Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

群れる

2012-07-26 00:10:00 | 日々のつぶやき

前回 クラスメイトと題して中学生の頃あった事をいじめも含めて書いた。

昔は年配の先生となるとまだ威厳があった。担任は体操服の男の子を見て、何かあったと気づき、すぐに質問して様子を伺ったりした。

私には子供がいないので今の学校がどのようになっているかはよく分からないが、モンスターペアレントとか、教師が単なる公務員化していると言うのは耳にする。

同級生に何人か教師になっているが、まだ20代のなりたての頃、帰宅しても生徒からの相談の電話をよく受けていたりしていた。年齢が近いので相談しやすかったのかもしれないが、余りにもしょっちゅうなので、その友人は「お給料が良くないとやっておれないわ。」とこぼしながら対応していた。

またある友人は、瀬戸内海の高校の分校に飛ばされ、農家の離れに住んでいて遊びに行くと、

「まるで小説の坊ちゃんで、何を買ったか、何を食べたかまで周りが知っていて息が詰りそう。な~んもできんのよ。」とこぼしていた。

ある友人は運動音痴なのにバレー部の顧問にならされ、それが苦痛で転職した。

しかし、最近のいじめはとても陰湿であると感じるが、また 周囲も知らん振りして係わろうとする気が無いみたいだ。

今回の大津市の場合、隠蔽してばかりで誠意を感じない。臭い物には蓋をしろと言う感じがするが、なぜ いじめられる側もこんなに悪質であるのに無理して登校したのだろうと思う。

私が親であれば、他の学校に転向さすなり、無理して登校させない。

また、担任含めて教師も情けないが、周りもいじめ行為を見たならば、一人では非力でも団体でかばうとか出来なかったのだろうか。

私も小学校5生の時 いじめと言うか仲良くしていた友達に仲間はずれにされた事はある。冷静に考えたら、気も合うわけでもない。手持ち無沙汰に一人になるのが怖く群れていただけだったと気づいた。

それから 半年間昼休みは毎日図書室に通い、放課後も幼なじみのセッチャンと近くの山へ行き遊んだりして 距離を置き離れた。6年生の春にあった修学旅行も当然親しくしているクラスメイトはいなかったので、先生に言われ少し遅れた傷害のある子と列車の席に座り、ずっとその間ペアになった。

そう過ごしている間にふとした事からヨシコちゃんと本当に仲良くなった。彼女は飾り気が無く表も裏も無く安心して付き合えた。3年生の頃腎臓病を患い、半年間休学した事があり、クラスに溶け込めなかったと言う。そのせいか すべてにマイペースだった。

6年生の後半はとても楽しく、先日登った地元の山に気の合った男女5,6人でお弁当を持ち登った。良い思いである。

しかし、残念な事に彼女は以前書いたように同級生の母親の生霊が取り付き、登校できなくなって、入院した後 お兄さんの所へ行ってしまいいなくなった。私の筆不精と書きたい事がいっぱいありすぎて書けなかった事をとても後悔している。今、とても逢いたい。

その後、今でもずっと続いている友人達にめぐり合えた。

その一人であるユキちゃんは今の姿からは想像できないが、小学校の頃はとてもおとなしく動作がゆっくりしていたので いじめにあったり、ある同級生からは上から目線で扱われたりしたと言っていた。

私だけでなく、誰も一人でいることを恐れているのでは無いだろうか?それで手近にいる子達と群れているだけではと思う。しっかりと自分を見つめ、気の合う友人を探せば良いではないかと思う。

でもなかなか生涯を通じて付き合える友人に出会う事は難しいと思うが、きっと目を開き、心を開けば、出会えるはず。

話は全く変わるが、週末の日曜日香川の白鳥神社へ行くようになった。

この道に入るきっかけとなった弟橘媛様が祀られている。名前の通り、ヤマトタケルの命が白鳥になって霊が舞い降りたと言う伝説がある。

ずっと以前この媛神様の事を調べている時、四国にあるのを知ったがずっと9年間も思う事もなかったのになぜか昨日急に行きたくなった。

どうもご縁のある神様らしく 何かの節目に御参りするようである。

先月の玉置神社の念入りのお清めといい、東南海地震が近い気がする。

ノワタリさんにお尋ねすると、何時もの3点セットの他、白い小菊の花束と、御幣を付けた榊を海に奉納して鈴を鳴らしながら、海へ投げ込むそうである。書いていて数年前、この弟橘媛様の像が建っている富津の海でした神事と同じである。その時は、ノワタリさんがメインでされた事だったが...

