創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

今日の一句

2020-04-30 13:24:24 | 俳句
今日の一句
人は皆コロナに見えて昭和の日
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連載小説「Q」22

2020-04-30 06:47:03 | 小説
連載小説「Q」22
 ――今日は大暑か。
順平はまた呟いた。
枕元の電波時計を見た。
クーラーをつけて寝たから、温度は二十三度。
2019年七月二三日。
六時。
火曜日。
カーテンは、もう、明るくなっている。
――また一日が始まる。
空しさで胸が痛くなる。
死にたいと思う日もある。
――なぜ生きなければならないのか。
また判で押したような一日が始まる。
トイレで小便をする。
次に洗面所で、顔を洗う。
歯を磨く。
寝間着を着替える。うんざりする繰り返しだ。
FOR~NEXTで何十万回廻る。
~に順平が入る。
順平が作ったおもちゃみたいなプログラムだった。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。
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連載小説「Q」21

2020-04-29 06:57:38 | 小説
連載小説「Q」21
――今日は大暑か。
田代順平は、ため息と一緒に独り言ちた。
正暦2019年。
令和元年。
いつのまのにか元号が代わっていた。
昭和、平成、令和。
今日で七十三歳になる。
長い年月を生きてきたもんだ。
それも今では一瞬のような気もする。
七十三年も過ぎ去ってみれば薄い本のようなものだ。
本の中には記憶という曖昧な文字で書かれた頁がひっそりと住んでいる。
しかし、何の記憶もない無数の頁は失われたままだ。
それが、順平の個人的な記憶だ。
孤独なもんだと思う。
誰もが一人である。
一億人いれば一億人の孤独がある。
七十三年……。
本当にそんなに長い時間生きてきたのだろうか?
年老いた自分がその証拠かもしれない。
妻は今年の六月に受けたT町の検診で乳がんが見つかった。
「女やったんやなあに」 
と、まず言ってしまって、妻の怒りは沸点を超えた。
鹿児島の指宿で陽子線治療を受けることになった。
治療自体は簡単で一日一回十五~三十分程度治療照射するだけだという。
「ゆっくり温泉に入って、おいしいもん食べて、五十年のあか落としますわ」
と、妻は遠足気分で出かけて行った。 
順平の二ヶ月間の一人暮らしが始まった。
順平は一日を生きるのがやっとである。
今日より明日、明日より明後日、段々命が短くなる。
妻は民間の介護サービスの手続きや夕食の宅配など後の始末をきっちりとしていった。
介護サービスは週二回、火曜日と金曜日にヘルパーさんが来てくれる。
和田さんは掃除と洗濯、山口さんは買い物である。
時間は一時間と決められている。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。
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連載小説「Q」20

2020-04-28 09:37:10 | 小説
連載小説「Q」20
順平は父と同じ二十六才で結婚し、子供を作り、真面目に働いた。
社会的な責任は果たした。
でも、それだけだった。
いつも小説を考えて、理想と現実の間で喘いでいた。
一念発起、五十才の時に、会社を辞めて作家を目指すと、妻に宣言した。
説得しても、妻は首を縦に振らなかった。
次の日から満員の通勤電車の生活に戻っていた。
ある意味それは心地よい繰り返しだった。
焦るまいと順平は思った。
才能はあるのだ。
それに遅咲きの作家はごまんといる。
いつか作家デビューする。
だが、いつまでも『夢』は夢のままだった。
定年後もいくつも小説を書いて応募したが、予選も通らなかった。
五十才の時短気を起こさずによかった。
あれから無収入になっていれば、三人の娘を大学まで出すことは出来なかっただろう。
今の生活もなかった。
小説一本にかけたところで、才能のなさをおもい知らされただけだったろう。
これでよかったのだ。
だがそう思う度に、とても切ない気持になった。
確かに人生は結果ではないのだが。
ある時、「人生はつまらん」と洩らした義父の言葉が蘇った。
あの時、初めて義父に親近感を覚えた。
妻に小説を読ませても、「わからへん」の一点張りだった。
とうとう最後には、
 ――なんでもええから、いいよと言え!
無理難題を言ったもんだ。
「つまらん」とも言えず、下手に感想を言うと、十数倍の解説が返ってくるのを知っていたのだろう。
家族も票を入れなかった町会議員の候補者みたいだ。
妻が順平に求めたのは平凡な薬剤師だった。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。

