Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

旅の予定

2012-05-31 21:33:35 | 日々のつぶやき

昨晩は酷く眠く、8時には休んでしまい戸締りもしていなかった。それから目が覚めたのは3時過ぎだった。それまではこの時間がこのところの就寝時刻だった。ラジオからは美空ひばりの昭和20年代の歌という事で数曲のジャズのスタンダードナンバーが流れていた。

アナウンサーは曲の合間に「う~ん、素晴らしい。」その言葉しか言わなかった。本当にジャズ歌手になっていても一流だろう。

4時過ぎに起きようかなと思っていたら、ゴォ~と言う音と、揺れ、「あ、地震だ。」と思うが思うように体は動かない。やっと布団を被るのが精一杯!

しかし、ラジオで地震の放送は無かった。また、私一人揺れたのか?それとも近いうちに体験するのか?

話は変わり やっと玉置神社へ行く事が本決まりに為った。6月の半ばに行く。

ただ、占い師のHは仕事が入っていると言ったまま、連絡が無いので妹と二人で運転してノワタリさんと合流する事になった。

「今回、他に何処へ行きますか?」と、お尋ねすると、「もうこれが最後でしょう。一時行けれないと思うから 、行きたい所へ」と言われた。

今まで高倉下命様と言えば、竹筒の神社にお参りしていたが、新宮の神倉神社が高倉下命様なので気になっていることを伝えると、

「大きな岩にしめ縄がしてあるのが見えますが、其処ですか?」

「ええ、そうです。」

「其処へ行きます。」と言われた。後、大斎原であろうか?

「今回は、だからお神酒もみんな用意して持っていきますが、何組ほど用意したらいいですかね?」とお尋ねすると、

「10組です。」

昨年の台風被害が大きいみたいだ。大斎原はまた浸かったのだろう。

宿の手配をしようとしたら、目星をつけていた宿が2件、被災して営業を休んでいた。想像以上に痛んでいるのではと思う。だから10組か。

もう時間がないので、慌てて十津川村に宿をとった。どの方向にも1時間ほどで行けるので本当は熊野川町あたりにしたいと思っていたが、宿が営業していなかった。

和歌山で合流するか、新宮にするかはまだ決まっていないが神社の麓であれば動きやすいであろう。それに横浜の叔母も参加することになった。

昨晩Sからが掛かって来た時、玉置に行くと言うと、「気になっていたから、行きたい。」と言われた。今回、四国からで行くので運転者は多いほうがあり難い。

ノワタリさんに連絡すると「いいですよ。」と言われ、

「今朝、お仕事をしていたら、出口ナオさんがにこにこして出られたんですよ。近いうちに行きましょうね。」と言われた。

数年前に綾部にはお供したが、それ以前綾部と園部両方の本部に行った時は都合が悪く参加していなかった。今回は両方という事になる。

そんなでもう気持ちは浮き足立っている。

 先日の篠山の山頂の澱んだ池に大胆にドバドバ塩を投げ込んだ事をユキちゃんは塩分で池の水が変化するのではと気にしていた。それをしたので体調が悪くなったみたいに捕らえていたので、「千と千尋の神隠し」の風呂にやってきた龍神様と同じで、清め塩だから心配ないことと、その後、ノワタリさんが遠隔された事もあり雨が降れば周りに浸透してなおいっそう浄化されていくと伝えた。

 

 

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篠山神社

2012-05-29 20:51:55 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

先日で営業に走っていると、Sからのが掛かってきた。その1時間ほど前Sの家の前を走ると、があったが、その日は予定が立て込んでいたのでそのまま通り過ぎた。

Sは入れ違いに実家のある私の町に向かっていた。

開口一番、「おい、連日続いてブログを更新して、お前欲求不満か?」と言う。

私は、天中殺が空けた今、開放感に浸ってすこぶる伸び伸びして本来の自分に帰ったようで調子はよく、欲求不満など無い。社会に対しての不満はあるが、「はぁ~、そんなもん無いわい。」と答えた。

27日に篠山へ登る件は、Sは「都合が悪いが、朝4時に起きるから、早くに登ってから用件をしてもいい。」と言ってくれたが、そんな無理な事は頼めないので、女二人で行くと伝え、

