Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

禊をする

2013-05-30 22:21:11 | 日々のつぶやき

5日の朝、私はノワタリさんにお手伝いしていただき、禊をした。

彼女の形見のアクセサリーを浄化し、彼女があの世へ導かれた後、ノワタリさんが

「今度は、あなたの禊の番よ。私もこんな事初めてなんだけど、お友達が亡くなられた事をきっかけにあなたもまた、変わって行くのよ。」と言われた。

その言葉を頂いた時、苦しんでいる時「手を出せない。」と、言われた訳が分かった。

5月の連休中まだ、日中の最高気温が20℃になるかならない日の朝、彼女の遺品を浄化した川の中で行なった。

その日は晴天であったが風は冷たく感じたが、不思議と川の中は思ったほどではなかった。

同時に始めるので10数えながら川の中へ走った。神棚の榊の水を川に流して、ノワタリさんの配慮で足と腕だけ肩まで水の中に入れ首には真新しい白いタオルを川の水に浸し首に巻き、大祓い祝と般若心経をあげたが1回ごとに浸しなおし冷たい水が首元から伝わって流れた。

祝詞を間違えたらいけないのでプリントして濡れないようにビニールで巻き、洗濯ばさみではさんで紐に吊るして水面に浮くようにした。

しかし、中腰の不自然な姿の方が疲れるので意を決して川底にお尻を付き、肩まですっぽり水中に入って祝詞をあげ続けた。

そのうちに何処からかお線香の匂いが漂ってきた。あたりを見回しても、それらしき物は見当たらず、下を向くと、それは川の中から発していた。

30分近く過ぎた頃、河原に置いていた携帯が鳴り出したので水中から勢いよく立ち上がると弾みで?

祝詞を書いた紙を止めていた洗濯ばさみが外れ流されたので、追いかけてまたはさみ直したはずが、また流れに飲まれ、流されていってしまった。

慌てて岸に戻り携帯を取ったが、それまで寒さを感じなかったはずが、ガタガタと小刻みに体が震える。

そんな事をノワタリさんに伝えると、

「祝詞はその川が必要だったんですよ。お線香の匂いはあなたに見せたんですよ。あなたが生まれてから今日この時までの一切の罪.穢れは消えました。まあ~、これからも現実にはいろんな事が起きて、体験するでしょうけど...」と、言われたが、私には分からずとも、彼女には分かるはずで恥ずかしくなった。

「ノワタリさん、大変だったでしょ、恥ずかしいな...」

「ええ、うなり声も出ました。でも、あなたはこの10年一緒に旅をしてきたから、普通の人よりは軽いほうですよ。誰でも楽しい日々ばかりではありませんからそれなりに色んな物を抱えてきてますから、恥ずかしがる事は無いですよ。さてあなたがどう変わっていくか楽しみね。でも、今はふ化したばかりで翼が濡れた状態です...。一時気をつけて下さいね。」と言われ、その後川の龍神様に御礼を言い、何時もの御神酒、御塩、水で清め終わると、丁度河原に来て1時間経っていた。

車に乗り込みすべてが終わり安堵した途端、振るえの他下腹にズンと重くなって来た。おなかが冷えたみたいである。

帰宅して熱い風呂に飛び込んだが、冷え切った体はなかなか温まらず、その日から1週間以上体がだるくただひたすら寝るばかりであった。

ノワタリさんが1週間で礼文島、利尻島を含め北海道を海岸沿いに周られた後、1ヶ月間精も根も尽き果ててその後変化されたと言うことだったが、人によって変化は違うらしいのでどうなっていくののか分からない...。今も分からない。

ノワタリさんのほうも神様方の動きがあり、国常立命様が祀られているご神前の横に祀られていた観音様や、天使の置物は他に移られ、大本教の出口ナオさんと出口王仁三郎さんの写真だけになり、以前からお稲荷さんはあったのだが三柱神社の御祭神さまが入られたそうで、まるで玉置神社の分社か日月神事みたいになったと仰れ、何かの準備だろうか、そして私はどう使われるのだろうと思ってしまう。

10年前は日月神事に書かれている事は、遠い先の事でショックも大きく世界を相手に戦が起こるとはにわかには信じれなかった。しかし、今の世の中きな臭くなったと同時に異常気象と毎日のように何処かで起きる地震...、現実味を帯びてきている。

 

 


それぞれの生き方

2013-05-27 21:58:21 | 日々のつぶやき

土曜の午後はユキちゃんちへ行き、ノワタリさんが遠隔でされる家祓いの神事を指示に従ってお手伝いした。

ご主人と息子さん夫婦と今年小学校に入学したばかりのお孫ちゃんと一家総出である。

こういう姿が私達の年齢では一般的だろう。

ユキちゃんはあれこれと仕切って張り切っていた。

その後、あれこれと雑談をしたが、

先日亡くなった彼女と私のことを

「あんた達は、自分から追っかける方がスキでしょ。でも、付き合ったら、『あれ?違う。こんなはずじゃ...』と言って、すぐ冷めるでしょ。」と言われた。

「....」当っている様なちょっと違うような???

