Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

あの世とこの世

2014-03-30 17:01:45 | 霊現象

あの世とこの世は海綿状のような物で重なっていると本で読んだことがあるが、亡くなってしまった父はノワタリさんの口を通じて生前には聞けなかった本音を聞かせてくれので不思議な感覚である。

私と彼女が話していて父の事に触れるとすぐに横に現れ、半月前に妹と二人の娘がノワタリさん宅にお邪魔した時も妹に言葉を残したそうであるが、しかし、その内容も生前の父しか分からない事で、可笑しくてちょっとにんまりしてしまう。

姿を消すとき、時々思い出して話題にして欲しいと言ったそうだ。

やはり1年前に亡くなったむっちゃんも同じで、四十九が明けて私の前から消える時、同じ事言い残した。

彼女の1周忌に墓参りに行くと、今度はチューハイが浮かんだのでそれを持参した。昔、泊まりに行った時、嬉しそうに缶チューハイを出してきたのを思い出す。

二人の姿が見えないのはとても寂しいが、ノワタリさんのおかげで話しが出来るのでお互いにありがたいと思っている。

お彼岸になり、妹と姪が来て母屋の茶の間で七時ごろ話していると、来客があると反応するアラーム音がピンポ~ン、ピンポ~ンと二,三度鳴り、でてみると、シャッターは降りていて何も反応するものもないので私達は父が来たのを知らせたのだと私と思うとは口々に言ったが、母だけは何かが反応したと言い、信じない。

彼岸明けの夜も、私の部屋の入り口ドアのセンサーライトが誰もいないのに点き、帰るのを知らせた。

父が床に就き起き上がれなくなってから、他県に住んでいる親類の事をよく母に口にしていた。

「あのまま逝くのなら、良すぎるよな…。」

その叔母は夫婦仲が悪く、三十年以上家庭内別居状態で家事はせず、毎日外食で毎晩遊びに行き、昼までご就寝という生活をし、一切叔父の方の身内と付き合いはせず、祖父の葬式に出会ったのが私も最後だった。

その叔父も 釣りには来ても一度も墓参りにも来なかった。

その事をノワタリさんにお尋ねすると、

「行くわけないでしょ。それじゃあ不公平でしょ。生き様があの世を決めるの。良い処にはいけないわ。」と言われた。

父の亡くなった二人の兄弟の葬儀のも夫婦とも来ることもなく、父が亡くなった時は二人とも外食生活がたたり、病気で動けなかった。

この10年間ノワタリさんのお供をして歩いて来たが、今身に染みてよくわかる。自分の生き方に責任を持つ事に。

決して「してくれるだろう~な」というような甘えを持ってはいけない。それはまた天に借りを作ってしまう。

今流行りの「倍返し」などという事をすれば、大事である。気の強い私は、以前やったらやり返すほうであったが、反省です。

あの世で父は祖父母に出会っても

「あ!」と言ってその存在を確認してすれ違ったと言うが、スエデンボルグも書いていたがあの世の段階はとても多く親子であっても居る処が違うそうである。

それを裏付けるように好きな俳優さんの一人である川津祐介さんの「3回死んでわかったこと」はご自分の経験を書かれているので、とても分かりやすい。

3度の臨死体験を自伝っぽく書かれているが神の存在と、生き方により行先がかなり違う事を書かれている。

 


泥棒の正体

2014-03-17 00:23:03 | 日々のつぶやき

父が亡くなり、一人で気ままに暮らしていたのが母と同居するようになりストレスが溜まっている。

母も体調が悪く毎年の事であるが心臓の病があるので寒い季節は起き上がれない日があるが、私がいる日はほとんど10時下手をするとお昼まで横になっている。

若いころから病気がちではあったが気力だけで生きていた人なのに何かこの処変!

何もかもが煩わしくなったみたいであるが…。

今まで日常の細々したことは自分で仕切っていたのが、最近急にそれを押し付けてきた上、その結果気に入らなければ文句を付けるので出来ればとり合いたくない。

父の亡くなった後の処理が私に任すと言いながら私の一存で出来ないので進まない。

先週は遠くへの出張が続いたので肉体的にも精神的にも疲れ果て、頭の芯だけが起きていて寝付けない日々が続いていた。

仕事を終えても 母がガンガンと機関銃のように早口で毎回同じ話をするのも辟易していたが、廊下に置いたエアロバイクは邪魔者扱い扱いで2度も置き場を替えなければならなず、まだ私のペースが戻らず安らげない。