「留守だが、用件は伝えておくから」と言って切った。

後で聞くと、母に「うちの娘も変わり者だけど、あんたも変わってるね。」と言われたらしい。

そのSから、勧められた篠山へ今日ユキちゃんと登って来た。今日は晴天で絶好の行楽日和であった。

Sの家のある町の近道から行こうとしたが、標識が無い。簡単に行けるものだと思っていたが、田舎道の方が標識が無く、「ささやま」とナビに入れようとしたら、「さ」が二度続くので「し」に何度しても変わってしまう。今度は「山本牧場」と入れようとしたら、「やまも」が「やみ」になってしまい、ナビは言う事を聞いてくれない。父が「その道は昔狭く走りにくかった。」と言う言葉を思い出し、これは通らない方が良いのかもと思い遠回りだが、県境の町まで走る事になった。

しかし、私達は学生時代に帰ったようにルンルンでずっとおしゃべりをしながら走った。

途中、「びやびや祭り」と言う催し物が開かれていて、まだ、9時ころだと言うのに車は多い。

旬の鰹が安く買えたり、鰹料理のオンパレードで屋台などが出ているので遠くから車で来る人が多いみたいだった。

やっと、国道を抜け篠山に向かって走るが、ほとんどで会う車はいない。

第1駐車場でちょっと休み、運転中にがなっていたが、後ろの席に置いていたので取れなかったので、見るとSだった。

連絡すると、山頂に小さな池があるから、其処も必ず行くようにとのことだった。そこでも、かなり高く眺望が良い。途中幾つかの滝もあった。

第2駐車場まで行くと、他にも2台の車があった。Sの話しだと、簡単に山頂に行けそうだったが、着てみると、登山道の入り口に2つの籠に杖用の竹が沢山置いてあった。

それを目にした時、これは結構キツイのではないかと、嫌な予感がした。

先日みたいに数分で山頂に着くと思っていた私は、リュックでなく手提げ袋、靴はスリッポン。

ユキちゃんの方が準備よろしくリュックと運動靴だった。甘く見ていた、後悔しても仕方ない。

入り口に神社の説明があった。御祭神様は伊邪那美命 速玉男命 事解男命 木花咲耶姫命で、用命天皇の時代に開かれ、弘法大師にも縁があった。

あけぼのつつじの頃は人が多いそうである。

神社までは約1000m、始めは腐葉土の上を歩くように足元が柔らかかったが、だんだん険しくなってきたが、それでも歩きやすいように丸太木を階段のようにして道を作っているのでありがたい。しかし、二人で手分けしたものの、ショルダーかばんのベルトとが肩に食い込み、下げた御神酒とお塩が重い。

杉林の中を進んでいくと、地崩れの後があり大きな杉の木が数本土砂に流され、途中に引っかかっているのを見ると、急ぎ足で其処を離れた。

木の根が階段状になってきたかたと思うと、岩だらけで足元をよく見て歩かないと危なかった。

日差しは結構きついはずが、杉木立のお陰であまり感じず、進んでいく内に空気がはっきり変わったポイントが2箇所あった。そこで私達は「あ、空気が変わった!」と、口にした。とても清涼感がある。

真ん中を過ぎたあたりに昔神仏習合時のお寺の址があったが、其処は以前山小屋があり、そこで泊まってから、山頂へ行っていたと後でSに教えてもらった。

其処からは金網の柵と扉があり、下山してきた男性二人と会ったが、鹿の害がひどく木の皮を食べられないためにそうしているとの事だったが、どの木も確かに食べられた後があった。

やがて、上の方が明るくなり山頂に近づいている事を感じた。登りきった所で、小さな女の子を連れた若い家族連れと会ったのが最後、度お清めをするにはタイミングよく誰もいなくなった。

しかし、先には長い神社の石段が見える。まだまだだ。

しかし、石段に近づくと小バエの群れがあちこちに黒い塊になっていた。すぐさま私たちは取り巻かれ、離れない。普通移動すれば離れるものだが、なんか変!

ユキちゃんが「狛犬さんでなく、猿かしら?」と、行って近づくと、顔が壊れてて猿に見えただけだったが、この狛犬さんは相当古く、唐獅子のような文様があり、顔も毛がありまるで獅子である。

