烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

中世ヨーロッパの社会観

2007-06-12 21:55:50 | 本:歴史

 『中世ヨーロッパの社会観』(甚野尚志著、講談社学術文庫)を読む。
 1992年に『隠喩の中の中世-西洋中世における政治表象の研究』と題され弘文堂から出版されたものが文庫に収載されたものである。原題の方がより内容に即している。中世のキリスト教神学に基く静的な身分階級秩序を説得的に記述するためにさまざまな隠喩が用いられた。その中から本書では、蜜蜂、建築物、人体、チェス盤を取り上げ各章で論じられている。政体を建築物や人体に見立てることはままあることなので、読んで面白かったのは、第一章の「蜜蜂と人間の社会」だった。古代ギリシャやエジプトで王権や神性の象徴として用いられた蜜蜂は、中世社会では解釈者によってさまざまな属性を与えられていく。たとえば
 アレクサンドリアのクレメンスは、神の叡智を集めてくるものとして蜜蜂が捕らえられてるし、オリゲネスは蜜蜂の共同体の中にキリスト教徒の団体的性格を描写している。また教父オリゲネスは蜜蜂に王がいるように、キリストを頂点にたつものとして説いている。こうした蜜蜂の社会構造は、キリスト教のヒエラルキーのアナロジーとして機能する。さらに蜜を集める蜜蜂に対して、その蜜蜂を襲撃する性質をもつスズメバチを、異端者に擬え、護教者としての教会という説明をしている。
 アナロジーがそれとして機能するためには、擬えられるものがよく知られていなければならない。蜜蜂やスズメバチの性質は当時よく知られていたのだろう。中世ヨーロッパの養蜂の詳細は知らないが、修道院でも多分養蜂はさかんだったのだろう。

月並みな感想であるが、比喩はお互いに結合するものどうしのイメージの斬新さと同時に広く流布し維持させる力がないと社会を動かすものとはならない。


天皇の肖像

2007-06-11 14:56:34 | 本:歴史

 『天皇の肖像』(多木浩二著、岩波現代文庫)を読む。維新政府が自らの権力の正統性を確立するために利用した天皇という権力システムが、「肖像」として視覚化されることによっていかにして国民末端まで浸透していったかを検証した著作である。
 維新後天皇はまず錦絵として類型的に描かれ、しかも「神武天皇の即位」や「神号皇后の三韓征伐」として描かれていた。つまり他の天皇の姿を借りて描かれていたということだ。また行幸の際の錦絵では風景の中の行列として描かれ、天皇自身は描かれていない。天皇自身が描かれるのは、明治九年の東北巡幸のときだという。錦絵という伝統的な視線では、天皇の身体という図像はとらえきれなかったのである。ここで天皇の身体を捕らえる道具として写真が登場する。天皇は写真という視線によって社会の視線を集めることになる。ここで興味深いのが本書に掲載されている明治天皇の三つの肖像である。年代順に掲載されているが、最初のものは、明治六年内田九一撮影の肖像(1)。二番目は、明治十二年に高橋由一が描いた肖像画(2)。最後は明治二十一年にキョッソネーが描いた肖像画(3)である。(1)は軍服姿となっているが椅子にすわってくつろいだ格好を撮影している。(2)は、軍服姿の立像で威厳が付与されているものの、身体の描写は著者も指摘しているように、迫真性に乏しい。これに対して(3)は天皇自身が成長してもいるが明らかに理想化されれた視線のもとに描かれた肖像であることがわかる。通常その姿を迫真性をもって描写表現するとなると絵画から写真へという流れだろうが、実際には写真から絵画へとすすみ、(3)の肖像がいわゆる御真影として学校などに配布された。著者はここにカントロヴィッツを引きながら、肖像という絵にこめられた天皇制の基底にある超歴史的身体を指摘している。
 錦絵の時代では天皇を直接描かず、その風景で天皇の存在を示す換喩的方法がとられていたが、近代化とともに天皇自身の身体が視覚化されるに至った。その際、写真という撮影したその場、その時の時空性を剥き出しに示す直喩的な方法からは一歩退いた絵画という一種の隠喩法によって天皇を視覚化する方法が好まれたというのは、本体と像との表現法を考える上で興味深いことではないだろうか。
 第6章では、こうして生まれた御真影が複製され教育機関への下付が行われるとともに、その取り扱いに伴う「儀式」が生まれ、聖性が付与される過程が書かれており興味深い。この際の御真影下付にあたっては、「上が、もし欲しければ申し出よといい、下が喜びいさんで呼応し、それに応じて上から写真を”賜る”仕組み」がとられたという。表面上は強制はしていないが、「申し出」ざるをえないような状況を作り出し、あたかも下から自発的に希望がでたような結果となる空間が作られていたということだ。現代の社会生活の中でも、形の上では自発的ではあるが実はさまざまな状況から強制された行為というのは、年賀状や盆暮れの挨拶などなどあるものだ。すべてにおいて悪いとはいわないが、権力者にとっては被支配者を誘導する格好の手段だといえよう。


