Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

ノワタリさんがやって来た 神社

2009-10-29 21:01:09 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

天之御中主神社

翌日お墓参りした後、私達がどのような事をしているか見て貰うのも良いかと思い、ペースメーカーを入れてから携帯が怖くて余り外出しなくなった母を誘い天之御中主神社に向かってで走った。1時間ほどで着くはずだったが、目印にした運動公園は国道から500m程離れており、隣接するように地図に記載されていた神社は見当たらず、悪い予感がした。私はカーナビを付けていない事を悔やんだがどうしようもない。道の駅の売店、コンビニに聞いても解らず、畑仕事をしている人を見つけて尋ねたが、関心が無いと違うのを教えてくれた。探しながら行くと、それは住吉さんだった。このままでは行けそうに無かったのでホームページの管理されている人の番号に掛けた。

出てきたのはおじいちゃんの声でお参りする事を喜んでお参りする事を喜んでその集落の入り口と道筋を教えてくれた。今度こそと意気込んで走ったが、三叉路に突き当たった。どちらに進んでも、では行けそうに無い。またしたが、うんざりしたようで、「その辺の人に聞いてくれ」と言う。辺りに家は見当たらず、歩いている人もいない田舎道である。集落にまで帰り、トラクターに乗っているおじいちゃんを見つけた。後ろから、声掛けてもエンジン音に消されて、気付いてくれないので後を追っかけてその家の納屋まで行って地図を描いてもらい教えて頂いた。

「右からも行けるけど、左、左、ずっと左に行くと池があるからそこを曲がるとあるから、2分もあれば着くだろう。」と言われた。その通りに行くと、左に上がる道があり、ずっと左に進むが5分経っても着かない。不安になったがバックする事もできず、そのまま進み続けた。きっちり1車線でぎりぎりの狭い道である。山ノ下の方に猟銃の練習場があるみたいで、パン、パンという音がしていた。また、違う道に行ったみたいだ。

とうとう1軒の農家の庭先まで入ってしまった。そこで方向転換しようとしていたら、その家人が突然の侵入者に驚き、訝しげな顔をして出てこられたので、神社の写真を妹が持っていき尋ねると、「あの神社、こんな名前だったのか。」と言う調子だったが、道を教えてもらい、やっとの事で池に出てその奥の道沿いの栗畑の横に鳥居が見えのを後部席に乗っていた妹達が見つけた。結局、2時間掛かってしまった。

その神社はひっそりと佇んでいたが、鳥居をくぐると無人であるが掃除が行き届き、重厚な空気で満ちていた。手水社の水はとても綺麗で、私はヒスイのブレスを水に浸し清めた。境内の真ん中に立派なイチョウの木があり、周囲に銀杏が沢山落ちていて拾う人もいないみたいだ。母は「頭がシィ-ンとして心地よい。」と妹に不思議そうに話していた。私達は境内と拝殿の周りをお清めして上がらせてもらった。

鈴を振りながら拝殿を回り、ノワタリさんは厳かな調子で歌われた。そのうち、扉を開く動作をされ、さくらさくらのメロディに変わった。この神社の岩戸開きであると言う。迷ったのは、ここは隠された物だと言われ、この集落を清めの為に走らされたと言う。母が数年前、瓦を葺き替えた時の寄付した人の名前が書いてあるのを見つけたが、合計74人の氏子の小さな集落の神社だった。大きさは関係ないものだと改めて思った。ノワタリさんも長年あちらこちらの神社に行かれたが、根源の神様が主祭神である神社も初めてだと言われ、喜ばれていた。(その1ヵ月後、天之御中主様の神社に行く事になったが)

その神社にもっとゆっくりしたかったが、時間が無くそこを出て、右側の道を走ると、下の一番最初に走った道が見えており、あっという間に人家のある道に下りて、キツネにつままれたみたいだった。

遅い昼食を取り、大本神社に行った。ここは下見をしていたのと、国道に鳥居が隣接していたので手間取らなかった。

大本神社

この神社の御祭神は国之常立神様である。国道沿いの鳥居からずっと清めながら歩いた。桓武天皇の頃に開かれた神社なのだが大本教と名前と神様が同じである。何か大本と言う名に意味があるのだろうか