ユダヤの紋章とよく似ていると思った。

ユダヤの紋章 中丸薫 ベン・アミー・シニー著「なぜ日本中枢の超パワーは『天皇』なのか」より

清めながら歩いていったが、左側の灯篭はもう台座だけであったが、此処の灯篭も変わっていて表は三日月、裏側は満月のようになっていた。

「お月、篠山」とSが良く説明してくれたが、月山神社も此処からそう遠くない。

お社の周りも清め、鈴を振って1周した後で、祝詞を上げていると、ユキちゃんはまとわり着くハエが耳元でブ~ンいう音で、「上が明るくなり、何か獣の足が見えてきたのにその後、集中してもダメだった。」と、がっかりしていた。でもその足は下りた時に気づいたが、あのユダヤの紋章みたいな狛犬…たぶん獅子だ。ユキちゃんの後ろ姿を見れば小バエに上半身取り巻かれている。たぶん私もそうであろう。

山頂に上がると、馬酔木が沢山あり、その新緑がきれいだった。そこにあると言う池を探す。お社の裏だと聞いていたので、探していると、小さな池だった。

Sの話しだとその池の真ん中が愛媛と高知が境だと言う。でも、とても澱んでいてご神水とは言えない状態だった。

どばどばと、池に塩を投げ込み、御神酒を投げ込み、わずかに残った水を入れ、龍神様の語真言を唱えたが、途中で小バエが口に入り気持ち悪くなり止めてしまった。喉の奥に引かかったような感触でお茶をぐっと一息に飲みこんでもなかなか消えなかった。

終わったと同時に人がやってきた。グッドタイミングである。以前は名の通り笹が多かったらしいが、これも鹿に食い荒らされてしまったそうである。

遠く九州も見えると言われるが、どっちがどっちやらと言う感じでよく分からなかった。

下山の方が危なく、足元ばかり見ていたら、道でない所を滑りそうになりながら下りたりしたが、上りよりも杖が大いに役立った。小バエの群れは下るに従っていなくなった。

「ここのハエしつこかったね。」と互いに言った。

帰路は違う道をとも思ったが、鰹に釣られて同じ道を帰った。しかし、駐車場に着いたのは午後2時近くになっていた。

ゆらり内海という潮湯のある施設のレストランの鰹のとんかつが美味しいのです。

中はたたきのように半生でそれをフレンチ風のドレッシングで頂くですが、家で作ってもその揚げる時間が長すぎて半生にならず、だめだった。

それが食べたくて走ったものの、3時だと言うのに満席。5時からしか食事は出来ないというので、柚子アイスを食べて終わり。さっぱりして美味しかったが、なぜか空腹感は無かった。

二人だけでこんな時を過ごしたのはもう同じく友人のカメちゃんの結婚式に栃木へ行って以来ではなかっただろうか。私達にもいろいろな事が起き、私は一人だったが、彼女は子育てをし、実のお父さんを見送った。その間、病気からしてホルモン異常で体型も変ったが、私が30年の天中殺を終えたと同じように彼女も、過去世からの宿題を終えたようでこれからは楽しい事が待っていると同じように前向きに思っている。そのため、帰り道も楽しく二人でワイワイと言いながら帰ったが、頂上の池の汚れが気になっていた。

私たちが行った翌日Sは行ったらしく、が掛かってきて、「塩だらけやないか!ようけ撒いたな。狛犬も池もまだあったぞ。」と言われた。

「はい、お清めです。1キロ撒いたもんね。」と、答え、楽しかった事と小バエの群れの事と感じた事を伝えた。

彼はその日、篠山神社と月山神社へお参りしたことを言った。

しかし、その晩は何もなかったのに、これを書き始めてから、だんだん左肩が痛くなり手がしびれて来た。おまけに11時半過ぎと1時半頃電話がなった。1本目は電話帳には載せていない番号だったので間違いとも思っていたが、真夜中にはもう一つの外線でだったが、リーンとなってすぐに切れた。そんな時間にかけてくる人の心当たりは無い。唯一ノワタリさんとはである。

念のため、真夜中だが連絡すると、「あら、ザワザワしてるわぁ~。久しぶりね憑けて来てる。」と言われ、自信を失った。

就寝前と、今朝も清めたがいまいちすっきりしないので、また連絡した。

「じゃあ~遠隔しましょう 」と言われ、遠隔していただくと、篠山の御神体である池の龍神様が清めて欲しいとでられたそうである。やはり気になっていたが、私達では力不足だった。

ノワタリさんがお清めされると、私の体は大分楽になった。

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老人科

2012-05-26 21:05:40 | 日々のつぶやき

暑い日と寒い日の寒暖の差が大きく、心臓の病を抱えている母の体調がこのところ良くなかった。

何時も季節の変わり目には体が付いて行かないのだが、心的要因もあった。

以前掛かっていた市立病院に医者が居なくなったので近くの医院を紹介されたが、なぜか今は循環器の専門医の居ない病院に通っている。

父は市立病院に掛かっていながら、その病院に睡眠薬をもらうためだけに月一で通っているが、次々と病気を作り、脅かす。もう90歳近いので検査結果の値がすれすれなのは当たり前だ。

