Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

何が来たのだろう?

2010-01-27 22:39:22 | 霊現象

先日、不思議な夢を見た。とてもリアルであったが、こんなの初めてだ。私は、山道の端に財布を入れた袋を置いていた。目の前で若い黒いコートを着た男が財布から、紙幣を抜くのを見てしまった。「返せ!返せ!」と男に迫るが、取り合ってはくれない。その後、私は男の財布を取り上げ「返さないなら、財布を下の林に捨てるぞ」と言って、林の中に投げ捨てた。何故か、林の中で私と男は「返せ」「返さない」でもみ合い、格闘している所で目が覚めた。朝の5時だった。(これは夢だが、やりかねないと思った。)実際、私の財布にはもう月末で万円札などは入っていないが、夢の中では10万くらい入っていたみたいな剣幕だ。

本当に格闘していたみたいで、体が痛い!特に頚椎が痛い。夜が明けるのを待ち、ノワタリさんにした。この3,4日前からご迷惑な事に夜討ち朝駆けでしまくっていた。金曜、土曜、月曜と祓ってもらった。先週、名前だけなのにレイブラッドベリの短編集を書いたりしたため、私の周りでラップ現象が毎晩起き、天井と壁がバキバキと鳴っていた。それだけならば良いが、背中が張り、眠れなくなったり、骨盤がずれたりして、整体に通っていた。おまけに気分も重く、ブルーになっていた。自分で祓ってもうまくいかず、ノワタリさんに助けていただいていた。しかし、夜が明ける度、前日とは違う症状が起きていた。ノワタリさんは優しい声で「ひどい寒気よ。又前回とも違うわね。」と言われた。いつになったら、このやっかいな体質を変えることが出来るのだろう

先週末の土、日曜は 知り合いが急に亡くなられ、通夜と葬式に出た。私は通夜会館とか葬議場に行くと必ず、憑けてくるので完全防備で出席した後、近くの温泉に行き、お塩で清め、さっぱりしていたはずなのに...おかしい

痴呆ではない母が年末に従兄弟の子供に入学祝を叔父に託け、礼の電話を受け取り、「おかしいわね。あげようと思っていたけど、まだ、渡してないのに。」とか、兵庫県の名前が出ず、大阪の隣の県とかおかしな事を言う。

「台所のガス台の前に立つと寒気がして、気分が悪くなる」と全部祓った後で言った。

ノワタリさんがおっしゃられるには本を開けると、そこから浮遊してくると言われた。2度目は体内にマイナスが入り込み、神棚の前で、大祓詞を上げ、ノワタリさんに遠隔で送って頂いた。それでも終わりだと思っていたら、今度の夢、何だろうと思っていたら、私が引き込んでいるのかわからないが、「母と事務員のチエさんと3人揃って氏神様にお参りに行って清め、私の家、両親の家を清めなさい」と言われた。

言われた事を、すぐ行った。氏神様の拝殿で祈っていると、風が吹いてきてとても気持ちがよくなり、3人ともすっきりした。おかげで、昨晩はそれまでの睡眠不足を補うように7時半過ぎから朝、5時まで目が覚める事もなく寝てしまった。


2006年7月十和田湖

2010-01-24 07:33:21 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

十和田神社

最後の17日は、十和田神社にお参りした。ご祭神は日本武命だった。坂上田村麻呂が祀られたと言う。境内をお清めしてさらに奥の神社に行こうとしたら、熊が出るとの事でロープを張って、立ち入り禁止になっていた。それで、ロープの前から、水、お神酒、塩を撒いたり、投げ込んだりして清めて、ご挨拶をした。朝早かったせいか、周辺のお店はまだしまっていた。その後、湖に出る為、遊覧船を予約したが、時間があったので周辺を歩いた。結構、閉まっている所も目に付いた。その2年後、行った時は、中国人の団体が来ていたので、何かしら、ホットした。営業努力をされているのだろう。こうやってあちこち周っていると、同じような光景をよく目にする。まるで宴の後というような侘しさである。

前日用意したお清め用の水、塩、御神酒が少なくなり、探した。水はすぐ手に入ったが、お神酒は酒屋あったがお土産用の地酒しかなく、ちょっと値は張るが買った。粗塩だけは見つからず、おばあちゃん二人がされているお土産屋さんで自家用を分けて頂いた。人に頼んで買ってきてもらうそうである。

ノワタリさんは「十和田湖周辺は水があるので、早い時期から開けていたけど、争いも多かった。」と言われた。何かビジョンを見られたのだろう。きこりの八郎が姿を変えた龍と熊野の南祖坊の経本が姿を変えて9の頭を持った龍との争い、赤神と黒神の争いも伝説として残ったのだろうか。

