Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

もっと綺麗に もっと美しく恋したい 江の島神社

2012-03-31 22:48:45 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

出発する前日は珍しく大雨だった。ノワタリさんの方もそうであり、洗い浄められたと言うことだった。

始発の東京行の飛行機は春休みらしく子供の姿も多く満席で、チケットの方が座席よりも多く売れており、調整で難儀しているらしく何度もアナウンスがあった。しかし、2便にすると到着はお昼になり予定が狂うため、応じる人が少なかったみたいであった。

電車に乗り込むと、まだダウン姿の人が多く、コートを厚物にするかスプリングコートにするか散々家で迷ったが結局下にたくさん着込んで調整すればよいだろう妹と相談し薄手にしたが、四国と違い曇天の為かちょっと寒い。

今回はまっすぐノワタリさんのお宅へ直行、用意されていた朝食をノワタリさんのお友達と3人でいただいていると、偶然のワタリさんがニワヤマさんを誘う事を思いついた。

連絡をして12時半頃会う約束をした。それまでおしゃべりをしていると、

「竜神様がもう見えられてるわ。」と言われた。こちらまでお出迎えである。

小田急駅でニワヤマさんと合流して江ノ島へ出かけた。

江ノ島周辺で、サーフィンをしているらしく黒い影を幾つか橋上から見かけた。やっぱり外海の光景だ四国の内海では目にする事は無い。

前回お参りした時は暗くなっても連休の中日だったので驚くほど人が多かったが、今回はあちらこちらで中国語を耳にした団体みたいである。

エスカーに乗りまず、辺津宮の田寸津ヒメ命様からお参りし、

日本三大弁才天様といわれるハッピ弁才天さまと妙音弁才天様の祀られている八角のお堂の奉安殿に入った。

同じ弁才天様でも対象的なお姿だが、共通して言えるのはとてもふくよかで高貴なお姿だった。私たちだけだったのでノワタリさんが「オウ~オウオウ~」と、歌を歌われた。それも厳かな感じであった。其処で私達もお参りし、弁財天様のガラス前の蛇様 を触りなでなでして、昨年お焚きあげした蛇やパイソンのバッグの事を思い出した。これだけ神の使いである事を見せ付けられると、処分は当然だとまた改めて思った。

外からは太鼓の音が聞こえ、何だろうと思っていたら、猿回しの芸をしていた。丁度出るとその回は終わり、見物客が離れていった。

スサノオさんの祀られている八坂神社にもご挨拶して進んだ。

そして中津宮の市寸島ヒメ命様にお参りして歩いていると思わず、噴出しそうだった。

たて看板に「美しい弁財天様にあやかり、もっと綺麗になって美しい恋をしたい」と書いてあり、羽衣がピンクのハートのような形で「美しい恋したい」と真ん中に大きく書いてあった。

私の今年の目標とピッタリ重なるのでびっくりすると同時ににんまりとノワタリさんと笑った。

弁財天様のように優雅になれたら…ステキ、でも、美しい恋ってどういう恋なのかしら???

奥津宮に近づく頃から、雨がポツポツと落ちだした。その近くで私の好きな赤トラのデブネコが気持ちよさそうにスヤスヤと寝ていた。いくら触っても目を開けない、下あごをなでてもゴロゴロ言うだけで起きず、めんどくさそうな感じであった。

奥津宮、此処が江ノ島神社の本宮であるという。三姉妹の一番上の多紀津ヒメ様が祀られている。先日読んだ本の乙姫様だ。天井には八方睨みの亀が睨みを効かし、どの角度からみても本当に睨まれているみたいだった。

その後、龍宮へお参りする。今回は扉が開いていたので中まで入って、ご挨拶をした。後で、従兄弟のマーちゃんに聞くと、土日と祭日は開けるようになったと言う。

其処を出ると、雨は大降りになり傘が必要になった。

私達は海と富士山の地下に通じると言う岩屋の奥を御清めする為、風雨の中を進んだ。そこで、今回薄手のコートを選んだ事が正解だと思った。濡れても中には染みてこなかったからである。ウールのコートだったら悲惨だったであろう。

