Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

食べる事の大切さ

2013-10-28 22:27:25 | 日々のつぶやき

この処週末はバテバテで近くの温泉へ通っている。先週末も2種類のサウナに1時間その後露天風呂に本を持ち込みのんびり浸かった後、休息室でちょっと休むつもりが1時間も寝込んでしまった。

父の病状はと言うと、逆流性食道炎はよくなり、「オヴェ~」と喉の奥から吹き上げてくることもなくなり、9時頃休んで11時過ぎに起きると言うこともなくなり、朝方4時くらいまで休んでいる。

しかし、相変わらず食べることが出来ずにいるのでひどく痩せてフラフラして歩くのも心もとない。

まるで忍たま乱太郎の名前は知らないが「ふら~り」と言いながらまともに立っている事の出来ないひどく頬のそげた痩せた先生みたいである。

シャワーを使えば、戸を開けっ放しなのでバスマットも床もビショビショで、注意すると「転んでガラス戸に頭をぶつけると怪我をする。」と言い、トイレは便座を上げずに小水をし、時々濡れているので、これは便座を上げるようにしたが、こちらもほとほと疲れてくる。

おまけに体力がないので寒がり、厚着をしすぎて今度は湿疹がでて痒くて弱っている。私たちは「それはあせもだから…。」と言って朝晩風呂上がりに薬を塗りこんだが、父は半信半疑で皮膚科へ行った。

すると、医者の見立ては点滴や薬のせいかもしれないと言い、5日間薬も点滴もストップして見合わせるように言われた。多分、厚着をしたことを言わなかったのであろう。

しかし、食事をとらない人間に点滴も止めるという事は無理である。その事を、父に言うが医者の言うことは聞いても私達の言うことは聞かないので栄養補助食品とゼリーなどで過ごし、とうとう日曜日横になったままで過ごした。

妹に話すと、「本人が分からないとだめよ。」と言い、母は父に生きる望みを捨てたのかどうか確認すると、「まだ死にたくない。」との返答だった。

先週のNHKの朝の健康ライフで「癌患者の栄養管理」というテーマで神奈川の癌センターの医師が話しているのをPCで聞かせた。

やはり、口から取り小腸で吸収するのが一番良いという事であった。

寝て過ごしたため、今朝はバスタブから足を上げて一人で出ることもできず、散歩もいつもの半分も歩くことが出来なかった。

今朝、昨日お姉さんの家で聞かされたチエさんがとても参考になる話を聞かせてくれた。

今年の夏、ご主人が入院されている時、お姉さんのご主人も肺癌で手術をされた。昨年、病院で経過を診ましょうと言われたのが、今年は手遅れと言われ、慌てて癌センターに駆け込んだところ、どうにか手術が出来た。

しかし、よほどきつかったらしくその間の記憶が欠落しているという。退院した後、地元の病院に1か月入院されたが、恐ろしく入院費が高かったのを覚えている。

そこで2か月間食事を取らなかったので喉の筋肉が退化して飲み込むことが出来なくなり父と同様に食べる事が出来なくなっていたのを、流動食から普通食を食べられるようにすることだったという。

少しの量を30回ほど噛み、誤飲しないよう指導し、どこで見ているのか分からないが食事のとり方を見張り、普通に出来ると退院できるそうだ。

その話から、飲み込むことが出来ない為 口の中にだ液が溜まったり、肛門の筋力も弱り、おならのつもりが便まで出てしまう訳も理解出来たが、誰よりも父が今日はひどく体力が落ちているので実感したであろうと思う。

体も頭も使わなければ、退化するという事か!

「じゃあ、そこに入院して指導してもらおうかしら。」と言いうと、

「だめ!ひどいのよ。自殺願望者とやーさんが相部屋で、本人は普通じゃないから分からなかったんだけど、姉さんは何度も部屋を替えて欲しいと言ったそうだけど、その自殺願望者は自殺するし…、兄さんがやっとよくなってから気づいてびっくりしたらしいのよ。」と言う。いったいどう言い組み合わせであろう。

 父はチエさんにも諭され、今夜は茶碗蒸しをやっと平らげる事が出来た。

しかし、父への脅し文句に「○○病院へ入れるぞ」と言おうかとチエさんと笑った。

先日皮膚科の帰り道、父はピーナッツを2袋買っていた。瓢箪から駒で、昨晩こっそり食べていると、全部食べてしまいそうなのでそれを1粒ずつ噛みしめていると、だ液と交りとても甘く感じた。沢山口の中に頬張るとその甘さは感じない事に気付いた。

