Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

弟橘媛様の贈り物

2013-07-31 22:55:29 | 日々のつぶやき

暑い日が続く、これからが夏本番の8月…。この暑さが2ヶ月も続くと思うとそれだけでうんざりするが、お天気に文句は言えない。この極端な天候はもう立替が始まっていると言うことだろう。

父が明るかったのは医者の言葉をもらった2,3日だけで、重病人のような顔をして「食べれない、だるい。」と、顔を合わすと愚痴をこぼす。

おまけに近所のヤブ医者の所に点滴に通い始めた。

友人のお婆ちゃんが昔癌の手術をする為、点滴を毎日したが、反対に癌の細胞も活発になって広がり亡くなったこともあり反対していた。しかし、病院から帰っても、ため息ばかりで、マイナスを撒き散らし、周りのものまで気分が滅入ってくる。

その上に毎朝の豆乳、蜂蜜と6,7種類の果物と野菜を入れたスムージーは残し、自分の気の向いた物しか食べず、わがままな駄々っ子になってしまった。

母も私も機嫌を取るということが出来ず、母は怒ってしまい、食事の時間をずらし、顔を合わせないようにし、

「こっちが病気なのに、どっちが先に逝くか分からないわよ。もううんざり…」とこぼす。

昨晩、食後に手を当てていると、

「胸が苦しいんだ、時々、息苦しい。リンパは全身周るから…」

「いや、それは無い。リンパ節だから、それとは違うから、肺や気管には転移せんよ。近所の○○さん、悪性リンパ腫だったけど、リンパの集まる首筋などにポコポコとおできみたいに出たって言ってたから、別よ。」

父の癌が転移するとしたら、次はすい臓であるが、隣人のご主人がそれで呻いている有様を見ておびえているのでそれ以上は言わなかった。

「3センチもあるんだ…。」どうしても重病人になりたいらしい。

「いや、元々の大きさがあるから、節が1センチくらい大きくなっただけよ。」本当はそのリンパ節は豆粒くらいと書いてあったので、1センチよりは大きくなってはいるだろうが、気に病むので誤魔化した。

日曜日にユキちゃんが来て、

「本当に悪ければ、当人には言わないわ。うちの父なんか余命半年って私だけ聞かされて父は知らないまま亡くなったのよ。あれで気が小さいんだから…。でもそれでも3年以上もったけどね。」

「うちも当人に言わずにいて欲しかった。」

「まだ、軽いから本人に言ったのよ。こぼしたら二人とも『そうよ、そうよね。』って言ってあげたら、満足するのよ。」と笑いながら言うが、そんな事、顔が引きつって言えない。

その事を母が伝えても、抗うばかりで信じてはくれなかった。

このままだと、父は別の病気になってしまうだろう。9年半前の胃癌は健康診断で見つかった初期の初期で手術する事で助かったのと、体の不調を感じなかったので処置しない事に不満と不安を抱えている。

しかし、80歳と90歳ではもう体の抵抗力は明らかに違っているから、仕方が無い。

昨晩、膝のために買った片山洋次郎さんの「骨盤にきく」と言う本を読み始めて、父の息苦しさは体の緊張から来る物で自立神経の乱れということが分かった。

しかし、聞く耳を持たない父に何を話しても受け入れないであろう。

そう考えていると、昔、弟橘媛様の使いが現れた時、「1つだけ望みをかなえる」と言い残された事を思い出した。まだ、お頼みしていないままだ。どうせ、自分に使うことは無いだろうとは思っていたが、

富津の海岸の弟橘媛様像の写真に向かい、

「命を助けてくださいとは、申しませんが、父が穏やかにあの世に逝けます様お頼みいたします。」と、お頼みをした。

そして、今朝ノワタリにその事を伝えた。

「もう、こんな事で使うなんて、今朝はちょっと腹が立ってます。やはり、父はうつむいてますか?」

「ええ、下向いてますね。」毎日遠隔でエネルギーを流していただいているので彼女はどんな常態か分かっていらっしゃるので、

「何もしない方がいいんですよ。点滴なんて広がるだけ。お父さん、一生分のわがままが出ましたね。お不動様から命様(国常立命様)から、お力を貸していただいてるのに、そんなんじゃ手を引かれるから~。って言ってください。」と、笑いながら言われた。ありがたいことである、こんな事そうあることではない。

