創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

何故に自分は斯く在るのか?

2016-09-27 16:01:44 | エッセイ
「終わりし道の標に・安倍公房著」には、
1948年の真善美社版と、1965年に同作者によって推敲された冬樹社版の二種類がある。
二作品を読んでみた。
冬樹社版では「亡き友金山時夫に」が「亡き友に」になっている。
固有名詞が消えている。
テーマを固有名詞で括るのをよしとしなかったのだろうか。
それとも固有名詞を出すのに何らかの差し障りが在ったのかも知れない。
冬樹社版では観念的な表現を平易な文章に改稿している。 
安倍公房は中国の東北部「満州国」で生まれたという。
日本がつくりあげた傀儡国家である。日本の敗戦と共に消滅する。
彼は、15年間殆どこの地で過ごす。いわば故郷である。
八路軍(中国共産党)、関東軍(日本陸軍)、国民党(蔣介石)が入り乱れた故郷である。
「何故に人間は斯く在らねばならぬのか?」の本作品のテーマは、当時の情勢と通底しているように思う。
戦争を知らない、団塊世代下層を逃げ回り、のほほんと生きてきた僕には作者のような故郷はない。
「何故に自分は斯く在るのか?」という疑問だけを引きずっている。
何故に自分は斯く在らねばならぬのか?……。
中学校の校庭の隅に、4、5人の男子が集まっていた。
Aは米屋の息子で、背が高く勉強も出来たし腕っ節も強かった。
Bは「大鵬」というあだ名で巨体だった。いつもニコニコしていた。
その間に背の低い僕と博士と言われる物知りの分厚い眼鏡のCがいた。
「へその下やと思うねん」
Cが言った。
「そこから生まれるんか」
AがCの顔を覗き込むようにして言った。
「へぇ」
と言って、Bはニヤニヤ笑った。
僕には、見当がつかなかった。
ただ、その時は、
父ちゃんの○○○が絡んでいるとは全員知らなかった。
こうした因果で僕らは生まれた。そして、孫まで生まれた。
だが、今まで生きてきた70年のどこからが自分なのか。どこに自分がいるのか。
考えれば考えるほど分からない。
「何故に自分は斯く在るのか?」



9月13日

2016-09-14 13:56:54 | エッセイ
今年の9月13日も何事もなく過ぎた。
半世紀以上も前の9月13日、私は交通事故に遭った。
自転車で道路を横切り、単車と衝突した瞬間、自分が考えた事を今もはっきり覚えている。
「行け!」と頭の中の僕が言った。
「大丈夫だよ。衝突なんかしないよ。突き抜けたらいつもの生活があるよ。行け!」。
次の瞬間全てが弾けた。
ふらふらと立ち上がり、小型 三輪トラックの荷台に上った。
ベッドによじ登ると、「この子焦ってるわ」と看護婦が笑った。
「助かりまっしゃろか」。闇の中で父の声がした。「そんなことわからへん」医者が怒鳴った。
「命は?」。兄の声がした。
「それはこのぼんしだいやな」医者が言った。
意識が戻ると、知らないおばさんがいた。
商売が忙しかったから、付き添いを雇ったのだった。
小便の後に、ちり紙で性器を拭いてくれた。奇妙な感触だった。
音痴な僕には、嫌で嫌で仕方がなかった音楽の独唱のテストが迫っていた。
それを逃れられたのが。まず、嬉しかった。
9月13日になると、決まってこのことを思い出す。
「命日」だと人にも言う。
あれは一種の自殺ではなかったかと思うこともある。

大野寺の磨崖仏

2016-09-13 16:37:12 | エッセイ
50年以上の前、父の鮎釣につき合った時の思い出です。
家は大阪の駄菓子問屋で、番頭さんや丁稚どんなどの住み込みの店員が四、五人いました。
三男坊の私は大勢の同居人に紛れて目立たない子供でした。店主である父ともほとんど話をしたことがありません。
だから突然、「弘務、鮎釣にいかへんか」と言われた時はびっくりしました。
次の日、まだ暗い夏の朝、二人はでかけました。何も喋らず黙々と目的地に向かいました。
鶴橋で近鉄線に乗り換えて、着いた駅は室口大野。
父からつかず離れずついていきました。
川に着くと、早速父は友釣りを始め、わたしは河原で遊んでいました。
父から少し離れて、河原を飛び歩くと、巨大な岩に彫られた仏像に出会いました。
「えらいもん見つけた! ほかにもあるんちゃうか。探検や」
 と探しましたが、あるわけがなく、父のそばに帰って、
「えらいもんあったで」
 と言いましたが、聞こえていないのか、釣りに夢中で振り返りもしませんでした。
もう一度、磨崖仏を仰ぎ見ました。
「仏さんや。すごいなあ。誰が彫ったんやろ」
川から上がって帰り道に小さな食堂に入りました。
私はラムネを飲んだかなあ。
「何が釣れたん」
 店の人が聞きました。
「鮎でんねん」
 父が答えました。
「鮎がおるんけ。何処で釣ったん」
「下の川」
「へえ、鮎やて」
 何人か寄ってきて、びくの中を見てびっくりしてました。
 みんな口々になんやかやと言っている。不思議にこの光景は鮮明に覚えています。
父は地元の人も知らない魚を釣ったらしい。
家に帰って、磨崖仏のことをみんなに喋りましたが、誰も興味を示さず、
「三男のぼんがなんか言うてる」と無視。
最後には、磨崖仏は通閣の高さになっていました。
それからもう一度父とつき合いましたが、三度目は断りました。
父は一人では行かなかったと思います。
父と二人だけの思い出は、ほんの二つ三つ。
その一つに地元の人も知らなかった鮎釣と巨大な磨崖仏があります。


老人になると毎日が戦いである。

2016-09-01 13:50:08 | エッセイ
老人になると毎日が戦いである。
便秘が続けば大腸癌を疑い。
胸がちくちくすれば心筋梗塞、
ふらつけば脳卒中、
胃が痛ければ胃がん、
血圧、血糖値も気になる。
何もなければ、目をつむり体のどこかに異常がないか神経を研ぎ澄ます。
ふと気づく。指がしびれている。目が少し変だ。
やっと一日終わり、
糖質0のチューハイレモンと糖質0のビールを飲む。
計200円以下の晩酌。
寝床を作り、横になる。
睡眠導入剤を飲む。
一日生きられた。
明日目覚めるだろうか?
こんなので生きていると言えるだろうか?
ともかく、明日があれば、明日も戦え。