男性が仕事を終え疲れて帰宅しても安らげなければ、それを求めて他へ走るのもわかるような気がする。

私が母屋の父の部屋へでも引っ越したいくらいだ。

土曜日の事、4月にCAテレビの料金が1年分引き落としになるので、時代劇チャンネルを見る父も亡くなったので解約するとにしたが、後、地デジアンテナを立てるか普通のコースで継続すかどうするか電気屋さんに連絡をすることとなった。

見るのは母なのでどうしたいか自分で言えばよいものを、私に言わせる。

NHKだけ見れたら良いと言うのでそのまま伝えて外出した。

お昼に電気屋さんと入れ替わりに帰宅するとコンバーターは無くなっており、母の言葉通り地上波しか映らなくなっていた。

「BSは写らないのね。」と母に言うと、「歌が見れない。」と今朝と違う事を言う。ここでイラッ!

電気屋さんには気の毒だがまた来てもらう事になった。

その後、経理事務所の事務員さんが来て相続税のアドバイスを頂いたが、私に早く処理をするように自分が進めておいてそれが間違いであるかのような事を言われたのでそれも私のせいにされた。決算申告も近くただでさえ忙しいのにあれこれと吹き出し、脳が沸きそうだ。

その方が帰られる前に、母が

「その辺ええ様にして。」と曖昧な事を言ったので

「はっきりわかってる事はちゃんと言って。」と言って、一つ訂正するように頼んだ。

帰られた後、専門職である宮崎の義弟に問い合わすと、誤りでなかったので安堵したのも束の間、

「対応が悪い。」と文句をつけ、それまで自分が管理していたものまで全ての責任を放棄しようとしている。

気分転換に美容院へ行くと、クラッシクが流れていたが恐ろしくピアノのキンキンとした音が耳につき、消してもらうよう頼んだら、気を利かしたつもりだろうが今度はえらく重いジャズだった。

本当に疲れている時って、耳障りで何も聞きたくないものだと思った。

7時前に帰宅すると、母が怒りのオーラ全開の怖い顔をしてお昼の残りの筍とベーコンのバター炒めとほうれん草の白和えが乗っているだけの食卓の前で私の方に向いて、

「あんた、私の部屋の金庫混ぜたでしょ。引き出しも抜いてばらまいて…。」と、身に覚えのない事を言う。

いくらイラッとすることがあったとしてもそんな馬鹿な悪さはしない、そんな事を疑うのかと反対に文句を言いたいくらいである。

しかし、金庫と言っても15年くらい前、母が入院中その金庫の鍵と間違えて他の鍵を入れて抜けなくなり、連絡したがそのメーカーはもう倒産してなく、仕方ないので近所の鉄工所のおじさんにシリンダー錠の部分を穴を開けて開けたので、もう金庫の役目は果たしてなかった。

「泥棒じゃないの?部屋に入らないから知らないわ。」

「やだ…。泥棒?誰かが入ったのかしら?まあ大切な物は無かったけど…。」と腑に落ちないように言った。

夕飯後、母は自分の部屋を片付ながら気づいた。

その犯人とは先日の夜中の大地震だった。たぶん金庫の扉は半開きになっていたのだろう。

金庫だけでなく、テレビやエアコンのリモコンも飛び、一つは中の電池まで飛び出していたそうだ。

ノワタリさんに話すと上からの言葉があり

「お母さんは老いが出て来た。」との事。90歳近いので仕方ない。

老いには身体的な物だけでなく、我儘になって来るそうである。この先の事を思うと頭が痛いが、慣れるしかないのかな。

 

 

 


海の光

2014-03-09 13:50:35 | 霊現象

 

やっと7日の金曜日から光になりスムーズにネットに繋がりだした。

前回の海辺でのお焚き上げ後、灰やお供え物を流した後の海の写真である。

肉眼では見えなかったが不思議な光が映り込んでいる。父が見せてくれたのであろうか?