その後行く予定の神社もご祭神が一緒の大本神社だ。母が又不思議そうに「さっきの神社は足を踏み入れた途端、頭がとてもすっきりして気持ち良かったが、ここはそれを感じない。」と言っていた。違いはそのこの神社は人家に近く、人の出入りも多いからだろうか。その後、もう一つの大本神社を探したが結局たどり着く事が出来ず、4時になってしまったので、慌てて帰宅して、ノワタリさんを空港まで送った。

いつもなら、高速を使っても1時間以上掛かるのが、この日は1時間内に着き、地元の土産を買い、夕飯を妹と3人で取り、普段電話で話すほうが多いくらいで、今回も慌ただしくお別れした。お疲れ様でした。あれから、母はまた、あの天之御中主神社に行来たがっているが、新型インフルエンザが出たので収まるまで待っている。


ノワタリさんがやって来た 1

2009-10-26 21:07:38 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

相変わらず眠い。土日はほとんど寝ていた。

先月の12,13日の土日にノワタリさんがやって来た。来る事が決まった頃は、「なぜ、行くのだろう?」と言ってらしたが、「私の再出発の為、先祖にご挨拶を」と言われた。

何故かしら、私も7月頃からやりかけた事とか整理する事とか、9月中にと思っていた。

せっかくノワタリさんがいらっしゃるのだからと、県の神社庁のホームページを調べると、この辺には珍しく天之御中主神と国之常立神がご祭神である神社があった。国之常立神が祀られている神社の名は大本神社と言う。平安時代からある神社だが大本教と同じ名前で同じご祭神である事が気に掛かる。

私の住んでいる町の神社の事も調べたら、残念ながら登録は無いとの表示...県下でここだけが無い。道理で町の寂れ方が甚だしい。

当日、朝一番ので来られたが、県都にいる従姉妹の家の裏の池のお清めをしたり、そこにある無縁さんなどのことをしているうちに予定が大幅に遅れた。

しかし、ノワタリさんが歌われだすと、風も無いのに池の真ん中から水紋が広がってきた。龍神様が現れたという。

午後からはになり、母方のお墓に着いたときはもう、夕方で薄暗くなっていた。家による時間も無かったので私達二人だったが、母を誘えばとても喜んだと思う。母方の墓は、2年前に九州に歴代を移しているのでそれ以前の墓しか無い。それも歴代を作るとき、墓地を隠居所の裏手に作ったので、ノワタリさんの所に度々出てくる4代前の先祖のおちょうさんの墓は無いかもしれないとは母は言っていた。

雨の中薄暗くなっていたが、私達は20個くらいある古い墓にお線香をあげ、酒、水、塩を撒き、お清めしながら、般若心経や光明真言を唱えていたら、1番前の入り口近くに「チヨウ」と彫ってあるおちょうさんの夫婦墓を見つけた。「あった、あった」と喜んでお参りしたが、半ば御霊抜きしてあるだろうと諦めていたが、御霊も抜けてはいなかった。ご先祖が大変喜んで、「今夜は酒盛りだ。」と言われたので、又車から酒を持ってきて墓石に掛け、水、塩もまた撒き、墓地は真っ白になった。不思議なことに雨はやんだので、また、お線香もあげなおた。辺りはほの暗いのに墓石に光が差しはっきりと戒名が見えた。今夜は宴会らしい。私達もうれしくなり、しばらくそこに佇んでいた。

その夜、家に着いても、相談者などが来て、ノワタリさんは忙しかった。母に墓の事を伝えると、喜んで又お参りにいけると言っていた。

翌朝、一番にうちの墓にお参りしたが、ノワタリさんの力で2年前に頑として元墓から動かなかった先祖の御霊抜きをして頂きやっと一つになったうちのご先祖は対照的に泣いて喜んだ。

うちは、一族郎党、あの世の方までノワタリさんに大変お世話になっている。過去世にどういうご縁があったのだろうかそう言うと、「三千世界の立て直しだから」と笑って言われた。

 

 

 

 


秋祭り

2009-10-19 22:52:35 | 日々のつぶやき

今日は氏神様の秋祭りだったので、朝6時半頃お参りに行った。神社は御練の準備に急がしそうで7時前から人が行ったりきたりしていた。氏神様にご挨拶をしてゆっくりと境内の摂社、末社を回って帰った。

