Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

変わった人

2012-03-17 22:44:42 | 日々のつぶやき

私もどちらかと言えば、あっち向いてホイ!のはみだし者扱いされる事が多いが、高校生の頃3年間一緒だったエミちゃんはすこぶる変わった人だった。何をする為に登校していたのか分からない。ただあの頃は今と違って大らかなのんびりした良い時代だった。

1年生の頃の同じクラスには中の良い友人はおらず、あまり馴染めなかった。

家庭科の時間に「お手伝いさんを雇えばいい。」との賜ったユミコちゃんとエミちゃんと下校する事が多かった。ある時、3人でうどんを食べに寄り道すると、「私、辛い方がいいの」と言って、エミちゃんが七味の瓶を振った。

しかし、湯気で詰まっているらしく出てこないので、蓋を外して振るとドサッと中身が半分近くどんぶりの中へ落ちてきた。慌てて上のほうの乾いたのを箸で除いたが七味の粒の方がつゆに広がっていく方が速かく、もううどんはオレンジ色になっていた。コップに移し私達のどんぶりのつゆと混ぜたが、見た目でも食べられる状態ではない。

「大丈夫、私辛いの好きだから。」と、強がって言いながら、食べ始めた。少し私達もつゆを飲んだが口の中が火事になりそうなくらいでカァ~と熱くなり、ヒリヒリした。

「もう、やめたら?体壊すよ。つゆは飲まんほうがええ」と、止めたが麺だけはどうにか意地を張って食べきった。いくら水を飲んでも収まらなかったと思う。だんだん速度が遅くなり、私達二人はずっと見守っていた。それ以来、下校時に彼女と寄り道をした記憶はない。

エミちゃんはその頃在った「ロペ」のように体にぴっちりしてゆとりが無いシャツを着て夏の制服も上着丈が短かった。

「ボディフィットよ」と言って自慢したが、みんなが「あんたの制服変。」だと言っても、自分はそれが良いと思っているらしく、ダーツを入れ、自分で?直していた。わざわざそこまですることもなかろうにと思うが。確かに彼女は適当に背が高く、スタイルは良かった。

彼女といるとすれ違う他校の男子生徒達と「ハァ~イ」「ハァ~イ」と挨拶をしてとても顔が広かった。

家がその学校の近くに在るからだと言うが、そんなので知り合いになるのだろうか?

2年生の時、修学旅行の宇高連絡線で知り合ったという彼が出来た。

「彼はレーサーなの」と言う。???

「高校生なのにレーサーは無いでしょ。」と言うと、「モトクロスの」と言う。

その年のクリスマスプレゼントに「エミ、何でも良いから手作りの物が欲しい。」と言われ、彼女は手編みのマフラーを編む事となり、「ね~、教えて。」と私に言ってきたが編み物は嫌い、苦手である。洋裁はしても未だに手芸とは無縁だ。

仕方が無いので、入れ替わり立ち代わり編み物の上手な子が数人教えた。ド近眼の私達はいつも前か2番目の席で、エミちゃんは一番前の真ん中の席(丁度教壇の机に隠れる)で授業中もせっせと編んだが、数人の手が入っているので編み目は不揃い、おまけに選んだ毛糸は道路工事の立看板のような鮮やかな黄色で出来上がったものはだんだんゆるくなり二等辺三角形に近い台形で波打っていた。

剣道部の顧問で厳格な定年まじかの古典の教師が編み物の事と柄タイツをはいている彼女にたまりかねて注意をした。

「なんじゃこれ~、○○くん、靴下は黒か肌色の物を使用する事と決まっている。それは校則違反だ、お母さんに言って買ってもらいなさい。」と、言うとみんなどんな展開になるのだろうと固唾を呑んで展開を見守っていたが、彼女は悪びれもせず、

「あ~ら、先生ぇ!」の第一声でみんなひっくり返りそうだった。「私んち母子家庭なんですぅ。これ、○○スーパーで5足組で安かったので、10足分買ったんで…」と言い返し、先生はあきれ果て苦虫を噛み潰したような顔をしもう何も言わなかった。