前回は下の岩場まで下りれたのが今回はチェーンで石段の入り口を通行止めにしてあった。そこをくぐって海に近づこうと思っていたのが、急に荒くなり大きな波が押し寄せてきて、階段の中ほどまで波が上がり、仕方なく上から手分けして塩、酒、水を撒き、お清めして祈った。だんだん波は荒くなり岩場の上もずっと波が押し寄せ撒いた物をずっと沖まで運んで行くようだった。

岩屋に入り、ロウソクの火で突き当たりまで進み丁度誰もいなくなったのでそそくさと3人でまた、手分けしてお清めし、富士山の御祭神様であるコノハナサクヤ媛命様に祈った。数年前b、この神様が興奮なされていてノワタリさんが「お鎮まりくださいませ、お鎮まりくださいませ。」と言われた事を思い出す。その頃あちこちで水蒸気が出ていた。これでお役目終了。

石段を上るのはキツイ、「ここにもエスカーがあれば良いの」にといいながら、ノワタリさん行きつけの食堂に入り遅い昼食を取る。参道沿いから気になっていた江ノ島丼と伊勢海老の味噌汁、サザエやホタテを注文した。

江ノ島丼とはサザエの丼だった。コリコリして食感が良くあっさりして美味しい。サザエのつぼ焼きは子供の頃、見た目で食べるのに抵抗のあった尻尾の渦巻きのところがちょっとした苦味とコクが美味しいと思った。そこで窓越しに富士山が見えてきだした。

しかし、最後まで頭は見えなかった。

帰路は雨も止み、おしゃべりしながら歩いた。ニワヤマさんがノワタリさんとであったのは20歳代であったというが、40歳になられたと言う。互いに10年の歳月が流れていた。感慨深いものがある。

片瀬の海岸までの橋は海が膨張したみたいに上がっていて、もうサーフィンをしている人陰も無く、車道との間の海は往路の時は地面が見えていたのに、時折寄せてくる荒波のしぶきが上がっていた。「よく来るけど、こんな事は初めてよ。」とノワタリさんは言われた。

やはり、富士のお山の上は隠れたままだった。

ノワタリさん宅に着くと、宅急便で送っていた「女神」「おんなのひとりごと」と言う名のお酒が着いていたので、早速神様方に1杯づつ差し上げた。

占い師のHが来るまで、ニワヤマさんが水晶で占ってくれた。水晶の棒を握りそれを視て、今の状態を言うと言う物だ。大分以前より、霊的に向上したという事と、今日の江ノ島では特に龍神様が喜ばれたと言う。

その後、珍しい北欧のルンという占いをして頂いた。出てきた数は1だった。いい数だと思う。言われた言葉通り、謙虚に譲るとと言う事に気をつけねばならないが、まずまずで悪くは無かったので安心した。

その晩は、4人で再会を祝し、盛り上がった。しかし、呑んでいるのは私と、Hだった。


2月大山祇神社

2012-03-23 23:10:26 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

2月11日に従姉妹のタカコちゃん親子と大山祇神社へお参りで掛けた。

前日2キロほど離れた倉庫へ行った時、隣の空き地にを停めた。一旦帰って、忘れ物をしたことに気づき、に乗った途端頭を締め付けられるような痛みを感じた。を降りるとそれは薄らいだ。

停めた場所が悪かったらしい。昔百姓一家心中があったところがとその空き地とその横の家に掛けてであるらしい事を思い出した。翌日は出かけないといけないので大慌てでどんぶりに清酒、水、お塩を盛った。そして霧吹きと鈴を振り浄化し、一晩置いたが完全に消えたわけでなく、入り口を二度も間違えたりしてやはり影響があった。

この日も寒く、予定を1時間遅らして出発した。

神社に着くと、連休の為いつもよりも人が多い。門も完全に出来上がっていてさすがそう鎮守府の神様、普通ならば右大臣と左大臣を良く見かけるがこちらは鎧姿であった。

相変わらずの楠木の大木の緑が気持ち良い。

お参りしてお守りを買い、タカコちゃん達は絵馬に願掛けをした。

その後、奥宮へ行き、楠木の大木の根のトンネルを潜り抜けお参りした。

それから、お昼を過ぎていたので、近くの食堂に入った。斜め前のお店はガイドブックにでも出ていたのだろうか30人くらいの行列だった。私たちが入った所も食堂は満席で喫茶の大テーブルに合い席となった。神社は広いので此処まで多いとは思わなかったが、私達は大テーブルの角にL字型に座った。

