榊は木に神と書くが、本当に木に神の力が宿っていると言う事を実感する事があった。それまでも榊で身を祓い清めたり、お風呂に入れたりする事はあったのだが。
それは1週間余り前、先祖供養のお手伝いをした。
7月に供養のお手伝いをした家の事であったが、その後変化があり10年以上来る事もなかったお孫さんがやってきたことから、母親である長女が普通でない事がわかった。
その娘さんに婿養子を取り戸籍上はその家を継ぐようになっているが10年以上行き来はなかった。おまけに、二人の孫の長男は親戚へまた養子になって戸籍上は別、次男は仕事の関係上出て行ってしまい、旦那さんも仕事場に住んでいると言うことで家族みんなバラバラである。
普通ならば、長男は出さないであろう。
80歳のおばさんは気丈に家を守り続けてきたが、困ってしまいまた、ノワタリさんにお頼みする事となった。
遠隔で娘さんを見ていただくと、山伏の格好をした人が現れたと言われた。その事をおばさんに伝えると、顔色が変り、「もう絶えてしまった私のおばあさんの実家は昔、山伏の家であった。」と言われた。
しかし、血筋の途絶えた家を守るべき人がお墓のある山まで売ってしまい、今は他家へ嫁いだおばさんがお世話をしているとの事だった。それだけ聞いても良くない事は察せられる。
その血筋は男が育たず、孫二人だけが男性であるので余計に心配されている。
お墓山を売ったのは婿養子に入った人だが、その人も自殺してしまったと言う。
ノワタリさんは遠隔で供養をされ、3日めに私がその家へ行き、一緒に仕上げる事となった。
そう決まってから、夜ご神前に御灯明をあげたままにしていると、なにやらパチパチと花火のような音がするので覗くと、消えかけたお光がパチパチと火花を散らしながら消えた。翌朝見ると、煤が付近に飛び散っていた。
2日目の夜も朝はどうも無かったのが、前日よりもひどく大きな音を立てて火花が飛び、敷いている白い布の上に落ちあわや火災を起こす所であったが、あまりにも音が大きいので近くにいたので消す事ができ、焼け焦げですんだ。
こんな事初めてである。何かの警告かしらと思い、もう11時を過ぎていたがノワタリさんに連絡を取った。
開口一番「何か薬飲んでいる?すごい消毒薬の臭い!ホルマリンかしら?」と言われ、「あなたじゃないわね、来てるのね、今回は危ないね。」と言われたので、その家系の事を詳しく話した。
「数珠繋ぎって言葉が入ったわ。自殺はその人だけじゃないわね。」
「あ、榊に御幣が見える。御幣に光と太く書いて○で囲んでそれを身に着けて。」と言われた。
それ以外にいつものお塩とセージの葉、お数珠にブレスと余ったブレスの石も身に付けるように言われた。そしてその晩は4隅に盛り塩をし、お香を焚いてから就寝した。その晩は台風の影響で風が強く、そんな日に火を出したらこの辺一体大火事になって大事に為ってしまい、その後ローソクの火が燃え尽きるまで離れる事が出来なくなってしまった。
翌朝7時に始めるはずが、7月に処分するように伝えた仏像数体は其処にお祭りされていた。道理で先祖供養をした後も二度も其処へいくと何かを憑けていたのがわかった。
それらをお焚き上げするように伝えても聞く耳は持たないず、写メールで送っても処分した方が良いと又、伝えたが、「それでは出来ない。」と伝えると、お不動様と毘沙門天様は「母の形見だから」と言って譲らない。
ノワタリさんは手放しなんだけど言いつつ、その二つだけ御魂入れをしてお祭りする事になった。
しかし、その方のお母さんもその仏像にすがったので決して好い気はしなかった。
先祖供養を終え、毘沙門天様から御魂入れをした。その途中でふっと体がジンワリと温かくなったと思ったら、「毘沙門天様は終わりました。やっていたら毘沙門天様の肩の荷が下りて軽くなりました。」と言われ、引き続いてお不動様をされた。しかし、終えた後「すごい呻き声しかしなかったわ。」と言われた。
そんな事もあり、終えたのは8時半に為っていた。その日はひどく疲れ、仕事にならず翌日曜日も終日ゴロゴロした。でも、榊のおかげでそれ以上の事はなかった。
しかし、伝えた事を守って貰えなかった事にひどく腹が立ち、悲しかったが、する事はしてしまったので、後はご本人しだいだ。
今回のような事は、今までにも幾度かあった。以前仲良くしてた方の家で庭の飛び石の上で話していて、気分が悪くなり帰宅してから横になった。高血圧症でもないのにその時は上が168になっていた。運が悪く2代続けて当主を若くして亡くした家であった。そこでも形見だと言って手放す事は出来なかった。その後、受けてしまうのでその家へは行けなくなった。
形見であっても、不運で泣き暮らしたのであれば、その思いしか残っておらず、マイナスしか発していないのであるが、聞いては貰えなかった。