そこで父に1粒ずつ30回噛んで筋力をつける事を勧めた。

 


見えない力

2013-10-20 13:01:13 | 日々のつぶやき

最近疲れてしまい、夜は遅くとも10時までには休んでいた。

今晩は山下達郎のコンサートへ行くはずであったが、体調もすっきりせず、一緒に行くはずだったタカコちゃんには悪いが気分が乗らずキャンセルした。

案の定 夕方から雨になった。雨の夜の高速は苦手だ。

2日前に健康診断を受け、バリュウムを飲んだ時、ゲップが我慢できず炭酸を二度飲んだ為か、その後どっと疲れが出てしまい、従姉妹のタカコちゃんちで昼食を頂き、休んで帰った。

4月に地元の病院に申し込むと、1月まで順番が来ず、仕方ないので松山の日赤に申し込んだが、本来なら夏までにするのが今年はゴタゴタとあり今月になった。

しかし、その疲れが解消されず、今夜も早く休んだが目が覚めてしまい今度は、寝付けない。

父の容態は水前寺清子の「365歩のマーチ」と同じで、3歩進んで2歩下がるという状態である。

昨日まで、近所の整体へ通い、自立神経のつぼに電気をかけてもらい、その先生にも何でもいいから食べるように言っていただき、大分機嫌よく少しずつ食も増えていたが、今度は下痢が止まらないので、また気が沈んでいる。

しかし、起きている間だけ下痢をするが、一旦寝てしまうとそれは無いので、これも気分のものではないかと思う。

母が入院している間、どうにか父に栄養をと思い、玄米スープやとろろを作ったりしたが、気まぐれで食べてくれない。

スープでありながら、「喉に引っかかる。」と言って、飲もうとしなくなった。

こちらもわがままに付き合えず、母が退院した土曜日はもう作る事を止めた。

母も本当は2週間入院しないといけなかったが、経過が良いのと父の病があるので10日で帰宅したが、安静にしていたので熱が出なかっただけで、家に帰ると熱をだしてしまった。

そんな様子であったが、先の台風24号が近づいた9日の午後11頃から、寝ていたのに頭痛と吐き気がして1時間ほど我慢していたが、吐いてしまったと言っても胃の中には何も無い。口をゆすごうと水を飲むと噴水のようにまた吐き続け、動けなくなってしまった。

一旦横になり、真夜中なのにノワタリさんに連絡を取り、エネルギーを流していただいたが、いつもなら感じるのに全くキャッチする事が出来なかった。

何も憑けてはいないが、何か暖かいものを飲んでゆっくり休むように言われたので、立ち上がった途端、また吐き気がして駆け込むと、泡状の胃液の塊が二度出て落ち着いた。もう時計は2時半近くになっていた。

翌朝、心配されたノワタリさんから電話を頂き、その後の事を話すと、父から受けたマイナスを吐き出したのだろうと言われた。

母と相談して父が食べたいと言う物を作るようにした。それが、おかしい事に今の体に良いものばかりでお肉などは欲しがらず、野菜や小芋の煮物や味噌汁などであった。

機嫌の良い時二度、父の口から「ありがとう」の言葉が出て驚いた。今まで何をしても当たり前だったが、まだ母には無い。

チエさんのご主人も血液をさらさらにする薬を抜く為、ずっと入院して点滴を受け、胃透視と腸透視をする為10日間入院したが、どちらにも腫瘍は無く、貧血の原因は分からず仕舞で増血剤を渡され退院した。

その間、1日に3度病院へ通い、私も同じだったが、チエさんも普段飲まないドリンク剤を毎日飲んでいた。私は疲れのピークが9日、チエさんは10日だったと聞いた。

「10日の入院って何だったの?」と言うが、本当に何も無くて良かったと思う。

しかし、今年は次々と色々起こり過ぎて行くのが早い。チエさんのご主人は心筋梗塞、股関節の手術と今回で3度、そして義父が亡くなられたり、お孫さんが出来たりと忙しかった。

他でもどうしようかと迷いのあったものなど、生産中止やメーカーの廃業などがあり、自然と絞られていき、見えない力が動き方向性を導いているのではと感じる。

 追記

体の不調は検査後、幾つかの科の待合室を歩いた為、受けてしまったの事だった。

もう普通と違うので、健康診断は受けない方が良いとノワタリさんに言われたが、来年からタカコちゃんのご主人に診てもらう事にしようと思う。なんと不憫な体!