5分位して私の前に一人の女性が座った。60代後半くらいだろうか?肩まである髪は櫛目が無く染めてから時間が経ったみたいで黒とブラウンとグレー色になっていた。

私達が話している声を聞いて「ネコさん」と声を掛けてきた。その声に聞き覚えがあり、25年以上前に一時通ったサークルで一緒だった人だった。それまで私は彼女だとは気づかなかった。

いつもきれいに化粧していたのですっぴんであまりにも様子が変わっていたので分からなかった。以前、サウナで出会い声を掛けられた時は目が悪い為容姿はあまり見えず、声だけで彼女と分かったが、同い年なのにずっと老け込んだ感じで癌を患ってから本調子ではないらしい。やはり大病をすると雰囲気が変わってしまう。お気の毒に!健康のありがたさを実感した。

彼女も毎年、お参りに来るそうであったが、そこで懐かしい人の名を聞いたが、お元気でおられる来意事が分かったが、私は全く消息は知らない。

これも菊理媛様のなせる業かとその時思った。でも、謝る事は無いのでそのまま流す事にした。

その後、鶴姫様の所に行き、用意してきた白い小菊の花束とお清めのものを海に向かって投げ込み、般若心経と光明真言そして海の龍神様に御真言をあげ、岩長姫様の神社へ向かった。

岩長姫様の祀られている阿奈波神社は行き止まりの所にあり何時来ても寂しい。海と山に挟まれ、山陰になり暗い。3人でお清めしてお参りした。

それで、終了。大三島を後にした。一旦しまなみの見える今治のサービスエリアで休憩し、帰りは瀬戸内海を見ながら帰った。タカコちゃんが権現温泉の近くを通る道を教えてくれて其処を通り抜けると、山の上に団地が出来ていた。

「あれは何?」と、突き当りのお城の塀のような物を指差すと、昔のモーテルの塀だった。が無いと不便だろうと思った。この辺りには20代の頃フィールドアスレチックに来た事があったが、そこを抜けるともっと驚いた。

昔、ずっと下の方に住んでいた頃は、田畑と山林と養鶏場しかなかったのが住宅が密集していた。月日の流れを時間する事になった。35年も前の事だ。

神社よりもこの光景と懐かしい名前、改めて菊理媛様の見直しを実感した。厳しい!

また、今度はノワタリさんとご一緒に行く予定だ。その時はまた、違うであろう。

 


久しぶりの旅、新たなるお役目

2012-03-23 22:02:01 | 日々のつぶやき

久しぶりにまた明日から旅に出る。5時半に家を出て始発の羽田行きに乗る予定だ。

もう気分は2,3日前から浮き足立っている。

今回の旅は妹が春休みでも大学の寮にいる姪と会う為に上京するのに便乗したはずだった。

両親にはノワタリさんと神社へと言う風に伝えるのに、「神社へ行く事を口実にしたんですけど」とお伝えすると、

「箱根神社行きましょう。」と言われた。

今回は江ノ島神社と箱根神社、九頭竜神社へ行く予定となり懐かしい旅の仲間たちとも会うようになった。

半月前、「あのね、背中が紫色でおなかがピンクのとてもきれいな大蛇が出てきたんですよ。すっごくきれいなの~。天上界の者はとてもきれいですね。」と興奮した様子で目の前に現れた大蛇の話をされた。

また数日前、「あの~、今度はスサノウ命様が現れたんです。こないだからまた、神様がこちらに出てこられるらしくて、『神様~、神様~』って大きな声で部屋の中で呼んでるんですね。」と言われた。お宅には天照大神様、国常立命様、ダキ二天様と祀られていて、ベランダの水盤には龍神様たちが良く来られるそうである。

