Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

締めくくる

2011-12-31 22:35:33 | 日々のつぶやき

大晦日の夜に偶然にもあう題となった。

今朝、ノワタリさんと話していて「調子はいかがですかと?」聞かれた。前日も同じ事を聞かれ、転んだ父や母の事かと思い、その事を話して済ませていた。

次に「あなたですよ。」と言われた。

「又、何か憑けてますか?」とお尋ねすると、「憑けてはいないんだけど」と言われた。

心当りはある。先日の同級会からずっと其処に留まったままの私の心がある。

「見抜き見通しですね。」

「話すのを待ってました。」と言われた。

「本当は逢って謝りたかったんです。」と答えた。

「それならば、速く連絡を取って話して逢いなさいよ。」と言われた。そして「その方は前世からの繋がりのある人だし、ただ男女が逆だったけど。」と言われた。確かに、私も男女が反対であっただろうと思う。

以前書いただろうと思うが、」学生時代の私の下宿は今考えると、とても怖い所だった。金縛りは日常茶飯事の事で昼寝をしても遭っていた。(中学生の頃からあっていたので、別段不思議だとも思っていなかった。)引っ越して1ヶ月もしない間に体力と体重は落ちた。

半年たった頃には一番奥の私の部屋の前当りが昼間でも暗く、帰るのがイヤになり友人の所へ言っていた。引っ越したいと母に伝えても、今ならば分かってくれるだろうがその当時は「理由になっていない」と言って許してはもらえなかった。

その後だんだん無気力になっていった。私が引き上げた1ヶ月後、真上の部屋の人が自殺した事を聞いた。

「怨霊ですね。」と言われた。

女の人だった。一度ひどく枕元にドスンと座られ、脅された事があった。

数年前、友人と車で横を通っただけで受けてしまった事があった。

帰省しても、地場の悪さもあり頭の上に何か乗っかっている様なすっきりしない状態が続いた。

しかし、ずっとその後色々な霊現象に悩まされ、紹介してもらった祈祷師は高額でその上旅費と宿賃まで掛かり、しょっちゅう憑けてしまう私としてはほとほと困った。

母はその人が嫌いだった。しかし、別棟という事もあったが、母とその人が顔を合わすことは最初の2~3年を除いてなかった。

料理もしないのに広いダイニングキッチンが目に付いて嫌だった事から、リフォームを勧められ後で気が付けば、天中殺の年の天中殺の月にしてしまった事から、後々トラブルが続出した。

そして私の懐も厳しくなった所で縁が切れた。紹介者はわずか腹膜の癌を患い1ヶ月ほどで亡くなられ、その祈祷師と縁のあった数人の人たちはみんな事業に失敗して財産をなくされていた。

そんな事をノワタリさんと話していて「その時、お金を出さなかったら今が無いですよ。出して良かったのよ。死と隣あわせで厳しかったですね。そういう人でないとこの道には進めませんからね。今世で終わる人は今までの前世が全部浮き出て体験させてからを菊理媛様が締めくくらせるのですよ。」と優しく言われた。そして「何があっても諦めない事です。」と言われた。

今なら分かる目に見えないものの力の大きさを、それと神の慈悲と感謝の心を。ノワタリさんとの今までの旅に対しての礼の心を示されているのだともノワタリさんは言われた。

「さあ~、これも締めくくらねばならない。もう時間が無いから速く連絡をこちらから取りなさい。逢って今の姿を見てもらうのよ。電話する前にご神前にご挨拶をしてからするのですよ。気になるから、どうなったか後で聞かせてね。」と言われた。

お言葉通り、ご神前で祈ってから電話をかけた。

本人が出て来て「先日来れば良かったのに」から始まり、「近況を聞きたい、どうしてるの?」と明るい声、「謝りたくて」と伝えると、「謝る事なんか何も無いよ。」と優しく言われた。

最後に中の良かった3人で会おうと言うことになった。

そして、もう一つ、部屋の明かりを消した途端、バキ、バキと鳴っていたラップ音が気づけば全くこの数ヶ月収まったみたいである。だんだん音は小さくなったり、回数が減っていたものの…、今度は完全に収まったらしい。

この事もノワタリさんに伝えると「収まりましたね。」との事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


