Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

熱烈歓迎 足摺 ウスバエ

2012-08-29 22:42:27 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

26日の日曜日 足摺岬のウスバエにある竜王神社と海のお清めに出かけた。

何時もなら、朝早くで掛けるのだが、松山からやって来る従姉妹達を待ったので8時頃になった。

高知全県下 台風15号の影響で波浪注意報が出ていたので、出かけに母から充分気をつけるようにとうんざりするほど言われていた。

途中、宿毛のお得意さんに配達に寄ると、

「昨日は大雨だけど、今日は上天気でよかったですね。」と言われたが、先に清めてもらったかもと、思った。

其処から、ずっと南下して走り続け太平洋が見えた途端、一斉に

「うわぁ~!」とか、

「おおっ!」の歓声があがった。

みんな内海しか見ていない者ばかりなので、外海のダイナミックな高波を見て興奮した。

まるで、ハワイの波の中でサーフィンしているような感じのうねりである。

もうそれで彼女達は太平洋=このような高波と、インプットされてしまった。

その海を見た時、なぜか歓迎されている。龍神様は待っておられると思った。それで

「大歓迎されてるわよ。熱烈歓迎!!」と言う言葉が出た。

出たのが遅いのでお昼近くになってしまうので止めずに走ろうと思っていたが、外の海を見たいと言う欲望に勝てず、車を止めみんなで走って出たが、波しぶきがすごく、車にもしぶきが飛んでいた。

その後、足摺スカイラインを通り唐人駄場をめざすと、分岐の所に以前は無かった案内札が出ていた。

「パワースポット 唐人駄場」と書いてあった。初めて行った頃には何も無く、後で調べても「松尾の巨石群」としか書いたものは無く、訪れる人も少なかったであろう。

其処の千状石の上で組み石や唐人駄場の広場を見ながらゆっくり休んだ。

どの方向からも風が吹き、太陽が射しているのに暑くなく心地よい。

来る人も多くなり、後2組の若い男女が続けさまにやって来たのでその場を出た。

竜王神社へ続く林の中を抜け、視界が開けると、私も初めての時岩の地層の縞模様と緑と海の青さと波の白さと空の色のコントラストの鮮やかさに驚き、みんなまた歓声を上げた。

今回は一段と海は淡く、波は激しく、下りていくと時折波の花が舞った。

冬の北陸でそういう現象があるとテレビで見た事があったが、まさか此処であるとは驚きだった。

やっと、神社には行けたものの風は強く、其処も風が半端でなく強く波しぶきが上がっていた。

東側には岩山、西側にはウスバエ灯台があるので高波が上がってくるということは無いが、まるで花火大会の仕掛け花火みたいに水煙を上げながらうねっていた。何時もなら、沖の岩場や灯台の下にいる釣り人の人影も見えなかった。

海は今まで見たよりも淡く綺麗で薄いブルー色をしていてまるでカクテルの「ブルーハワイ」を想像させた。

お社とその周囲をお清めして、ご挨拶をして扉を開け、古く澱んでしまった数本の御神酒を捨てたり、かわらけを洗って新たにお塩を盛ったりした。

岩場を降りる事は出来ないので、神社の手前の所で海のお清めをした。

お塩、御神酒、水を撒き始めると、待っていたかのようにすぐ前の岩山の間がボァ~と膨れ上がり山のような真っ白な波がずっと押し寄せてきたが、全く怖くなく、反対に喜んでそれを見せているみたいに感じた。

榊の葉を撒いたが反対に風に飛ばされたがすぐに大波に飲まれた。そして巫女鈴をしゃんしゃんと鳴らし龍神の語真言を唱えた。しかし、なぜか私達はとても嬉しくなって「ア、ハハハハ」「ワァー、ハハハハ」と、腹がよじれるほど、奇声を上げて笑った。

