Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

変化の時

2013-09-25 00:26:20 | 日々のつぶやき

明日から、今度は母が入院する。3度目のペースメーカーの入れ替えである。

9年前の2004年の12月に胃癌の手術で入院した後、3日も置かず母が、入院した時みたいであるが、9年の月日は大きく、世の中も変わり、私の環境も内面的に変わった。

今回の父の病で、それまで私がノワタリさんについて旅をしていた事を父は、ほとんど内容を理解していなかった。今回の病で、手当をしたが、半信半疑だったのですんなりと入ることができず、中々反応を得ることができなかった。それどころか、胃の上に手を置くと、「重い。」と言ってふり払われていた。

今は、大分胃液の逆流が緩和されるらしく、父の方からしてほしい事を言うようになった。

半月前から、それまで通っていた病院に行くを止めて元の3か月に1度の検診に公立病院に行くようになった。

良い方に転がると加速が付くらしく、主治医とタカコちゃんのご主人が懇意である事が分かり、扱いが良くなり親切になった。しかし、専門が循環器なので、相変わらず胃液が逆流しているので消化器の専門医へ行くと、胃もしくはその後ろの脾臓かもしれないということで、2種類の薬を渡されたが、父の癌に対しては心配ない事をまた、伝えられた。

2週間後、詳しい事は分かるみたいであるが、右寄りの胃の入り口付近の反応が強く、ピリピリする。

この3か月、振り回され一喜一憂したが、ノワタリさんは最短時間で抜けたと言われる。そして父が悟ったと言われるが、?としか言えない。

ただ、以前は仏壇を拝んでも、神棚に手を合わすことは少なかったのが毎朝夕神様仏に手を合わせて拝むようになった。しかし、母には、病人気分で我儘がでて文句ばかり言っている。たぶん、入院している間にありがたみが分かるであろう。

先日 本屋さんへ行くと、「癌が消える食事」とか「癌がきえるスープ」という本が目に入った。

それによると新鮮な生ジュースを酸化しないうちに飲むのが良いと書いてあり、実践している毎朝のスムージーが改めて良いことが分かった。

「ドロドロして飲みにくい」とか「多すぎる」とか文句を言って愚図愚図しているうちに出来立ての飲み頃を失い固まってしまっていたのが、渋々ながら飲むようになり、散歩の距離も少しづつ長くなった。

今年の夏は暑かったが、過ぎてしまえば、それにも増して早かったのと疲れたというのが感想である。

10日ほど前から、爆睡する日と盆の窪あたりがジンジンして眠れない日が交互にあり、ノワタリさんにお尋ねすると、また体が変化しているそうで、パワーアップしているらしいが、自分ではわからない。29日の供養が終われば、落ち着くそうである。

振り返れば、早いもので昨年最後のご褒美と言って鞍馬へ行ってから1年経っていた。

旅の予定は入ってこない。

「もう危ないから動けない」と言われていたが、その役目ででも無くなったそうであり、ノワタリさんもまた変化され、新たな役目が増え、私にも次の段階が用意されているらしい事を言われたが、何のことやらわからない。

知り合ってから今でも進行中だが、ノワタリさんはよく幼虫がさなぎになり成虫になるように変化し、数年前には

「背中から天使の羽が出て来たんですよ。まだ産毛だから濡れてて…。だから一時の間体がきつくてね。」と言う言葉を聞いたが、全くこのブログを読まない人には理解できない話で、変人扱いされるだけであろう。

 

 

 

 

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一つの区切り

2013-09-11 17:00:41 | 日々のつぶやき

この数日間 父の事もあったが、たたみ込む様にそれとは別に一区切りと思われるようなことが起きた。

穢れ地であったのが、供養をすることで一気に片付き、ノワタリさんに浄化をしていただくことになった。

バキッ!バキッ!電気を消した途端、天井や壁が鳴ら無くなったので、この土地は落ち着いたのだろうと思っていた。しかし、10日ほど前から、ピシッと小さな音が床からするのが気になっていた。