休屋から中ノ湖を周って休屋に戻る遊覧船に乗った。先程行った乙女の像や神社のある半島を出て中湖の岸辺を周って、真ん中に出て船が向きを変えた時、私達は人けのない所に出て、ノワタリさんの指示に従ってお清めをした。先ほど買った水、お神酒、塩の他に鈴を鳴らしながら撒いた。奉納する為、ハヤシさんは蛇のリング、ノワタリさんも覚えていないが何か用意されていた。湖に投げ込んだ後、「それも欲しいって。」とノワタリさんはまだ、買って間のないお数珠をハヤシさんはルチルクオーツの指輪を湖に投げ込んだ。昨日、二つとも、ストーンサークルでその場の気を頂いて浄化されたものだった。ハヤシさんは高価なものだったらしく、後々、ぼやいていた。

鈴を鳴らしながら、龍神の御真言をあげていると、湖水上に龍が沢山集まってきたかのような水紋が一面に現れた。ノワタリさんが「龍神様が喜ばれて現れたわ。」と言われたが、残念、私には判らない。しかし、ノワタリさんが使い捨てカメラで撮られた上記の写真には光が映っている。曇天であった為、反射したのでもない。

ホテルでお茶を飲み一息ついて、出発した。子ノ口まで出て、新緑のきれいな奥入瀬を通り、焼山当たりで昼食を取り、三沢空港まで送って貰い、お別れした。

ノワタリさん達は後、三内丸山遺跡を周って帰られた。しかし、時間になっても三沢空港では整備不良の為、20分遅れると言うアナウンスがあったが、その繰り返しで結局、1時間遅れの出発だった。乗り継ぎ便にしていたら、アウトである。ラジオでその1ヶ月ほど前、評論家が、高知に講演会に行くのに、1時間以上待たされ、仕事にならなかったとJALの対応を批判していたが、私も、ない場合以外は、ANAにする事が多い。そうやって2泊3日(私は3泊4日)の旅は終わった。

 


2006年7月大神石ピラミッドと十和田湖湖水まつり

2010-01-23 09:24:50 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

小さなオーブが沢山

大神石ピラミッドとそこからの眺め向かい側にグリーンパークふれあい牧場が見える

御嶽神社

キリストの墓

十和田湖に向かい、昼食ににヒメマスをいただき、急ぎ足で新郷村に向かった。まず、戸来村の御嶽神社にお参りして、数万年前の7基ピラミッドの一つだと言われる大神石ピラミッドに向かった。ナニャドラヤ街道と書いてある立て看板があった。細く未舗装の山道を上がるとそれはあった。東京のナンバープレートのが2台止めてあった。私達はそれぞれのイワクラを指図に従って清め、ノワタリさんは歌われた。とても気持ちの良い不思議な所だった。私たちがそこを出る頃、又、県外ナンバーの車がやって来た。やっぱり、連休を利用してくる人が多い。

2枚目の写真は私のでとった物だが、ノワタリさんがとった同じ写真には空中に赤い人型がこけしの様に写っていた。アマテラス大御神様だと言われた。それをお預かりしてコピーしてみんなに配ろうとしたら、「見せてはいけない」とメッセージが来たと言うので残念ながら、お返しした。その後、粗塩とお神酒を買いに、集落のお店屋さんを探して行ったら、8月に八戸で歌謡ショーがあるらしくぺらぺらの紙のポスターが張ってあった。「夢の大共演」と大きく書いてあり30年以上にヒットのあった3人の演歌歌手の名前があったが、大仰で前時代的でかえって侘しく感じた。その中の一人の歌手は私も好きで、駆け出しの頃、デパートの屋上のイベントでサインを貰った事があった。

それから、竹内文書に日本に来ていたと書かれていたキリストの墓に行った。向かい合わせに弟のイスキリの墓があった。

来た道を引返し、今夜の宿である十和田湖畔に向けて走る途中、道の駅に寄ったら、入り口付近の看板の紙がめくれており、裏の「今日で営業は終わりです。又来年の4月の末にオープンいたします。」と、10月末の日付があった。半年の営業しかない、当然の事ながら、冬は厳しいのだなと改めて思った。

十和田湖に近づくにつれ、が多くなった。え~!なんで~?そのうち休屋の入り口付近は渋滞であった。そんなに観光客が多いのかしらと思ったら、その夜は十和田湖湖水祭りのであった。小雨は降っていたがあるらしい。