手を当てると暖かくとても良いエネルギーだとノワタリさんから教えられ、父の仏前や部屋に飾るよう勧められた。

遠く養殖いかだの付近が光っているのは龍神様だと言う。

ただ残念なのは携帯で撮った物なのでカメラより画像が落ちる。カメラも壊れかけでズームがままならないのでこれも買い替えしなくてはいけない。

携帯、ファックス、カメラ、ネット回線と壊れて行き、新しく出直しのようである。

その日はとても海水も澄んでいて底が見えて、水面がキラキラと輝いていた。


スッキリ、さわやか

2014-03-02 22:52:58 | 日々のつぶやき

納骨をした翌日の日曜日、妹と同じく忌開けたユキちゃんと3人で伊予の国の一宮様である大山祇神社へご挨拶に行った。

父の仏事のある日はいつもお天気に恵まれ穏やかで暖かい。昨日も麓の河原は菜の花の真っ盛りで一面黄色くきれいだったが、鶯の初鳴きも聞いた。

その日もお天気に恵まれ、普通の日曜なので参拝者もボツボツであった。

やはり大山祇神社は厳かで楠の緑が美しい。

参拝した後、鶴姫様と阿奈波神社へお参りした。

これまで、数回参拝したが、珍しく阿奈波神社にお参りされた人と初めてすれ違った。

前回、お清めしながら

「寂しくて暗いわね。」とみんながいっていたのを聞かれたとご祭神様である岩長媛様が、

「本当は朱塗りで華やかったのよ。」とつぶやかれたのをユキちゃんが聞いた。

確かに気を付けて見ると所々色あせてしまった朱色と緑色が残っているが、以前よりも明るくなっている。

その翌日妹はとてもスッキリした気分だと言って帰って行った。

ノワタリさんも後日お聞きしたことだが、

「良い仕事をした。」と国常立命様からのお言葉を頂いたそうだ。

私達がとてもスッキリしたのは、今回の事で先祖事が収まったからだった。

私は数年前、ノワタリさんのお力を借り、古い元墓の墓石を埋めて片付た事で収まったと思っていた。しかし、私の家には今の墓を作る前に、亡くなられた幼女が居り、埋めた処があいまいになり分からず、墓を作った時にその辺りの土を拾って入れたと言う。

その事が30年余り前に祈祷師に

「幼女が泣いている。」と指摘された事から分かったが、全く知らなかったので、とてもびっくりした。

高校生の頃、その幼女と夢の中で遊び、あまりにもリアルであったのでしっかり覚えている。夢の中で会ったのは埋められている山の麓で、彼女が埋められたあたりの柿畑のある山を駆けて二人で遊び、彼女は名前まで名乗った。

分かった時、元墓のご先祖さんと一緒に彼女も御魂移しをしてもらったので当然鎮まったと思っていたのが、力不足で出来ておらず、今回の事で収まった事を気づいた。それで私達の気分がスッキリしたのはご先祖様も落ち着いたからだろう。

2,3日経った朝、ノワタリさんに確認すると思った通りで、今回の事で先祖事も土地の因縁も解消された事を言われた。

話していると、上から

「これからは第二の人生だ。」と言われた。

「あなたは解消したからいいわ。分からずまたそれを持ち越していく人が多いのよ。これがお役目ね。」

「そうですね。これがお役目ですね。次の人に渡す前にフラットにする事が…。悪因縁を子孫に残さなくできるけど、誰かが姓を継いで行くのか…。でも第二の人生ってもう60だものね。ひと回りですね。この先何が出来るか…」と言っかたが、感慨深い。でも現実はいつもと変わることは無い。

半年か1年経った事にあれが転機かと思うくらいだろう。

3年前に「天中殺の2階建て」と言われた状態をやっと脱出出来たらしい。

そして納骨の朝、見た夢は戦争中父がジャワ島にいた頃の事だと気づいた。

周辺の島々は激戦地で大変だったが、資源のない島だったので時折空襲はあったものの、亡くなるのは要領の得ない現地の人で、内地の人間はうまく逃げていたと父から、何度か聞いた。

「しょっちゅう空襲のある内地よりも安全で まるで疎開したようだ。食べ物の心配もないし」と、言っていた。

父は二十歳前後の多感な時期を21年までの3,4年をそこで暮らし、上役である主計大尉ととても馬が合ったらしく、戦後内地に帰ってから1度尋ねてこられた事があったが、2年前に亡くなられるまで手紙や電話のやり取りをしていた。

その事をノワタリさんに話すと、

「ああその人だったんですね。二人はツインソールですよ。もうこうなることが分かってから、ずっと来てました。その方がお迎えに来られ、お不動様に守られて行かれました。ニコニコ笑っているのが見えます。お父さんの仏前で『お父さん、良かったね。』と、言ってあげてください。」と言われた。

父が亡くなる前日の午後、大きな声で話していた相手はその方だったのだと気付いた。

父はあの世でツインソールである一番気の合う人と一緒に楽しく過ごしていると思うと、もう気分が沈む事は無くなった。