ぼんやりしていた日曜の午後にもなっていた。その音は1階に仏壇のようにこの土地で亡くなられた人を祀っている辺りである。

「その音って、優しい音でしょ。」

「そうですね。以前のような大きな音ではないです。」

「あなたがしているのを見てるから 自分達も供養して欲しいそうよ。」

「そういえば、祀ってお水やお線香をあげて光明真言をあげてるけど、改めて供養ってしてませんね。昨年来られた時に、『大分良くなったけど、まだ、少し寒気がするから、観音様を祀ればいいわ。』と、アドバイス頂いたので、観音様のお写真と絵を置いてます。」

「21日間ですって。」

と、言う事で、短冊色紙に「この土地で亡くなられた人達の御魂の霊位」と書き、菓子や果物、お花を買い、月曜の夜二人で同時に供養をした。

20分余りたった時、

「みなさん了解されとても静でした。」

「良かったです。この家を建てた時は、向こうの動きが活発になり大変でしたが、でも長かったですね。30年近くですね。」最後の事件を知ってお祓いをしてそのくらい経つ。しかし、一,二度祓ったからと言って治まるものではないと言われ、仏壇のように祀ってからも10年近く経っていた。

「皆さん上へ行かれました。」

「じゃあ、21日間供養したら、もうお祀りしなくても良いですか?」

「いいえ、亡くなった人は覚えていて欲しいから、そのまましてください。」と言う事で、29日まで供養する事になった。あれこれよく供養をしたが、最近そういうことがなく 今年に入って初めてである。

しかし今朝になって、ノワタリさんから連絡を貰い、

「あなたの家の住所と部屋数を教えて、屋上で鈴を振ってこの土地と建物のお清めするように上が言って来たから、お仕事だろうけど、お時間取れますか?」と、言われ、連絡すると、

「もう玄関が見えてます。」と言われる。その間、私もご神前の前に座り祝詞を上げた。

御灯明が小さくなった頃終了し、

「金粉が降りましたよ。各部屋もついでにあなたにも。」と言われたが、左足を痛めている私には正座はきつかったが、座りなおすとちょっと違和感は残っているが、不思議なことに大分楽になっていた。

これで、本当にこの土地も浄化され、一つの役目がようやく終わった。

 

 

 

 

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事実は小説よりも寄なりと言うが、

2013-09-10 22:56:31 | 日々のつぶやき

昨日の月曜日お昼前、父が気にしていた血液の検査結果がFAXで送られてきた。

その前に タカコちゃんから、

「以前と変わらないから、良いよ。」と言う電話をもらい、チエさんが伝えると、

「前と同じなら、悪いんだー。」

「良いって言われたわよ。」と何度言っても父は「悪い、悪い。」としか言わず、チエさんは腐っていた。

其処にFAXが流れてきて、端に5月の物と変わらないと書いてあったので、そう伝えると、父の表情が変わり落ち着いた。

その後、タカコちゃんからの電話で、年齢的なもので腎臓は仕方ないが、後横に記載されている正常値の範囲より、多少値がずれていても、極端に悪くは無く治療するほどで無い事を伝えられた。そして、あれだけ痩せているにも係わらず、栄養失調にもなっていなかった事を告げられた。

一つ一つ確認しても言われるとおりで、データから言うと癌も進行してないみたいだった。

「そりゃ腎臓は仕方ないわね。」

「前から、病院でも言われてた…。」

「車で言ったら、買取り不能のポンコツ車よね。いい加減暴飲暴食でメンテナンスもして無いしね。50歳過ぎたら、誰でももうポンコツ…。」などと、冗談が言えだした。

すると、父は上機嫌になり午後から、新しいメガネを買いに行き、帰りは家の100メートル当たり前から歩いて帰宅し、3時頃まで事務所に居た。

8月に今掛かっている病院で血液検査をしてもらい、よほど悪いように言われたらしく、その結果をタカコちゃんのご主人にFAXで送ると、これだけでは分からず、以前の物が欲しいと言われ、市立病院にもらいに行き、4,5月分を送ると、