でも、ダメだから、次ぎ行こうと言うことは私達は二人とも出来なかった。そういう点で私に彼女は親しみを持ち現れたのか?

そして昨日の午前中、ボタン色の芍薬を花屋さんで買い、御神酒とスルメイカ、きゅうりの漬物、枝豆とおにぎりを持ち彼女のお墓参りに出かけた。

彼女は私と指しで飲みたかったそうだ。

車で出かける予定があったため、私は紙コップに5分の一くらい、彼女にはなみなみと注いで彼女の位牌の戒名を見ると、元気だった彼女の顔が浮び、あの声を聞く事が出来ないと思うと寂しさが募ってくる。

お父さんやお母さんの元へ行き、幸せなのかもと思うが、今度生まれたらユキちゃんのように家庭を持つといいねと声を掛け、しばらくあれこれと思いながら、2度目のお線香が半分過ぎたあたりまでいて別れを告げた。

「私の事を忘れずに話してね...」と、言葉を残した。

去って行く者はよいが、突然残された者はその場に立ち竦むだけで泣くことしか出来ない...。

彼女が亡くなった20日ほど後体調が最悪な頃、また知り合いの少し年下の独り者の女性が事故で亡くなった。

白昼赤信号で飛び出し、車に撥ねられて亡くなった。

多分、何か考え事でもしてボーとしていたのではと思うが、彼女とは25年ほど前、私の車に乗っていて隣町で追突事故に遭った。

その時は検診も受けたが何も出なかった。が、後遺症が出るかもしれないと危惧し、訴えたが、病院側の勧めでしぶしぶ判を付いた。

2ヵ月後の10月、肌寒くなった頃から、ひどい肩こりになったので彼女も同様であっただろうと察する。

それ以来私のウイークポイントは左半身である。

電話をもらう度、「肩が痛いのよ。」と何度も言われるので、責められているようで耐えれなくなり、ある時、

「そんなに痛いのなら、私には何もしてあげれないので、先方さんに言って!」ときつく言ったことから、彼女は腹を立てたらしく、顔を合わせてもプィと横を向いて無視され、付き合いはそれ以来なかった。

私と彼女の共通点はその事故しかなかったので、それは挨拶代わりだったのかもしれないと後で気づいた。

骨折や裂傷と違い、検査してもその時点では分からないが、寒くなると筋肉が緊張して張ってきていたのは確かな事だった。

ノワタリさんと友人の事を話していて、

「稽古事に入れ込ま無ければもっとらくだったろう。」と言うと

「それは私の生き方。」とピシャリ反論された。それが彼女の生きがいであり誇りであっただろうと思うが、彼女の場合は仕事も稽古事も現役でハレの場にいたが、

事故死された彼女も一人で地味地に懸命に生きていたのに「一人」というだけで、自殺?などと言われる...。

私も含めて彼女達も寂しく孤独であった事を思う。

ノワタリさんに出会うことなく、この道へ進む事が無ければ、どんな生き方をしているやら分からないと、思う。

 

 

 


