Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

ブルー!

2011-11-28 22:49:10 | 日々のつぶやき

やはりブルーです。そんな時って聞く音楽まで普段と違っているみたい。

一歩も外出していないのに背中まで痛くなってしまい、気分転換を兼ねて今夜はまでで片道30分掛けて行ってきた。先の阿蘇のとは違いかけ流しではないがサウナと露天に浸かり2時間もいた。

以前、私の体験が普通に人と違っているとコメントをもらったが、自分としてはそんなにもと思っていたけどそうでない事を今回、土曜の夜からずっと振り返ってみると、やはり違う。私の人生と体験って何!

あの晩集まった友人達は家庭を持ち、お孫さんがある人もいる。私には何も無い…という言いようの無い寂寥感と孤独感が襲ってきた。

その間 私は何をして来たのだろう?

霊障の一言で片付けるにはやや無責任。自分自身の事ではとんがって生きて来て周囲と妥協が出来なかった。あくまでも自分を中心に進み、周りの方々を傷つけていたみたいだ。

霊障に振り回され、戦い続ける一生なんて惨め過ぎる。くそ食らえ!と言いたい。

サブタイトルに書いているように本当に偶然の出会いによって私の人生の方向っが変ってていった事をとても実感する。このブログはノワタリさんが上から受け取られたメッセージに従い行ったその旅の記憶を残す為に書いたものだったが、それは私達の人生すべてでもあった。

それぞれの場所に行った事で教科書には出て来ない歴史の中の人の姿、営みや様々な事を教えられ、日本人でありながら、この国の事を知らない自分の無知を思い知ったと共にドミノ倒しのように動いていく歴史の大きな流れを感じた。これはノワタリさんがその場で見られたビジョンにもよるが…

白山の菊理媛様が現れてそれまでの人生を全部振り返り見せられ、泣きながらでも越えていかねばなら無かった事があったとノワタリさんは言われた。

それが今回の事かも、そしていつも前ばかりでなく、振り返りながら感謝して生きていかねばならないとも、それがすべて自分だと。

神事の本質は?と書いてあった事があったが、私にはよく分からない。この9年間、ノワタリさんに付いて行く事が一生懸命で、ただ、気づけば高齢の両親も元気で、何が起きても越えさせていただき、感謝しかないとしか言えない。

ノワタリさんは今、その場を離れてはいけない言われていて、次々と紹介者の輪が広がり、毎日相談の依頼があり忙しくされているが、彼女のお言葉とちょっと違うかもしれないが、「国常立命様がすべてで命ぜられるまま動く。」と、また、ご一緒に玉置神社へ行く日を心待ちにしている。

 

 

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足止め

2011-11-27 20:48:45 | 日々のつぶやき

21日はどうにか過ごせたものの、22日午後から又体がきつく重い、鉛を背負っているみたいになった。おまけに風邪気味で午後に微熱が出る。

仕事を終え、早く横になったが眠る事は出来なかった。

翌23日の朝 ノワタリさんに連絡を取ると、話している内に「重い、後ろも…前もですね。」と言われ、お風呂に神棚から下げた塩、水、酒と榊を入れて全身塩で清めてゆっくり浸かった。その後で「あの~、昔のお姫様がおこそ頭巾をかぶって出てきました。綺麗な着物なのでおひめさまですかね~。30代くらいかしら」と言われる。その年ならば、奥方かもと思った。

「あの~髪型は日本髪ですか?」とお尋ねすると「いいえ、長い髪です」と言われた。

宿で汲んだ湧き水の所に「天正年間」と言う文字が浮かんだ。落城した一族の女性だろうか。

以前香港で買ったヒスイのネコも熊本のお姫様の物だった事を思い出した。(今はノワタリさんのご神前に狛犬のように飾られている)何か関係があるのかしら?

そして「それでお姫様が後姿で消えていった後、今度は黒っぽい観音様が立ち姿で出てこられて、私が『受け取りました。』と言ってるんです。今回、払い方も違ってましてね。」と言われた。

そのお姫様も気になるが、観音様は???、よく時代劇に旅姿の女性の胸元に袋に仏像を下げているが、話では私に対してらしいのだが、分からない。

ノワタリさんのお陰ですっかり楽になり、午後には外出する事ができ、夕飯に好きなレンコン団子を作ることが出来た。

それで良くなったかと言えば、今回は否であった。風邪を引いて寝込むということ等、めったに無い私が、24,25日と仕事はしたものの夕食後すぐに横になった。しかし、眠れず横になって写真を取り込んだり、ブログを書いたりして眠れない。