風呂に入って汗を流し、1階の大広間での豪華な食事であったはずだった。が、おなかが張って全く食べれない!浴衣の帯がきついのだろうかと、ラフな格好に着替えたが、進まない。ハヤシさんとウチダさんはせっせと食べているが、ノワタリさんも箸が動かない。

十和田湖上遊覧船パンフレットより

花火があるので、みんな部屋に帰っていった。仕方なくほとんど手をつけぬぬまま私も3階の部屋に帰った。

しかし、部屋に帰ると、楽になり無性におなかがすいたので、を飲み、駄菓子をつまんだ。ノワタリさんがこっそり「水辺に近いから 水死体が来てたのよ。だから、おなかが張って食べれなかったのよ。」と言われた。う~ん、悔しい。

そうしている内に、湖上から花火が打ち上げられ、私たちの部屋の前からも順番に仕掛け花火が上がり、花火見物の客を乗せているイルミネーションに飾られた数隻遊覧船が暗闇に浮かび上がり、素敵。昔見たフェリーニのアマルコルドのワンシーンみたいで幻想的だった。部屋の明かりを消して私達は見入った。(予期していなかっただけに最高)終了後、昼間の疲れも出ておなかのすいたのも忘れ、寝てしまった。

 


2006年7月大湯ストーンサークル、黒又山

2010-01-22 10:09:45 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

大湯ストーンサークル

タイトルに大湯ストーンサークルと黒又山と書いたが、私以外はその前日に岩木山に登った。この旅は本当に不思議なスポットが多く、20年ぶりの東北という事もあり、何もかも珍しく、楽しかった。

4月の末頃、岩木山にお参りするとノワタリさんから連絡が来た。「後、十和田湖に行くけれど、他に何かありますかね。」と言われた。青森県の事を調べていたが、ノワタリさんは「違うな~。」と言われ、後がなかなか決まらなかった。しかし、地図を見ているうちに大湯のストーンサークル、黒又山、新郷村の大石神ピラミッドにたどり着いた。2泊3日で行く事になったが、他の人のチケットは手配したものの、決心が付かなかった。やっと決めた時には、早割りの期限は過ぎており、連休の為、チケットは取りにくく、夜行で弘前まで行こうかとも思ったが、に乗るまでも大変だし、結局、を旅行社にとって貰った。それでも、帰路は三沢空港からになってしまった。

7月14日の夜に出発して翌朝神戸から伊丹空港に出た。手続きをしようとしたら、受け付けてくれない。係員に頼むと何と!前日のチケットだった。8時15分発だが、まだ、7時になっていないので、キャンセル待ちの1号だった。席数よりもチケットを多く売っていて調整していたが、やきもきしながら待ち続けた。やっと8時過ぎにこられない人があるらしく、乗せて貰った。

席に案内されると私の席は窓際だった。通路側にかなり御年のおばあちゃんと付き添いらしいおばさんがいた。そのまま席をつめてもらおうかと思ったが、20年近く、東京から北は行ったことがなく、景色が見たかったので、一旦立っていただき、窓際の席に座った。

ほっとして雑誌を開いた途端、今度は降りてくれと言う。仕方なくを降り、気落ちしてターミナル引き返していると、3人の若い男性がバタバタと走りこんでくるのとすれ違った。ノワタリさんには「乗れない」「乗れた」「駄目だった」とその間、メールを送っていた。天罰である、譲っていただいた席なのに、私は譲らず、おばあちゃんを立たせてしまった。外が見たいなどというスケベ根性を出してしまった為、しっぺ返しが来たと思った。もう、東京から乗り継いでも、岩木山には登れない。どうしようと思ったが、大急ぎで新大阪に行き、新幹線を乗り継ぎ、弘前まで列車で行く事にした。しかし、切符売り場の係りの人に「弘前まで」と言うと「はぁ?」と聞き返された。あまり、弘前まで列車で行く人はいないみたいだ。そして「これが一番連絡がよく早いけど、乗り遅れたら大変ですよ。」と言って、10時過ぎの切符を渡された。

しかし、思いのほか列車の旅は楽しく、実際よりも時間を感じなかった。東京まではビジネス客と思われる人や若い人が多かったが、東北新幹線はのんびりして中年の女性客や中国人の女性のグループがトランプなどをしていた。車窓の風景も仙台を過ぎると、だんだん長閑な田園風景になった。田んぼや林、沼が多かった。線路際の田が休耕田になっているのが目に付いた。八戸から青森までは 北海道行きの特急に乗った。もうそろそろ、夏休みという事もあってか、学生風の男の子達のグループが多く、活気があった。乗換えごとに電車は小さくなり、遅くなった。本当に、望み通り1日中景色を目いっぱい見せてもらった。弘前駅に着く頃には暮れかかり、6時を回っていた。

