のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

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過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

TPP。参加か否か。

2011年11月01日 06時05分59秒 | Weblog
日本が参加するかで今議論になっている。
TPP(環太平洋経済連携協定)の問題はね。
結局参加の方向へ向かっていくのでしょうね。

政治家には同情する。
Aという政策があって、Bという政策があって。
その2つが完全に相反する内容で、
しかも2つのどちらかを必ず選ばなければならない。
世論がA政策支持51%、B政策支持49%だったなら、
49%の人に憎まれたとしても、
結局はA政策を実行しなければならない。
それが民主主義における政治家の役割だと思うのです。

TPP参加で得をする人がいる。
TPP参加で困る人がいる。
両方事実。
だから参加派も反対派も言っていることは間違いないわけで。
参加するかしないかはいつかは決めなくてはならない以上、
参加しなくても参加するという選択肢はいつまでたっても消えない以上、
参加派が反対派の勢いを上回れば、
最終的には参加の方向で話が進む。
これはもう仕方の無いことなのでしょう。

憎まれるのを避けてどっちつかずの風見鶏も卑怯ですから、
私の考えを述べておきます。
私はTPPには参加すべき、というよりは参加せざるを得ないと思います。
理論的に正しいか否かということじゃなくね。
貿易の自由化というのは世界の潮流です。
水の流れは止められない。
どんなに頑強なダムを造っても、
大量の水がずっと流れ込み続ければ必ずいつか決壊する。

どんなに反対する人がたくさんいたとしても、
どのみち参加しなければならないのなら、
交渉を有利に進めるためには、テーブルにはなるべく早く着いたほうがいい。
マイナス100をマイナス50にするということだとしても、
損を減らすという意味では、
今反対している人のためにもTPP参加の決断を先延ばしにしてはならない。
それが私の今の考えです。

断腸の思いですね。
たとえば農業問題に限っていっても、
人件費が安いとか超大規模農業とか、
コストの面では、日本の農業が海外と対等に渡り合うのは難しい。
貿易の自由化は日本農業の存亡に関わることだ。
食糧自給率の低下は国家的な危機。
さりとてTPP参加からずっと逃げ回るわけにもいかず。

日本の農業を守るのならば、
早期に交渉のテーブルについて、
日本の基礎食糧の自給率を下げては、
たとえば有事で輸入が止まったら食べるものがなくなってしまう。
だから最低限、コメとかの高関税は許してね。
そう主張することくらいしかできないのだろう。

私は工業従事者でも農業従事者でも、
ましてや政治家でもない。
利益にも危機にも直結する立場にはいないわけだが、
日本国民として日本という国で生活している以上、
今日本を二分するこの論争から逃げ回るわけにはいかない。
「我々に死ねというのか」
という農家のインタビューも見た。
何かを決めなければならないというのは斯くも残酷なことなのか。
私の心も揺れているのである。

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1 コメント

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no way (noga)
2011-11-01 06:16:45
永遠に待ちの政治では、迅速な対応はできない。どこまでも停滞気味である。元来のんきな性格のためか、自分自身は無為無策でありながら、棚から牡丹餅の落ちてくることを熱心に期待している。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、多数がとにかく足並みをそろえる大連立の構想には意味があると考えられているのであろう。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
英米人の政治哲学に基づいて次々と繰り出されてくる条約締結の提案には、ただたじろぐばかりである。
自分たちには、哲学がない。理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない指導者からの励みの要請に民は閉塞感を持っている。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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