そのやり取りにびっくりしたがその柄タイツを冬分ずっとはいて登校した。しかも電線が走り何とも言えない物になっても穿いていた。

デート費用も要り、友達の薬局の年賀状の宛名書きのバイトをすれば、途中で万年筆のインクの色を青から黒?緑?に替えたとかでそれまで書いたものを破棄してしまい、500枚くらいあった年賀状が足らなくなったと言って薬局のおばさんをかんかんに怒らせてしまった。

そのつけはなぜか私たちに来てしまい、年末に私と千恵さんで慌てて仕上げた。

3年生の2学期になると、エスカレートして3時限が終わる頃やってきたかと思うと、注意されるとタクシーで校舎前まで乗り付けてくるというような日が続いた。タクシーに乗っても校門前で降りると言うような配慮もしないのがすごい!

「なんで、遅いのよ。」と尋ねると、「駅前の喫茶店しってる?あそこのモーニング美味しいのよ。」と言い遅刻や欠課に対しては何とも思っていなかった。、彼女の家は近いので自転車許可になら無いので歩くと間に合わなくなり、一休みするのだと言うような変な言い訳であった。

毎日々、どの時間も交換日記を学校で書いたり、読んだりしていたので職員室で噂になったみたいで ある時担任が私に聞いてきた。

「あれはあの子の妄想だろう」と言ったので「いや、ホントです。修学旅行で知り合ったそうですよ。どんな人かは知りませんが」と、答えると信じられないと言うような顔をした。

3年生の秋、クラスメイトのKが運転免許を取った。夕方、母が「K君が呼んでる」と言って、表に出ると、実家の寿司屋の名の入ったライトバンでドライブに誘われた。後ろにはパチンコ屋のPとチンネンが乗っていたが、私を誘いに来るとはみんなモテないのだろう。

狭い市内を小一時間走り、駅近くまで戻ったところで、後ろから「腹減った。ラーメン食べたい。」と言い出し、3人はラーメン屋へ行くことにしたが、「お前の分の金は無い、帰れ!」と言い始めた。

「人を勝手に誘い出して、帰れとは...、食べたくはないから、家まで送れ!」と怒って送らせた。

母は急に私が居なくなったので心配をしており、外で待っていた。散々小言を言われたが、その翌日登校すると、エミちゃんが「K君ってひどい。」と言いあげてきた。

私の前に彼女を誘ったらしい。昨夜の事を話すと、「私なんかもっとひどい、失礼な人よ。」と言う。

それ以来、彼らは犬猿の仲になり口をきかなかった。何があったのかは知らないが、普段マイペースで怒ることない彼女がたいそうな剣幕だった。

その当時卒業アルバムに載せる集合写真にKとチンネンが喧嘩をして互いの顔に落書きをした。

「なんで自分たちだけ汚いんだ!」書いた本人たちがみんなの写真に一人残らず、傷、ほくろ、絆創膏、髭を書き、最前列の女子の服や足元まで落書きをしたが、Kは、エミちゃんの顔を塗りつぶし服の上に「汚点」と書かいた。ちょっとこれは酷すぎる!今だったらいじめで大変な事になったかもしれない。

それを回し見たのは男子生徒と私達数人だったので彼女は気づかすに済んだ。後で担任が回収に来たが、渡せるものではなかったので不明になったと言って誤魔化した。

彼女が入学したのも、落第もせず、卒業できたのも不思議だが、中には厳しい先生もいて、春休みの課外授業と1冊のドリル提出があったらしい。

その後彼女は会う為に彼のいる所の短大へ進んだ。しかし、模試試験など受けてなかった。何と言う短大かは知らないし、専攻した科も知らない。

20年くらい前にで話すと、卒業と同時に結婚した事を知った。

「初志貫徹で良かったわね。モトクロスのレーサーね」と言うと、「ああ、そんな話もあったわね。」と言い話は全く違った方向へ行っていて、所は一緒でもその頃の相手で無い人と結婚していた。

でも、気のいい人だったがあれはカモフラージュか素なのか本当は良く分からないままの人だった。

コメント
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