親しかった仲間の同窓会はこの体力では無理と金曜の午後にが掛かり、「今回は行けれないけれど、又有れば誘って欲しい。」と言って断った。

くしゃみ鼻水が出続けていたのが土曜の午後には大分楽になった。そうなると、集まりが気になった。

午後9時前、もう終わったかなと思いつつ連絡をしてくれた友人にをかけた。

まだ真っ最中で盛り上がっている風だった。数人の懐かしい声がして又、続きをするからおいでよと温かいお言葉。あり難い

そして昔私の好きだった男性に替わったみたいだったが、驚いた事に私にはその声が別人のように聞こえでしまい。「誰?誰?」と問いかけてしまった。

「ブラットピット!」と言う、しかし私は余り好きではないのでストレートに「嫌い!」と言ってしまった。その後の言葉は「振られたのは僕だよね。」と言う。それは彼しか知りえない事…

「そんな事どっちでもいいでしょ。」と答えたが、周りはみんな私が振られたと思っている。

どうも私のいない処でその話が出たみたいだった。「頭大丈夫?(髪の毛)」と言ってしまった。

もうずっと昔の事で、私の中では済んだ事だと思っていた。もう出会うことも無かろうと思っていたが、さすがに声を聞くと一瞬にその時のことが甦る。

でも何故だろう?彼の声が私の記憶と違っていた。

別れを言ったのは私、でも振られたのも私だ。

9年前にモリノスさんに「前世の記憶で幸せになってはいけないと自分に言い聞かせ、不幸な選択ばかりしてきましたね。」と言われた言葉通りだ。

昨晩は、37年前に戻ってしまい整理がついたと思っていたのがまだ引きずっている私の姿があった。今回の風邪は行かせまいとした足止めだったみたいだ。

ノワタリさんに話すと、出会うことによって解消されるのだろうと、それには今回はまだ早かったのだろうと。

「これから人生どのくらいあるか分からないが、形でなく何でも話し合え互いに必要とされる間柄になれる人が出て来るといいね。」と話した。

さあ~、明日から気分を変えてがんばろう!(こんな話をするのはちょっと恥ずかしくて気が引けた)

 

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2011年11月高千穂 阿蘇の旅 幣立神宮

2011-11-27 11:58:52 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

根子岳

前日と違い体調と反比例して上天気で空気が澄んでいた。

 

ホリ戸の穴

2003年http://blog.goo.ne.jp/husigi1019/e/1c295a12cc4c00b16ba87d80486daa67

と2006年と此処も3度目である。以前に比べ、間伐してあり明るく石段も直してあった。ずらっと拝殿まで石段の両脇に灯篭が並び荘厳な雰囲気は変わらない。由来などは前に書いたので省略する。

なぜこんな立派な神社が無人であるのか不思議であるが、以前よりも手入れはされていた。

私達は鳥居から、手分けして清めながら進んだ。御神殿の奥にご進退のホリ戸と呼ばれる大きな穴があるが、道が新たに作られていた。しかし、段差は大きく杭が打たれて真ん中にロープが張られていたが、ロープ伝いに登るのがやっとで、前日の雨でぬかるんでいて何度も滑りそうになった。またこの道を降りなければならないのだろうかと思うと、足が重かった。

ただ、姪だけは上機嫌でこの神社は「私にとても合うの、一体化しそう。」と言っていた。私もこの神社が好きである。御神体まで清め、ご挨拶して降りた。初めて行った時、銀杏が参道に沢山落ちていたが、今回は人の手もはいった事もあり、全く目にする事は無かった。

大方降りた所で、男女の二人連れとすれ違った。妹と「初めてだね、此処で人と合うのは。」と言ったが、デートコースに為るなんて思いもしなかった。

根子岳

水神宮

幣立神宮http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/soyo/kanko/heitatejingu/heitatejingu.html

幣立神宮に着いた時はお昼前だった。駐車場もいっぱいで観光バスも並んでいた。妹は5月の連休時には駐車場に停めれなかった言っていた。

拝殿前に立った時、御祓いをしていただこうと言う気になった。

申し込みは拝殿に上がり御祓いを受け、玉串をご神前に奉納する時、そこで声を出してノワタリさんの代理で来た事を伝えることが出来、拝殿前で言ううより良かったと思った。

宮司さんは相変わらず、分け隔てなく外でお参りされる方にも鈴を振り、神垂を降られていた。私達の前にも後にも御祓いを申し込む人が続いていた。御祓いを受け、お話を聞かせていただき、境内へ出ると、12時を過ぎていたので参拝客はずっと少なくなっていた。

境内の中に坂村真民さんの詩とかわいらしい石像があった。そういえばこちらの出身だ。偶然その場に来られた宮司さんが「妻の兄です。」と言われた。丁度その後ろに九州では珍しい奉の木があることを教えていただいた。

