北京最後の朝は前日と打って変わり暖かくお天気が良く万里の長城に行くには最適の日だった。
8時にチェックアウトしてガイドの陳さんが迎えに来た車に乗り込んだ。
車はドイツ車のセダン型だったが、メーターを見ると30万キロを越えた年季の入った物だった。
高速道路を1時間くらい走ると燕山山脈に近づいてきた。陳さんは「燕山山脈は木のない岩山」と言った。その通り、麓の農地も荒れた痩せた土地のように見えた。何が出来るのか尋ねると、陳さんは「小麦...柿も出来ます。」と言った後、「北京に出稼ぎに出てます。」と言った。そして、万里の長城は人海戦術で造られたが、数年で亡くなる人が多く、長城の内側に埋められたと言った。
私達は標高1015mの所にある八達嶺長城に着いた。入り口から傾斜の緩やかな北側の女坂を登った。「北四楼まで上がれば良い」と言っていたが其処から1時間以上掛かると思っていた一番高い八楼までそう時間が掛からなかった。其処にはロープウエイもあった。
背中にカイロを2つ貼り歩いたが、マスクからもれる息で眼鏡が曇り、足元の段差が一定ではなく危ないので、マスクを外した。しかし、眼鏡の曇りは消えない。驚いた事に、眼鏡は薄く凍っていた。水を飲もうとしたら、ペットボトルの水も凍っていた。初めての体験であるこんな寒さは!長城からぼんやり見える外側もずっと平原が続き、大陸の圧倒的な広さを感じた。夏は夜間でも入場出来ると言う事で、ライトがところどころに設置されていた。
しかし、降りる頃には登ってくる人が多く、楼の出入り口は2つしかないのに両方から入り「前走」と言いながら押してきてもみくちゃになりながら歩いた。狭い楼の中で写真を撮るのにモデルの様にポーズを取って、通行を止めている人たちを数人見かけた。これもお国振りか
11時に待ち合わせで、入り口の広場で陳さんに会うと、「日本からの観光客が少ない」とぼやいた。「オリンピックは多かったでしょ。上海万博には又多いですよ。」と言うと「私には関係ない...最近は大型のツアーが無い」とこぼしていた。
案内された休息室はみやげ物店で「おねえーさん、おねえーさん見て」とヒスイや水晶を勧められた。ノワタリさんはカシミヤのショールを購入し、ハヤシさんは其処で頂いたお茶が美味しかったと言ってお茶を買った。一つ気になる名前は忘れたが、暗いところで光る黄緑色の水晶を手にした。ノワタリさんは「何もないいい石よ」と言ったが5万円だと言う。「お金が無い」と言うと3万円になり、1万円だと言う猫目石を持ってきた。迷ったが、天然石は今必要が無いので止めた。
その後、飲茶の昼食に行ったが、七宝焼きの工房の隣に土産物とレストランがある所だった。数台の観光バスが止まっていた。私達が入れなかった紫禁城の玉座の実寸大の写真のある現代の名工の作品が展示されている室内に入った途端、足からもの背中にかけ、すごい寒気が走った。2個カイロを付けている事を忘れるくらいだった。この場所に何があったのだろうか
案内された二階のレストランは日が射し暖かく、テーブルに着くとフカひれとアワビのスープを勧められた。100元だと言う。日本の事を考えたら、確かに安い。
しかし、朝食を沢山食べている私達は小腹が空いた位なので断った。それは後運ばれてきた物を見ると正解だった。蒸篭でなく、プラスチックの一人前ぐらいの小皿に生暖かく、パサパサで汁も出ない小ロンポウ4個か5個、同じような餃子、味の無いおかゆ、腰の無いきしめんの様な焼きそば、後肉料理が2皿、ゴマ団子、いったい1人前だったら、小ロンポウや餃子は何個なんだろう。これで一人100元。それだけ出すと、食事中にもかかわらず、支払いを請求してきた。一番美味しかったのはテーブルに置いてあった揚げたピーナッツとハヤシさんが、ぼやいた。ノワタリさんは陳さんの勧める紹興酒を其処で買った。箸も進まず、残して席を立つと、どのテーブルも食べ残しの山であった。
大体食事の時間は1時間だと言うが、30分も掛からず、早目に、飛行場に向かった。
出発ロビーには、喫茶もレストランも無く、テイクアウトのコーヒーショップがあったが、外国線だというのに、中国語しか通じない。おまけに紙コップなのに割高で、日本円で500円近くした。
飛行機に乗り込み、日本流の細やかなサービスに触れた時、ANAで良かったと実感した。ノワタリさんは4月にインドに行く予定だが、インドの女神様が現れているらしく、もうその旅の事を計画していた。
羽田に降りた時、雨が降っていたが、マスク無しでやっと大きく深呼吸をした。
ブランドのペンダントや時計、バッグを持った20歳代の女の子を見た時、「あっ、日本だ」と改めて実感した。周りの人の顔も微妙に違い、安堵した。すべての手続きを終え、開いているファーストフードの店でコーラやお茶を飲んでお別れした。
2泊3日の短い旅だったが、北京では、若い20歳前後の衛兵と働いている人が目に付いた。立派な建物と道路、富国強兵という言葉が浮かんだ。日本の化粧品の売り場も目にしたが、私達が目にしたのはほとんどすっぴんで高価な装飾品を身にまとっている人には会わなかった。ただ一人、ネイルアートをして、きれいに化粧している若い女性を地下鉄で見かけたくらいだ。マスコミで言われている超お金持ちは1週間も休みがあるので、どこか外国にでも行っているのだろうか
いつも思うことだが、もっと語学が出来れば、楽しく現地の人とコミュニケーション出来ただろう。しかし、ホテルを出ると中国語しか通じなかった。行くまでは躊躇したが、すべてがものめずらしく楽しかった。
この旅の一番参考になったのはおののいもさん著てくてく北京で、旅にでなくても楽しめる本だと思う。有難うございました。