東京湾に津波が入ってこぬよう富津で弟橘媛様が守って居られるというので、こちらでもそうなのであろうと思う。

ユキちゃんと二人と言っていたら、従姉妹のタカコちゃんも参加するようになった。帰りに美味しい讃岐うどんを食べようと思う。ノワタリさんがいらっしゃらないのは寂しいが、もう心は日曜日に飛んでいる。


クラスメイト

2012-07-22 01:38:32 | 日々のつぶやき

毎日、大津の中学校のいじめの話題で持ち切りだが、昔もいじめはあった。しかし、これほど陰湿でもなく、周りの先生やクラスメイトも気をつけてかばいあっていた。

中学2年生の頃、校舎の一番奥の被服室の掃除当番だった事がある。毎時間使う訳でもなく、昼休みは無人だった。

昼休み後の掃除時間に戸を開けると、隣のクラスのk達男の子達4,5人が入り込んでいた。

150cmに足らない小柄なGのパンツを脱がせて裁縫台に寝かせて押さえつけおもちゃにしていたみたいだった。一つの台を囲んで私達の姿を見ても驚かず、出て行きもしなかった。

「掃除の邪魔になるから、出て行って!」と、言っても動こうとしない、仕方ないので後ろから箒で叩いてユキちゃんと追っ払った。それが、ほとんど毎日続いていた。

追っ払うのは私とユキちゃん、他3人ほどいた女の子はよけて隅っこで黙々と掃除をしていた。

それでも、いたちごっこでだんだんずうずうしくなり横のミシン室に場所を移動して止めなかった。

其処も掃除の範囲である。また、そこで同じ事を繰り返し、止めないので後ろから

「出て行け~!」と言いながら お尻を蹴飛ばし箒を振り回して追っ払った事もあった。

そんな事を繰り返している内に来なくなったが、場所を替えてしていたのかどうかは分からない。

後年、小柄なGくんはK達よりも反対に背が高くなった。ふざけていたのか、いじめであったのかは分からないが、kの結婚式にその子は出席してなかったのでいじめだろう。

でも、金品の要求などはなかった。

3年生の頃、「ハレンチ学園」と言う漫画が人気で、まねてスカート捲りをするバカがいた。

ある時、カチンと来てユキちゃんとハナちゃんと「許さん。」と言って、逃げる男の子を追いかけると、その子は安全だと思って、あろう事か女子トイレの個室に逃げ込んだ。

私達3人は、一人が扉の下の隙間から棒たわしを入れて足を突き、あとの二人はその辺にある掃除用具やトイレットペーパーを上から投げ込んだ。

しかし、たわしや石鹸、せいぜいバケツなのですぐに投げるものは尽いてしまった。すると、ハナちゃんがホースの先を引っ張ってきた。私達は顔を見合わせ、水道の蛇口を全開にした。

すると扉の向こうで、

「うわぁ~!」と言う悲鳴。中でバタバタともがく音がした後、上の小窓から出てベランダを走って逃げて行く姿が見えた。

その日の午後の授業は担任だった。

先生はクラスを見回し、体操服になっているその子に目を留め、

「なぜ、○○くんだけ体操服なんだね。」と、質問した。

私達は笑いをこらえ、知らん振りをして先生を見ていた。

まさか、スカート捲りをして水を掛けられたとは、言えず、何を言ったかは覚えていないがごまかしたのだろう。黒の学生服を着ていたので10月の後半か11月頃だった。

しっかり効き目はあり、それ以来スカート捲りは無くなった。

社会人になってユキちゃんの知り合いのスナックでその子と偶然い出会い、少し話をして水割りか何かをおごってもらった。

その事をKに話すと、

「おい、おまえら、一緒によく飲んだの~。」

「あいつ、○○して捕まったんぞ。」と、言われ、「ひぇ~!」と、二人で驚いたが、○○が何の犯罪かは覚えていない。あの子ことだから、そんなに凶悪な犯罪では無いと思う。

そして、これはいじめではないが、すんごい変人がいた。彼とは、3年間ずっとクラス替えをしてもありがたくない事に一緒だった。

以前も書いた事があるが、1年生の頃 しょちゅう誰かと彼は喧嘩していた。彼は相手をいらだたせる屁理屈をこねる名人だった。ある日の放課後 おとなしいH君まで、顔を真っ赤にして涙目になって怒って殴りかかろうとしていたのを数人で止めた事があった。

