創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

駆込み訴え(2)

2021-12-01 10:12:32 | エッセイ
昨日の続きです。
医師への駆込み訴え。*太宰治の『駆込み訴え』は傑作です。
【主訴】
二ヶ月ほど前から体調不良が続いています。
熱や咳などありません。
ただただしんどいのです。
体重も1kg減りました。47.5kgてす。
足の指が痛いです。
非常に疲れやすい。
不眠→朝2時に目が覚める。
一番疑っているのは高血糖です。
定年後15 年間続けていた30分程のウォーキングもテレビ体操も途絶えました。
まず高血糖を疑いました。
*「ものすごく「気にしい」なので主治医と相談して血糖を計るのを止めました。「気にしい」とは、関西弁で「何かと気にしすぎる人」とか「神経質な人」という意味です。
【心配事】
体重減少の原因。尿が濃い。食後がしんどい→高血糖のためではないか。
ビクトーザの効き目が低下(慣れ)しているのではないか。→処方の再考?。
【気になる症状】
瀕尿
足の指が痛い
疲れやすい→高血糖と関係がありますか?
体調がすぐれない→高血糖と体調不良は関係がありますか?
不定愁訴→元気な日が少ない,ほとんどない。
小さくて可愛い主治医は、テキパキと診察を進めました。結論は出ない。
でも、少し心が軽くなる。
帰りに妻と町議の期日前投票を済ませました。
家に帰るとどっと疲れが。
横にならないでじっと耐えている。
風呂に入って寝れば少しは楽になると。
なんの保証もないけれど。
「不定愁訴」だなあ。なんか知らんけど辛い。
*「なんか知らんけど」関西弁です。なんか知らんけど。
こんな状態の果てに、「作品集」を残さなくてはと思いました。75才。何があっても不思議ではない。
CD一枚にまとめるつもりです。
ハードディスクは収拾がつかない状態ですので、CD一枚が僕の作品ですとすれば分かりやすいです。
1991年から30年。
精選した作品を執筆年度順に並べたものです。
ブログにアップロードしようと思ったのは、一人でも、読んでいただけたらと思ったからです。
自画自賛ですけれど、作品はどれも面白いと思います。
作品5の『トランプの家の迷子たち(戯曲)』は今読んでも笑い転げてます。あほですねえ。
近日一作品ずつアップロードします。
乞うご期待。
誰も期待してへんやろけど。
今は体調はかなり戻りました。
ウォーキングとテレビ体操を再開しました。

駆込み訴え(1)

2021-11-30 13:49:25 | エッセイ
今年(2021年)の7月23日75才になりました。
あっという間に後期高齢者という感じです。
日頃あまり老人という実感はなかったのですが、急に歳がいった感じです。
それに体調の変化もありました。
いつもなら一週間ぐらいで治る風邪が治らない。
ずっと風邪をひいている。
これは老化かもしれない。
いや、この歳になればそんなもんかもしれない。
気のせいだ。
コロナ鬱かもしれない。そんな年齢になったのだ。後期高齢者だ(何を威張ってんねん)。
*鬱という字は鬱になりそう。
でも、何かが変わってきている。
このまま死んでしまうのかもしれない。
たまらずに九月九日内科を受診しました。
*救急の日(日記を繰って始めて気づきました)
予約の日まで待てなかった。
孫のような主治医(女医)に、直訴です。
妻が同伴してくれました。
私は二十年以上、糖尿病を患っています。
口下手なので、症状を書いていきました。
これは駆込み訴えです。
以下次号

憂国忌

2021-11-26 14:07:03 | エッセイ
今年も憂国忌(11月25日)が巡ってきました。
そして何事もなく去って行きました。
一本の寒菊揺れる憂国忌
去年の俳句です。
生きていれば三島さんはいくつになったのだろう?
96才。
彼はこの年齢に耐えられただろうか。
答はノンである。
『声でつづる 昭和 人物史・三島由紀夫・1964年 5月29日 放送 NHK ラジオアーカイブス』
決起の録音とともに、「老い」への嫌悪が語られている。
死ぬことが怖かったのだ。
癌になるのは嫌だ。
年寄りになるのは嫌だ。
その果てに自死があった。
75才になった私は分かる気がする。
老いていく自分を恐れた。
ただただどう死ぬかを考えた。
彼は本音で喋っている。
純度99.99%の水のようだ。

NHKEテ100分de名著『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット(1883 - 1955)

2019-07-04 21:35:10 | エッセイ
「死者の声を聞かなければならない」と言っていた。
安倍さんは、先の戦争で亡くなった300万人の声なき声を聞いているのだろうか?
国民の顔が一票に見えているのだろう。
だが、彼の代わりはと言うと言葉に詰まる。
先の民主党政権の低落に言葉を失う。
一方大衆は『今』を享楽している。
安倍さんが改心してくれるしか道はないと思う。
『今は亡き300万人の声なき声を聞いてください』