夜は、あれこれ探して津軽三味線の弾き語りのある居酒屋さんに行った。とても迫力があり、食べ物も美味しく、特に黒石豆腐?は美味しかった。ただそこに、隣町の家族いたのには互いに驚いた。息子さんが転勤でこちらに住んでいるのでやって来たとの事。

翌朝は良い天気で大湯の環状列石に行った。お清めした後、私達ははだしになり、円形になっている木の中に入って瞑想したり、その場のエネルギーを感じたりした。身に付けているリングや数珠にそのエネルギーを頂いた。

クロマンタは人工ピラミッドだという。ストーンサークルから出て、間違えて反対方向に走り、行ったり来たりして三角の山を探し走っていたら、案内板があった。思ったより低く、あきらかに鳥居をくぐり、登っていくと土の色が黒くなりそれまでと違った。ウチダさんが「上空から透視したら中の構造が見えて面白いだろうな」と言っていた。

山頂の境内を清め、私達はお参りしてノワタリさんは歌って清め、ご挨拶をして下山した。それから、十和田湖経由で新郷村に向かった。

 

 

 

 


2006年5月フランス

2010-01-21 16:03:21 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

その翼月の4月半ば、ノワタリさん達は大本の綾部、園部の御本部と元伊勢の一つである籠神社、真名井神社、天橋立神社のある丹後半島に行かれた。旅の段取りはつけたものの、他に用もあり参加しなかった。その頃から、時々大本の出口ナオさんが出てくると聞いた。

その後、フランス行きの話が来た。マリー.アントワネットが出てきたので弔う為だったと思う。しかし、色々と調べていくうちに、何故か、ジャンヌダルクまで遡ってしまった。そしてジャンヌダルクの弔いもするようになったが、それがメインあった。5月は連休もあり、フランスとなると地方に住んでいる私には10日近くの日が掛かるので仕事にならず、行くことは出来ない。

5月の半ばフランスにハヤシさんと二人で行かれた。

そしてノワタリさんの前世の一つがジャンヌダルクであったと言う事がわかった。彼女の現在の姿を見れば、何処となく分るような気がする。ゲーリー.ボーネルと高橋克彦の対談によると人は340回くらい生まれ変わると言う。(5次元世界はこうなる)

どちらも、小説や映画に何度もなり、とても有名だが、面白く、夢中で図書館の本とネットを読み、引き込まれたが、何かやっぱり、人種が違う...。

マリーアントワネットに対する一般市民の憎悪はすざましく、判決が下されるとすぐ、アントワネットは直ぐ処刑され、それもギロチンに上向きにされ、恐怖感を倍増したと言う。その時に残されたルイ皇太子の哀れな亡くなり方を知った。革命は6歳の時に起き、ジャコパン党の靴屋に虐待され、最後は幽閉されて自分が王である事も知らず、10歳くらいで亡くなったという。

アントワネットにしてもジャンヌダルクにしても取り巻く人達の対応がそれぞれ面白く、ジャンヌダルクは処刑されてからも、沢山の偽のジャンヌダルクが出たと書いてあった。その事に実の兄の一人が係わっていたとある。

しかし、流れをみていく内に今回関係ないけれど、一番気になったのは、ばら戦争の「フランスの雌狼」と呼ばれたマーガレット.オブ.アンジューだった。夫も子供も殺され、フランスに身代金を払ってもらって帰国しても貧困の中で亡くなったとあった。みんな、平和な世の中であれば、もっと違った人生もあっただろうと思う。

全て資料はノワタリさんに渡してしまったのでもう手元にはない。

ノワタリさん達は、ガイドも雇わず二人で周った。まず、アントワネットの処刑されたコンコルド広場から行かれた。その後、ジャンヌダルクに縁のある場所を周られた。「よく、無事にガイドなしで周られましたね。」と言うと、「角まで行くと、道を教えてくれるのよ。」と言われ、知り合いがメトロの中でスリにすられた話をすると「『そこは危ない、気をつけろ。』と教えて貰うのよ」と涼しい顔で言われた。ただ、食事には困り、ハヤシさんが沢山持っていったおせんべいを食べたと言う。

その2ヶ月の間に、フジワラ姉妹は転職と転勤があり、その後出会う事も無くなった。