創作日記&作品集

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「コロンブスの卵」丸谷才一

2014-11-19 10:46:13 | 読書
十一月の初め町の文化祭があった。そこで、図書館で古くなった本や雑誌が無料で提供される。暇に任せて出かけていった。開始から随分時間が経っていたので、目ぼしい本はなく、古本中の古本が残っていた。適当に本を手に取りパラパラとページを繰っていると「徴兵忌避者としての夏目漱石」の文字が目にとまった。「こころ」の先生の自殺の契機となったものが乃木大将の殉死である点が解せないと書き出されている。それが多分「徴兵忌避者」としての漱石に繋がっていくのだろう。その時連れが来た。持って帰ろうかどうか逡巡したが、本を閉じて元の場所においた。家に帰ると、本が気になって仕方がない。もらって帰ればよかったと後悔する。漱石が戦争忌避者だとは知らなかった。ますます気になる。本の名前も作者も覚えていない。丸谷才一か安岡章太郎か、そんなところだと思う。「徴兵忌避者」と「夏目漱石」でネット検索した。やっと「コロンブスの卵」丸谷才一に辿り着いた。つぎに、この本が読みたくなる。文庫本の古本しかなかった。本が百円で送料が五百円。内容は、先生の殉死に漱石の戦争忌避が関係しているというのである。それだけではなく、留学中の神経衰弱も「こころ」以外の小説も、若者のよき理解者であったことも関係していると言及している。持病の胃潰瘍さえも。戦争忌避者のトラウマは漱石の生涯に渡って意識の底にあった。そう考えれば先生の殉死がなんとなく理解できる。「殉死だ殉死だ」と、妻に云う先生の姿は、自死の正当化の発見であり小説の帰結であった。しかし、これはやはり推論である。漱石の心は作品の中にしかなく、それを読む読者の心のなかにしかない。
この本を読んで三島由紀夫を思い出した。彼も戦争に行っていない。家に帰って家族共々お祝いをしたとの話を読んだことがある。後の彼の行動をみれば、耐えられない過去であったろう。これは漱石や三島由紀夫に限ったことではない。誰にでもある過去の罪の意識である。人はそれと共に生きている。漱石はそれを文学と人生に、三島はその逆光を自分の死に求めた。そう言えるかもしれない。