シマウマの縞 蝶の模様

2007-06-10 09:03:47 | 本:自然科学

 『シマウマの縞 蝶の模様』(ショーン・B・キャロル著、渡辺政隆・経塚淳子訳、光文社刊)を読む。エボデボことevolutuionary development biology進化発生生物学によって、生物さまざまなパーツのデザインがどのように決まるのかが明らかにされつつあることが熱く語らている本である。以前グールドの大著『個体発生と系統発生』(工作舎刊、1987年)を読んだときに、発生経路の変更による進化によって生物の形が変わることを興味深く読んだ。あれから20年発生学の進歩は実に目覚しい。何よりも興味深いのは、ショウジョウバエであれ、マウスであれ、ヒトであれからだを構築する遺伝子群(「マスター遺伝子」)を共有しているということが明らかにされたことだ。生物はある基本構造(モジュール構造)の繰り返しでからだを作り上げている。これがどのようにして形成されるのかについてショウジョウバエで研究された(体の器官の一部が別の器官で置き換わってしまうホメオティック変異)結果、ホメオティック遺伝子がクローニングされた。この遺伝子の突然変異によりある器官に分化すべき細胞群の運命がまるごと変更されてしまい、別の相同器官へと分化してしまうのだ。畸形ではあるが、脈絡のない異常ではなく別のボディープランへの変更である。しかもこうしたタイプの遺伝子が種を超えて保存されているということが実に驚くべきことだった。自転車から自動車、飛行機をつくる基本的設計プランにすべて共通の道具箱が使いまわされているというようなものだ。
 著者が解明した蝶の目玉模様については第8章で語られる。この斑点を作り出す遺伝子は、なんとショウジョウバエなど節足動物の肢をつくる遺伝子(ティスタルレス遺伝子)なのである。蝶では、この遺伝子に目玉模様の発言を調節するスイッチが余分に追加されたのである。こうした知見は、生物の構造遺伝子は同じでもそれをいつどのように使うのかという指令が重要であることを教えてくれる。料理に使う材料はほとんど一緒でも、どれをいつ使うかといったレシピが違えば全然違う料理が出来上がるようなものだ。
 この章には著者がこの大発見をしてサイエンス誌に投稿したあとちょっとしたスターになったエピソードが紹介されており面白かった。ショウジョウバエの肢の遺伝子には誰も興味を抱かないが、蝶の模様の遺伝子となると俄然世間の注目を集めるのだ。これはなにも一般の人の理解のなさを揶揄しているわけではなく、蝶はどうしてこのような不思議な模様をつくるのかと誰もが潜在的に思っているのだということを証明しているということが分かって面白いのだ。この本では生物の形態設計のことが中心であるが、形態についての遺伝子がこれほど保存されているのであれば、当然脳という器官もその例外ではないはずだ。だとすればヒトがもつ感情や認知という機能についても進化的な連続性があるのではないか。言語を操ることに関係する遺伝子は、どのような遺伝子が使いまわされて言語の遺伝子となったのか非常に興味深いところである。この分野の発展は将来認知科学などにも大きな衝撃を与えるに違いない。
 この本の最後でも触れられているが、著者はアメリカにおける創造論者の蒙昧さを嘆いている。進化論の正しさが理解されているかについて国別の指標が示されているのだが、アメリカは最下位だった(日本は東ドイツについで2位)。著者は、生物進化を必須の教養として浸透させるべきだと主張している。著者は生物学における進化という概念は、物理学における重力という概念に匹敵すると述べているが、確かにそういえる。ダーウィンが進化論を世に問うてもう150年であり、遺伝学、分子生物学の進歩がこれだけの成果を出しているのに生物の神による創造という妄想を信じている人がいるのは驚きである。