数年前まで祭りは4日間あったが今は昨日と今日のみになってしまたが、商店街は祭りの音頭がスピーカーから空々しく響くだけで、人はいない。屋台も出ていない。当然、晴れ着姿の子供も娘さんもいない。何処で祭りをしているのだろうと言うくらい寂しい。

保育園の行事の神輿はやってきたが、地域の子供神輿は子供が少なく隣の町内と一緒になり両方の頭文字をくっつけた変な名前でやってきた。町の中の唐獅子は2日間に3つほど見かけたが昔のように近隣の町からは来ないし、青年団のも無い。父が「昔は小遣い欲しさにあちこちの町内の子供神輿が来てご祝儀を集めてたのにな」と言う。

私が子供の頃は各家の軒先と町内の角々にはいくつもの提灯に灯が灯りきれいだった。みんな晴れ着を着て、家の中では客をもてなす為、朝早くから祖父がお造りを作ったり、女はみんな料理をして、座敷いっぱい鉢盛の膳を並べ、父は朝から晩まで来る客の接待をしていた。いつの頃から、そういう姿を見なくなったのだろうか?生活のメリハリもなくなってしまい普段と変わらなくなってしまった。

私はこの祭りの朝生まれた。その朝、予定日を過ぎても生まれないので お産婆さんは祭りに行きたいからと言って、痛いのに母のおなかを強引にグイグイと押して8時前に生まれたそうだ。それで母は「そのせいでこんなイラチが生まれた」と時々こぼすが そんなに祭りは楽しかったのかな?

20年余り前、私の友人の猫の帝王切開の縫合がうまくいってないので祭りの日に町で件1軒しかない獣医の所に行ったら、あきれた事にその獣医は踊りを見に行くからと言って診くれなかったので半泣きで隣町まで走った。酷い事にこのやぶは手術時、生きている子猫の尻尾を切ってしまい3匹のうち、1匹しか助からなかった。猫の命よりも踊りかよ

夕飯後、余りにも情けない姿になりつつあるので、リュックに水を入れたペットボトル2本入れて5キロの付加を付けて1時間歩いた。川沿いの道を歩いていると、何処からかどんどんどんという唐獅子の太鼓の音が聞こえていた。まだ何処かで踊っているらしいが、帰宅するまで酔客を見かけることも無かった。

 


眠いのです

2009-10-18 20:53:16 | 日々のつぶやき

2004年の旅も終わり2005年を書く予定だったのが、あっという間に1ヶ月経ってしまった。先月からとても眠い。体が融けそうになって毎晩早くから寝てしまった。お風呂の中でも寝てしまい、 1時間以上経ってお湯が冷たくなって目が覚め慌てて熱い湯を出して温まりなおした事も3度程あった。ホントに眠いのです

おまけにシルバーウイークに溜め込んだ本や図書館の本を読むはずだったのに、手にした本が悪くルシフェリアンの本を一気に読んだ為、体の調子が悪くなってしまったうえに、お風呂の中で読んでいたため、のどが渇いて冷蔵庫からペットボトルを出す際、体をねじってしまったらしく右脇から背中にかけて筋をたがえてしまった。

自分で祓っても歯が立たず、ノワタリさんにお頼みしてやっと楽になった。しかし、筋違いは先月いっぱい整体に通わなければならなかった。でもよくぞ本を湯船に落とさなかったと思う。今まで、3回それも自分のなら良い物を図書館の本に限って落としてしまった。

1枚、1枚、剥がしてアイロンを掛けたら蛇腹のように広がったりして返せる代物ではなかった。代替を買い返したが、ハードカバーの本は無く、ソフトカバーの物と一緒に返した事もあった。自分の粗相だから仕方ない。ゴメンナサイ

まだ、眠い状態は続いている。何故だろう...ひどい時は夕飯時から睡魔に襲われる。早くから寝てしまい、11時頃に目覚めたり、8時くらいから寝てしまったりしている。老化現象か???

そいう生活を1ヶ月続けると、体は横に広がるのではなく、厚みが出てしまった。胸がでるのは良いが同じくおなかも出てしまいまるでメタボな体型になってしまい、化粧水すらつけなかったので、お肌も荒れ放題...。ど近眼で不精な私は化粧もしないので鏡を見ることもなかったがバリバリになってしまった。

髪はパサパサ、お肌は曲がりぱなし、体は緩みぱなし...鏡に映る姿にがっくりの日々である。