Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

人間ロボット

2022-04-07 20:31:19 | 日々のつぶやき

携帯会社を替えた。

1月に仮契約をしたのだが、品物が入荷せず今月になった。

4月4日の正午前 突然連絡があり、1月に仮契約した仮契約した携帯電話の連絡があった。

契約した機種ではなく新しい機種ではあったがその日までキャンペーンで安くなると言うなるということで午後3時半に予約を入れた。1月に一緒に行った友人も一緒にだった。

そもそも友人の携帯が不調ということで話を聞いて私も仮契約したのだったが、3か月近く遅れた。

行ってみると、その機種はその日までのキャンペーンだった。

二人そろってビデオを見せられ、個別の契約で対面になった。

私は以前の会社と変わったので発見番号待ちとなった。 つながれば、会社を変わらなければ有利なことを言う、しかし、2年縛りが終わり窓口へ行けば反対に高くなった。

それならば、 ひとつでも安くなるプランを提唱すべきであるが、そんなことはなかった。

一人でも安くなるのではと今回の会社に乗った。

確かに半額近くなった。

しかし、契約段階で私の住所が免許証と現住違うのでトラブルとなった。

私の町は以前〇〇市〇〇番地と本籍と旧市内の大半の人はなっている。

4月1日から通称の地名と地番に変わった。

当然、新しい住所を伝えると拒否され、本部と連絡をとり30分近く待たされた。私の地番は100年以上前祖父が、引っ越したにもかかわらずそのままで今の住所と大分離れている。

しかしながら、本部は免許証の住所を選び、〇〇市〇〇番地となった。私の姓も名前もありふれていているので通称がなければ届きにくい。

でも時間がない。妥協してその日は帰った。友人の方は、同系列にも拘わらず免許証を返納していたので 保健書を持参していたのにもかかわらず、住民票を持参せよと言う。同系列なので調べれば済むはずである。不親切だ、

いったい何!

その晩は疲れもあり全く腹ただしく眠れなかった。

翌日、交渉したが、郵便局を調べよと言う。

ほんとに切れてでしまい

 

もう やめた

と電話口で言った途端変わった。クーリングオフある。シムカードを替えれば済むことである。

1時間後、店長からの電話で郵便局を届くかどうか調べたことと、現住所との変更を書物が、あればするとの連絡がきた。

そもそも市が出していれば済んだことだと思うが、遠くの本部の人間より、地元を考えるべきである。

桂文珍さんの落語に

町を歩いていたお母さんが催してきて近くのファーストフードのお店に飛び込み

「お客様 お持ち帰りですか?当店ですか? 大にされますか?小にされますか?」

いう落語を思いだした。

 

 

 

 

 

やめた


長生きもつらい

2021-08-29 17:08:28 | 日々のつぶやき

 お盆前からの長雨がやみ うって変わっての蒸し暑さに逆戻りしたものの 夜明けとともに シャンシャンシャン、ジージージーと蝉の大合唱だったのが、静かになってきている。暑くても夕方ツクツクボウシが泣き出した。

 今 私は今年95歳の母と二人暮らしである。

2年前の主治医の知識不足で出された薬の副作用にもめげず だいぶん健康を取り戻していたが、さすがにこの年齢となるとあちこち不調が出てきた。昨年11月の下旬より左目の動脈硬化によりほとんど視力が無くなった。

「これはどんな眼鏡をかけても矯正出来ない」と松山の医者に言われ、慣れるしかないのであるが本人はルチンの豊富な桑茶を飲んだりしているがあまり改善の様子は見られない。

おまけに健脚自慢であったのが、すり足になってしまいこの1か月半に2度転倒した。

1度目はたたみの上で頭を打ったが、擦り傷とこぶができただけであり、冷やしたものの数日すると、内出血が下りてきて目の周りが青くなりボクサーのようになった。

2度目の1週間前の土曜日は廊下で転倒し、頭、背中、腰を酷く打ち付け起き上がれず、幸いまだ治療時間内であったので近くの接骨院に連れて行ったが、転び方が良かったので打撲で済んだ。

しかし、私と違って怪我の少ない母は痛みをこらえる事が出来ず、駄々っ子の幼児のように四六時中湿布の張替えやっ注文が多く起こされて、元々睡眠不足がちであるのに丸2日間寝ることができなかった。そのせいであるかどうかわからないが、左ひざに水が溜まり腫れて熱を持ち私の方が参ってきた。