注文の多い霊

2013-05-23 21:59:56 | 霊現象

昨日、ノワタリさんに彼女の件をブログに載せた事を報告した。その間、私はビールを飲み飲み書いていた。

「おかしいのよね。いくら日曜だからと言って、昼間っからビールを飲むってありえなかっただけど...。」

「それはあなたを通して彼女が飲んでるんですよ。これも供養です。」と言われる。

確かに書かない日はビールに手が出なかった。

彼女に関してのブログを書くのも終了やっと、これで開放されると思っていた。体も大分良くなり、膝の痛みはまだ少しあるものの、腰痛は治まり、整体師を驚かせた。

「『有難う』って言ってますよ。」

「良かった。」と、言ったまでは良かった。

「あの、お墓って、其処から遠いの。」

「いいえ、近くではないけど、市内だからそんなに遠いと言うことはありませんが、何か?」

「お酒が飲みたいんですって。」

と、聞いてひっくり返りそうだった。内心まだあるの~と思いつつ、

「はぁ~お酒...、そう言う事ね。あの時、1本しかいらないんだけど、2本買ってまだ、封を切らずに冷蔵庫に冷やしてます。」

「あのね、御つまみが...。スルメ烏賊、白っぽくて柔らかい方...」

「柔らかいんだったら、烏賊燻かしら。」

「いいえ、それだったらリングだから、裂き烏賊の柔らかいの...、それときゅうりの漬物、ええ!何これ!」

「どうかされましたか?」

「いえ、まだあるんです。でもこんなに次々と...」

「彼女大柄だから、良く食べるんです。」

「あの~、枝豆とお結びが出てます。」

「じゃあ、一口づつ用意すればいいですかね。」

「いいえ、普通に、一緒に飲みたいって言ってます。」と言われる。

「じゃあ自転車で行きましょう。」

「『有難う、有難う。』って言ってますよ。」

完全な居酒屋メニューで笑いそうだったが、高価なステーキや手の込んだ物でなく内心ほっとした。

そう言う事で、墓場で運動会ならぬ酒盛りと言うことになったが、彼女のご家族には大変お世話になったので、みなさんと飲むのも良いかな?

しかし、日暮れに墓場へ行く訳にも行かず、今度の日曜は墓場で朝から酒を飲み、供養する事となった。

数年前のりんごの花が咲いているちょうどこの季節、津軽十三湖へ行った時、落城跡の東屋の一角でで一升瓶を持ち、酒を飲み交わしてるおじさんが居た。

その叔父さん達は親切に、

「遠くに見える山は岩木山、あれが日本海...」と、見える景色を説明され、一時私達と談笑した。

「あの人達がここでのんびりと酒飲むのが供養だよ。」と、ノワタリさんは言われたが、その場所で安東氏一族は自害していた。

ふと、そんな事を思い出したが、恐ろしい事にその叔父さん達は軽トラで来ていた。まあ、人よりもべコの方が多い所だから、パトカーもいないだろう。

 

 

 


彼女の思い出

2013-05-21 23:18:35 | 日々のつぶやき

「電話の声も、もっどって来たね。あの時は声が違ってたもんね。」と、ユキちゃんに言われる。

腰はずれているだけでは無く、ねじれに近かった。隣町の整体に通い、自分でもストッレチをする事で大分改善された。

反対に徐々に体調がよくなるにつれて、彼女の事が思い出され、寂しさを感じる。

連休や週末は大きな声で私の名を呼びながらやって来ていた。

中学の2年間同じクラスになっただけであったが、それまで小学校の校区も違うこともあり特別に親しい訳でもなかった。彼女が短大を出て、地方都市に帰ってきてから、同じ街に住む事になってからだった。

初めて、私の下宿に泊まりにやって来た時、部屋の前で、

「階段から、誰か男の人が覗いている!」と、言って騒いだ。私達の階はなぜか廊下の明かりを普段つけていなかった。部屋の窓から漏れる明かりと、非常灯だけでも歩くには不自由さが無かったからだと思うが。

「誰かの彼氏かもしれん、騒がんの。」と、たしなめたものの、振り返るとその人影は階段のドアから覗いたり、顔を隠したりして不信な気がした。その10日ほど前に上の階で窃盗事件があったばかりだった。

建物の前に側溝があり、山水が流れて来て丁度部屋の前当りが段差で深くなっていてその音が四六時中聞こえているが、もう慣れっこに私はなっていて何も感じなかったが、彼女は翌朝

「川のせせらぎが聞こえて何か温泉旅館へ行ったみたい。」と言って、彼女は喜んだ。

そんな感想は初めてで大笑いしたが、2,3日後、電話が掛かった後、1階の子の部屋に1時間近く引っかかってしまい、ドアの鍵を掛けていなかった。

部屋に戻り、銭湯の準備をしようと下着を出そうとしたら、そっくり引き出しが空っぽで、下着泥棒に入られていた。気持ちも悪いが、大損害であるが、AAサイズのブラなんぞ取ってもがっかりしたのではと下宿の連中は言って笑った。

