Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

空から糞尿が!

2009-08-27 23:27:13 | 日々のつぶやき

2年前の今頃、3階の奥さんが「1ヶ月ほど前にもあったけど、ベランダにウンチとサッシに尿の後があるので警察を呼びました。」と連絡があった。「はあ~と耳を疑った。母は「寝ぼけた事を被害妄想だ。」と私に向いてささやいた。

程なく3人くらいの刑事がやって来たが、何の事は無かった。証拠となるものはかたずけており何も無く、猫の仕業だろうと言う事で取り合われなかった。長年、猫を飼ったが 猫だって土のないところではしない。

又、1週間ほどして警察が来た。今度はベランダにウンチが転がっていたので念入りに調べた後、「屋上からウンチを投げ込み放尿した後があるが、遠くから来てこんな事はしないだろうから、何か近所でトラブルでもあるのではないか?」と言われたらしい。

そうでしょうよ。この家は角地で、西と南は道路に面しており、東隣は2階の高さに物干しがあるだけだから、スパイダーマンか軽業師出なければ屋上に上がれない。北隣は私でも跨いで渡られる。北隣の家人に違いない。3階の住人の騒がしさに耐えれず壊れてしまったのだろう。

入居した時から耳障りな声でらうるさく子供の名前を連呼してヒステリックに叱るというよりわめき散らす声にうんざりしていた、子供達も負けず劣らずで、朝から晩まで、けたたましく騒いで周辺の人は顔は知らなくても子供の名前を否応無く覚えた。「穏やかに話す事が出来ないのか」と言いそうだった。

通りを歩いていた人が余に母親のわめく声に驚き、ギョッとした顔で立ち止まって見上げたり、数件向こうの奥さんが顔も知らないのに「○○チャンのお母さん、雨ですよ。洗濯物を入れて下さい。」と3階に向かって声を掛けたりしたこともあった。

お隣は50代後半の男性がヘルパーさんも雇わず一人で、痴呆のお母さんと心臓病のお父さんのお世話をして家にこもって静かに暮らされていた。お隣の気持ちは良く分ります...

私も屋上に上がってみると、干からびたウンチが転がっていた。紙おむつの中身を落としたのだろう。思わず噴出してしまったが、放っておく事もできず、二人がかりで半日かけて炎天下の中、鶏小屋に張るような金網を張り巡らせ渡れないようにした。これで一安心と思ったのもつかの間、1ヶ月ほどして又おきた。

今回は刑事と鑑識と数人が来て調べたが「防犯カメラでも置いて、証拠を挙げないとどうしようもない。」と言われたが、そんな事件にする気は全く私たちには無い。

今回は玄関から階段で上がりドアを開けて屋上に出たみたいだ。仕方なく屋上のドアの鍵を替え、キイがないと開かないようにした。3階の奥さんは被害者ぶって、それでも着甲高い声でワーワーと文句を言っていたが、それまで取り合わなかった母が「どうしてこんなになるのか心当たりあるでしょ。お隣は病人もいるし、1日中介護して疲れているのに静かに出来ないの。」と注意をしたら黙った。

その後、静かになったかと言えば否である。生活習慣は簡単に変わるわけでなく、子供は4人に増え、運動会のように走り回り 階下に住んでいる私を悩ましている。今思えば、昔ピアノの音で殺人事件があったが良くこれで納まったと思う。

 


天河神社 2004年7月

2009-08-25 22:52:57 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌朝早く起きて朝食前に、天河神社に御参りに行った。

御参りだけのつもりだったが、神主さんに声を掛けられて拝殿に入ると 、早い時間にもかかわらず、20人余りの人がいた。あり難い事にお払いを申しこまれた方々と差別することなくご一緒に 祝詞を聞かせていただいて、祓っていただけでなくお神酒も頂いたうえ、お話を聞かせていただいた。私たちになかった事は玉串の奉納だけで本当に分け隔てのない扱いに感謝した。

まだ、境内ではお掃除をされている神職の方もいたが、この神社の五十鈴(いくたまむすび たるむすび たまめむすびの3つの魂の状態を表したというみむすびの精神)を記念に買って帰った。

その後、下市口までタクシーで出たが、途中これからどの神社に行くか思案していた時、「一番近いので橿原神宮に行きませんか」とお尋ねすると、笑いながらノワタリさんは「以前、お参りした後 宝物殿の神武天皇の肖像画の前で『おなごごときが』と言われた」と言った。それで今回はパスして、大三輪神社にご挨拶し、元伊勢である檜原神社にお参りし、歌を歌われご挨拶した。ここは社殿も拝殿もなく、山が御神体だという。今回の旅の天河神社以外はご挨拶で、2年後ゆっくり車で回ってお仕事をする事になる。