彼は集団でなく、1対1で誰か相手を替えて喧嘩していたが、勝ったのは体格の良い彼に比べ、著しく小柄で軟弱な子ぐらいで 危なくなると職員室に駆け込んで行き、しらけさせた。

2学期になる頃にはもう、男の子達はほとんど相手にしなくなっていて、同類の変人二人同士が胸ぐらをつかみ合いながら、「おい、お前の掴んだ面積の方が広い!掴み直させろ。」とどちらかが言い、あほらしい喧嘩をしていた。

彼はガリ勉で実技科目以外は優秀だったが、当然人望は全く無く、クラス委員どころか班長にもなれなかった。男の子が班長の所では嫌がられ、女の子の班長の所に何時も入っていた。

私の班にもいたが、下手にでて「ちょっと、これ分からん。教えて。」と言うと、

「こんなんも分からんのか?」と言いながら、気良く教えてくれ、男子といる時と違い案外素直だった。

ある時、将来の希望と言うのが後ろに張り出された。ほとんど、地元の高校へ進学と書かれていたが、彼だけは京大医学部となっていた。すかさず、誰かがボールペンで「産婦人科医志望」と付け足して男の子達は笑い、無視すればいい物を、またそれを上から黒く塗りつぶしたりしていた。

また、試験前に担任が「今度の試験の目標を言いなさい。」と言われ、誰かが、

「打倒!キヨシ」と言うと、体が大きいのに真ん中の一番前の席から後ろへ向き、

「バカ~ァ、お前らに負けるか~ぁ」と、怒鳴りそれに男の子達がまた反論し騒然となった。

彼は高校に進学したものの、3月に引いた風邪をこじらせ入院して1年遅れた。

ユキちゃんと、カメと3人でお見舞いに行ったが、同級生の見舞いは私達だけで大そうお母さんが喜ばれ、とても大きく切られたカステラを出された事を思い出す。

1年遅れたのが良かったらしく、中学時代の事を誰も知らないので、同性の友人が出来たと、おばさんが嬉しそうに話されるのを聞いた。

その後、彼は京大には行かなかったが、国立大に進み目標通り医者になった。

しかし、数年前 お母さんが亡くなられた時、葬式代は値切る、お坊さんには「自分で般若心経くらい上げるから、四十九の法要はいらない。」と言って断り、周りを呆れさせた。

それなのに、お骨もお位牌も無人の家におっぽり出したまま葬儀が済むとそそくさと帰ろうとして、近所の人に、

「せめて四十九が済むまではそばで供養しあげて。」と、窘められた。やっぱり、変わらん。変人だわ。

 

 


ラジオを聴こう!

2012-07-17 23:05:58 | 日々のつぶやき

昨日の夕方、母が近くのスーパーの前の屋台の焼き鳥屋さんに行くと、

「奥さん、政治が悪いね。」と、おじさんが声を掛けてきたと言う。

「もう、国もダメだけど この町も終わりよ。市長も市会議員もなってないから。」と、答えると、その人は隣町に住んでいるらしく、

「こっちも同じよ。大借金で先に潰れるわ。」と、言ったと言う。母は思いもしなかった人から意外な言葉を聞き、帰宅してから「みんな同じ事を思ってる。」と言った。

先日従姉妹のタカコちゃんに会った時、彼女も

「なぜか不安で落ち着かないのよ。」と言う。

「誰も 同じじゃないかしら。」と答えたが、これも政治が悪く先行き不安に思っている人が多いのではないかしらと思う。

この最近、少し走れば、選挙を意識して一番上等のにこやかに微笑んでいる自民党議員のポスターが建設屋関係の建物に貼ってあるのが目に付きだした。

消費税を上げる為に景気を上げないといけないので、またばら撒いて箱物を作ろうとしている。
何処も田舎は同じだろうと思うが、県議は建設屋が多く、選挙の度に偉くも無いのに、尻馬にのって自民党員が自分達が政治を動かしていると言う様な大きな顔をしていた。