2046

2013-10-10 08:38:12 | 日々のつぶやき

5,6年前茶の間のテレビのリモコンを適当に触っていて偶然放送されていたのが、ウォン・カーウァイ監督のこの映画だった。

テレビでありながら、珍しく引き込まれ最後までチャンネルを替えずに見た。

近未来の街が出てきたので、ブレードランナーのようなSFかと思ったが、とても暗く、出口のないトンネルのような映画だった。でも映像と音楽がマッチしていて、オペラ、ポップスと使われ、登場人物のテーマソング的に使われたり、心情を表し、ナット・キング・コールの歌う「クリスマスソング」は月日が経つのを表し、悲しいテーマ音楽はアレンジを変えて、よく流れた。

それにもまして、心を閉ざし、退廃的な生活を送る主人公の心情にひきつけられた。

その当時、仕事を通じて知り合いになり、」家に出入りしていた30歳前の女の子に

「良かったよ。」と勧めると、彼女から、心外な言葉が帰ってきた。

「ネコちゃんって、すけべ~!、これより『花様年華』の方がずっと清潔でいいよってビデオ屋の兄さん達も言ったので借りてみたらそれの方が良かったわ。」と、言われ悲しいかな私は助平扱いになってしまった。

確かにそのような描写はあるが、それを売りにしていないので、いやらしくもなく、気にもならない。

実らなかった恋の痛手からか心を閉ざしたトニー・レオンとその男に恋するチャン・ツイィーが哀れだった。下宿の娘、その恋人の日本人の木村拓哉、二役で小説の主人とその中の女、過去の恋人マギー・チャン、そして流れていったシンガポールでいかさま博打で主人公に旅費を渡す賭博師しのコン・リー、その名前が、恋に落ちた彼女の名前と同じだった。

1960年代の数年を描いていたが、主人公のどうしようもない厭世的な気分のままで最後まで変わることはなく、2046とは、「花様年華」がから引き続いルームナンバー、思い出の部屋のナンバーでもあり、小説の名前?でもあった。

しかし、彼女にいくら説明しても理解してもらえなかったであろうと思うので、そのままにした。同じものを見ても、感じ方も受け止め方はも千差万別でしょうがない。

その後、前後が逆だが、私も「花様年華」のビデオを借りて見た。こちらの方よりもやはり「2046」の方が好きである。

私自身も長い間、内面は厭世的な気分で、惰性で生きているようなありさまで、42歳の9月に台風の事故で亡くなると言われても、別段焦りを感じず、半分どうでも良かった。私の暗さを感じ取っていたのはノワタリさんと、以前腰の治療に行った福田高規さんだけだった。福田さんは待合室でその当時発行されたばかりのA4サイズの江本さんの水の結晶の本を見るよう勧めた。

思っただけで、その波動は伝わると言うことか…。

そんな気持ちで過ごしていたので、負の者が寄っても来ても不思議は無い。しかし、これはそれなりに通らなければならなかった道らしかった。

今年の春、亡くなった友人がなぜ私の処によく来たかは、お姉さんの言葉で気づいた。

ノワタリさんに彼女は、

「同じ独り者だから、親しみがある。」と伝えたが、彼女の周りは同じ稽古事の仲間に独身者は多く、珍しくはなくい。彼女のお母さんが亡くなられた後は、稽古事も忙しく、あまり帰省することもなく、以前のように二人で旅に行くほど密接ではなかった。

彼女が20代の頃、好きな人がいたが、それが成就することはなかった。その後、彼は郷里で結婚し、数年後子供ができた。

その時、彼女が私の目の前で

「あ~あ、だめだわ。子供が出来たって。」

「え!まだ思ってたの?」

それを最後にその人の名を彼女の口から聞くことはなかった。しかし、幾度かお付き合いしたり、結婚の機会はあったが、どうしても彼の事が引っかかっていたと、最近姉さんから聞いた時、そういう面で心を閉ざし、私達は似た者同士だったのだろう。