そして、父に点滴には行かない事と、自律神経から息苦しくなっている事を伝えた。

「今日も来るようにって言われている。」と、言ったが、

「行かなくても良いのよ。こっちのかってよ、タカコちゃんのご主人も、ノリコちゃんのご主人も『自分だったら何にもしないね』って言ったじゃない。痛みがないんだから」と言って、止めた。

1日中、冷房の中でソファーに横になり何もしないのであれば、体も硬くなるのはアタリ前、取り越し苦労ばかりしていると、鬱になるのも当然だ。

そして夕方、37度の熱があり、この数日間夏風邪を引いていることに気づいた。

「どうりで食べれんはずだ。」と言って、夕飯のアボカドとマグロの丼の具は全部平らげ、ご飯を半分残したが、その後の蕨もちは別腹だった。

今晩は胃でなく、丹田に気を流したが、昨晩と違って少し気分が落ち着いたみたいで効果覿面。

弟橘媛さま、お不動様、命様有難うございます。感謝

 

 

 


麗しのフランス女優達

2013-07-28 22:03:11 | 日々のつぶやき

昨日の新聞に懐かしのランスの女優のベルナデッド.ラフォンの死亡が載っていた。

「私のように美しい娘」の性悪女が印象に残っている。公開された映画も少なく70年代に先の映画とドヌーブと共演した「恋のモンパルナス」と ルルーシュの男と女の下書きのような作り方「行きずりの二人」ぐらいしか見てはいないが、この映画もやはり悪女で男を眠らせて金品を取るという役だったが、野性味がありそんな役が似合っていた。

ハリウッド映画の女優さんよりもフランス映画の女優の方がエレガントなうえ粋で好きだったが、残念ながら最近は全くこちらには来ないので、BS映画を気をつけてみるしかない。つたやに行っても韓流のコーナーは大きくあっても名作コーナーに肩身が狭そうにほんの少しあるくらいである。

高校生の頃、余り主演作品の公開が無くてもオードリー.ヘップバーンとしょっちゅう主演映画が掛かっていたアラン.ドロンが映画雑誌の投票で何時も1番だった。

ドロンの映画がヒットしていたお陰か?その頃はランス映画も結構目にする機会があった。

ドゴールの暗殺未遂を描いた「ジャッカルの日」を見た時、出た場面は少なかったがデルフィーヌ.セイリグの洗練された美しさにあこがれた。そのほか見たのは「ロバと王女」と「インデア.ソング」そしてタイトルは分からないがネットの動画で吸血鬼のエリザベート伯爵夫人に扮しているのを見たくらいだが、大好きな女優さんの一人である。残念ながら58歳で亡くなっている。

ロミー.シュナイダーの出演作は結構公開されたが、彼女も40代で不幸な死に方をしている。

若い頃はブスと思っていたが、70年代に入って「どしゃぶり」「夕なぎ」「離愁」「追想」としっとりとした大人の女性の魅力が出てステキで、必ず映画館へ行った。テレビの深夜に遺作となった「サンスーシの女」を見たが、麗しのマチュー.カリエール様が悪役で出演していて美男が魔法使いのお爺さんっぽくなっているのにどっと疲れた。

本当に洗練された綺麗な女優さんが多かった。

「勝手にしやがれ」「悲しみよこんにちわ」のジーン.セバーグもアメリカ映画に出た途端色あせてしまった。何かを見に行って3本立ての中のひとつに網走番外地のもじりみたいな「西部番外地」と言う変なタイトルの映画で退屈で、あまり内容も覚えていないが、何か見覚えのある顔と思ってたらジーン.セバーグだった。セシールカットをまねてしてもらったが、今のように整髪剤が豊富にある時代でなかったので、剛毛の私の髪はつんつんして、前髪はひさしのようになってしまった。