田辺聖子さんが逝去された

2019-06-11 17:25:01 | エッセイ
田辺聖子さんが逝去された。
天声人語に「家庭円満のコツは見て見ぬフリ」という名言も紹介されている。
『夏物語』・川上未映子著はそれが出来ない女の話
また、小説枕草子「むかし・あけぼの 」をはじめ『枕草子』を扱った著作も多い。
三年前拙著『枕草子読み語り』を謹呈したところ、丁寧な礼状をいただき恐縮したことを思い出す。
朝日新聞の『田辺聖子は、無常を書く小説家なのだ』という川上弘美さんの寄稿も興味深い。
大阪のおばちゃん作家が逝った。
不世出の作家だと思う。
合掌。

作家の橋本治さんが逝去された。

2019-01-31 14:13:53 | エッセイ
作家の橋本治さんが逝去された。
私より二歳年下で驚いた。
自著『枕草子読み語り』では、桃尻語訳『枕草子』を随分参考にさせてもらった。
歴史と時代背景の説明が詳しく、分かりやすかった。
桃尻語は現代(30年前)の女の子の口調。
今の女子だったら随分違ったものだろう。
橋本さんは古典という難解なイメージを取り払いたかったのだと思う。
学問ではなくて、清少納言という人の書いた楽しいエッセイだよと言いたかったに違いない。
それを現代語訳するのにギャル語がとてもフィットすると。
それにしても突然の死だった。
この頃はテレビや新聞で思いもしなかった訃報に出会う。
ネットをつなぐと、震度の7の地震というニュースが、さりげなく書かれていたりして、情報を受け取るのが怖い。
私自身も残された日々は少ない。
私が死んでもニュースバリューは0だけど。
合掌。


自分の顔

2018-10-29 14:03:57 | エッセイ
自分の顔は鏡や写真でしか見ることが出来ない。
それもしょっちゅう見ているのではない。
私は歯を磨く時に見る。
いよいよ父親に似てきた。
顔の造作ではなくて表情である。
しかし、鏡を離れれば、自分の顔がうまく頭の中で像を結ばないことがある。
自分の顔とはそんなものだと思う。
果たして自分の顔は、他人にはどのように見えているのだろう。
意外と自分の顔は知らない。
他人も私が認知しているのと違う顔を自分の顔だと思っているのかもしれない。
群衆の中に自分がいたら、気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。

蛇 1

2018-09-14 21:21:03 | エッセイ
我が家は、玄関の戸を開けると半畳強のタイル張りの三和土がある。
そこに蛇がいた。
文字通り蛇行していた。
震え上がった私。
ゴキブリには、やっと対応できたが、蛇は想定外である。
「母ちゃん助けて」
妻が来た時には蛇は消えていた。
「影でも見たんちゃう」
急に自信がなくなる。
幻視か。
いよいよ認知症が始まったか。

2017-12-26 15:38:54 | エッセイ
記憶って砂みたいなものかもしれない。
積み上げた瞬間から崩れていく。
元の形には永遠にならない。
しかし、砂粒は足の先から絡みついていく。
人は記憶の砂浜でいくつもの砂を積み上げている。
他人が見ることの出来ない無数の砂山。
積み上げた瞬間から崩れていく砂山。

人生の一番よい時

2017-10-13 10:20:11 | エッセイ

年老いて「あの時が人生の一番よい時だった」と思うことがある。
しかし、その最中はそんなことを1ミリも思わない。もっといい日が来ると思っている。
誰でもそうだと思う。
だが、ほとんどの場合、そんな日は二度と来ることはない。
唐突だが母のカレーのことを話そう。
実家が喫茶店をすることになり、母がカレーを作った。
ジャガイモごろごろのカレーではなく、本格的なカレーである。
作り方は母の秘中の秘であった。
リンゴを擦りこむらしい。時々入れ忘れたので味が微妙に違ったという。
とにかく客に大好評で母は鼻高々だった。
喫茶店を開いたいきさつや、母が何故カレーを作ることになったのか詳しいことを僕は知らなかった。
その頃は、四国で悪戦苦闘していた。
実社会の荒波にもまれていた。
学生時代の青臭い理屈は吹き飛ばされ、まさしく、「お母ちゃんと」海に向かって叫びたいような日々だった。
そうして11月に挫折。家に帰った。することもなく日々を過ごしていると、三島由紀夫が死んだ。
4月の研修で車窓から市ヶ谷を眺めたことがある。あそこで自決した。
ある日、テーブルの前に腰かけてぼんやりしていると、目の前ににカレーの皿が置かれた。
「食べ」
母はそう言って、ちょっと後ろを向いて目頭を押さえた。
弟が盛んに言っていた母一流の「演技」だ。
僕が意気消沈ていたのは確かだった。でも、就職に失敗したからではなかった。
どうしてもこっちを向いてくれないガールフレンドに落ちこんでいたのである。
母のカレーは美味しかった。
「おいしいやん。あほみたいに」
あほな息子は言った。
「せやろ、ものすごい評判なんやで。近くの会社の人がみんなカレー、カレーやねん」
嘘泣きの母は嬉しそうに笑った。
新しい事業(喫茶店)に自分の作ったカレーが好評なのがとても嬉しく、自慢だったのだろう。
母55才。僕24才。
今から思うと、 
母と僕の「人生の一番よい時だった」のかもしれない。