ノワタリさんが、この奥のほうに荒神様があるからと言って、タクシーで笠山荒神にお参りした。よく地理の事は分からないが、集落を離れ、田園地帯を進み、人里はなれた所にあった。駐車場の前に蕎麦屋があった。先にお参りして、其処でお昼を頂く事にした。

両脇に灯篭がずっと並んで風情があり、静であった。そこでノワタリさんは歌を歌われ、ご挨拶をしてお不動さんをお参りして参道をひっくり返して出ようとしたら、寄付した人の名が彫ってある石塔に「桐野利明」という名前を見つけた。同姓同名だろうな神戸市とあったから...

その後、石上神宮にご挨拶し、電車で京都に出た。新幹線の時間まで余裕があったので、温泉で旅の汗を流し、飲みながら食事を取りよい気分で帰りかけたが、出口近くのお手洗いに行くとどうも間違えたらしく、従業員のトイレで隣にはリネン室とある。なんだか寒気がするのでそそくさと出た。ノワタリさんは間違えずにお店のお手洗いに行ったが、顔色を変えて出てくるなり「いたのよ!」と言う。場所柄、京都だもの成仏できない幽霊さんもいるだろう。そこで今回の旅は終了し、京都駅でお別れした。

 

 


候補者の選択

2009-08-24 16:36:41 | 日々のつぶやき

本当ならば、旅行の続きを書くのであるが、一昨日今度の選挙のアンケートの電話があった。

1選挙に関心があるか 2 政治が変わって欲しいか 3自民か民主か 4比例も自民か民主かの4つのアンケートだった。私の場合1大いに関心がある 2変わって欲しい(余り期待は出来ないとおもうが)3どちらでもない 4どちらにも入れない。比例は反対、重複候補なんて許せない。と答えた。他に政党もあるのに馬鹿にしている。幸福って書こうかしら...

この田舎の候補なんて政党の公認を取れなかったから、他の政党になったようなもので、候補者自体一貫した考えを持っている人はほとんどいない。地元の候補は先々代は自民、先代は自民から民主(新進党)国会議員にはなれなかったが、本人は政治経験なしで民主党...

今まで、総選挙から地元の市会議員の選挙に至まで、入れたいと思う候補者に当たる事は少し例外もあったが、ほとんど無く結局消去法で決めた。

夕飯時に、電話の事を話すと、母は「○○さんが苦戦してるから、自民よ。そんな事言わずに自民に入れてよ。」と言う。私と父は「比例なんか要らない、議員を減らせ。変な区分けして自分たちの都合の良いようにしてきたのだから、今回落ちても甘んじるべきだ。」と二人で言ったら、母は普段静かな父の語気が強かったので黙った。

昨日、事務員さんが商工会議の発行物を整理していたら、中に健康診断申込書付案内のパンフレットが入っていた。そういえば、昨年も目にしたがろくに見ずにそのまま捨てた覚えがある。○○会と言う医療法人の名前があり、裏表紙に前市長の取り巻きのグループ名があった。

今までずっと、地元の市立病院で健康診断を受けていたが、昨年から、医者不足を立てに、申し込んでも断られ 社会保険事務所を通じて、遠いけれども県庁所在地にある日赤で受けた。地元ならば、2,3時間で済むのが一日仕事だ。

たぶん、大手の事業所の健康診断のみして、少人数の零細な事業所にはここを進めているのだろう。市立病院に春までいた医者は「辞めるように仕向けられた」と縁戚の医者に言った事を以前耳にしていたが、古参の医師はほとんど辞めた。この春、市立病院にそのグループの身内の医者が入ったと言う事も昨日ネットで見た。

チエさんと、ここまで市を私物化しているとはとあきれ果てて愕然とした。救急車の受け入れも週2日はされず、他の町に運ばれる途中、間に合わずに亡くなった事もよくある。内科には、紹介状がないと受け付けてはくれない。私の知り合いの人のご主人は脳出血で倒れ、小1時間掛かる町まで運ばれる途中に亡くなられた。老人が多いのに安心して住める町では無い。 人の命よりも自分達の儲けか

国に見習って、地方も政、官、業、やくざの癒着なのか

先だってあった市議選挙でも、数人の候補者が来たが、彼らは自分達の言いなりになると勘違いしている人が多く、「この町はあんた達だけのものでは無い!」と母は怒った。全く議会が機能していない事や、箱物ばかり相場とはかけ離れた馬鹿高い金額で建てられた事などを尋ねても、全く話にならない事が多く、怒りしか覚えなかった。この町の監査はどうなっているのだろうか。