ピンクパンサーのクルーゾー警部の奥さんと「ベルモンドの怪盗二十面相」くらいしか知らないがキャプシーヌもさすがモデル出身でゴージャスで綺麗だった。この人も、事故か自殺かわからないような死に方をされている。

美人女優の代表のようにと言われているカトリーヌ.ドヌーブの映画もよく公開されたが、つんとした冷たい雰囲気があり、役柄のせいか底知れぬしたたかさを感じ、あまり好きではなく魅力を感じなかった。

みんな美人薄命であの世の方ばかり、あこがれても無理で所詮土台が違い、洗練さ欠けらも無く、いい歳になっても足元にも及びません。

まだまだ、好きなフランス女優は多くいるんですが、次の機会に。興味のある方はDVDでも見てください。


なんとかなるさ

2013-07-23 20:51:46 | 日々のつぶやき

先日 妹を迎えに港へ行った時、私の姿を見て

「あれ?こんなにO脚だった?ひどくない?それ霊障?」と言ってきた。

「う~ん、霊障かな。3月の末ぐらいから脚が痛くなってね。」と、答えたものの霊障をきっかけにだんだんひどくなり、あせってあれこれとストレッチをするがそれが裏目に出たようで正座も痛くて出来ず平らな道でもこわばって歩くと左足が曲げ辛く引きずるようになり、少しの距離でも歩行は辛かった。

妹は家にいる間、あれこれと母屋を片付け、掃除や洗濯をし、体を温めるのが良いので父を温泉へ連れて行こうとしたが、連日の猛暑で1日中冷房の中に入っている両親は、二人とも

「しんどい。」

「外へ出たくない。」とか言って、結局二人で行く事になった。

温泉と言っても、この辺は冷泉でかけ流しではないので、余り効能は期待していなかった。

しかし、ゆっくり1時間近く露天で半身浴し、ジャグジーで膝裏や足裏をほぐしたのが良かったのか?

翌朝、すんなりと立ち上がることが出来きてとてもうれしかった。循環湯であっても、冷泉であっても侮れない…、私には効果絶大だったので、来月は定期券でも買って通うかと思っている。

妹は五十肩になった時、温泉に通い効果があった事を教えてくれたのでまた翌日も夕飯後、温泉へ出かけ、ゆっくりした。

「あ~、リフレッシュ出来たわ。有難う。」と、言って帰って行った。

その後、本屋へ行き、あれこれとひざの痛みやO脚矯正の付録つきの本の中から「つけるだけ 歩くだけでやせる魔法のパッド」と言う足の指裏にパットが付いたものを選んだ。

痩せる目的ではないが、足裏、足底のバランスを取りO脚気味の足が内側重心になると書いてあった。

知り合いの薬局のご主人に腰の歪みとくるぶしの緩みは直してもらい、足指を伸ばしてもらったが、その時に飛び上がるほどのもので、自分で毎晩足指ほぐしをしても効果は無く、浮き指のままだったが、これを装着するだけでしっかりと指が伸び、足全体で踏む事ができた。

付けたその日から、脚が軽くなりしっかりと踏んでいるという感覚があり歩きやすくなった。数日間はあちこちの歪みが出るので痛みが出るそうであるが、それまでの痛さを思うといくらでも我慢できる。

以前 十和田湖畔の宿で ウチダさんに診ていただいた時、

「う~ん、歪んでんだけど、上半身と下半身で別々に上手くバランス取ってんだよ。一つ直すと全部ドミノ式に直さないとなんないから、いらわない方がいいよ。」と、言われたが、今回それが出たのでは?と思う。

子供の頃骨折した右足をかばい続けて、左の膝が変形しかけ、今度は痛みのある左足をかばい、右足まで痛くなりかけていて、この先ど歩けなくなるのでは?と言う不安が募っていたが、これでなんとかなるのではいう気が起きてきた。