「短期間でこんなになる事は無い。間違いもありますから、私なら再検査しますよ。」と言う返事だった。

しかし、父は落ち込んでしまい再検査を頼まなかった。

今日になって一人で抱え込んでいた物を母にその時のことをポツポツと話し始めた。

血液検査結果を見ながら、医者は頭を振り気の毒そうに、

「そろそろ、身の回りを片付けしてください。」と言われたそうだ。そのことばにただでさえ、癌と聞かされパニクッていた父は立ち上がれないくらいノックアウトされてしまい、いくら進行していないと言っても聞く耳を持たず、自分は治療のすべの無い末期癌患者と思い込み自分を追い込んでいった。

その晩、詳しい話しをタカコちゃんから電話で受け取った。

8月に送った夜、その専門医に会う機会があったので、それを見せると、

「あ、こりゃ腎臓の癌の末期だわ。」と言われた事を伝えられた。

ええ??じゃぁ、間違いなのか?誰かと入れ替わっているのか?

それで今掛かっている医者は父を末期癌の患者扱いして、何を言っても

「癌だから、癌から来る物だから…。」で済ましているのに気づいた。

もう、2,3ヶ月に一度タカコちゃんのところで診てもらうほうがいいのではと、家族で話した。

こうやって書くと、この数ヶ月の騒ぎは何!本当に事実は小説より寄なりと言うが、当の本人も周りもとてもキツイ思いをしたが、ありがたい事に、あれだけ食事を取らず体を痛めても、栄養失調になっていないので助かった。

母は「毎朝のスムージーが良かった。」と言うが、本当に助けられた。

しかし、それは通らなければならない道で そういう思いを通じて学ばなければならなかったと、ノワタリさんに言われたが、とても喜ばれた。

でも、父に進行は遅くても癌がある事には間違いはない。運がよければ、寿命より癌細胞の方が妹の姑さんのように消える事もあるかもしれないが、穏やかな最後であってほしいと思っている。

 

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ベニスの愛

2013-09-09 23:51:25 | 日々のつぶやき

昨日から、ずっと私の頭の中から「ベニスの愛」のメロディが駆け巡り離れない。

you tubeに「ラストタンゴインパリ」の全曲が入ったサウンドトラックが載せてありそれを聞きいた後、見ていると、「ベニスの愛」があったが、残念ポールモーリアのもので、ちょっと華麗すぎて好きではない。原題の「Anonimo  Veneziano」で探すと、オリジナルや数人の女性が歌っている物もあり、思った以上に出てきた。改めて聞くと、あの頃の流行のメロディで懐かしい。

イタリアでは人気があったみたいで映画そのものも字幕なしのイタリア語オリジナルが出てきた。

大体のストーリーは知っていたので雰囲気を楽しんだ。しかし、会話だけで成立しているような映画なので、表情を読み取るだけで物足りない。そして言い争いになるとイタリア語の語調の荒さが耳に付き辛い。何処かBSでいいから放送してくれないかと思う。

この映画は雑誌のスクリーンで目にしていて、癖のある俳優二人だったので見たかったのに私の町には来なかった。

ほとんど主人公二人のアップと冬のべニスの観光客の行かないような普通の通りや木枯らしの吹く運河沿いの細い道を歩き現在の暗く重い空の風景に 出逢った若い頃のシーンとを交差して見せていたが、(ちょっと無理がある)同じ旋律でアレンジを変えていた。メロドラマを演じるにはあくの強いトニー・ムサンテと個性的なフロリンダ・ボルガン。

トニー・ムサンテと言えば、怖い「ある戦慄」の無法者とか変質者のイメージが強かったが、もみ上げを除けると以外にも普通にチャーミングで、眠そうな目をした細川俊之をちょっと崩したように見えた。ブラジル生まれのフロリンダ・ボルガンは野生的で甘さがない。

さすがに大写しで顔は出なかったが、若い頃のはしゃいで駆け回っているシーンは無理があり頂けない。

男性が病で余命いくばくも無い、ただ、まだ二人が互いに想いを通じ合っている事を確認しながら別れて行くというような内容だったので、個性的な二人の方が、美男美女を出すよりも味があり、深みがあったが、演技力だろうか?話し自体はこれと言って目新しさはなく古典的なメロドラマだった。しかし、ほとんどセット無しの野外の撮影で1日の出来事だったので衣装代も掛からず、ベニスの風景を撮るだけなので低予算で出来たのでは?と思ってしまった。もう純粋に映画が見れない…。