私のほうは先週から、2008年に出た船井幸雄+中矢伸一著の「いま人に聞かせたい神様の言葉」を読み直していた。

その中に『うしとらの金神 国常立尊』久保脩著から抜粋された文を読んだ時、今回の旅が偶然で無い事に気づき、今度はこちらが興奮してノワタリさんに連絡した。

その中のコノハナサクヤ姫様と龍宮の乙姫様p366より

富士神界を司り、其処を中心として日本の立替神業に奉仕されているが、最後には地獄の釜の蓋を八かれる(ひらかれる)。つまり国祖大神がこの世に御再現されるまでの徹底した破壊を司される。  中略

その結果、世界に転写するお役目が竜宮界の総大将である乙姫様であり、竜宮の乙姫様の総司令部は四国琴平にありその作戦本部が江ノ島神社の奥津宮とあった。

そしてその御経綸が成就した時スサナル大神が現れる…

そして読み勧めていくと、身内に天使を迎えた者達がスサナル大神の神体霊姿をみることが出来る…

かなり省略しているが、ノワタリさんは以前から、ご自分が「天使の羽が」とか「天使である姿を見せられた」とかよく言われていた。

これからは以前のような旅でなく、新たなお役目で動くそうである。今回と1月から決まっていた来月の旅と、思っただけで私はワクワクしている。


春休みにあった事

2012-03-18 00:02:03 | 日々のつぶやき

3月の下旬の事だったと思うが高校を卒業し、ボツボツとみんな進学や就職で地元を離れていき、kとpとヒロコちゃんしか居なくなっていた。

そんなある晩、また店の名の入ったバンで3人がドライブに誘いに来た。

助手席に座っていると、kが肘で突きながら小声で「後ろ、後ろ」と言う。

「ハァ~、何?」「ミラー、ミラー、」と、言うがバックミラーを覗いても、外は闇夜で何も見えず真っ暗である。

kはルームミラーで見ていたらしいが、私の位置ではルームミラーは見えない。

少し走って砂浜のある海岸へ出た。車を降りて砂浜を歩いたが、真っ暗である。

kが近づいてきて「あいつら、後ろでいちゃついてたぞ、教えたのにお前はバカか!」

「そんなんどうでもええわ、私に関係ないわ。勝手にどうぞしてちょうだい。」と言い返した。もう互いに夏休みまで出会うことは無いのに 後何かを話したと思うが覚えていない。

砂浜には10分も居ただろうか?

この数日間3人はよく会っていたらしい。翌日、ヒロコちゃんがやって来てその話をした。

二人に映画を誘われたが、kでなくpと一緒に見に行ったが、明るくなり後ろを振り返るとkが真後ろに座っていてすごい顔をして睨まれたと彼女は言った。

あの晩、kが私を誘いに来たのが分かった。

pは嫌いだし、kは友人だが、あの二人なら嫉妬心も起こらない。そんな話には興味は無い。

「よ~やるわ。」としか言えん。

この期に及んでそんな事をしなくてもと思うが、彼女は三角関係のヒロインになりきり、pとkの話を延々としたが、こちらはどうでもよく、ふんふんと生返事をしながら聞いた。

案の定、夏休みには二人は分かれていた。また、その話に喫茶店で付き合わされた。

二人しか居ないのに無理して付き合うことも無いだろうに。

チエさんにそんな事があったのよと、最近言うと 「ネコちゃん、ヒロコちゃんとは人種が違うわよ、いつも誰かいたじゃない。」と言った。

そんな夏休み、ユキちゃんが歩いていると 後ろから「○○さ~ん」とかわいらしくユキちゃんを呼ぶ声がした。

立ち止まって振り返ると、pが居た。

だらしそうに「なんや、pか!」と、言うとpの顔がゆがんだ。pの横に見知らぬ男の子が居るのに気づいたが、もう言ってしまった事はしょうがない。

「たぶん、あれは同じ大学の子に同級生の知り合いの女の子だと誇示する為に声掛けたみたいだった。」とユキちゃんは笑いながら言った。

「pの友達だったら、気にする事ないわよ。どうせ似たりよたりよ。」と私も言って笑った。

その頃の仲間とは互いに男の子も女の子も呼び捨てで今でも仲良くしているが、その癖が抜けず部活の同級生の男の子達を呼び捨てにしていたので上級生に叱られてしまった。


変わった人

2012-03-17 22:44:42 | 日々のつぶやき

私もどちらかと言えば、あっち向いてホイ!のはみだし者扱いされる事が多いが、高校生の頃3年間一緒だったエミちゃんはすこぶる変わった人だった。何をする為に登校していたのか分からない。ただあの頃は今と違って大らかなのんびりした良い時代だった。