卒業してから、同級生達が子育てに追われている頃、よく二人で遊び、互いの友達の結婚式にこじつけたりして行き当たりばったりの旅行をした。

広島から松江まで出て、どっちへ行こうかと話し合ったとき、

「出雲の神さんなんか当てにならん、ならん。」と言って、反対方向へ向かった。美保関へ行っても、神社には行かず、そのうち台風に追われ、鳥取砂丘に行けば、夜中の台風で風紋は消え、ただのだだっ広い砂山だった。ただ、山陰海岸の民宿で海の幸を沢山食べた事しか覚えていない。

その後、早生まれの彼女が30歳を迎える年末、

「あの時、やっぱり行かんといけなんだんよ。出雲大社へ行こうや。」と、電話をして来た。

「年末は忙しく都合がつかないから旧正月に行こうや。」

「待てん!」と言って、振り切って彼女は出雲大社へお参りに行き、私は5歳上の友人と旧正月にお参りしたが、結婚したのは5歳上の友人だけで、それも50歳過ぎて余り評判の良くないバツ一の同級生と恋愛結婚した。

「あの人大丈夫?」

「今はまじめになっとる!」と、恋する乙女同然の彼女をひどく怒らせてしまい、結婚式のお呼びがなかった。旦那さんとはじっこんにはなりたくないのでそれはそれでよかったと思う。

話はそれたが、帰省すると私は彼女に家に遊びに行き、家族同然に夏は海へ行き、クリスマス会、お祭りとまだ小さかった姪御さん達と遊び、何も無くても、二人でぶらぶらとドライブをした。

城島のジャズコンサートにも通ったが、ある年、薄暗くなった頃霧雨が降って肌寒きなり、好みの音楽でもなく、疲れてきたのでホテルでジンギスカンを食べ帰ろうとすると、終了時までバスは出ない。

タクシーに乗るほどの所持金も無いので、意を決してヒッチハイクを無謀にも行うことにした。

真っ暗な人気の無い国道で車のライトが見えると、手を振って飛び出した。

5分もしないうちに一台の車が停まり、乗せてくれた。

「バタフライの選手ですか?」と、二人の男性が乗っていて ライトにうかぶ大柄な彼女のシルエットから冗談交じりに聞いてきた。

ラッキーな事に一般の車ではなく地元の放送局の車だったので、一変に不安は消し飛んだ。

親切な事に、別府の浜辺で桑名正博のコンサートへ連れて行ってくれたが、その当時流行っていたセクシャルバイオッレットしか知らない私達は興味もないので車のワイパーにお礼の走り書きを挟んでその場を出て温泉に浸かった後、夜中のフェリーで四国へ戻った。結局、その人達の顔は暗がり出あい、暗がりで逃げ出したので分からず終いだった。

東北を行き当たりばったりで旅をしている時は停まったペンションの人に翌日の宿を紹介してもらったりし、会津の町を歩いていると、ガイドブックに四辻はあるのに実際は敵が攻めてきた場合に備えてづらしてあるので、一つ間違えるともう目的地からはずれてしまい、二人ともイラつき途中で駅の出発時間まで別行動になったが、20分もしないうちに同じ喫茶店で会った。

ある時叔母が、某メーカーのバーゲンの入場券をもらった事から、彼女と妹と大阪へ買い物に出かけ、半日掛かりで買い物をした夜、梅田で飛び降り自殺の現場に出くわした事があった。

丁度、大阪にいる友人と3人で食事をしてスケルトンのエレベーターを出ると、私達が居たビルの屋上から人が落ちてきた。タクシーの上に落ちてバウンドして落下したので、幸い姿を見なかったが、とても驚いた。こうやって思い出すときりが無い...。

占い師のHに鑑定を頼むと、彼女には裕福な男性との縁がある事を言われた、唯一つそのためには半年以内にある方向へ引っ越す事だった。

始めは会社の同僚と一緒に探していたが、結局面倒になり引っ越さなかった。

あの時、引っ越していたら又、違う展開が始まっていただろうと思ったが、お姉さんの話では丁度占いで言われた時期にそんなご縁があったと言うが、これも彼女の選んだ道なので仕方無い。

ノワタリさんにも言われたが、

「私も彼女も互いに生き方が不器用で、涙が出ますね。」

「そうですね。もっと楽な生き方もあったでしょうね。彼女もあんなにお稽古に入れ込まなかったら...」と私が言えば、

「私の生き方よ!」彼女に怒られた。

「でも、そうやって私のことを思い出して話して欲しい」と言う。その言葉を聞いた時、二人で

「涙が出ますね。」と互いに涙ぐんだ。

「彼女の事をブログに書こうとして、頭の中で整理してたら、日曜日のお昼から、ビールを3本も飲んでしまったわ。」

「それも供養ですって。あなたと一緒に彼女も飲んでるんですよ。」と言われた。

たぶん、一人で部屋で飲む度に彼女を思い出すだろう。

彼女は亡くなったが、私は生きている。

岡本かの子の短歌であるが、

「年々に我が悲しみは深くして

 いよよ華やぐいのちなりけり」

とある。本当にそんな気持ちである。お迎えが来るまで彼女の分も精いっぱい生きる事が私の務めであろう。

 

 

 


ご一緒に?