おまけに 以前から再々あったことだが、食事を作っていると自分は何が食べたいからそれはいらない…。と言って手を付けず、作っては捨てるの繰り返しでストレスになってしまった。

今、朝はスムージーにしているが突然いらないと言われ、以前は1週間分の甘酒を造って冷凍していたら、いらない。スムージーを作れと言い放つ。

どちらにしても材料を構えているうえ、甘酒は半日掛かりでつくっているのであるからいい迷惑である。

義理の関係であれば、そう言えないであろうと思うが、娘には遠慮がない。

依然、退職して母親と同居をされた友人のお姉さんと話したとき、二人で暮らすのに取り決めをしたという話を聞いていた。同居を始めた途端、お母さんは気が緩んだせいか痴呆になり、半日時間がずれ、食事も食べさせても1時間かかったと言われた。もし 施設へ入れたならば、この人は食べないと言って早く亡くなったと思うといわれ、6年間しっかりお世話をされたお姉さんは未練も何もなかった。

遅ればせながら、このような状態であれば食事を作ることはしない。自分で出来ることは自分でというと、キツイと怒る。

しかも、痛みに耐えかね接骨院の先生には

「死んだ方がまし」と言って悪態をつき、数日間は最悪だった。

造血剤で胃の弱い母に座薬を勧めてもらったことからだいぶん 母は落ち着きを戻してきた。

周りを見れば、同級生は痴呆とつんぼで電話をしても話にならない。近所のお友達はあの世か施設に入って誰もいなくなっている。もう話し相手は世代の違う人間しかいなくなっていた。

誰と話しても芯から話はかみ合いにくく、本や新聞を読むのも目がみえにくくしんどそうである。

おとぎ話の浦島太郎は亀を助けたのになぜ玉手箱でおじいさんになったのかわからなかったが、それが乙姫様の優しさだったと今わかる。


24時間テレビの思いで 1978年8月

2020-08-23 21:28:58 | 日々のつぶやき

 第一回目の24時間テレビ放送があった夜、ユキちゃんと二人友人の結婚式で宇都宮に来ていた。

その夜は結婚式の行われたホテルに宿を取って頂いたのだが、部屋に入るとポツンと部屋の真ん中に扇風機が1台置いてあった。

ウ~ン何故???、どういう事か分からないが深夜12:00で冷房は切られ、その後の対処であったことが張り紙で理解した。前日朝1便で羽田へ行き、東京で結婚する友人への手土産に彼女のあだ名だった亀のぬいぐるみを買い、夕方に宇都宮市に到着し 夕飯後市内の当時カリフォルニアシャワーと言う曲が流行っていた渡辺貞夫によく似た感じのマスターのおられるジャズ喫茶へ行き1時間ほど休んで9時前にホテルへ帰った。前日の宿は結婚式の行われたホテルではなく別でたいそうな名前のホテルだったが、信じれないくらい設備の悪いホテルで後で知って恥ずかしい思いをする事になるのだが外線電話は部屋に繋がってなかった。

部屋へ帰ると、外出している間横浜の叔母から☎が何度かあったらしく、パジャマに着替えた途端フロントから連絡があった。

部屋で外線電話に繋がらないとは知らず、1階のフロントまで行かねばならないと言う事で、慌ててエレベーターに乗り込むと、時間帯も悪く屋上のビアガーデンの客でいっぱい…。私は薄物のパジャマ…。出直す訳にも行かず、20歳前半の私は恥ずかしいんだけどこれ以上待たすわけにもいかず壁に向かって立ち、酔客の視線とヤジを無視して我慢した。

そしてまた今夜は冷房無…。窓を開ければ、夜中の突貫工事でアスファルト道路を掘るガガガガー

と耳を劈く騒音、諦めて扇風機をお世話になる事にしたが、疲れているからすぐに寝付くだろうと思ったのは大間違いで二人で交互に布団から貞子のように這い出してタイマーを回しほとんど寝ずにぼんやりした頭で朝になった。

その時、24時間テレビと言うものの放送があったが、全く内容は覚えていない。マラソンもチャリティもなかったのではなかろうか?ただ、タイマーを回す度テレビを目にしたが夜中のお友達であった。

 翌日私達は止せばいいのに欲張ってここまで来たら、 益子!!とばかり、ふらつく頭と足取りで炎天下の中益子へ行った。しかし、焼き物を見て食事を取ろうとしてもやっと見つけた食堂は外まで多くの人の行列で1時間待っても多分順番は来ないであろうと諦めて町をフラフラ歩いた。