どの政権になっても、国民に増税して大企業などの既得権益を持っている所に金を回している。

景気を上げると言っても、一般には関係ない。以前も、小泉政権の時、好景気、好景気と騒いでいたが、全く感じる事は無かった。

NHKのアナウンサーが番組で「何処が好景気なんでしょうね?]と言っていた事を思い出す。

その時は輸出業だけ良かったみたいだが、それらは消費税が上がっても戻し税と言うのがあるらしく関係無いだろうと思う。

しかし、今日夕方、取引先のセールスが来て、「ヨーロッパが全くダメなので…」と、言っていた。

それまで、輸出が良かったメーカーのセールスは全く来る事は無かった。

昔は夜型だったのが、年のせいか今は大体5時には目覚める事が多い。夜中2時に休んでも目が覚めてしまう。

夜11時過ぎから、ほとんどNHKラジオをつけっぱなしにしている。ある時は子守唄代わり、不眠の時はお友達代わりのような物であるが、午前0時過ぎに日替わりで世界のあちこちに住んでいる日本人から 文化的な事、天候などの事の他、景気動向なども時折、話される。

それで、サブプライムローンの事はsoldと書かれた家が多くなったとか、そのローンの事を詳しく説明されたので、結構前から知る事となった。

ご存知な事が多いかもしれないが、これを読まれた方はラジオを聴きましょう。

朝は、ラジオ体操後の経済展望で、時事問題、政治経済について話されるので分かり易い。

その中でも内橋克人さんや、金子勝さんや藤原直哉さんの話はお奨めです。新聞などに書いていない事を分かりやすく説明してくれ、近視的にしか物事を見ずに過ごしていた私の視野を広げてくれた。

ありがたい事にネットで1ヶ月間聞けるので、聞き逃した時は助かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


う~ん、めんどくさい

2012-07-15 22:50:29 | 日々のつぶやき

土曜の夕方、Sから月曜日に高知の日高村にあると言う国常立命様が御祭神であるという神社へ誘われた。

喜んで行く事を返事したが、夜、母に伝えると、

「二人だけでは…」と反対された。

何も無くとも、人のうわさになりやすいということであった。

どうせうわさになるなら、もっと若くてハンサムの方が良いと思うがそんな人は見当たらない。、こんな時なので、少しでもエネルギーの良い場所に行きたいと思う。

さてどうするか、第三者を連れて行けばよいと思い、ユキちゃんに連絡するが、急な事なので時間が取れなかった。

その事をSに連絡すると、ムッとしたような声になり

「おい、還暦近いのに…、無理しなくともいいよ。」と言われた。

「ねえ、お宅のお嫁ちゃん誘えば?」と言うと、仕事だと言われ、

「他に行けそうな人はいない?」と、尋ねると

「神社へ行きたいという人はいない」と言われた。そんな事を趣味にしているのは私ぐらいのもので有るから致し方ない。

う~ん、面倒だ!Sが同性だったら、こんな事は無いのに…、田舎はすぐ話の種になってしまう。

20年くらい前、少し年上の40前の知り合いが結婚すると町中のウワサになった。

お相手は大分年の離れた70歳位の社会的地位があり、2号サンもいるような人であった。実際お会いした事が無いのでどんな人か周りに尋ねると、「お年なんだけど、アスコットタイを巻くようなおしゃれな人で、何人も女がいる。」と教えられた。

 半年位、彼女を知っている人と遇う度その話である。年上の事もあり遠慮なく聞く事の出来るような付き合いではなく、誰もネコの首に鈴をつけるような事は出来ないでいた。

しかし真相は、彼女の新しく始めた趣味の先生で、付いて歩いていただけであった。

そういえば、私もとても不愉快な思いをした事がある。30半ばの頃、ある日突然一本の電話が掛かって来た。

「そちらに32歳ぐらいの住み込みの男性の店員さんは居ませんか?」という、40歳代後半であろうかと思われる女性の声だった。

その前後に、長年務めたおじさんが辞めたので、職安からその年齢の男性が面接にやって来た。

前の職場の人が近所のスーパーに出入りしているので問い合わせると、ニタ付いてなかなか話さなかったが、どうも前の職場で家庭持ちの女性と何か関係が有ったらしく、それで辞めたらしかった。

しかし、その電話は家だけでなくお隣にも、そして1年以上前に引っ越されたもう一方のお隣だった方にも掛かっていた。その女性が男性を探し回っているらしい事が分かった。

母屋の町内と違い、私はただハス向かいに住んでいる町内とは昔からの付き合いはないので余り話すことも無い。そのお隣のおばさんが近所に触れ回ったらしく、私は勘ぐられて冷ややかな目で見られた事があった。その数日後、お隣のおばさんは何も言わず、私に大きなスルメイカを持ってきて押し付けて帰った。

何かいい加減な事を言ったのであろうと察した。いい迷惑である。

そしてもう一つ、半年位前にやって来た同級生のキョウコちゃんは、船員だったご主人が定年になりやっと一緒に暮らせると思ったのも束の間50過ぎで未亡人になった。その後お舅さんの面倒を見てそのお舅さんも亡くなり一人になってしまった。

その後、私の町よりもド田舎なので周囲の目がうるさく、一挙一動を監視されているみたいなので閉口してお母さんの病気を口実にして実家に帰ったと言うことだった。

本当に田舎はうんざりするほど面倒だ。

そんな事があったので神社へ一緒に行った事のある女性を二人誘って行く手はずを整えた。

が、しかし、一晩寝ると背中が痛い!