兵学と朱子学・蘭学・国学

2007-06-08 09:16:32 | 本:歴史

 『兵学と朱子学・蘭学・国学』(前田勉著、平凡社選書)を読む。

 近世日本は、朱子学を基本においていたが、国家を武力によって支配する思想の中核に朱子学があったわけではなく、兵学思想が「兵営国家の支配のあり方を理論化」する中心にあったということが指摘されている。

 近世日本の思想史は、この兵学と朱子学とを対立軸にして展開していたといえる。江戸時代の代表的な思想家である山鹿素行や荻生徂徠、それに後期水戸学派の思想には、兵学の影響が色濃いのである。というよりは、基本的な考え方において、兵学思想そのものであった。これにたいして、原理主義的な朱子学はそれを批判する言説を提供していたが、自分が役立たずの無用者ではないかという不安感・疎外感に絶えず悩まされねばならなかったのである。

 この時代の教科書的な知識しかない私にとってはたいへん面白く感じられ興味深く読んだ。

 蘭学の章では、平賀源内の時代を超えた先進性が書かれている。ここでは十八世紀における「日本人」という意識についての変化が指摘されている。身分制度や君臣関係、家族関係に縛られた中で生じるアイデンティティが、経済の発展とともに、売買関係という新たな関係が生まれたことで次第に揺らぎだし、それに変わって「日本人」というより抽象的なアイデンティティが発生してきたと著者は分析している。このより抽象的な幻想対象をどのような方向づけで捕らえるかという点で、同時代の平賀源内と本居宣長とでは全く異なっていた。
 源内の場合は、身分関係を超越した自由な人間としての「日本人」という視点に立っており、個人は自らの創意工夫で生きていく独立した存在として捕らえられている。そのためより経済的なドライな人間関係になるという感じがする。一方の宣長の場合は、皇国としての日本を絶対視し、その中で形成される「徳」を基本にした人間関係が重視される。したがって何事にも「もののあはれ」を感じるよりウェットな人間関係になる。同じ「日本」でも前者は、日本を相対視しているが、後者は日本を絶対視している。したがって両者が目指す「国益」という観念もずいぶん違ったものになる。両者を対比してみると、源内の時代を超えた先見性が際立つのであるが、興味深いのはいずれも近世の経済環境の変化に伴ってそうした思想が生まれてきたということだ。

 極めて図式的にいうと江戸時代の支配思想として兵学と朱子学という相拮抗する二つの思想があるところに、経済的社会情勢の変化に伴い、旧来の社会の紐帯からは解き放たれつつある個人が出現したことで、蘭学、国学という新たな思想潮流が現れたということだろう。上記の二人はそれを象徴する人物であったといえる。こうした変化は、ちょうどグローバル化という新たな経済的社会情勢の変化のうねりの只中にある現在の日本とも似ているように思える。こうした変化に対する心理的防衛機序としてナショナリズムの高揚が起きているのかもしれない。源内の日本を相対化して客観的に眺める視点というのが今も必要である。