不都合な体質

2011-12-25 23:37:57 | 日々のつぶやき

早いものでもう今年も10日とない。父のけがも抜糸が済み、CTで脳の検査をしたが幸い何も異常は無かった。

冬至の晩から続けて柚子湯に浸かり、甘酸っぱく優しい柑橘の香りを楽しみながらバスタブの中でミカンを食べながら本を読んでいる。

先々週の土曜日、お歳暮にサーロインステーキ肉を頂き、その晩家族三人で食した。大きくて食べきれるかしらと思ったものの、柔らかく3人ともペロリと残さず喜んで美味しく食べきった。

その夜中2時過ぎから、またムカムカと吐きけがして3時過ぎまで苦しんだが、結局消化しているので出るのは胃液だけである。最後に出たのはなぜかとても苦かった。其れで済んだと思っていたら、朝6時過ぎ今度は下腹に差込むような痛み、今度は下ってしまった。

ノワタリさんに伝えると「量が多かったのね、『余計な物は出す。』」というメッセージを受け取られ言われた。その通りで、出してしまったら、楽にはなった。

しかし、翌日曜の夜は少年ホームの慰問で焼肉パーティ…、おとなしく野菜だけ頂いて帰りました。

そしてその前にやっと財布とバッグを買った。今回同級会に体調が悪くて参加しなかったが、その時さてバッグは無い、アクセサリーも服も無い事に気づいた。

もう使わないだろうと娘が二人いる妹に数少ないアクセサリーを譲った後で、手元に残ったのは冠婚葬祭用の真珠のネックレスとイヤリングとずっと使用していない金のチェーンネックレスと楕円形に変形したリングだけだった。

元々窮屈な事が嫌いなのでほとんど身に付けることは無かったが、20年ぶりにリングを挿すと入らないのである。無理に押し込むと石鹸で外さないといけなくなっていた。体重も増えた分指も大きくなっていた。で、結局何もないと同じ…

数年前に手持ちの服も処分し、その後一応必要と思われる物は買い揃えたが、何かしら硬い仕事用のジャケットとパンツとラフな普段着ばかりになっていて面白くない。

今月に入り、この3,4ヶ月色々と迷った末バッグを買った後、心の隙間を埋めるようにコートとワンピースを買い、そして必要最低限のリングとネックレスを買った所で落ち着いた。ずっと、旅を中心にしていたのでそういう物とは縁がないし、ゆとりも無かった。

余りにも買い物をし 震災にあった人達の事を考えると気が引けて、その事をノワタリさんに伝えると、「いいんじゃないの、余りにも処分したから、再出発ですよ。」と言われ、安堵した。

こんな田舎まで金の買取の業者がよく来るが、私はこれから先 それは持っておいたほうが良いと思う。

小学生の頃、近所に住んでいた半島出身の叔母さんになぜか母が気に入られ、「好きなのをあげるから」と言ってリングを勧められた。大陸の人は有事の際の事を考えて沢山リングや平打ちのネックレスを持っておられた。

母方の親戚も平城で時計や宝飾店を商っていたが、引き上げる時、丸帯締めにダイヤなどの貴金属を入れて持ち帰ったのが唯一の財産だったと聞いた事があった。

今やっと上巻の終わり近くまで読んだ広瀬隆著の「赤い盾」はロスチャイルド一族の歴史が書かれているが、それは一族歴史イコール世界の近代史が詳しく利権略奪戦争の内容だった。

現在のアメリカはヨーロッパ列強に支配されていた東インド会社があった頃の頃のインドと重なる。インド人はボーア戦争の為南アフリカまで借り出され、アメリカ庶民はベトナム、イラクと戦に出された。

この国もアメリカとそう違いは無いがTPP参加で、いっそう搾取されるだけになりそうだと感じた。

同じような名前が何度も出るのと、余りにも強欲なのでうんざりするが近代史の事が詳しく分かるのでお勧めだが、日本の名だたる企業ももうその中に取り込まれているのだろうと思った。

私達の身の回りに溢れている様々な品物の有名企業の本当の経営者は彼らだった。私達は奴隷と同じで情報操作で動かされ、気づいていないだけであると苫米地英人さんが書かれていたが、今回痛切に実感した。

の無い生活をしているが、最近BSも見たいし買おうかなとちょっとぐらついたが、どうせ洗脳されるだけだからと止める事にした。

お肉一つとっても体に合わないように、合成洗剤も合わない、添加物も合わない、天然石もノワタリさんから連絡の頂いたもの以外駄目なんて不都合な体質と思っていたが、今回考えが変った。良くない物は合わないので取らない様に警告してもらっているのだと。

 