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連載小説「Q」19

2020-04-27 06:13:15 | 小説
連載小説「Q」19
「しかし」と順平は反論する。
仕事や出世に集中できなかったのは、夢のせいだ。
順平の夢は小説家である。
小学校の時、朝礼の壇上で遠足の作文を読んだ。
高校の時読後感想文が入選した。
褒めてもらったのはその二つぐらいだ。
でも、小説家は小さい頃からの夢だった。
小説家になる為に最初は教師になろうとした。
教師には夏休みや春休みがある。
とても、不純な動機だった。
教育大学(その頃は学芸大と言ったが)の受験に失敗して、一浪後に、最初に受験して合格した大学に入った。
私立の薬科大学である。
考えもしなかった選択であった。
 ――要するにどこでもよかった。
クラブ活動も文芸部ではなかった。
理科系の文芸部など自分とレベルが違うと思っていた。
身体を鍛える方が大事だと、卓球部に入った。
四年間ひたすらラケットを振っていた。
卓球が好きだったわけではない。
素人に毛の生えた程度だが、殆どが大学に入ってから卓球を始める同級生よりは強かった。
だが、それも内輪のことで、他流試合には、だらしなく負けた。
卒業後は、殆ど卓球をやらなかった。
小学生の娘に負けてからは全くやめた。
結局は、――いつも敗者だった。
いや、負ける前に逃げたち。
順平はそう呟いて深いため息をついた。
連載小説「Q」#1-#10をまとめました。
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連載小説「Q」18

2020-04-26 07:05:29 | 小説
連載小説「Q」18 
五十五才の時、後輩に役職を抜かれた。
それからは定年までひたすら守りに入った。
一番下の役職で、仕事は新卒と同じだった。
出世なんかとうそぶいていたが、無関心ではなかった。
順平は同僚や部下には「いい人」で通っていた。
人に嫌われるのが耐えられなかったから彼らの味方のように装った。
その為に上司に反抗した。
上司にも恵まれなかった。
正座して、愛想笑いを浮かべて病院の幹部にお酌するHの姿を思い出した。
あれは出来ない。
私学の出であるのも関係した。
いくつもの理由を指で数えて自己満足した。
だが、定年から四,五年も経つと、客観的に自分が見え始めた。
やはり能力がなかったのだ。
現役で合格する能力。
公立大学に合格する能力。
お世辞を言う能力。
全ての原因はそれに尽きる。
「いい人」は「どうでもいい人だった」と気づいた。
「いい人」は「無能」と同意語で、部下は裏では笑っていたのだろう。
連載小説「Q」#1-#10をまとめました。

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連載小説「Q」17

2020-04-25 06:46:26 | 小説
連載小説「Q」17
順平は団塊の世代の一つ年上だ。
提灯の真ん中より一つだけ年長である。
だが、いつも競争をしていた気がする。
その上、一年浪人をしたから、もろに最も人数の多い年代に落下した。
その時は、長い人生でたった一年じゃないかと思った。
親も教師もそう言った。
だが、その一年は思った以上に重かった。
大学では年下の同級生が順平を呼び捨てにした。
クラブに入れば同い年の奴に使われる。
卓球部では学年が一年上の同い年の先輩が順平を奴隷扱いした。
先輩は早生まれだったから、実際には二歳年下だった。
就職してもそうだった。
一年早違えば先輩だ。
年功序列の社会での一年遅れは取り返せなかった。
一歩の足踏みが最後まで響いた。
順平を一瞬にして追い越し、薬局長になったのは、同期で公立大出の福井のHだった。
彼も一つ年下で早生まれだった。
連載小説「Q」#1-#10をまとめました。
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連載小説「Q」16