1年生の頃の同じクラスには中の良い友人はおらず、あまり馴染めなかった。

家庭科の時間に「お手伝いさんを雇えばいい。」との賜ったユミコちゃんとエミちゃんと下校する事が多かった。ある時、3人でうどんを食べに寄り道すると、「私、辛い方がいいの」と言って、エミちゃんが七味の瓶を振った。

しかし、湯気で詰まっているらしく出てこないので、蓋を外して振るとドサッと中身が半分近くどんぶりの中へ落ちてきた。慌てて上のほうの乾いたのを箸で除いたが七味の粒の方がつゆに広がっていく方が速かく、もううどんはオレンジ色になっていた。コップに移し私達のどんぶりのつゆと混ぜたが、見た目でも食べられる状態ではない。

「大丈夫、私辛いの好きだから。」と、強がって言いながら、食べ始めた。少し私達もつゆを飲んだが口の中が火事になりそうなくらいでカァ~と熱くなり、ヒリヒリした。

「もう、やめたら?体壊すよ。つゆは飲まんほうがええ」と、止めたが麺だけはどうにか意地を張って食べきった。いくら水を飲んでも収まらなかったと思う。だんだん速度が遅くなり、私達二人はずっと見守っていた。それ以来、下校時に彼女と寄り道をした記憶はない。

エミちゃんはその頃在った「ロペ」のように体にぴっちりしてゆとりが無いシャツを着て夏の制服も上着丈が短かった。

「ボディフィットよ」と言って自慢したが、みんなが「あんたの制服変。」だと言っても、自分はそれが良いと思っているらしく、ダーツを入れ、自分で?直していた。わざわざそこまですることもなかろうにと思うが。確かに彼女は適当に背が高く、スタイルは良かった。

彼女といるとすれ違う他校の男子生徒達と「ハァ~イ」「ハァ~イ」と挨拶をしてとても顔が広かった。

家がその学校の近くに在るからだと言うが、そんなので知り合いになるのだろうか?

2年生の時、修学旅行の宇高連絡線で知り合ったという彼が出来た。

「彼はレーサーなの」と言う。???

「高校生なのにレーサーは無いでしょ。」と言うと、「モトクロスの」と言う。

その年のクリスマスプレゼントに「エミ、何でも良いから手作りの物が欲しい。」と言われ、彼女は手編みのマフラーを編む事となり、「ね~、教えて。」と私に言ってきたが編み物は嫌い、苦手である。洋裁はしても未だに手芸とは無縁だ。

仕方が無いので、入れ替わり立ち代わり編み物の上手な子が数人教えた。ド近眼の私達はいつも前か2番目の席で、エミちゃんは一番前の真ん中の席(丁度教壇の机に隠れる)で授業中もせっせと編んだが、数人の手が入っているので編み目は不揃い、おまけに選んだ毛糸は道路工事の立看板のような鮮やかな黄色で出来上がったものはだんだんゆるくなり二等辺三角形に近い台形で波打っていた。

剣道部の顧問で厳格な定年まじかの古典の教師が編み物の事と柄タイツをはいている彼女にたまりかねて注意をした。

「なんじゃこれ~、○○くん、靴下は黒か肌色の物を使用する事と決まっている。それは校則違反だ、お母さんに言って買ってもらいなさい。」と、言うとみんなどんな展開になるのだろうと固唾を呑んで展開を見守っていたが、彼女は悪びれもせず、

「あ~ら、先生ぇ!」の第一声でみんなひっくり返りそうだった。「私んち母子家庭なんですぅ。これ、○○スーパーで5足組で安かったので、10足分買ったんで…」と言い返し、先生はあきれ果て苦虫を噛み潰したような顔をしもう何も言わなかった。