その後、東御手洗社へ行った。5月の連休時に来た時ほとんど水が出ていなかった事を妹はキにしていた。此処が中央構造線上にあることと、春に新燃岳が激しく噴火していた事もあり、何か関係があるのではと危惧していたが、二つの湧き水は流れていた。でも以前より勢いが無いような気がすると妹と二人思った。竜神様にノワタリさんの代理であることをお伝えしてご挨拶をしてから、お水を頂いた。微妙に味が違う事を感じた。みんなペットボトルに水を頂き、私も両親に飲まそうと思い頂き後にした。

大急ぎで高千穂まで出ると、2時近くでレストランに入るとランチタイムは終了しており断られ、また、ファミレスに入った。体調が悪くなると、風邪を引いたみたいで、朝葛根湯と胃薬を飲んだがだるい。液体風邪薬をコンビニで買ったが、無性に新鮮な果実が欲しかった。

しかし、其処にはミックスジュースも無く、サラダとご飯と言う取り合わせで後、アセロラジュースとか黒豆茶でごまかした。

登りの特急列車は1時間に1本しか無い。四国に着くのは早くても9時だろうと思っていたが、帰路はとても速く、部分的に出来ている高速の乗り、トンネルに入りうつらうつらしている間に延岡の郊外に来ていた。ナビは駅に3時半前に到着予定時間をさしていて寝る前よりも30分以上早くなっていた。

目が覚めて「あれ!」と私は驚いた。いきなり延岡だった。予定通りその時刻に到着し、3時40分のjrに乗る事ができ、駅で妹達と別れた。この便は珍しくとの連絡もよく、すぐに臼杵を出発した。休日1000円の高速料金が終わったのでは結構車も人も多かった。良い事であると思う。

その後、8時過ぎにタカコちゃんと家で夕飯を済ませ、送り出した。しかし、私は夕飯もほとんど食べれなかった。その晩はお風呂にたっぷりと神棚から下げた4,5日分の御神酒、塩と榊を入れ、清めた。

お陰で翌日は仕事に障りなく過ごせた。無事旅を終えた事を感謝。しかし、ノワタリさんがおられたら、こんなトラブルは起こらなかっただろう。

 

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2011年11月 高千穂 阿蘇の旅 Ⅱ 阿蘇

2011-11-26 22:55:05 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

高千穂に居る時はお日様が出て来てお天気になっていたが、途中外輪山を越えていると、ガスが出て阿蘇の山頂神社に行く事は諦め、阿蘇神社と国造神社へお参りすることにした。

阿蘇神社へ行くと、此処もすごい人出で駐車場に止める事が出来ず、近くの銀行に停めた。以前気づかなかったのか分からないが、周辺はレトロな感じのお店が沢山出来ていた。停めた銀行の所にも「金運の湧き水」と言うのがあった。ご利益は分からないが…

お参りをした後、姪は縁結びの高砂の松の所へ行き、にタカコちゃんは願掛け石に所へ行った。

その後、国造神社へ向かった。もう日も暮れかけていた事もあり、此処は静で他の参拝者は居なかった。

水神社

手野の杉

余りにも緑が綺麗だったので載せました。

清として心地よい。私達はそれぞれ自分のペースで神社の中を歩きご挨拶をした。

車に乗り込む頃には雨足が大きくなってきた。今日お参りする時にはほとんど傘が要らなかった事にその時気付いた。宿へ向かって走ると途中登山道を通った事もあり雨が激しくなり霧も出てきた。

今夜の宿は垂玉温泉山口旅館http://www.tarutama.jp/という秘湯の宿であった。

暗がりに宿の灯りが見えた時、みんな「わあ~!ステキ」と歓声があがった。

を降りるともう硫黄の匂いが鼻を刺す。江戸時代からの宿だと言うが、レトロな雰囲気を残しながらロビーはモダンな造りになっていた。私達は温泉の浸かった後、夕食を囲炉裏のある部屋で頂いた。本当は肥後牛と馬刺しでも良かったのだが、馬刺しがたぶん私が駄目だろうと思い妹は季節の会席料理を頼んでいた。また、ヤマメの塩焼きが出て姪は大満足、お刺身マツタケの土瓶蒸、鍋料理と色々出たが、多すぎてご飯は妹と分け、もつ煮込みは手が出なかった。