神は妄想である

2007-06-05 22:33:36 | 本:自然科学

 『神は妄想である』(リチャード・ドーキンス著、垂水雄一郎訳、早川書房刊)を読む。著者があの『利己的な遺伝子』のドーキンスであり、進化論の話がでてくるので、分類は一応自然科学のカテゴリーに入れたが、今までの著者と比べると、非常に政治的・社会的色彩が強く、サイエンスものとは言いがたい。
 自然科学者からみて、宗教は人類にとってもはや不要であると引導を渡す宣言的著作であり、世界中の無心論者よ堂々と自分の主張を通せ、あと一歩の努力だと奮起を促しているように思える。それほどドーキンスは宗教を排撃する。あたかも宗教戦争のように。
 特定の宗教を信仰していない私、宗教色の薄いこの国に育った私としては、これほどまでに欧米の自然科学環境に身をおくドーキンスが躍起になって宗教の害毒を非難するのは少し意外だったが、それほどまでに欧米の宗教原理主義者は過激で厄介な存在であるということだ。アメリカが先進欧米諸国の中でも突出した宗教国であるというのは周知の事実であるが、ドーキンスの話を読むとこれは困ったことである。実際読んでいると暗澹たる気持ちになり、いつもの自然科学書を読んでいる時の高揚感がないのである。
 読んでいて面白かったのは、第5章の宗教の起源を進化論的に考察したところで、著者によれば宗教は、進化の過程で生じた副産物である。蛾は月の光を利用して飛行するよう進化してきたが、電灯という人工物の登場であたかもその火に飛び込んで自殺するように傍から見える行動をとる。これは副産物的行動である。これと同様に宗教のために死に、人を殺すのはこの蛾の行動と同じである。「私たちの祖先の時代に自然淘汰によって選ばれた性向は、宗教そのものではなかった」のである。では宗教は何の副産物だったのか。この問いにドーキンスはこう答える。

私のもっている仮説とは、端的に言えば、子供に関するものである。人間はほかのどんな動物よりも、先行する世代の蓄積された経験によって生延びる強い傾向をもっているのであり、その経験は、子供たちの保護と幸福のために、子供に伝えられる必要がある。(中略)どんなに控え目に言っても、「大人が言うことは、疑問をもつことなく信じよ。親に従え。部族の長老に従え、とくに厳粛で威圧的な口調で言うときには」という経験則をもっている子供の脳に淘汰上の利益があるはずだ。年上の人間の言うことは疑問をもたずに信じよというのは、子供にとって一般的に有益なルールである。しかし、ガの場合と同じように、うまくいかないこともある。

 著者も使っている比喩であるが、宗教はコンピュータソフトに感染するウイルスのようなものなのだ。無防備な(ワクチンをうっていない免疫のない)幼い脳というハードディスクに感染をして、誤作動を起こさせるのだ。
 ヒトという哺乳類は、特に相手を模倣することに長けており、相手の意図を積極的に推察して自分の行動を変更することができる。あらゆるものに意図を読み取ることのできる才能があることから、ありもしないものに意図を読み取るということが非常に起こりやすい。またヒトは自分の見たいものを意識的に見るという傾向があることから、「事実よりは願望にもとづいて考える」という宗教の基本的考え方が由来しているのだろうと推察している。さらに著者は、宗教的言説の中で特定の言説が自然淘汰的に生き残り広まることがあるだろうと考えている。多くの宗教で共通している重要な特徴というものは、おそらくそうした「ミーム」なのだろう。
 しかし宗教は人を道徳的に行為させると主張されるかもしれない。これに対して著者は、ハーヴァード大学の生物学者マーク・ハウザーの研究結果を引用し、無神論者と宗教を信じている人との間で、道徳的判断において統計的有意差はないと述べている。宗教を信じていない私でも十分人並みに道徳的でありうるわけだ。これには安心した。道徳の自然的基盤についてはこれはこれで複雑な問題があるが、ヒトが自然淘汰の結果獲得したものの感じかた、考え方と密接に関連していることはまず間違いない。
 ヒトがなぜ宗教というものを必要とするのか、そして人類の歴史において宗教的思考が社会や哲学、経済、芸術にどのように影響してきたかという観点からのみ私は宗教に興味がある。しかし日本神話にしろキリスト教にしろ、不合理なところが多々ある代物を信じろといわれてもそれは無理である。
 現代社会では、信仰の自由とは、声高に他人に宗教教義を主張する自由ではなく、他人に迷惑をかけないかぎりで、鰯の頭でもなんでも信じることを許す自由なのである。


