創作日記&作品集

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「わたしなりの枕草子」#351

2012-03-20 08:41:37 | 読書
【本文】
二百九十三段
 大納言殿参り給ひて
 大納言殿参り給ひて、詩(ふみ)のことなど奏し給ふに、例の、夜いたく更(ふ)けぬれば、御前なる人々、一人二人づつ失せて、御屏風(みびやうぶ)・御几帳(みきちやう)の後ろなどに、みな隠れ臥(ふ)しぬれば、ただ一人、眠(ねぶ)たきを念じて候ふに、
「丑四つ」
と奏すなり。
「明け侍りぬなり」
と一人ごつを、大納言殿、
「いまさらに、な大殿ごもりおはしましそ」とて、「寝(ぬ)べきもの」とも思(おぼ)いたらぬを、「うたて。何しにさ申しつらむ」と思へど、また、人のあらばこそは、まぎれも臥さめ。
 主上(うへ)の御前(おまへ)の、柱に寄りかからせ給ひて、少し眠(ねぶ)らせ給ふを、
「かれ、見奉らせ給へ。今は明けぬるに、かう大殿籠るべきかは」
と申させ給へば、
「げに」
など、宮の御前(おまへ)にも、笑ひ聞こえさせ給ふも、知らせ給はぬほどに、長女(をさめ)が童(わらは)の、鶏(にはとり)を捕らへ持て来て、
「あしたに里へ持て行かむ」
といひて、隠し置きたりける、いかがしけむ、犬見つけて追ひければ、廊(ろう)の間木(まぎ)に逃げ入りて、おそろしう鳴きののしるに、みな人起きなどしぬなり。主上(うへ)も、うちおどろかせ給ひて、
「いかでありつる鶏(とり)ぞ」
など尋ねさせ給ふに、大納言殿の
「声、明王(めいわう)の眠りを驚かす」
といふ言(こと)を高ううち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人のねぶたかりつる目も、いと大きになりぬ。
「いみじき折の言(こと)かな」
と、主上(うへ)も宮も興ぜさせ給ふ。なほ、かかる事こそめでたけれ。
 またの夜は、夜の御殿(おとど)に参らせ給ひぬ。夜半(よなか)ばかりに、廊に出でて、人呼べば、
「下るるか。いで、送らむ」
とのたまへば、裳(も)・唐衣(からぎぬ)は、屏風にうちかけて、行くに、月のいみじう明かく、御直衣(なほし)のいと白う見ゆるに、指貫(さしぬき)を長う踏みしだきて、袖をひかへて、
「倒るな」
といひて、おはするままに、
「遊子なほ残りの月に行く」
と誦し給へる、またいみじうめでたし。
「かやうの事、めで給ふ」
とては、笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。

【読書ノート】
 清少納言が出仕して一年に満たない夏の頃。
 大納言殿=伊周。当時二十、二十一才。奏し給ふ。(主上に)。念じて=がまんして。「丑四つ」=午前二時半。→二百七十二段。
 うたて=困った。人のあらば=他の女房がいるなら。まぎれも=こっそり隠れて。め=推量の助動詞「む」の已然形。「こそ」の結びとしての用法。
「げに」=(中宮が)。知らせ給はぬ=(帝が)。一条天皇は当時十四、五才。長女(をさめ)が童(わらは)=長女(をさめ)に召し使われている童。間木(まぎ)=上長押の上に設けられた棚。おどろかせ=お目覚めになって。
 ただ人=ただの人の(私)。
 いみじき折=まことにぴったりの。言(こと)=吟詠。
 いで=さあ。ひかへて=ひっぱって。
 なほをかしきものをば=(めでざらむ)。の倒置省略。
 こうした倒置省略の余韻に、華やかなりし頃の伊周を懐かしむ深い感動が含蓄されているというべきであろう。→萩谷朴校注。