 睡眠不足と空腹と暑さで二人とも倒れそうになっている時、土産物屋のおばあさんが

「休んで行きなさいよ。」と優しく声を掛けられた。よほどひどい顔をしてよろついていたのだろう。

そのお店の奥の座敷にずうずしく上がり込みで梅干しを入れた熱いお茶を頂いたおかげでその頃は熱中症と言う言葉は無く日射病と言ってたのだろうと思うが、もう倒れる寸前になっていたと思う。私達はそれで生き返りその晩、有難い事に無事に横浜まで帰る事が出来た。

私達が四国から来たと言うと、大そう喜ばれて親切にして頂いたが、その人は焼き物店のご隠居さんだった。30分ぐらい休ませて頂き、一息ついたところでおしゃべりをしたり、買い物をして益子を出た。

 そう言えば、亡くなった祖父も毎朝 食事の最後に家で漬けた小梅を3個干入れた熱いお茶を飲み、

「朝の梅干しは災難を除ける。」と言っていたが、私はそれまで梅干しを口にした事が無く、単なる年寄りの口癖ぐらいにしか思っていなかった。お爺さんごめんなさい。

それ以来、夏ばて対策として熱いお茶に梅干しは欠かせない物になったが、ビタミンと塩分、確かに理に適っている。

毎年24時間テレビの放送がある度、このドタバタとして旅行を思い出す。


町の中のポツンと一軒家

2020-05-24 13:11:08 | 日々のつぶやき

 日曜の夜の楽しみで毎週「ポツンと一軒家」を母と観ている。あの番組の場合人里離れた山奥が多く 稀に島や半島部が出るが、私の住んでいる町でも空き家だったのが更地になり所によっては周囲が駐車場となり、一軒屋になっている。

 私の家も2,3年前家の裏手の住人が重度の脳梗塞になり入院した。すると、隣家の住人である兄の方が生活の世話をしてくれる人がいなくなり、老人施設へ入り空き家同然となった。お二人ともに子供はいるが帰っては来なかった。 母屋の方も 隣家のおばさんが5年前に脳梗塞で倒れた時 脳挫傷を起こしてしまい入院したままである。そこで昨年の1月反対隣のおばさんが亡くなられた後、両隣空き家になってしまうのかと危惧していたら、同級生が転居してきたので安心した。

 しかし、町内も半分近く新しい住人になり昔のような交流はなく 寂しいかぎりである。うちは角地であるため、一つの隣は町内が違う。その町内も病院、、薬局、学校、駐車場、店舗が半数以上占め、住人が少なくおまけに空き家もある。

 コロナで不急不測で外出の外出の制約があったが、無くてもあっても人通りは大して変化はなく ただマスク姿に変わっただけに近い。

 報道で過剰に恐れた高齢者が一層外出しなかったのと学校もなく、図書館もスポーツ施設も閉鎖で子供が動かなかっただけであろうと思う。あっという間に イタリアンやフレンチレストランは1,2軒になり、中華料理やステーキ屋は無くなってしまった。 

 市の広報を見ると、驚いた事に最盛期の人口の3分の1になっていた。1月の出生人数の3倍の死亡者数であるから 人口減も仕方ないのかとも思うが そのうち限界集落になってしまいそうで不安である。


あちらの世界のいたずら 足摺

2020-05-17 13:12:51 | 霊現象

  もう全く霊現象が起きなくなったかと言えば否である。私の体質であるから仕方ない事と諦めるしかない…。

何処かエネルギーの良い処へ行こうとすると何かが起こる。命にかかわるとか言うのではなくちょっとしたしたいたずらをし、存在を認めさせようとしているみたいである。

 今年の正月の3日 いつも帰省したらどこかにドライブに行っている反対隣のまた同級生のせっちゃんと足摺へいくことにした。その前日母の具合が余り芳しくなかったのでキャンセルになるかもしれない事を夜伝えていた。

当日 母の勧めもあり予定通りに出発しようとすると前夜かなり深酒をしたみたいで気分の悪そうな彼女がやって来た。

「無理しなくてもいいわよ。又次にすればいいから、二日酔い?」

「いや...、二日酔いの一歩手前、ワインから始まってビール ウイスキーと最後は日本酒を飲んだの、 大丈夫よ。行きましょう。」と言う事で朝8時過ぎに出発した。

高速を降りた処でコンビニでコーヒーを買い休憩、彼女もソルマックを買って飲んだ。それから20分位走ったであろうか 、その次の町に入り口近くで峠を降りて コーヒーの蓋を取って飲んだところ、見事にこぼしライトグレーのセーターの全面に茶色く流れて広がった。