その後、8時半から1時間女性だけと言う金龍の滝がライトアップされるのを見ながら入れる滝の湯に入った。空は暗く滝は綺麗だが、暗すぎて湯の中は何も見えない。

そんな露天風呂を楽しんでその夜は終わったはずだった。

真夜中3時前、お腹は重くとても苦しく吐きけがして眠れない。この最近、生半可に半日断食などをしていたので夕飯を食べ過ぎたのだろうか、4つ足は食べなかったのにと色々と考えたが、思い当たる事は無い。体も重く、敷き布団はふかふかなのに石の上に寝ているように背中が痛い。

お手洗いへ行き吐いたり、出したりしたが、すっきりしない。余計な物を出せばいつもなら楽になるのに…、朝まで熟睡する事は無かった。

翌朝、この旅のことを気にされていたノワタリさんからがあった。口を開くなり「体が重いですね~。」と言われた。「はい、夕べは苦しくて上げ下げがありまして」と伝えた。その後、妹に替わった時、「あれ、濁ってますね。」と言われ、「もう一度、お風呂に入ってシャワーをしっかり浴びてください。」と言われた。

そして「幣立神宮では私の代理に来たと言って下さい。」と言われた。その時にそのメッセージが出たと言うことだった。

思い返すと、昨晩滝の湯を出たとき、誰も掛け湯をしていなかった。その湯に浸かっている時、プールと公衆浴場の違いをふと思った。不特定多数の人が入るのは同じだが頭を付けないからはいいのかなと。改めて、掛け湯の大切さを実感した。

しかし、今回掛け湯をしなかったばかりに色々なものを拾ってしまったらしい。自分のこの体質が恨めしい。そう言うことで朝風呂にのんびり浸かり、朝食を頂いたが、みんなは「美味しい、美味しい。」と言って喜んで食べたが、私だけまだすっきりする事が出来なかった。

しかし、又この宿へ泊まりたいとみんなが思った。とても趣きのあるよい宿であった。明るくなると、宿の周囲は紅葉がまだ鮮やかであった。

翌日は幣立神宮へ参拝する予定だったが、その前に気になる上色見熊野坐神社へ行く事にした。無人なのでお清めのお塩、御神酒、水を用意せねばならない。宿の湧き水を汲んで行く事にした。立て看板に由来が書いてあったが四国が長宗我部が平定したように、この地方も天正年間に薩摩の島津に滅ぼされたと書いてあった。また、「天正年間か」と引っかかった。

 

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2011年11月高千穂 阿蘇の旅Ⅰ 天岩戸神社

2011-11-24 22:59:54 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

11月22日の夜中のフェリーに乗り、朝9時過ぎに延岡駅で妹と姪に合流した。今回はノワタリさんは動いてはいけないという事で来られないのがとても寂しい。

しかし、先月実家の御祓いをして頂いたお礼参りとしてタカコちゃんが参加した。今回のメインは幣立神宮である。5月の連休に妹がお参りした時、2つの御神水がチョロチョロとしか流れていなかった事をとても心配していた。

が山道に入り、日之影町まで来ると大きな虹が前方に現れた。そして靄に包まれた山々が見えてきた。さすが雲海が有名な町らしい風景になった。通り沿いのファミリーレストランで一息つき天岩戸神社へ行った。

駐車場には観光バスが並び、今まで見た事が無いほど人が多かった。夜神楽の季節で参拝客が多いのか、妹が言うには東北の震災の影響で九州に観光客が流れたと。しかし、私達が境内に入ると、団体客はお昼が近いせいか居なくなったのでゆっくりお参りすることが出来た。

無事に此処まで来れた事の御礼を言ってお参りし、天安河原宮へ向かったが下の道が危ないのか、一旦外へ出て降りないと行けなかった。そこもとても人が多く次から次と人がやって来た。

夜神楽があるからだろうか?今回オーブが沢山写っている。

そこでお昼になり、私達は通り沿いのお店でマンゴーアイス(シャーベットでとても美味)やジュースを飲み、休憩を取った。サービスのしいたけ茶やかぼちゃの種を頂くと思いのほか美味しかったのでみんなそれを土産に買い求めた。柿までサービスしていただいた。

川向こうの東本宮へ行くと、此処は人も疎らで静だった。西本宮が手力雄命ならこちらは天ウズメ命で近くを通ると音楽が流れくるりと1周回った。やはり神社はいい。空気が澄んでいて凛として気持ち良い。姪はその周辺の景色を見て「トトロの世界だ。」と言った。時間が昭和で止った懐かしい心穏やかな光景が広がっていた。

その後、高千穂峡近くの駐車場へ行くと、観光バスが多く、数えると7台あった。遠くは新潟の魚沼、群馬のバスがあった。蕎麦屋さんで私達はお蕎麦姪は大好きなヤマメの塩焼きをほおばり満足そうだった。

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