優しい幽霊

2011-12-13 23:56:26 | 霊現象

妹から聞いた話である。

従姉妹が住んでいるマンションに子供のいないご年配のご夫婦がいた。その奥さんとそこで付き合いのあるのは従姉妹だけだったたと言う。

最近その後主人が亡くなられ、真夜中に突然従姉妹の左肩が重く苦しくなった。すると、「済みません!済みません!」と恐縮しながら亡くなったご主人が出てきた。

どうも残された奥さんの事が心配でたまらないらしい。

「大丈夫よ。心配しないで、明日も奥さんを誘ってジムにご一緒するから、安心してくださいね。」と答えるとスーと消え、肩の重苦しさも無くなったという。

しかし、それから真夜中になると 姿は現さなかったものの、台所やあちらこちらで物音がして居る事を知らせた。壊れて鳴かなかったハト時計がポッポ、ポッポと鳴きだし、さすがにそれは気味悪くなって電池を取り外した。

そういう日が続いた後、49日の法要が終わると同時にそういう現象もなくなったと言う。

従姉妹はそれまで幽霊も見た事もないし、霊現象も経験した事が無かったが、「でも、全然怖くなかったのよ。」と、妹に言った。

従姉妹はとても明るく優しい性格である。唯一付き合いがある住人と言うだけでなく、後を託す為人柄を見込まれて出てこられたのであろうと思った。

 


転倒事故

2011-12-11 16:45:49 | 日々のつぶやき

今朝 日曜日なので寝床でのんびりしていると、突然電話の内線のブザーの音がした。時計を見ると7時38分だった。

受話器の向こうで母が「速く来て、お父さんが大変!救急車を呼ばないといけないかも。」と言う。

先日取引先のメーカーの社長さんが亡くなられて葬儀に父と出かけた時にも、母に「あんたも覚悟せんといけんよ。」と言われていたが、こんなに急にと驚き、パジャマの上に上着を引っ掛けてはす向かいの母屋へ行走った。

私は父が脳梗塞か、脳出血でも起こしたのではないかと思ったが、父は頭から血を流しベッドの上で仰向きに寝ていた。パジャマも床も血まみれになっていた。

「時事放談」を見るつもりで テレビのコンセントを入れようとして足元の小さな温風器に躓き転倒してテレビ台に額をぶつけ切れたらしい。しかし、父は小さな脳血栓がある事を気にして血液をさらさらに薬を飲んでいる為、出血は止まらない。

となりの部屋で寝ている母は、ガタンと倒れる音がしたので覗くと父が額から血を流していたのに気づいた。一向に血が止まらないので慌てたらしかった。

救急車を呼び、しかし私も慌てていたので110番にかけてしまった。その間に母は父にズボンをはかせて私も着替え、と保険書とお薬手帳を用意していると思ったよりも速くやって来て、ストレチャーで父は運ばれた。

3人の救急師達は手際よく車の中で血圧を計ったり、父が正気であるかじゃ確認したり、血を拭いてもらったりした後、8時15分頃行き先が決まり 額をずっと押さえてもらい、大通りへ出てからサイレンを鳴らし病院へ運ばれた。

額を5針縫ってもらい9時前に病院を出ることが出来た。

横一文字だけでなく縦にも少し裂傷がありT字形の傷だと言われた。当番の若い医者は私に血圧も200近くになっていたので色々と注意事項を伝えた後、「一時、迫力のある顔になりますよ~。」と軽く言った。

帰りのタクシーの中で骨折でなくて本当に良かったと思った。友人や知り合いの家の老人達は70才代であっても大腿骨骨折などで入院した後、痴呆になりその後寝たきりになって行った人が多かった。

昨日の事、スイミングで一緒だった友人に偶然出会い、話していると実家の母親とお姑の二人が目が見えなくなったり、痴呆になったりしてスイミングどこではなく、二人のお世話に追い回され、ディサービスに行っている間に用を済ますのがやっととぼやいていた。

まだ、父は手も足も効くので身動きは自分でできるが、足元が弱っている。

先月もプールのある施設の階段で登っていて足を滑らせ鼻の急所のわずか5ミリ下を階段にぶちつけたので、両手が使えるようにその後リュックを買ったばかりだった。

今月に入って自分でも体力の低下(脚力)に気づき、ゴルフを止めると言い出した。それまでは90歳までは行きたいと言って、今年の夏 軽い婦人用のクラブを2本買い替えて続けていたのだが、相当自信がなくなったのだろうと察せられる。