自販機で水を買いハンカチで拭いていると、彼女も水を買い

「ソルマックが呼び水となったみたい。」と言い、道路の側溝にオエオエと戻し出した。ひとしきり出した後水をまた買って口の中を濯いでまた走り始めたが、「ウッツ!」と一言で それからコンビニやホームセンター、道の駅とお手洗いのある処で数回休憩し、やっと太平洋が見え景色の良くなったところで爆睡状態となった。当然お昼ご飯など望めるはずがないので、こっそりコンビニでおにぎりを買って済ませた。

 足摺スカイラインで無く新しく出来たバイパス道路から臼碆の竜宮神社へ向かった。またそこの駐車場で休憩、何度も休憩していたのでお昼近くになっていた。ウマメガシに覆われた林を通り抜け 眼下に広がる景色を目にした時、私もそうだったが初めてその景色を見た時とても感動して気分もハイになったが、彼女も初めて目にする景色に感動してそれまでの気分の悪さも飛んでいき、めったやたらと写真を撮りまくってはしゃいだ。

 お天気も良く青い海と花崗岩の岩肌のコントラストが素晴らしい。そこに1時間ほど居るうちに彼女はすっかり元気になりそれまでの吐き気と胃痛は亡くなったみたいであった。

 そこから車で出発しようとすると、突然カードを入れっぱなしにしているETCが

「カードを確認しました。有効期限を確認しました●年●月です。」ではなく、

「ご利用は○○円です。」え!有料道路なんか走ってないのに?料金所でもないのに?なにこれ?と思っていると、最後に

「11月3日」と言う言葉を発した。

「ね~、11月3日何処か行った????。」

「うん、松山へ買い物に行ったけどこんなメッセージ初めてよ変ね。」嫌~な予感がしたが今朝車は清めいる。

後日気づいた 料金所では料金の金額を知らせるだけで日付など言わない事を。

 今度は唐人駄馬だから大丈夫だろうと思いながら気を取り直して出発。

 唐人駄馬でも彼女は大騒ぎで巨石に上がりいろんなポーズをとり写真を撮り、千丈岩でゆっくり座ってエネルギーを頂いた。もう今朝の二日酔いの状態は無かった。その後広場に行き、巨石群をしたから眺めて写真を山のようにとった。

「四国にこんなところがあるなんて!!」と、感激していたので なかなかそこから出発できず、やっと重い腰を上げたのは3時半くらいになっていた。

 広場の駐車場で私たちが乗り込もうとしていたら、珍しく同じ車種の車が一足先に出て行った。スカイラインへ向かっていると、急に私の趣味では無い今無い今流行りの音楽が鳴りだし二人で顔を見合わせた。カーステレオでもなく、なんだ?と思っていると私のスマホだった。使った事も無い♫マークのミュージックが作動していた。どうやって止めたかわからないがあちこち触っているうちに音楽は鳴りやんだ。

「おかしい?わね。」と互いに二人で顔を見合わだせた。

スカイラインに入ると正月休みだというのに全く対向車も付いてくる車も無い。唐人駄馬でも巨石群の下の道沿いと駐車場に合わせて5,6台板というのに10分以上走っても一向に車はいない。

「いくら下の道があってもいないなんて変ね。」と、言っているとまた突然、若い女の子たちのグループの歌が鳴りだした。慌てて止めようとするが止まらない。キャンセルを押すと登録されて無いから無効だという。

仕方がないので車を止めてほんの20~30秒くらいバタバタとしていると、後ろから「ブッツ!」と大きなクラクションを鳴らされて、少し避けて前に出てもらったがそれまで0車の姿を見なかったので安堵した。

そして次のカーブを曲がった途端、先ほどの同じ車種の車のお尻が見えた。

「あれ、車止めた処からここまで寄せる所は無かったよね???」

何か後ろで鳴らされるまで異空間を走っていたような変な感覚だった。その後は同じ車種の車が先導するように中村へ向かって走り帰路についた。運転されている人の顔はわからなかったが、守っていただいたみたいであった。

 後日 携帯ショップに行くことがあり音楽が突然鳴りだしたことを尋ねると蓋の飛び出ているマジックテープの処が当たったのだろうと言われたが、その位置に♫のマークもなく 振動も無かった。

 ただ、それから車で走っていると掛けた覚えもないのに勝手に発信することがありだした。それも普通の通話だけでなく、ご丁寧にライン通話になったりしている。