とても重苦しく痛い。何でだろう?と思いつつこの日曜を過ごした。

ユキちゃんに

「二人の女性と行くようになったが、その一人の事を母とはまだ怒っているので、あんたの名を借りるね。」電話をしたが、今度は彼女が心配しだした。

「大丈夫よ。彼女達は後ろだし、お塩とセージを持っていくから。」と伝えた。

その後 Sに最後の打ちあわせの連絡を取るが、向こうの声も何かしら、重く投げやりな感じがした。

夜になっても背中はひどく痛く、我慢できずにノワタリさんに連絡をとり、祓って頂いた。

すると、これは警告で国常大神さまは誘った二人には重く暗いものを持っているので、望まれていなかった。

そして次元が違うとも言われた。そう言われてしまうと今の所付き合う人は限られてしまう。

慌てて二人に

「体の調子が悪くなった。」と言ってお断りした。

そしてSには本当の事を言って断ると、

「良かった。実は自分も腰痛が出て電話をしようと思っていた所だった。」と言われた。こちらも足止めである。

二人に断った後、不思議なことに体は軽くなり痛みから解放され楽になった。

無理をしても利が無いと言うことか!


想念の強さ

2012-07-15 16:11:24 | 霊現象

数日前 秋田県に住んでいるいる友人からさくらんぼを送って頂いた。

有り難い事である。全く気候が違うので産物も違い珍しい物を何時も贈ってもらう。

あちらも天候不順で割れたりしてなかなか製品は品薄だと言う。

彼女はこちらの出身なのでこちらの産物を送ると、懐かしさもあり、嗜好がやはりこちらなので大変喜んでもらう。

先日、お使いに行き、不揃いなきゅうり、ナメクジの這った跡のあるキャベツ、玉ねぎ、ジャガイモなど沢山の無農薬の野菜を叔母に貰ったが、桃とか梅、枇杷のような実の為る物が不作だと言われた。春先がとても寒く、花も半月遅れていたがそういう事だろうか?

しかも、イノシシ、ハクビシンだけでなく、最近はカラスが蔓物の野菜などの蔓を引っ張るので根が浮きだめになったと叔母はその後、こぼした。

ノワタリさんにふぐの一夜干しをお送りした所、ちょっと甘味のある味は苦手だったと言われ、同じものを横浜の親戚に送ると大変喜ばれた。其処に住んでも夫婦共こちらの出身なので郷里の味付けなのであろう、東西の嗜好の違いである。

旅を一緒にしていたウチダさんはどうしても醤油の味がダメで、マイ醤油を持ち歩いていた。私もあの黒い醤油の肉じゃがには閉口した覚えがある。

もう亡くなられた奥さんで 昔大変お世話になり、よく言われた言葉は「人に何か差し上げる時は、決して惜しいんだけどとか、本当はあげたくないんだとかと言う嫌々な気持ちでなく、それがお役に立ちますようにか喜んでとかと言う気持ちでお渡ししないと貰った方が障るんですよ。」と言われ、「急な来客で不平不満たらたらで料理を出すと、客は腹痛を起こすんですよ。」と、よく言われた。

その頃はそんな事在るのかしらと、半信半疑であった。

しかし、最近それを身をもって知った出来事があった。私の場合、腹痛ではなく頭痛であったが。

世の中前向きに願えばかなうとか、そうなりたい姿をイメージすればそれに近づくとか引き寄せについて書いてある本も多い。実際塩谷信男さんの「自在力」など、面白く数人の人に送った。

数年前癌を患った叔父は、ノワタリさんが手を出せない時 それで明るくなり2,3日で劇的に持ち直した。

が、今回その反対のエネルギーの強さも見せられた。どちらにしても人間の思いと言うのは侮れないと、実感した。私など、1日寝てしまえば忘れてしまい、根性なしの飽きっぽい性格なのでどちらにしてもダメである。