Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2006年9月熊野、玉置の旅 Ⅲ

2010-05-22 13:56:42 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

9月17日からの雨は台風13号の影響だったが、夜中のうちに通り過ぎ、18日は晴天だった。

2日間、朝早くから、暮れるまで走り回っていたのでその日はゆっくりと宿で朝風呂を楽しみ出発した。今日は大斎原と熊野本宮をお参りしてあとは帰路に着くのみであった。

熊野川沿いの168号線を走っていると、前日の大雨で竹筒の集落に行く道は水没して通行止めになっていた。よく前日にお参りしていたなと全員が思った。

大斎原の大鳥居をくぐり、二つの石祠と「南無阿弥陀仏」と彫ってある石碑をお清めお参りした。この場所に本宮が在った事を偲びながらゆっくり散策した後、本宮にお参りした。三連休の最後の日であるからだろうその日は人は多く、新興宗教のような団体にも会わなかった。昼食を済ませ、私達は名古屋に向かって走ったが、私のみ近鉄の多気でお別れして大阪に出た。

今まで、玉置神社にお参りする度、私のみ前日追突されたり、吹雪の中がガードレールに当て事故ったり、3度目は弥山で遭難しかけ、足を捻挫したりとあったが、今回初めて何事も無く終わった。やっと禊が出来たのだろうか。

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2006年9月熊野、玉置の旅 Ⅱ

2010-05-21 20:04:44 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌日曜日、午前中の内に玉置神社に向かった。上記の写真は以前にも載せたが、この時の物である。いつもであれば駐車場には少なくガラガラなのだが、今回は違っていた。広い駐車場の半分以上埋まっていた。境内に入りいつものようにお清めしてお参りしたが、以前行く事が出来た大日堂の裏の剣の前には柵があった。

境内には皆さん黒服で正装した家族連れであふれていて、社務所に皆さん御祈祷を依頼して順番まちでてんてこ舞いでお札売り場は裏方のおばさんが出ていた。神社の方に「なにか行事ですか?」とお尋ねすると、神社の方も不思議がっていた。三柱社、玉石社とお参りして山頂に上がった。

山頂に上がる頃には、雨足が強くなってきた。ノワタリさんは其処で祈った。

竹筒神社

駐車場に行くと、又新たに白浜の観光ホテルのマイクロバスが来ていて、黒服の一団が降りて来た。世界遺産になったからだろうか?それとも有名な人がブログにでも書いたのだろうか?皆さん正装で御祈祷を依頼しているのも不.思.議

竹筒の集落に行き、高倉下命様をお参りした。林の中に隠れて前回探すのに苦労した。地元の人以外は訪れる人も無いのだろう、ノワタリさんが歌いだすとしきりに引っ張りどのくらい歌ったのだろう...私達はずっと待ったが、今回はそういうこともなく、静だった。

その後、熊野川沿いの186号線を走り、熊野早玉神社に行き、お参りした。ここは玉置神社とは違い、一人リーダーの人がいてその人に従って20人余りの人達が般若心経などを上げていた。其処を出るころには土砂降りになっていた。

雨に打たれたせいか、風邪気味になっていたので風邪薬を買うために新宮の町を走った。郊外のショッピングセンターが出来た為だろうか、以前来た時よりも店が少なくなり、寂しくなった気がした。

また、町を出るころには薄暗くなり、川沿いに出ると真っ暗闇になった。で走っていると、暗がりから青白く滝の水のが流れが浮き上がって見え、それはとても気味悪くゾッとした。ノワタリさんによると、「夜と昼の精霊は入れ替わるから」と言われた。翌日、気になってその滝を見ると何の事は無かった。

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2006年9月熊野、玉置の旅 Ⅰ

2010-05-20 22:55:31 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

前回の十和田の旅を書いてから、ずいぶん経ってしまった。この年は参加しなかったのも含め、ノワタリさんの8回も旅をしていた。

9月16日土曜の朝、名古屋に集合し、ウチダさんの運転でレンタカーで出発し、2泊3日のたびの出発だった。2004年に周ったのとコースがよく似ていたのと、いつもの事ながら、資料をすべてノワタリさんに渡してしまったいるので思い出すのに手間取った。

ただ、熊野三山と玉置神社は世界遺産になったこともあり、何処に行ってもそれまでより人が多く、特に玉置神社はそれまでと変ってきたような気がした。

伊勢自動車道を降り、滝原宮にご挨拶をしてずんずん尾鷲に近づくにつれ、山は深くなり、あちこちに小さな滝があった。

まず最初に尾鷲神社にお参りした。川沿いに大きな楠木が張り出しており、すぐにそれとわかった。午前中の境内は他に参拝者も無く、静かで気持ちよく穏やかであった。他にも1000年を越す楠木の大木があった。ただ、1707年の大地震と津波で本殿が被害に遭い、以前と場所を替えた事を記してあった。この数年、ラジオなどで必ず「今世紀初頭に起きると言う...」と言う形容詞のつく地震のニュースが頭をよぎった。海岸に近く被害は甚大であっただろうと思った。

一旦、国道に戻り、くねくねとした道をだいぶん下った。私達は高低さが結構あるのに驚いた。海岸沿いの細い道を行き、曽根町の飛鳥神社にお参りした。ここも立派な大楠木があり、1000年以上だと言う。境内には誰もいなかったが、集落の方達が大事にされている様子だった。ここも被害にあっただろうが、楠木は耐えたのだろう。似たような田舎に住んでいる私はよく免許を取り立ての頃同じような道を走り回っていたので懐かしく、海沿いの細い道はあっても昔はほとんど船で行き来していたのではないかしらと思った。