戦争の記憶

2007-06-03 19:20:56 | 本:歴史

 『戦争の記憶』(イアン・ブルマ著、石井信平訳、ちくま学芸文庫)を読む。第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本のそれぞれの戦争体験の取材にもとづいて、この戦争が二つの国民にとって何だったのかを問う著書である。ドイツではアウシュビッツに対して、日本ではヒロシマ、南京がこの戦争の記憶を刻印する場所として取り上げられる。そして戦犯裁判、教科書の戦争記述、戦争を記録する展示について両国が対比される。
 戦争について正面から向き合ってきたドイツに対して、後世の歴史家の判断にまかせるという「奥ゆかしさ」を示してきたのが日本の政治家たちではなかったのかという思いが本書を読むと強く感じらる。確かにホロコーストを行ったナチスと日本軍を直接比較することはできない。しかしそれにしても戦争の責任に対して、

日本が言い逃れをしているのを見ていると、ききわけのない子が「なにも悪いことはしていない、みんながやっているじゃないか」とわめいて足をバタつかせている様子を連想させられる。皆と同じだ、という主張はとりわけ奇妙に思える。日本人が、自分たちは文化、民族、政治、歴史のすべての面で独特だ、と言うのを私たちはいつも聞かされているからだ。
 このような幼児性は、日本だけとはいわないまでも、日本に顕著な文化的特性なのではないか、とつい考えたくなる。

 と著者は感想を述べている。あるときは日本という国の特殊性を言い立て責任をのがれ、あるときは普遍性を主張し責任を転嫁するという言い逃れは、こどものいい訳である。それは弁明ではない。
 戦争責任の問題について、本書に映画監督の伊丹万作のエッセイが引用されていて印象に残った。少し長いが引用する。

 だまずものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほどに批判力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったく本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無自覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

 罪を贖うという重さに耐えられない精神は、現実を見るに耐えないと感じたときは、それに目を閉じる。見たくない現実をこうであってほしかったことへとすり替える。そして遂にはこうであってほしかったことは、現実とは違うと指摘する人を弱虫と罵るのである。


神国日本

2007-06-01 22:56:49 | 本:歴史

 『神国日本』(佐藤弘夫著、ちくま新書)を読む。日本が神の国であるという思想がいつ頃から起こり、どのように変遷したのかを教えてくれる。本書を読むと古代と中世の間に大きな断絶があることがわかる。「神国」は、古代においては、仏教という外来の要素を排除するための観念であったのに対して、中世(院政期)になると、神の国と仏の国を共存させるための「神国」という考え方になる。

古代の神国が天照大神以下の神々によって守護された、天皇の君臨する単一語の空間であったのに対し、中世では神国は、個々の神の支配する神領の集合体として把握されることになったのである。(中略)
 古代では神々に守護されるべき「国家」を鎮護することは、イコール天皇を守ることだった。ところが中世になると、かつて一体のものと捉えられていた「国家」と天皇が分離するという現象が、広範に見られるようになる。

 中世に神道と仏教を折衷させるために生まれた本地垂迹説では、仏が末法辺土である日本に神の姿をとって顕れたとする。仏が神の姿をとるためには、日本はどうしても末法の辺境の地である必要があったのである。神国の日本を中心として唱えられたものではなく、あくまでも彼岸世界という現世を超越した普遍世界を前提として成立するものであったという。
 神から選ばれたというある意味選民思想であり、その背後には仏という現世を超越した普遍世界が前提されていたにもかかわらず、この思想はユダヤ・キリスト教のような普遍性は持ち得なかった。

 中世後期に起こったコスモロジーの変動は、当然のことながらその上に組み上げられたさまざまな思想に決定的な転換をもたらした。その影響は本地垂迹思想にも及んだ。近世においても、日本の神を仏の垂迹とみなすこの論理の骨格は相変わらず人々に受容され続けていた。しかしその一方で、彼岸世界の衰弱は、垂迹の神に対して特権的な地位を占めていた本地仏の観念の縮小を招いた。その結果、近世の本地垂迹思想は他界の仏と現世の神を結びつける論理ではなく、この世界の内部にある均質な存在としての仏と神をつなぐ論理と化してしまうのである。

普遍性を主張する思想は、支配する権力者の立場からすると厄介なものであろう。日本ではついに普遍的思想が育たなかったのはどうしてだろうか。普遍的思想を欠いた神国思想は、結局独善的なものとなり、明治維新によって膨張したナショナリズムと結びついて偏狭なものになってしまう。