たぶん、体全体の歪みは時間が掛かっても直りそうだ。

今日は父の検診日だった。

まず、外科へ行き 様子を聞かれると、弱弱しく

「食べれないんです。8キロ痩せました…。」

「何時からですか?」

「…。」何時からか言えなかったが、医師は診察して胃が活発に動く薬を出すようになった。

「でも、昔から、ご飯粒を余り食べないだけで、他はそうでも無いんですよ。」と、フォローしたが、数日前から玄米に替えている。

父も今まで、周りでいくら言っても治療しない事に不満と不安があり、時々

「このまま、何もせず死ぬのを待つのか!」と、母に当っていたが、その後の内科で主治医に

「充分、もう生きたでしょ。その癌は広がるものでもないし、あれこれしない方がいいですよ。」と、冗談交じりに言われ、その言葉で 自分の中で処置の仕様が無いことを嘆いていたのが吹っ切れて明るくなり、

「いつから8キロ痩せたの?」と、帰りの車の中で聞いたら、

「病名を聞いてがっかりして食べれなくなった。」と笑いながら言った。

今年はゴーヤを植えても、苗の質が良くなかったのか?天候不順で育たなかったのか?何時ものようにベランダをグルリと網を張ったものの、2,3本伸びただけで小さな実が付き、緑のカーテンにはならなかった。

しかし、数日前新しい葉の蔓が数本延びてきていた。昨年まっかに熟れた実をそのままにしていて今年その上に10cmほど土を足したので、なかなか芽が地上に出なかったとみえるが、けなげ、昨年のゴーヤは元気で1本の苗で全体に伸び、大きな実を沢山つけた。

私は吉兆だと思っている。

 


デジャブ?

2013-07-23 20:51:34 | 日々のつぶやき

父を気遣って妹が、数日前から帰省していた。

チエさんのご主人も手術のため入院するのでそれに日時を合わせて様子を見に来ていたが、

「このまま老衰して穏やかに行くのではなかろうか…。」と言って今日のお昼に帰って行った。

しかし、父の顔を見た時、

「少し痩せたみたい。」と妹がつぶやいたので慌てて目くばせした。父は痩せたことを気にしているのである。私も手を当てるが、毎日ノワタリさんに遠隔していただいているので、しょっちゅう連絡を取り、何かと気にしている父に取り越し苦労せぬよう報告をしている。

始めはうつむき加減で会ったのが、だんだん頭を上げて来ているように見えるそうだ。

ノワタリさんは妹に

「流していても、とても穏やかなんですよ。」と言われたので、妹は「温厚な父の性格までわかるのね。」と言っていた。

昨日の午後3時前、外出先から事務所に入ると、

「暑いわね。」と、中から妹?の声がしたので、

「うん、暑いからアイスでも食べる?」と声をかけたが、返事がなく見回したが誰も居なかった。

そう言えば、朝も洗濯物を干して室内に入った時、隣の和室に入っていく人影を感じたが、居なかった。

変ね…と思いつつ、前日の夜、この建物のどこで亡くなられたのか聞かれたので、だいたいの場所を教えたが、今現在も盛り塩や観音様の絵や写真を飾りどんぶりに水と燈明とお線香をあげて祀っている。その場所をつなぐと、ほぼ真ん中幅1メートルで後方の盛り塩を置いた場所までつながっていたが、二人で建て替える前の家の間取りで言うとどの辺りだったかと話した。

幸いにも住まいでもなく、事務所でもなく、倉庫の中だったが、L字型の建物だったため小学生の頃、そこを通って裏二階の離れに行かねばならなかった。

一致したのは二人ともその場所が怖かったことだった。

しかも私は一人で中学生の間はL字の長い方の部屋に3年間居て奥のL字の底の方にお手洗いがあるので夜など廊下の灯りを全部点けて走って行っていた。角を曲がるととても何かが出てきそうで怖かった。しかし、母屋で暮らした高校の時以外、妹にも指摘されたが、ずっと一人で住んでいる。

しかし、ノワタリさんと話したとき、

「さっきから気になっているんだけど、お香でもなく、お線香でもなくて伽羅の香りが漂ってるんですけど心当たりありますか?」

「ええ、下の仏様に事務所だから普通のお線香ではちょっとまずいので伽羅の香りの強い『花林』と言う名のお線香を使ってます。仏様は香りを楽しまれると思いますから…。でも、此処に来てるのかしら?」