そのやり取りにびっくりしたがその柄タイツを冬分ずっとはいて登校した。しかも電線が走り何とも言えない物になっても穿いていた。

デート費用も要り、友達の薬局の年賀状の宛名書きのバイトをすれば、途中で万年筆のインクの色を青から黒?緑?に替えたとかでそれまで書いたものを破棄してしまい、500枚くらいあった年賀状が足らなくなったと言って薬局のおばさんをかんかんに怒らせてしまった。

そのつけはなぜか私たちに来てしまい、年末に私と千恵さんで慌てて仕上げた。

3年生の2学期になると、エスカレートして3時限が終わる頃やってきたかと思うと、注意されるとタクシーで校舎前まで乗り付けてくるというような日が続いた。タクシーに乗っても校門前で降りると言うような配慮もしないのがすごい!

「なんで、遅いのよ。」と尋ねると、「駅前の喫茶店しってる?あそこのモーニング美味しいのよ。」と言い遅刻や欠課に対しては何とも思っていなかった。、彼女の家は近いので自転車許可になら無いので歩くと間に合わなくなり、一休みするのだと言うような変な言い訳であった。

毎日々、どの時間も交換日記を学校で書いたり、読んだりしていたので職員室で噂になったみたいで ある時担任が私に聞いてきた。

「あれはあの子の妄想だろう」と言ったので「いや、ホントです。修学旅行で知り合ったそうですよ。どんな人かは知りませんが」と、答えると信じられないと言うような顔をした。

3年生の秋、クラスメイトのKが運転免許を取った。夕方、母が「K君が呼んでる」と言って、表に出ると、実家の寿司屋の名の入ったライトバンでドライブに誘われた。後ろにはパチンコ屋のPとチンネンが乗っていたが、私を誘いに来るとはみんなモテないのだろう。

狭い市内を小一時間走り、駅近くまで戻ったところで、後ろから「腹減った。ラーメン食べたい。」と言い出し、3人はラーメン屋へ行くことにしたが、「お前の分の金は無い、帰れ!」と言い始めた。

「人を勝手に誘い出して、帰れとは...、食べたくはないから、家まで送れ!」と怒って送らせた。

母は急に私が居なくなったので心配をしており、外で待っていた。散々小言を言われたが、その翌日登校すると、エミちゃんが「K君ってひどい。」と言いあげてきた。

私の前に彼女を誘ったらしい。昨夜の事を話すと、「私なんかもっとひどい、失礼な人よ。」と言う。

それ以来、彼らは犬猿の仲になり口をきかなかった。何があったのかは知らないが、普段マイペースで怒ることない彼女がたいそうな剣幕だった。

その当時卒業アルバムに載せる集合写真にKとチンネンが喧嘩をして互いの顔に落書きをした。

「なんで自分たちだけ汚いんだ!」書いた本人たちがみんなの写真に一人残らず、傷、ほくろ、絆創膏、髭を書き、最前列の女子の服や足元まで落書きをしたが、Kは、エミちゃんの顔を塗りつぶし服の上に「汚点」と書かいた。ちょっとこれは酷すぎる!今だったらいじめで大変な事になったかもしれない。

それを回し見たのは男子生徒と私達数人だったので彼女は気づかすに済んだ。後で担任が回収に来たが、渡せるものではなかったので不明になったと言って誤魔化した。

彼女が入学したのも、落第もせず、卒業できたのも不思議だが、中には厳しい先生もいて、春休みの課外授業と1冊のドリル提出があったらしい。

その後彼女は会う為に彼のいる所の短大へ進んだ。しかし、模試試験など受けてなかった。何と言う短大かは知らないし、専攻した科も知らない。

20年くらい前にで話すと、卒業と同時に結婚した事を知った。

「初志貫徹で良かったわね。モトクロスのレーサーね」と言うと、「ああ、そんな話もあったわね。」と言い話は全く違った方向へ行っていて、所は一緒でもその頃の相手で無い人と結婚していた。

でも、気のいい人だったがあれはカモフラージュか素なのか本当は良く分からないままの人だった。