2013-05-19 22:02:14 | 日々のつぶやき

やはりノワタリさんの仰るとおり、私の所ばかりに居続けたのでは無いだろうが、いくら中の良い友人と言ってもあの世の人なので日を増すごとにあれこれとさわりがでてきた。

私の思いが彼女を引っ張るのだろうと言う人もいるが、あの頃はそんな余裕は無かった。

「彼女がすがってきているのよ」と、ノワタリさんは言われる。こういう体質で分からだろう。

週末は横になったまま何もする気がせず、平日も仕事を終えると日が高いうちから、横になる始末であった。

疲れやすくなり、午後3時頃になると仕事するのがきつくなった。疲労回復のため、和歌山の南高を取り寄せ梅緑茶に梅干をほぐし飲み続けた。

何時もこの頃アレルギー鼻炎に悩まされるので風邪か鼻炎か分からなくなる時があったが、今回は熱が出て節々が痛く、中々熱が下がらず母の解熱剤を飲み続け、その後も中々微熱は引かず、その上、いきなり血圧は170と100を越える始末で、周りから病院へ行くよう勧められたが、一時的なものだと言い張り、また母の薬を服用し続けた。

ノワタリさんに体の不調を言い、数回遠隔でエネルギーを流してもらったが、

「これ以上、手を出せないのよ。彼女の死がきっかけであなたが変わるらしい。」と言われた。

2,3月は天中殺月なので4月3日を過ぎれば、好転するかと期待したが、全くダメで、益々体は冷え、夜中に左のふくらはぎが氷のように冷たいので目が覚める日々が続いた。

小さな電気のマットをふくらはぎの下に引いたり、横になって複式呼吸を20回したが全く改善されなかった。

ラジオを聞いていたら更年期障害(高年?)からくる冷えかと思い、当帰芍薬散、養命酒を服用し、近くの整体で膝痛の治療に通っていたついでに首の自律神経のつぼのレザー治療を受けたがさしたる効果も無かった。

平日も一日中休む日も続き、横になっていて昔虚弱体質ですぐ寝込んでいたのを思い出し、これではまたリューマチになるのではないかという不安に駆られたが、思いなおして気をしゃんと持ちできるだけ、仕事には穴をあけないように起きようと決めた。

心配されたのわたりさんや、ユキちゃんが電話を再々もらった。

「左胸も下から突き上げるような痛みがありますね。」とノワタリさんに言われたが、

「左のふくらはぎが冷えるので、ふくらはぎは第2の心臓といわれるからかしらね。」と 、答えたが、まるで「寂しいからご一緒に?」とでも言ってるのかと思うくらいだった。

牡丹灯篭のお艶さんと新三郎さんは恋人同士、レックス.ハリスンの「陽気な幽霊」は夫婦なのでそれも分かるが...。

「同じ独身だから親しみがある。」と言っている。

彼女はまだ彼岸には行っていないが、隣町に住んでおられるお姉さんと、彼岸見舞いに御実家へ行っても、もう世代替わりしていて、仕方ない事だが女三界に家なしのことわざのごとく彼女の居り場所がないのがよく分かる。

ちょうどこの3月後半から4月は忙しく、おまけにメインのメーカー商品が5月より値上げもあり、何時もより忙しかったが、外回りしても気力体力もなく、出来るだけ外回りは控えた。

不思議なことに鍵を4本紛失した。キイケースの金具が開き、部屋、事務所、母屋の鍵をなくした。

車の予備キイは仕舞ったところに無く、何度も探したが見当たらない。ディーラーに問い合わすと、コンピューターが内蔵されているので持参するように言われた。

4月20日土曜の午後、隣町のディーラーへ行くと、2時間近く待たされた挙句、国産メーカーなのに欧州産なので注文しても何時になるか分からない上、なんとキイ一つが¥19,000もすると言われた。その待ち時間雨の中、メガネやへ向かっていたら、ユキちゃんから電話があった。

結局、車のキイは注文した後、10分もしないうちに何度も探したバッグのポケットから出て来て慌ててキャンセルした。

後日、ユキちゃんと話すと、

「隠されたのよ。」と言う。確か以前、Kの店であった死霊に取り囲まれて居る人がよく隠されるといっていたのを思い出したが、考えすぎか?彼女のいたずらか?