2020-04-24 06:20:45 | 小説
連載小説「Q」16
成人した彼らの子供は同居を望まなかった。
彼らも望まなかった。
二世帯が住むには土地が狭かったし、親も子も戦後の個人主義の中で育っていた。
家制度など無縁だった。
ほとんどの子供は結婚と同時に親元を離れた。実家は結婚までの下宿屋みたいだった。
核家族は核分裂を繰り返し明生団地から出て行った。
三十代中心の世代がローンで家を買い、定年後五年間嘱託で働き、ローンを返し終えた時が六十五歳。
年金生活者になって十五年。
子供の姿は消え、昭和の新興団地は限界集落になっていた。
四十年間往復三時間の通勤に耐えたサラリーマン達は、今は、年金泥棒とまで言われている。
田代順平もその典型的な老人の一人だ。
三十七年間大阪市内の病院薬局に勤めた。
通勤時間は三時間。
二万六千六百四十時間の通勤時間、つまり三年近く車内にいた。
田代順平は昭和21年(一九四六年)大暑の日に生まれた。
ニバブル状態だった。
五年早く生まれたら戦争を背負っていた。
田代順平には何も背負うものがない。
田代順平は、今の世の中には二種類の人間がいると思う。
戦争体験者と非体験者だ。
田代順平は非体験者だ。
母の腹の中にもいなかった。
田代順平の中に戦争はない。
その意味で、令和生まれと一緒だ。
小学校の屋上に焼夷弾が埋まっていた。
田代順平の戦争体験ってそんなもんだ。
連載小説「Q」#1-#10をまとめました。

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連載小説「Q」15

2020-04-23 06:47:24 | 小説
連載小説「Q」15
明生団地は1970年に湿地帯(沼)を埋め立てて市街化調整区域として造成された。
最初は、モデル住宅が一軒と『明生団地分譲中』の幟がはためいていた。
テントがあり、事務机が置かれており、中年の痩せた女性が一人で店番をしていた。
家は三、四軒で、他は六十坪程度に区画された空き地だった。
それがポツポツと売れ始めた。
そして、七十年代半ば第二次ベビーブームの訪れと共に、雨後の筍のように一気に増えた。
三十歳過ぎになり、仕事も家庭も安定してきた。
そろそろ賃貸マンションを飛び出す時期になった。
家賃の分をローンに回せばなんとかなる。
通勤時間が1時間以内の土地はとても手が出ない。
通勤時間はギリギリ一時間三十分以内で妥協しよう。
働き盛りのサラリーマンはマイホームを目指した。かくして、土地に縁もゆかりもないサラリーマン達の新興団地が出現した。
彼らは子供を二、三人つくり、中流意識が強く、マイホーム主義だった。
そして、殆どが戦争を知らない世代だった。
連載小説「Q」#1-#10をまとめました。

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連載小説「Q」14

2020-04-22 06:53:53 | 小説
連載小説「Q」14
田代順平の家は明生団地の一番奥にある。
角地で他の六十坪の区画より二十坪ほど狭い。
結婚以来54年もここで住んでいる。
団地は103軒。
空き家が10%。
T町では一番少子高齢化が進んでいる。
平均年齢が七十歳を越え、子供は殆どいなくなった。
順平が住み始めた1970年前半は、高度成長が終わりを告げた時期だった。
地価は上がり始め、私鉄のあちこちにニュータウンが出来はじめていた。
ローンを組めば値段も手の届くところにあった。
家族のためにも家が必要だった。
「土地付き一戸建」はなんとも魅力的な言葉だった。
のどかな農村だった奈良県S郡T町は、一気に土地の開発が進み、あちこちに土地成金が誕生し、ミニバブル状態だった。
連載小説「Q」#1-#10をまとめました。
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