創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

『救急病院』・石原慎太郎著

2018-06-27 17:40:33 | 読書
この頃石原さんの作品を続けて読んでいる。
『天才』→『死と睨み合って』→『法華経を生きる』→『救急病院』
『法華経を生きる』以外は最近の著作である。
旺盛な創作である。
『救急病院』は様々な医療ケースと医療スタッフの関わりをオムニバスに描いている。
中心にあるテーマは『死』である。
風景や季節の描写を省き、比喩も極端に少ない文体は小気味がよくリズミカルである。
人物描写も肩書きですますことが多い。
容貌も省略している。
心理描写も殆どない。比喩もあったけ。
ドキュメンタリーですな。
作品自体が『救急病院』。
何が石原さんを創作に駆り立てているのだろう。
作家の性(さが)みたいなもんだろうか。
書いたものが出版されるのはやはりネームバリューだろう。
石原さんが何を書いたのか(私を含めて)読者は知りたいのだ。
私も小説を書き始めたが、すぐに辻褄が合わなくなってしまう。
だが、認知症の予防になると思って書いている。
ひょっとして石原さんも……。

――ある奇妙な小説――『老惨』・石原慎太郎著・文学界7月号(2018)

2018-06-20 17:59:56 | 読書
石原さんは日の当たる場所を歩いてきた人だと思う。
作家、政治家、スポーツマンと多彩な才能を発揮し、その上、二枚目である。
天は二物も三物も与えた。
何時も日陰を歩いていた凡才の自分には羨ましい限りである。
だけど、死の恐怖は凡才も天才も関係ないらしい。
自分の死に対する怯えが正直に書かれている。
石原さんの『死』も僕のような凡人の『死』も均一なものである。
それは足音を立てずにひたひたと近づいてくる。
実に個人的な出来事である。
また誰にでも訪れる平凡なことでもある。
過去の栄光も幸せも慰めにならない。
人は過去には生きられない。
老惨を背負って生きる。
それは『死』の本質かもしれない。
『死』を論理的に理解している人間の本質かもしれない。
『死』の怯えはいつ途絶えるかもしれない『生』の怯えでもあると思う。
『生きている』のも怖い。

『百年泥』石井遊佳著

2018-06-10 15:22:42 | 読書
うろ覚えだが村上春樹さんが書いていたと思う。
『100年経ったら今ここにいる人は自分も含めて誰もいない』
これが百年という時間である。
インドのチェンナイでの百年に一度という洪水で噴き出した百年泥。
泥の中からいろんなが現出する。
七年前にいなくなった子供。他人の人生にあった大阪万博の記念コイン。
『個人』という言葉が怪しくなる。
『私』は、『A』さんでも、『B』さんでも『C』さんでも、100年前に死んだ『太郎兵衛』でも、要するに誰だって一向に構わない。
もともと自分というのは、ないのだから。
『これはありえた人生のひとつにすぎない』
語られない言葉を書く。
それが小説かもしれない。
他にインド人の考え方と風習が面白い。
――「宗教」といえば漠然と、現実を超えた超越的なもの、といったイメージでとらえるがインド人にとってそれは、たとえば<輪廻><来世>といった「宗教的観念」をふくめまさに現世そのもの……――
そうか、インド人にとって<輪廻>が確信なのか。
そう思うと、釈迦が業を滅し輪廻することのない<涅槃>に至ることを仏教の目的としたことが分かる。
釈迦のような偉い人が<輪廻>なんか信じたんだろうかと常々疑問だった。
インドは<輪廻><来世>が現世な社会なのだろう。
そういう考え方や風習をもたない日本人は不幸かもしれない。

『地球星人』・村田沙耶香著・新潮2018.5

2018-06-04 14:37:50 | 読書
これから読んでみようと思われている方は所謂ネタバレです。
私は『コンビニ人間』を楽しく読みました。
天職と言う言葉を思い出したのです。
『地球星人』を読んで、それは誤読かもしれないと思いました。
誤読も立派な読書ですから、それはいいとして、この小説の地下水路は『コンビニ人間』と同じだと気づいたのです。
結構楽しんで読んでいたのですが、最後の人肉食は愕然。
倉橋由美子さんが突然出て来た感じです。
個人的に駄目です。
だが、小説の帰結として理解出来ます。
こういう世界が面白いと思う人も、共感する人も沢山いるでしょう。
でも、この世界観から何が生まれるのだろうなあ。
バイバイ沙耶香さん。