「あんたが、雨の中すんごい疲れてトボトボと歩いているのが見えたんよ。何処へ行っていたの?」と言われた。

本当にその頃精も根も尽き果てていた。

その後、熱や血圧はだんだん落ち着いてきたが、冷えから来る膝痛から腰痛を起こし、左足を引きずる有様で温泉へ行き、マッサージ、電気治療では大した効果が無く、隣町の整体に通っている。

やっと49日が来て彼女の納骨式に参加した。お姉さん達の許可をえて「充分食べて飲んでね。」と言いながらよく冷やした「おんなのひとりごと」を紙コップに注ぎ お結び3個とお姉さんが用意されたフルーツをお墓に供えた。

食べたくても飲みたくても出来なかったから、ノワタリさんのビジョンに現れたのであろう。

彼女が来た事を伝えると、お姉さんは

「私の所には来ない...。○○ちゃんの夢に出てきたって言うのに。」と言って、悲しそうにされた。

「ううん、来てるわ。ただ、気づかないだけよ。」

「でもね、形見のリングをすぐ外したのに、指がしびれて引かないのよ。MRI検査を心配だから受けたのよ。」

「それは脳からじゃないわ。」と言って、指を包むように握ると、足から痺れが流れて行き、お姉さんも感じるらしく、

「どうして?」

「何時も身に付けてから、彼女の思いが残ってるのよ。又、後で清めるわね。」

その後、残った御神酒を墓地に撒き、供え物を彼女の生家の裏の川へお姉さん達と一緒に流した後清めた。

ノワタリさんに手伝っていただき、2日後の午前中 形見のリングやネックレスは手につけて頂いて 祝詞をあげながら榊と鈴を川の中で振りながら浄化した。

し終えた後、連絡が来て

「彼女もあの世へ行きました。とても静かだったから、こうなる事を望んでいたのね。」と言われ、彼女は静にあの世へ旅立った。

その夜、お礼とお姉さん達の事を伝える為、ノワタリさんに電話をして

「お姉さんがね、『私のほうが年上なのに何時もあの人に怒られてね~』」と言うと、

「『今は愛おしい』って言ってますよ。」と言われ、涙ぐんだ。

それをお姉さんに伝えると、電話の向こうで泣かれていた。

灯りを消し横になると寝室の壁が大きく「バキ!バキ!」と鳴った。まるで彼女がさよならの合図をしたみたいであった。あれ以来、居間でしていたラップ音は全く無い。

翌朝、一度目覚めたが、二度寝をしてしまった。

よほど起きなくちゃと思っていたのだろう、夢の中で私は寝室を出て居間にはいると何時もの光景でそれがとてもリアルで東側の窓から朝日は差しているがベランダのある南側は厚いカーテンに覆われているので部屋は薄暗くテーブルの上に数冊の読みかけの本やペットボトルを乱雑に置いたままにしていてまるで本当に起きてみているようであった。

ふと天井を見上げるとライトの周辺に水滴がたまってポツポツと落ちてくる。こりゃ大変と思いつつ、お手洗いへ行くと観葉植物の鉢が置いてあり、タオル掛けの下の床に榊が一対神棚にあるように白い榊入れが置いてあった。その後、毎朝冷えた体を温めるため風呂に入るので 風呂の蓋を3分の1くらい開けると、中に白っぽい地に赤茶色の格子柄の背もたれを倒した椅子のような物があったので驚いて外へ走りでると玄関先に20歳くらいの男の子二人とショートヘアの女の子が立ち話をしていてその横を通り過ぎたところで目が覚めた。

彼女が見せたんだと気づいたが、天井からの水滴は彼女の涙だとノワタリさんから教えられた。

脳梗塞を起こして1ヶ月足らずの間に色々自分の中で整理されただろうが、まだまだ遣り残した事が多くその無念もあったのだろう。

50日余り、体もきつく大変だったが、私は普通の人が体験しないような事を味わった。

今では彼女の思いが伝えられた事を良かったと心の底から思っている。