「どうして?」と、二人に尋ねると「万が一の事が遇った時の為に、入れる所を押さえていないと。」と言うが、老人施設にはぼけて徘徊するようになっても柱に縛っていいから入りたくないと言う。

そんな時は救急車で行けば良いではないかと思うが、安心できないらしい。

しかし、その病院の雇われ医師は当り外れが大きい。腕が良かったり、評判の良い医師達は独立開業して繁盛しているが、その一方、以前私が行った時、窓口で「今日は良くないから明日の先生の時に出直したら。」と、院内で言われる医師も居た。

しかし、その変人の医師も隣町で開業するようになったら、途端愛想が良くなったという評判である。

もう20年位前の事だが当時居た医師と病院との間でトラブルが生じた。その医師はその当時国会議員の選挙に出て、全く政治とは関係の無い病院の悪口と暴露話のみを政見放送で話した。

それが、病院名や個人名も出して、破れかぶれの暴言を吐く。それを聞いたり、見たりした地元の者はクスクスと苦笑いし、ご近所の話の種となった。

慌てた先代の院長はNHKに中止するように頼んだが政見放送なのでそれが出来なかった。高い供託金を払ってまでする事だっただろうか?

その後、その医師は他の町へ移ったが婚約者に逃げられ、今度は県会議員に立候補し、婚約不履行は刑事罰にというむちゃくちゃな事を公約としたと友人のご主人が笑って話した。

母はそこでレントゲンも、心電図も取っていなかったが、むくみがあると言う事で利尿剤を半月分もらった。

不安になった母は、その医師に「先生は何が専門ですか?」と尋ねると、平然と「老人科です。」と言われた。そんな科あるか?母は「ハァ?」と言ったらしい。

確かにその病院は管だらけの老人ばかり入院しているのでシャレでそんな事を言ったのだろうが、何が専門は分からないままである。

「あ~、う~。」としか言わない寝たきりの患者の相手という事か。

お隣のおばさんも通っているが、道路の立ち退きで施設は新しくなったものの外来患者はとても少ない。

以前、近所の人がその病院で医者から延命治療をするかどうか尋ねられた。その奥さんは義理の間柄である姑の事だったから、「先生のいいように、お任せします。」とか言えず、「自分の親だったら断れるのに...」とこぼした。その数年間、その病院で他の人の介護をして治療費を稼いだと言う。

なんか、無駄の様な気がするが、それでも生きていてほしい人はそうすれば良いけれども。

その医師が母を不安にさせるようなことを言った為に、益々落ち込み、

「心不全が進んでいるのでもう長くはない。」と一日中愚痴った。おまけに利尿剤はあわず、湿疹が出て痒くて今度は眠れないとこぼす。

「腹水は見たところたまっていないから、大丈夫よ。」と言っても、うるさくぐちぐちとこぼす。

「タカコちゃんのご主人に診てもらったら。」と勧めると、

「其処までの体力が無い。」と言って聞こうとしなかった。1、2日ほっといたら、今度は向こうから連れて行ってとの事。

結果は別に進行してはいなかった。やはり心的なものである。母は我が家のわがままな女王様で自分の意見を他人に押し付ける癖がある。自分と人とは別なのに、同調してもらいたいらしい。私たちはみんな無視、大迷惑だ。

「伯母さん もうむくんでいないから、その原因は分からないけど、利尿剤はこれから暑くなると、只でさえ熱中症で脱水になりやすいし、腎臓を傷める恐れがあるから飲まないほうがいいですよ。」と言われた。

「早く来れば、良かった。」と言い、安心したものの、「自分の心不全は進んでいる。」とまだ言い張っていたが、今日は元気に梅干を漬けている 。

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親がいない?

2012-05-26 01:50:46 | 日々のつぶやき

先週、経理事務所の小学生のお子さんを持っておられる女性と話していて、親がいないから二つの町の学校が合同しそうだという話しを聞いた。

親がいない???

ふん?どういう事?出稼ぎ?蒸発?