その会は高齢者が多く、今までも米寿の祝いのコンペが何度かあったが、それをすると間無しにあの世へ行かれた。その後米寿になられた方はそれを用心してしなかったが、やはり同じであった。

父は昨年米寿を迎えたがやはりしなかった。

また、2~3日前に戦時中お世話になった大尉の忌中を知らせるはがきが届き、さらに気落ちしていた様子であった。

家の前にいた母が父の歩く姿を見て安堵したらしく、「良かったね。これで済んで、骨折だったら大変だったよね。」と言い、神棚と仏壇とお不動様にお礼をいった。本当に感謝である。それでもお昼には父の食欲は変らなかった。


古本!!

2011-12-05 23:47:24 | 霊現象

小松左京の「日本沈没」の事を母が話していたので、読みたくなって図書館で借りる事にした。

図書館でいくら探しても見当たらない為、パソコンで確認すると、確かに貸し出し中ではなくあるようになっていた。整理番号を書きとめ、係りの人に尋ねるとそれは、閉架図書であったので出してきてもらう事になった。

すぐに持ってこられたが、言いにくそうに「あの~、とても汚いんですけど…」と言われた。

それは1973年発行のカッパノベルスだった。一瞬、嫌な気がしたが、わざわざ探し出してもらった事もありこんなに恐ろしく汚い本を見るのは初めてだったが、断る事が出来なかった。後、広瀬隆の「赤い盾 上」と数冊借りて借りて帰った。

数日間、他に読んでいた本もあったのでそのままにしていて先週の木曜日の夜から読み始めた。

カバーも破れたりして汚かったが、中はそれ以上でさすがにベストセラーでよく読まれたのだろうが、折り目、落書きがあったりするだけでなくシミだらけで古さのせいかちょっと臭いもあったので引きながら読んだ。当然、読んだ後は手洗いをした。

久しぶりの小説のはずが、なかなか進まない。この話は昔、藤岡弘といしだあゆみの主演で映画を見たが、ラストシーンでいしだあゆみがうつろな目をしてどこか外国の列車に乗っていた事を覚えている。

2日読んだ所で朝 ノワタリさんからの、「脇をぐっとつかまれてますね~!何かありましたか?」と開口一番に言われた。

「たぶん、本でしょ。図書館の本がとても汚くて、すごい状態なんです。」と言うと、

「そんなに汚い本は多くの人の手を渡ってるから、危ないですよ。清めましたか?」

「はあ~、これはしてません。ロスチャイルドの事を書いた赤い盾はセージの葉を入れてビニールにくるんでますけど。借りる時にちょっとヤバ!とは思ったんですけど、読みたいので探して買います。」と答えた。私の体調は気分的には良くなったものの、この2ヶ月色々と忙しかったのもあり、本調子ではない。

乱読ばかりしているので、今までアマゾンやブックオフで古本を購入したが、本その物のエネルギーが強いのか?元の主の影響は無かった。中古本と言えどもほとんど新品に近く、サッサと売り払うぐらいだから、気持ちも残さず綺麗に読まれた物ばかりで受けることは全く無かったので、多高をくくり甘かったです。

当然、後体を頭の先から足の裏まで清めなければならない。

「それとロスチャイルドの本はまだ読まないほうがいいですよ。まだ、体が不安定ですからね」とアドバイスを頂いた後、日本沈没の冒頭部分で今のように異常季節で読んでいるだけでじっとりと汗が粘り付きそうな35度以上の夏である事から始まり、先日読み終えた副島隆彦の本の内容を話していると、

「もう止めたほうがいいですよ後ろに来てます。危ない!」と言われると同時に、すごい寒気が雷のように走り、足先からしびれが来た。「来た~!」と言いながらを切った。

私のような者を脅しても、何にもならないのにと思う。

これを書いていて思い出したが、「復活の日」も読んでいないが、ただずっと昔大晦日の紅白が終わった後で草刈正雄主演の映画を見た。

なぜか見終わった後、とても気分が悪くなってしまった。その年の1月10日に、飼い猫が1日のわずらいで亡くなってしまった。その前日コタツに上に置いていた湯呑み茶碗にプリーツスカートの縁が当り、畳の上のにコタツ敷きを敷いている上に落ちて真っ二つに割れた。(普通ならば割れっこないはず)それだけでも気持ちが悪かった。

そんな事もあり、この小説は読めないと思う。