で、やはりジョブズは天才であった。
私も努力する。
天才ではなくても天才に少しでも近づく努力をする。
そうしたいと強く願う。
そして行動するのだ。

ひっくるめてスティーブ・ジョブズという人間を、
やはり私は尊敬する。
その足跡を辿る。
オフィシャルの伝記は私にとって必読の書。
手に入れる、チラ見もする前から、
ワクワクする本ってそんなにあるものではない。
読書家を自認する私。
読み終わったらここにも感想を書きたいと思う。
そしてそれは必ず前向きな文章になるであろう。

物を買う心理~おばさん編~

2011年11月02日 09時52分19秒 | Weblog
スーパーでお買い物。
インスタントの味噌汁を買い物かごに二袋入れる。
おばさん(といっても私より少し上というくらい)が、
「あら、これ美味しいの?」
と私に話しかける。
私:「最近これが好きなもんで」
するとおばさん、あっさりと、
「あら、じゃあ買ってみようかしら」
と、同じ味噌汁を買い物かごに放り込む。
私のほうが慌てた、というか恐縮した。
私:「でもそれぞれ好みってものがありますから」
おばさん:「いいのよ、文句言ったりしないから」

もうすぐ自営業になる私。
商売のヒントをもらった気がした。
人が何かにお金を落とすときってこんなものなのだ。
何気ないこと、小さなこと。
それがビジネスチャンス。
そしてクチコミの力は強い。
たかがクチコミと馬鹿にできない。

このおばさん。
どう見ても大金持ちという感じではなかった。
私もいつもより安かったからその味噌汁を買った。
お金をたくさん持っていないからこそ、
お金の使い方には慎重になるものだと思うのだが、
誰かがいいと言っているというのは、
強力な「買う動機」になる。
それが売っている人ではなく、他の消費者だったら、
その評判が気になるというのはなんとなくわかる。
テレビの通販番組で、
雇われているタレントと明らかにサクラの観客。
そんなことは皆、わかっているはずなのだが、
その大袈裟な感嘆の声に引っ掛かる人が多いのは偶然ではない。

私がしようとしていう商売。
もちろんお客様を騙すということではない。
誠心誠意。
それは必ず相手に伝わる。
そう信じている。
お客様第一。
結果は後から付いてくる。
たかが味噌汁の話と侮るなかれ。
世の中の真理(心理)は小さな出来事の陰に隠れて、
私たちに教えてくれるものなのである。

TPP。参加か否か。

2011年11月01日 06時05分59秒 | Weblog
日本が参加するかで今議論になっている。
TPP(環太平洋経済連携協定)の問題はね。
結局参加の方向へ向かっていくのでしょうね。

政治家には同情する。
Aという政策があって、Bという政策があって。
その2つが完全に相反する内容で、
しかも2つのどちらかを必ず選ばなければならない。
世論がA政策支持51%、B政策支持49%だったなら、
49%の人に憎まれたとしても、
結局はA政策を実行しなければならない。
それが民主主義における政治家の役割だと思うのです。

TPP参加で得をする人がいる。
TPP参加で困る人がいる。
両方事実。
だから参加派も反対派も言っていることは間違いないわけで。
参加するかしないかはいつかは決めなくてはならない以上、
参加しなくても参加するという選択肢はいつまでたっても消えない以上、
参加派が反対派の勢いを上回れば、
最終的には参加の方向で話が進む。
これはもう仕方の無いことなのでしょう。

憎まれるのを避けてどっちつかずの風見鶏も卑怯ですから、
私の考えを述べておきます。
私はTPPには参加すべき、というよりは参加せざるを得ないと思います。
理論的に正しいか否かということじゃなくね。
貿易の自由化というのは世界の潮流です。
水の流れは止められない。
どんなに頑強なダムを造っても、
大量の水がずっと流れ込み続ければ必ずいつか決壊する。

どんなに反対する人がたくさんいたとしても、
どのみち参加しなければならないのなら、
交渉を有利に進めるためには、テーブルにはなるべく早く着いたほうがいい。
マイナス100をマイナス50にするということだとしても、
損を減らすという意味では、
今反対している人のためにもTPP参加の決断を先延ばしにしてはならない。
それが私の今の考えです。

断腸の思いですね。
たとえば農業問題に限っていっても、
人件費が安いとか超大規模農業とか、
コストの面では、日本の農業が海外と対等に渡り合うのは難しい。
貿易の自由化は日本農業の存亡に関わることだ。
食糧自給率の低下は国家的な危機。
さりとてTPP参加からずっと逃げ回るわけにもいかず。

日本の農業を守るのならば、
早期に交渉のテーブルについて、
日本の基礎食糧の自給率を下げては、
たとえば有事で輸入が止まったら食べるものがなくなってしまう。
だから最低限、コメとかの高関税は許してね。
そう主張することくらいしかできないのだろう。

私は工業従事者でも農業従事者でも、
ましてや政治家でもない。
利益にも危機にも直結する立場にはいないわけだが、
日本国民として日本という国で生活している以上、
今日本を二分するこの論争から逃げ回るわけにはいかない。
「我々に死ねというのか」
という農家のインタビューも見た。
何かを決めなければならないというのは斯くも残酷なことなのか。
私の心も揺れているのである。