そう言う事でなく、一組の夫婦から数人の子供がいても、親の数はしれている。小さな小学校であれば、子供が30人いても親は数人という事だった。それで役をずっと同じ人がしなくてはならず、仕事に差し控え困り果てている。

以前妹が小学校の給食費も担任でなく父兄が地区で集め無ければならず、他にも昔は教師がしていた事を父兄がしなくてはならず負担が大きいと言っていた。

そういえば、其処の高校の入学者はわずか25名だった。以前は少なくとも50名くらいはいたが、この最近年を追うごとに10人くらい減っていき、このままでは学校はなくなってしまうだろうと思う。

以前、定員割れしているのに、落ちた生徒がいた。その子の親は学校に文句を言いに言ったそうだが、あまりにもレベルが…と言われたという変な話を聞いたことがあった。

 其処まで過疎は進んでいる。その近くの町へ近く行った事があるが、お年寄りが日向ぼっこをしていたり、やっと車1台通る幅の町の中は更地だらけになっていた。

産業が無く、人口の流失が続いている。20年くらい前までは同じ町内の中にも幾つかの学校はあった。それが1つになってももうどうしようもない所まできている。

知り合いの子供さんが、幼稚園に上がる頃、その近くには探しても同い年の子供がおらず、遊び相手がいないとこぼされていた。

人数がいる球技は出来ず、この町も野球部があれば、サッカー部が無いという有様でもう20年前から少年倶楽部に入っている子供達は続けたければ校区外の中学に進学するしかなかった。

子供達もかわいそうである。

あるメーカーのセールスがやって来て、都市部でも家電メーカーの工場の海外移転が続いていて納品が激変だと言い、嘆いていた。

従兄弟から聞いた話であるリーマンショック以前、沢山のメーカーの工場がでてきた町があった。

住宅が足らず、地元の人達はせっせと賃貸住宅を建て、勤めている人達は一生其処に従事すると思い住宅を建てた。以前、空港に行くのにその周辺を走ると山の中に住宅展示場ではなかろうかと思うくらい新しい住宅の集落があった。

その頃でも派遣社員が多くなり、水道代などが未払いのままいなくなり市が困っていると言うニュースを耳にした事があった。

リーマンショック後工場は次々と撤退し、人の姿は消え、賃貸住宅のローンは残り、その町のJAはパンクしそうになったそうである。

昔はどの自治体でも地場産業がありそれなりに暮らしていけた。大手のメーカーの下請工場などもあった。結構年配であっても内職をしたりして自立していた。

今はスーパーとコンビニだらけであちこちにあった食料品店や八百屋も消えた。

そのため納入していた豆腐屋や菓子屋もだんだん無くなり、私は近くだが新鮮な市場から戻りたての野菜を買おうと思ったら、少し足を伸ばさなければならない人もいる。不便である。

もう田舎の循環システムなど壊滅してしまっている。田舎だけでなく、仕事がなくなってしまった今、全国であろう。

以前から不思議に思っていた。公務員は自治体が赤字であろうと賞与が出るが、民間ならカットである。

どうしようもない所まできているのに国家公務員も同じだ。

先日、フジサンケイグループの電話アンケートがたまたま掛かって来た。

すべて今の政治に関する事ばかりであった。当然ノーの返事、最後の質問は原発問題を含めて国を信じるか?当然信じないである。どういう結果がでたのだろう。

 

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やばかった!

2012-05-22 22:34:23 | 日々のつぶやき

昨日「生霊」と言う事で幾つかの聞いた事を書いた。

最後の丑の刻参りを書いているうちに、やばそう~と思い、急いでで書きあげたが、もう指先から肘まで痺れが走っていた。

ノワタリさんに慌ててすると、「早くお塩でごしごしと洗って!」と言われた。

セイジの葉をバンバン焚き。の上にも盛り塩を置いた。真夜中だったら、もっとキツカッタと思う。

お風呂にお塩、御神酒と榊を入れて当然お塩マッサージをして部屋の4隅に盛り塩を置いて休んだ。

しかし、朝になっても腕の痺れは残っていた。また、お風呂で清め、水を被り、ご神前で大祓など幾つかの祝詞をあげると、左足裏の湧泉辺りからキツイ痛みが出て行く。

大分薄くなったものの完全ではないので、外出時にはお塩とセイジの葉を身に付け、のタイヤを清めて出かけた。おまけに今夜はお寺さんで座禅会だったので用心しなければならなかった。

以前ならば、こんな事を書こうとも思わなかっただろうし、受けるダメージも大きくもっと苦しんだに違いない。

人の念はとても強く、マイナスを呼び込む力もすざましい事を改めて昨晩思った。

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