それから、又、山の上の国道42号線を走り、海産物の看板が目に付きだすと熊野に出た。花の窟神社にお参りした。

 イザナミの命様とカグツチの命様が祀られているが私達はお清めしてノワタリさんは歌ってお礼を言って後にした。駐車場でお茶の接待を頂き、産田神社にお参りして熊野を出た。前回はナビに従いそのまま山の方に進み、人けの無い山道を心細く感じながら走ったが、途中ナビに玉置山が出たり消えたりして、川湯温泉まで走った。今回は、那智神社を目指して海岸の国道を行った。途中、水産会社の売店で鮨を買い遅い昼食とした。

新宮に入る所で、渋滞に遭い中々進めない。こんなところで何故だろうと思ったら、町外れに大きなショッピングセンターが出来ており、其処に行く車の列だった。

那智大社に着いた頃は、すっかり夕暮れで、売店はしまう準備をしており、神社も閉ってしまうのではと急いで境内に入った。お馬鹿な私は前回、お参りしたのは飛瀧神社で那智大社は別物であることに気づいた。境内から那智の滝が正面に見え、近くに宿坊らしい所があり、連休なので宿泊者も多いみたいだった。それぞれ自分のぺースで境内を回ったが、残念、もう閉ってしまった所もあり全部見る事は出来なかった。

薄暗くなり、私達は宿に急いだ。今回は、熊野川温泉さつきと言う町営の宿にした。(旅にはが付き物)前回もここにしたかったのだが、途中で参加したHが決めてしまい泊まることが出来なかった。しかし、、この宿は部屋数は多くないが、玉置に行ったり、音無川沿いに竹筒に行ったり、新宮に出たりするのに大変便利がよく、おまけにリーズナブルで食事も良かった。ウチダさんが「どの方向に行くにも距離が同じくらいで便利が良く、いい所に宿を決めたね。」の言葉を貰った時、報われた気がした。

しかし、着いた頃には真っ暗で地元の人達が温泉に来たり、ソフトボールの打ち上げで飲み会をしたりとにぎやかだったが、私達は一日の疲れがみんなでて、茶碗片手に睡魔に襲われた。

 

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緑のシャワー 大山祇神社と天御中主神社

2010-05-06 22:50:15 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

連休は晴天に恵まれ、1日に大三島の大山祇神社と2日にで1時間余りの天御中主神社にお参りした。

大三島に着いたのはもう午後の1時過ぎていたが、周辺の食堂はガイドブックに出ていたのか20人余りの行列になっている店が2件在った。私達は時間が無いので他で昼食を済ませ、お参りした。新たに門も出来上がり、近寄ると、新しい木の匂いがした。もう午後の境内は早朝のすがすがしいエネルギーを感じる事は出来ないが、社殿の裏や2600年と言われる樹木の近くや余り人の行かない奥の院はとても気持ちが良く、妹も姪も頭がシーンとすると言っていた。今までで、新緑が綺麗で、一番良い季節だと思った。

一人寂しそうに佇んでいる鶴姫像

その後、鶴姫像に向かって白い小菊を投げ込みお参りした。干潮でそっくり台座も出ていた。連休だが、釣り人もいなかった。緑もきれいだったが空の青さと海の青さもとても綺麗だった。その先にある岩長姫様の祀られている阿奈波神社に行った。

岩長姫様もお一人で寂しいだろうが、この神社は大変ひっそりしていた。何故かお社の横に男性のシンボルが祀られている祠があった。前回気付き、ノワタリさんにお尋ねすると、御神酒を持っていくように言われた。女神様の社になぜあるのだろう それもいくつも奉納?されていた。

 2日は氏神様や近くの神社をお参りしたので、午後の出発だった。前日 体調が悪く動けなかった母も以前からこの神社に行きたがっていたので誘い出かけた。昨年、ノワタリさんと行った時は、近くまで行きながら、迷いに迷い時間が掛かったが、今回は1時間余りでたどり着いた。しかし、山田とため池のあぜ道を走るには私のは大きく、運転が未熟である。カーブの度にみんなが窓から首を出してワーワーと心配しながら栗畑の奥で見落としそうな所にある神社にやっとの思いで着いた。

氏子が70件あまりの小さな集落に在るが、新しい榊をあげてあり、きちんと清掃されて大切に祀られているのが感じられる。午後3時だと言うのに朝のような光だ。前回着たときよりも明るく感じる。緑のじゅうたんが敷き詰められているような美しさだった。みんなで思い切り深呼吸してマイナスイオンたっぷりの気を頂いた。

しかし、田のあぜ道を走っていると、妹が別の道に気付いた。恐る恐る進むとあっけなく、下の少し広い道に出た。何のことはない、昨年やっとの思いでこの集落に着いた時に一番最初に迷った道だった。

帰りに谷内六郎の絵のようなのどかな田園風景をゆっくり見ながら走り、に寄り、帰った。あくる日の母は顔つきがしっかりして調子よさそうだった。有難い事だ。この二日間で私達はリフレッシュできた。ただ、気付いた事は気の良い所にいくと、(同じ境内内でも)心地よい風が吹いて来た事だった。

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