ある晩、文句を言った事で脅しの電話があった。母が電話を取ったが「主人をだせ!」「どちらさん?」「○○や」「そんな人知らん、主人は今までいたけど、何処にいるかわからん」「この町のもんや。あんたの主人はようしっとる。はよ探して来い!」と言われ頭に来た母は「そんな名前はこの町には無い!今は忙しい」と言って切った。父は誰が来ても「頑張ってください。」としか言ってなく、文句を言ったのは私達女3人なんだけど、その後電話はなかった。(30年余前にも夜中の12時近くにもっときつい脅しのを数回受けた事のある母は慣れていた

この町をネットで調べていたら、ブログに総選挙がらみで書き込みしているのを見つけ、大いに共感し、面白おかしく書いてあったのでそれを読んで溜飲を下げた。

 


弥山天河神社奥宮 2004年7月

2009-08-23 12:45:56 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

天河神社奥宮

香港から帰った1ヵ月後、今回はノワタリさんと二人で7月18日に天河神社の奥宮である弥山に登った。

ノワタリさんは前年、白山と富士山に登っておられたが、私は15年以上山登りはしていない。不安もあり、天川村の観光課に問い合わせたり、山と渓谷社の「吉野大峯の古道を歩く」という本を買って下調べした。

前日からノワタリさんは橿原に出て宿を取り、私は夜行バスで出て合流した。下市口では中高年の登山者のいくつかのグループが電車から降りた。そこからは昨晩の疲れもあり、タクシーで行者還トンネルの西口まで行った。勾配の結構きつい道を上り、川沿いに集落の点在する里山の風景になった。トンネルを2つ抜けるて、天川村に入った。は川沿いの細い道をずんずん進んで入き、綺麗な渓谷や、砂防ダムとダム湖、キャンプ場を過ぎ、険しい山道を又深く登っていった。下の景色が目に入りだした。レンタカーを借りて、離合するのも厄介な知らない道を走るのも自信がなかったので今回はこれも良かったのかなと思ったった。

着いた時はもうたくさんの車でトンネルの手前の駐車場はいっぱいになっていた。後で調べるとこの時点で1000メートルを超えていた。どうりで遠いはずである。今日は天気もよく、山登りには最適な日だった。

丁度上り口の溝に数本杖になりそうな木の枝が置いてあるのが、目に入った。これは本当に重宝した。要らなくなった人が置いていったのだろう。リュックにいつものごとく、粗塩、水、お神酒は1合の紙パックを10個ほど入れてしばらく平坦な道を行き、川を橋を渡った所から険しい急な上りになった。

山は役場の人の言うとおり、始めはとても急勾配で足元も悪く、木の根が階段のようになっており、木に覆われて景色も全く見えない道を這うようにして上がった。登山靴でなかった私は、数回転んだ。大峯奥駈道に合流した所で休憩し、其処からは山の尾根伝いに平坦な道の森の中を歩いたので楽で、緑が綺麗だった。

大きな岩が点在し、何か獣がでてきそうだったが、連休だったので登山者は多く寂しくはなかった。

そのうち急勾配の道になり、結構キツイので時々休んだが、下山する人に「もう少しで山小屋ですよ。」と教えてもらい、3時間半くらいで弥山の山小屋に着いた。

他の人達は大峰山最高峰の八経ヶ岳に行ったが、私達は一休みして、奥宮に行った。他にお参りをしている人がいなくなるのを待って、お清めをしてノワタリさんは歌を歌いお仕事をしていたら、じっと石の上に腰掛けて待っている1組の中年のご夫婦がいた。その方たちも何かあるらしく、「どうぞお参りしてください。」と声を掛けてもそのまま動かず、お尋ねすると玉置神社のところで書いた浜本末造蔵さんの教えに従い般若心経を境内に埋める為に待っておられた。私達がその教えを知っているのに安心され、目的を果された。その後、ご祭神様にご挨拶をして、私達も見習って今度来るときは、般若心経を写経して持参しましょうと言って下山した。

リュックも空になり、帰りは楽だったが、がない事に気付いた。タクシーを呼ぶにもは圏外で使えず、ちょっと厚かましいけれど、同じように下山している人に声を掛けて、乗せてもらう事にした。

 小学生の女の子を連れた30代の親子の方に乗せて頂た。ご親切に自分の行く方向と違うのに足を伸ばして、川合から神社のある道まで連れて行ってもらった。本当にありがとうございます。