しかし、今この2本の映画は重くて見るのはおっくうで、そういう気分にはならなくなった。

これは1か月ほど前に書いていたのだが、そのままにしていた。今日彼女の月命日という事もあり、UPする事にした。日が過ぎていくにつれ、彼女の声が聞こえなくなったのが、寂しい。

 


ジェットコースターのような日々

2013-10-01 20:55:26 | 日々のつぶやき

母が入院したため、数日間妹が来ていた。

妹は父の顔色が前回会った時よりもずっと良く、しっかりしているので安心して帰って行った。

しかし、相変わらず食べられない。

朝のスムージーと玄米スープで持っているような感じで、食事が出来ないことが心配。

毎日、テッシュケースを空にするほど、唾を吐いていた。

妹が帰る月曜日の朝、目の前で黄色く粘って口から糸を引いているのを目にした。

「いつもこんなのが出るんだ。」と、父は悲しそうに言ったが、数日前もお豆腐さえ詰まって、吐き出すありさまだったので、その日、以前行った胃腸科へ連れて行った。

先週も父は診ていただいていたが、この数か月間の事は伝わってなく、そのことと、固形物が詰まることと、四六時中どろっとしただ液が出ることを伝えた。

すると、今年3月に撮った食道と胃の写真を見せられ、食道癌の心配がない事を言われ、黄色い鼻水のようなだ液についても、

「胃液は無色透明です。それは鼻水ではないでしょうか?鼻出ますか?」

「いいえ、出ません。」と父は答えたが、

「しょっちゅう点鼻薬をさしてるじゃない。」と横から言うと、

「お年寄はのどの奥に鼻水やだ液が一緒になって絡まりますから。」と言われ、逆流性胃腸炎の薬以外に漢方の安定剤を追加された。

その後、父は薬局へ行くと、その薬を飲むと睡眠導入剤もいらないであろうと言われた。

どうも父のだ液は鼻水と逆流する胃酸の混じった物ではと思ったが、父の鼻は見た目ではわからないが歪んでいてまっすぐではなく、そのうえアレルギー鼻炎をよく起こしている。

まだ、帰宅途中だった妹に連絡すると、

鼻うがいの装置と、エキストラバージンオイルを就寝前に飲むと、胃酸の分泌を調整する事を教えられたので、早速手配した。

父は今までも、リューマチで一時は起きる事も歩くこと出来なくなっていたのが、近くの柔道整体師の先生が毎日通っていただいて、起きる事が出来、今はその症状は無い。それと交互に出ていたぜんそくももう今はでなくなっていた。

ハナクリーンを使ってそのようなだ液が出なくなれば、ずっと楽になるのではと、密かに期待していた。

しかし、父はまた、元の私立病院の外科へ行くと言い出した。

「なぜ、行くの?」

「定期健診だ。」

「行っても何もできないでしょ。」と止めたが、元気よく?歩いて行ったが、帰りは電話がかかり迎えに行った。

「CTで見ると『進行してますね。安静にしてください。突き上げるような感じは癌から来ているものかもしれません。入院しますか?』と言われた。」と言い、朝と違いがっくり気落ちしていた。

そりゃそうだ、末期がんの患者と間違えられ、精神的に追い込まれたんだから、もっと大らかになれないものかと思った。

帰路の途中、よほど食べたかったのか?カップめんをスーパーで買ってきた。

どうせ、2口ぐらいで捨てるだろうと思い、止めなかった。

いったい、どうなることを望んでるの?と聞きたかったが、また、こうなると重病人モードである。

昨日、胃腸科に行ったのに、まだその薬も飲み始めたばかりなのに…。と思うと腹が立ってしょうがないので、入院中の母にこぼした。

点滴にも行かずにいたのは一時の間で、近くのやぶ医者へ先週の金曜点滴に行ったが、帰宅して

「今度は4時間の点滴だ。」と言うので、

「体力もきついし、トイレも大変だから止めれば。」と、みんなで反対したが、それを聞かずに月曜の午後行った。

案の定、5時すぎに疲れ果てて帰宅したが、おむつを穿かされ、風呂もいらず、早くから横になり、また行くとは言わなかったが、癌を克服したした人の体験を印刷して読ませた数日だけおとなしかった。

医者に頼るのでなく、自分でという気がない。後ろから蹴りを入れたい気分だ。もう振り回されるのにうんざり、何か芯が無い。

また、夏に股関節の手術をしたチエさんのご主人も貧血がある事が分かり、癌の検査となった。