前回 クラスメイトと題して中学生の頃あった事をいじめも含めて書いた。
昔は年配の先生となるとまだ威厳があった。担任は体操服の男の子を見て、何かあったと気づき、すぐに質問して様子を伺ったりした。
私には子供がいないので今の学校がどのようになっているかはよく分からないが、モンスターペアレントとか、教師が単なる公務員化していると言うのは耳にする。
同級生に何人か教師になっているが、まだ20代のなりたての頃、帰宅しても生徒からの相談の電話をよく受けていたりしていた。年齢が近いので相談しやすかったのかもしれないが、余りにもしょっちゅうなので、その友人は「お給料が良くないとやっておれないわ。」とこぼしながら対応していた。
またある友人は、瀬戸内海の高校の分校に飛ばされ、農家の離れに住んでいて遊びに行くと、
「まるで小説の坊ちゃんで、何を買ったか、何を食べたかまで周りが知っていて息が詰りそう。な~んもできんのよ。」とこぼしていた。
ある友人は運動音痴なのにバレー部の顧問にならされ、それが苦痛で転職した。
しかし、最近のいじめはとても陰湿であると感じるが、また 周囲も知らん振りして係わろうとする気が無いみたいだ。
今回の大津市の場合、隠蔽してばかりで誠意を感じない。臭い物には蓋をしろと言う感じがするが、なぜ いじめられる側もこんなに悪質であるのに無理して登校したのだろうと思う。
私が親であれば、他の学校に転向さすなり、無理して登校させない。
また、担任含めて教師も情けないが、周りもいじめ行為を見たならば、一人では非力でも団体でかばうとか出来なかったのだろうか。
私も小学校5生の時 いじめと言うか仲良くしていた友達に仲間はずれにされた事はある。冷静に考えたら、気も合うわけでもない。手持ち無沙汰に一人になるのが怖く群れていただけだったと気づいた。
それから 半年間昼休みは毎日図書室に通い、放課後も幼なじみのセッチャンと近くの山へ行き遊んだりして 距離を置き離れた。6年生の春にあった修学旅行も当然親しくしているクラスメイトはいなかったので、先生に言われ少し遅れた傷害のある子と列車の席に座り、ずっとその間ペアになった。
そう過ごしている間にふとした事からヨシコちゃんと本当に仲良くなった。彼女は飾り気が無く表も裏も無く安心して付き合えた。3年生の頃腎臓病を患い、半年間休学した事があり、クラスに溶け込めなかったと言う。そのせいか すべてにマイペースだった。
6年生の後半はとても楽しく、先日登った地元の山に気の合った男女5,6人でお弁当を持ち登った。良い思いである。
しかし、残念な事に彼女は以前書いたように同級生の母親の生霊が取り付き、登校できなくなって、入院した後 お兄さんの所へ行ってしまいいなくなった。私の筆不精と書きたい事がいっぱいありすぎて書けなかった事をとても後悔している。今、とても逢いたい。
その後、今でもずっと続いている友人達にめぐり合えた。
その一人であるユキちゃんは今の姿からは想像できないが、小学校の頃はとてもおとなしく動作がゆっくりしていたので いじめにあったり、ある同級生からは上から目線で扱われたりしたと言っていた。
私だけでなく、誰も一人でいることを恐れているのでは無いだろうか?それで手近にいる子達と群れているだけではと思う。しっかりと自分を見つめ、気の合う友人を探せば良いではないかと思う。
でもなかなか生涯を通じて付き合える友人に出会う事は難しいと思うが、きっと目を開き、心を開けば、出会えるはず。
話は全く変わるが、週末の日曜日香川の白鳥神社へ行くようになった。
この道に入るきっかけとなった弟橘媛様が祀られている。名前の通り、ヤマトタケルの命が白鳥になって霊が舞い降りたと言う伝説がある。
ずっと以前この媛神様の事を調べている時、四国にあるのを知ったがずっと9年間も思う事もなかったのになぜか昨日急に行きたくなった。
どうもご縁のある神様らしく 何かの節目に御参りするようである。
先月の玉置神社の念入りのお清めといい、東南海地震が近い気がする。
ノワタリさんにお尋ねすると、何時もの3点セットの他、白い小菊の花束と、御幣を付けた榊を海に奉納して鈴を鳴らしながら、海へ投げ込むそうである。書いていて数年前、この弟橘媛様の像が建っている富津の海でした神事と同じである。その時は、ノワタリさんがメインでされた事だったが...
東京湾に津波が入ってこぬよう富津で弟橘媛様が守って居られるというので、こちらでもそうなのであろうと思う。
ユキちゃんと二人と言っていたら、従姉妹のタカコちゃんも参加するようになった。帰りに美味しい讃岐うどんを食べようと思う。ノワタリさんがいらっしゃらないのは寂しいが、もう心は日曜日に飛んでいる。