「『心地よい』って言ってます。」と言われるので、驚いて

「ええ! 仏さんが心地良いって言われると、居すわられて困る~。」と言うと、

「違いますよ。上、神様ですよ。安心して」と言われた。

「じゃあ、大分土地の浄化も出来たのかしらね。」と言いながら、今朝、また昨日の出来事を話すと、

「別に寒気は入ってこないけど、今、変化しているからだんだんそういう事が多くなってわかってきますよ。」と言われた。

亡くなった友人が去ってからバキ、バキと天井や壁からなっていたのいたラップ音が収まり、ポコと言うか、カナブンが飛んできて天井にあたったような間の抜けた小さな音が11時を回ると1,2度する。以前のように大きな音でもなく、必ず灯りを消すとバキッ!といってたのは無い。

気付ば、以前のような諸星あたる状態は卒業したみたいで、稀に憑けてもとても苦しむ事も無くなり、電話のベルがけたたましく夜中に鳴り、受話器を取ると何の音もせず、置いた途端、1秒もしないうち番号を押す時間差もなくまた、きちがいのように鳴りつづけ、夜間は電話機の差し込みを抜いたり消音にしたりしてしのぎ、洗濯機のホースが勝手に外れてシューシューと水が噴水のように吹き出したので使用しない時は栓を止めたが、洗濯の最中なのに出水おさまり、洗濯機が動き出すと、又ホースが外れて全自動の意味がなく付いて栓の開け閉めをしなくてはいけない有り様だったが、それはある友人と連絡を取った事から始まったが、彼が3つも憑けていたから私に警告として起こしたのでは?とずっと後で気づいた。

今ではパソコンが勝手に動いたり、壊れたり、携帯が壊れやすかったのも無くなった。落ち着いて来たという事か?

 


お礼参り

2013-07-15 17:37:55 | 霊現象

ノワタリさんに旅の記録をと言う事で書き始めたブログだったが、ここ半年予定は入ってこず、日常の雑事を書いて濁している。これでよいのかどうか分からないが趣くままに好き勝手…。

父の癌が分かってから、父はアルコールに手を全くつけなくなったが、知らない人はお中元にビールを送ってくださるので全部私のほうに回ってくるのでほろ酔い加減になりながら書いている。

本当に私の体力は快復し快調でご飯が美味しい、膝を除いては…。

先日、従姉妹のノリコちゃんからビールを送ってもらったのでお礼の電話をすると、

「同じマンションの方が2年前に亡くなり、残された奥さんを気遣ってやって来た事をきっかけに幽霊が見え出したのよ…。夜中に目を覚ますと、目の前に顔があるの…。パパに人相風体を言うると、『○○さんだ。』って言うの…。」

彼女のご主人は大学病院の外科医である。それでお礼に来るらしい。

「でも、ちっとも怖くないのよ。」

そりゃそうだ、すがって来るのでも恨んでくるのでも無いから、居座るのでもないから、怖くも無く、体に影響も無く、一過性のものだから大丈夫だということは分かる。

「でもね、パパの同僚の先生方でも見える人が居て、『憑いててますよ。』って言うんだって…。そしてね、定年で退職された方だけどね、ネコちゃんのように手当てをされてた先生も居たのよ。」と言う。

そんな事があって数日後、友人のkから電話で

「おい、亡くなった人が挨拶に来るか?」

「あるよ、どしたの?」

「うん、わしは全く霊感が無い。だけど知り合いが亡くなった晩、一睡も出来ず、変だった。そしたら、葬式の日、生憎と別府の温泉に行っていて知らなかったんだ。 奥さんに聞いても「変わりないですよ。」と言って、病状を隠して言わなかっただ。」と言ってきた。

「わたしにお迎えが来たら、行ってあげるよ。」と言って笑ったが、kが言うには、何か気配を感じて眠れなかったと言う。

と言いながら、再放送の昔の『ショムニ』の録画を見ながら書いている。亡くなった伊藤俊人と高橋克実の会話漫才のようなやり取りが好きで「ノノムラく~ん」と始まるそれで、危ない人っぽいのが良い。

でも、私の好きだった岸田森、景山民夫もあの世の人だが、話してみたい。