音楽は「ある愛の歌」とよく似ていて裁判になったそうだが、こちらの方が先に出来ていて勝訴したそうだが、こちらの方がずっと良いと思う。ちなみに「ある愛の歌」も見てい無い。

そちらの方は全く見る気がしなかった。フランシス・レイの音楽もキンキンして嫌いで、こちらはテーマ音楽の他、主人公が最後に演奏するオーボエ協奏曲も悲壮感が現れていた。

このお二人も、1970年の映画なので結構なお年であろうと思うが、フランス映画も来ないが、イタリア映画も来ない。最後にイタリア映画を見たのは「ニューシネマパラダイス」だった。

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発展的解消?

2013-09-08 22:42:29 | 日々のつぶやき

タカコちゃんご夫婦のお陰で、大分父は落ち着いてきて、今まではそんな事には全く関心を示さなかったのが、仕事も気になりだした。今朝は、調子がよいらしく7時からおきて食事の時間を待てずにカステラを食べた後、以前の半分以下だが食事を取った。

口の中が粘っていたのは胃から逆流していた胃酸が原因だったらしくそれは大分楽になったというが、食べたくても余り入らないと嘆くが、一度にすべて解決することは無いので、気長に待つしかないと諭した。

タカコちゃんに電話で御礼を言うと、

「胃を切除しているのだから、三食と決めず、少しづつ五食にしてもいいから、食べて。」と言われ、その事を伝えた。

癌はそう進んでいない事を言ってもらえたので安心したらしかった。これには裏があって、このブログを読んだり、話しているのでタカコちゃんがご主人に伝えてやんわり父に説明してくれるよう言っていた。

ノワタリさんにも連絡を取ると、やはり食道がすっと一直線に現れていた事を言われ、この数日の事を伝えると、

「発展的解消なんですよ。時間が掛かったと思われるかもしれないけれど、お父さんは普通よりずっと速く抜け出たと思いますよ。どうしてもこの道を通らなければならなかったんです。この体験を通じて考え方も変化したと思います。」と、言われた。

母も今月ペースメーカーの入れ替えに入院しなければならず、今までの状態で家を留守にする事に不安を感じていて、どこかに父を入院させなければと思っていた。

しかし、いざ入院と思っても、思い当たる病院が無い。

一番近い病院は、父が睡眠薬をもらいに行っただけなのに、ビタミン剤、カルシウム剤を出し、挙句には他の病院でもらっている薬とダブるような出し、何処か新たに不調を伝えると、嬉しそうに薬を増すと言うので、行くのを止めたが、癌の再発が分かる前に、

「なぜ、そんなとこ行くのよ?」と尋ねると、

「何処か、最後に面倒見てくれるところを構えとかないと…。」と言っていたが、入ったら最後、ポリポリと菓子を食べるように薬を出されるか、管に沢山薬品を入れられそうである。

今通っている病院もそう変わりなく、父が体調を説明しても、薬の量の変化は無く、抗うつ剤と下剤が三食後毎回入っていたので、それを除いていた。

今回、病院を選ぶ基準に、ただの「内科」と付いているのではなく、「循環器内科」とか「胃腸科内科」と記してあれば、老人内科と識別できるのでは?と思った。

妹とも話したが、以前から薬漬けは問題になっていたが、増え続ける老人の医療費を国民の負担を増やす前に、そちらをチェックしてもらいたい物だと思う。

しかし、母の危惧も取りこし苦労で、入院は月末の金曜日からで3度目ともなると週末から月曜辺りまでで済みそうなことが分かって安堵した。

私達は闇夜の灯台のようにノワタリさんに導いて頂いているのでこれで済んだが、普通はそうは行かない。ありがたいと感謝すると同時に、ちょっとずるしているのかしらとも…。

父も清算、私も友人が亡くなってから禊をして自分自身の清算の時期に来ている事を感じている。

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