もう夕方近かったので、途中で降り天の川沿いを歩いていると、川原でキャンプしている人や水遊びをしている人たちを見かけた。

天河神社近くの民宿にその晩は泊めて頂いた。何か行事があるらしく、ネットで予約した民宿は満室という事で、その親戚の民宿に案内された。

宿のおばあちゃんに言われ、天の川温泉に夕飯前に出かけたら、また、山でであったご夫婦と一緒になった。車で山口県から来られたそうである。お風呂は混んでおりしばらく、ロビーで休んでから温泉に入った。露天もあり、人が多く洗い場が空くのを待っていたら、背中や腿や二の腕に刺青のある30代くらいの人たち5,6人が入ったとたん、風呂場はごっそり人がいなくなって、静になった。あんなに背中一面観音様を彫るなんて、綺麗と言うより、痛そう...

坂口さんという民宿で、おじいちゃんとおばあちゃんにおいしい家庭料理と珍しい柿の葉すしを夕食に頂いた。2階の立派な床の間のある2間続きの和室を使わせていただき、かえってこちらのほうが静で良かった。カナカナ蝉がなき、窓を開けると谷内六郎の絵の世界のような郷愁を誘う風景だった。


武勇伝???

2009-08-21 07:18:56 | 日々のつぶやき

従姉妹が振り込め詐欺に会った挙句、今度は引ったくりにあったと叔母から聞いた自転車のかごに入れたバッグを後ろから来たバイクの男に取られたと言う。災難続きで、何と泣きっ面に蜂とはこの事だろう。気の毒に...

私も学生の頃に引ったくりに遭った。冬の夜7時頃の事だった。ケーキ屋で買い物をして自転車で買える途中、学校や病院の在る通りで昼間は多いが夜になると人通りはなく、信号と踏み切りに遮断されで車も全く通って居らず、後ろからバイクの音がした。その後自転車の横に並び、手が自転車のかごに伸びた。ひえ~と思ったが私も負けずに、バイクを右足で思い切り蹴り伸びた手をバシバシ叩いた。それを数回繰り返していると、対向車が1台来たのでバイクの男は諦めて何も取らずその場を去った。ふ~ぅと一息ついて家路を急いだ。それからその道は暗くなったら通らないようにした。

また、夏の夕方 友達を待っていると自転車が2台横を通り過ぎた。後ろの男が胸を触って逃げようとした途端、気付けば私は自転車の荷台を握っていた。

「何するのよ!謝んなさいよ。謝らないと川に落とすわよ。」と言いながら、荷台を左右に揺すった。横には幅1,5メートル深さ2メートル位の溝があった。

男は「助けてくれ~」と前の男に助けを求めたが、前の男は後戻りせず逃げた。「謝れ、謝れ」と言いながらそのまま揺すり続けていると、泣きそうな声で「すみません」で言ったので「もうするんじゃないわよ。」と言って手を放すと、一目散に逃げていった。もし、川に落としていたら、過剰防衛になるのかしら?

でも、学生風の若い男がそんな事をするなんて、恥ずかしい!夢を壊すではないか。帰省して、その話を家族にすると、こっぴどく叱られた。今回は何もなくて良かったが、そうとは限らないし、危ない事のほうが多いと言われた。では、悔しい思いをしなければならないのだろうか。

小学生の頃、男の子と喧嘩したとき、口では負けると思った相手が蹴りを入れてきた。途端、私はその足首を掴んでいた。ひょいっと足を上に上げた途端、相手はバランスを崩して仰向けに転んだ。別に倒そうと思ってはいなかったので、私のほうが驚いてしまった。

なぜかこういう場合、いつも気付くと私は戦闘モードにスイッチがONになっている。上に書いた事はしようと思ってしたのではない。なぜか無意識に反応しているのである。これが私の性格なのだろうか?

3年ほど前に知り合いの占い師のHに見てもらったら、今世に影響の大きい前世は武将だと言われた。それでかしらん?

ちなみに妹は公家だと言う。一見穏やかだが言い出したら聞かない性格なので何となく解るような気がする。母にその事を言うと、「何が武将だ公家だ、いい加減にして!」とあきれたようにむっとして言われた。

が、数年前に夢で若い武将の姿を見た。その事をノワタリさんに言うとそれは私の前世だと言われたが、続きをノワタリさんがビジョンで落馬か何かあって、右脚が腰の辺りから怪我をして動かず、両脇を抱えられて落ち延びているのを見たと言う。

確かに子供の頃、停めてあったバイクに乗って遊んでいて、バイクが倒れ右の大腿骨から下全部ヒビが入るという大怪我をした事があった。