『中世ヨーロッパの社会観』(甚野尚志著、講談社学術文庫)を読む。
1992年に『隠喩の中の中世-西洋中世における政治表象の研究』と題され弘文堂から出版されたものが文庫に収載されたものである。原題の方がより内容に即している。中世のキリスト教神学に基く静的な身分階級秩序を説得的に記述するためにさまざまな隠喩が用いられた。その中から本書では、蜜蜂、建築物、人体、チェス盤を取り上げ各章で論じられている。政体を建築物や人体に見立てることはままあることなので、読んで面白かったのは、第一章の「蜜蜂と人間の社会」だった。古代ギリシャやエジプトで王権や神性の象徴として用いられた蜜蜂は、中世社会では解釈者によってさまざまな属性を与えられていく。たとえば
アレクサンドリアのクレメンスは、神の叡智を集めてくるものとして蜜蜂が捕らえられてるし、オリゲネスは蜜蜂の共同体の中にキリスト教徒の団体的性格を描写している。また教父オリゲネスは蜜蜂に王がいるように、キリストを頂点にたつものとして説いている。こうした蜜蜂の社会構造は、キリスト教のヒエラルキーのアナロジーとして機能する。さらに蜜を集める蜜蜂に対して、その蜜蜂を襲撃する性質をもつスズメバチを、異端者に擬え、護教者としての教会という説明をしている。
アナロジーがそれとして機能するためには、擬えられるものがよく知られていなければならない。蜜蜂やスズメバチの性質は当時よく知られていたのだろう。中世ヨーロッパの養蜂の詳細は知らないが、修道院でも多分養蜂はさかんだったのだろう。
月並みな感想であるが、比喩はお互いに結合するものどうしのイメージの斬新さと同時に広く流布し維持させる力がないと社会を動かすものとはならない。