たぶん、知らない人が見たら壊れてしまったのではないかと思われるほど笑い、

「りゅうじんさま~、有難うございます~。」などと、言っていたが、波はだんだんエスカレートして行き、

「ドヤ、こんなもんや無いでぇ~。」と言っているように嵐くなり、大波は岩山を越えて滝のように流れて来た。

空を見上げると、龍の頭のような雲と龍体のような筋に覆われ、沢山の龍神様が集まられたようだった。

「ドヤ」「ドヤ」と言いながら、私達が見た事も無いような波の作る美しい光景を見せた。

打ち寄せられた波はまるでクリーム状になりメレンゲの泡のようになり、波の花となって私達の上に舞い降りてきた。

以前、江ノ島での高波は空も暗く、海も鉛色で不気味さを感じたが、今回は全く空も海も明るいブルー色で心の底から、嬉しいと感じた。

「もうそんなもんどうでもいいわさ、いいって事よ。」と、すべてに対して言いたくなった。

妹にそう言うと、

「あんた達、みんなよほどストレスたまってんじゃないの。」と言われたが、そうではない。本当に嬉しいのだ。たぶん龍神様が喜んでおられるのだろう。

私達は其処に1時間半ほどいたみたいで、全身が飛沫で潮まみれになったが、その後の風神アネモスの庭に行った時、小雨が降って洗い流された。

残念ながら、管理人さんの居られない庭は昨年よりもいっそう荒れていて、棘のある植物の枝で一番大きい石の上に上がる事は出来なかった。たぶんこのまままた、雑草に埋もれて行くのだろうか?

それでも訪れた事を喜んでいるみたいだった。

その後白皇山に登り下山すると、5時近くなっていた。止めて置いた車も雨が降ったらしく、綺麗に潮を洗い流されていた。

中村周りで宿毛に出たが、ずっと、道路は濡れていて雨の降った後があった。

後で聞くと、南洋のスコールみたいな豪雨があり、その後とても蒸し暑い湿気でモア~とした天気の繰り返しだったと聞いた。

ありがたい事に全く、私達は小雨に降られたものの豪雨に遭わず、用意してきた雨具は必要なかった。

気づけば、今回も昼食抜きで走り回り県境に近づいた頃、みんな空腹を感じた。

鰹を目指して走ったものの、この台風の性で船は出ず、鰹は食べれなかったが、美味しい海鮮丼を食べて満足し、みんな太平洋=今日の景色とたぶん思い込み、楽しかった事を車の中でずっと話し、笑いながら帰路に着いた。

何時も外海のダイナミックな波と広い海原を見て過ごしている人と、箱庭のような内海を見て過ごしている人ではスケールと感覚が違うであろう事を感じた。

有難うございました。感謝と共に、まぁ~、良いって事よハハハハ。


私の目的

2012-08-27 22:42:55 | 日々のつぶやき

「自分の目的は?」と、聞かれた。

神主になる目的を持っているその人と神社へ行く目的も全く違っている。

その時 うまく言えなかったが、最初に書いたようなこの土地の負の因縁、先祖からの続いている負の物をノワタリさんのお手伝いをする事で一切を浄化して、子孫に残さないようにする事である。

お供をする事で、良いエネルギーを感じて魂が喜んでいるのを感じる。時には負の強い場所の浄化を手伝って歩く事で、自分も浄化されて行く。

時には、前世の姿を見せらたり、身に受けたりしながら、それらを供養しながら浄化し歩んでいる。

こうやって出来るのはノワタリさんのお陰である。

出会えた事を言葉に表せないほど心から感謝している。そして自分の魂のレベルが変わっていく事で周りも変わっていくのを感じる。

負が強い時は、負の場所、人に引き寄せられ、過ぎ去った事であるので間一髪で生命の危険も免れてきた。

ユキちゃんは、よほど強い後ろに付いているのだろうと言う。

たぶん、このように書いても理解できる人は少ないだろうと思う。自分自身の事なのでそれでも良いと思っている。

今年の春を境にやっと9分方浄化は出来たみたいで、これからは徐々に本来の自分の道を歩めそうである。今まで、厳しかった分もう怖くは無い。

ただ、残念な事に夢やビジョンを見せられたりするのが私個人の事に限ってしまうので、まだ私一人で人のお役に立てそうではないが。

 


今どきの...

2012-08-25 17:44:34 | 日々のつぶやき

「今時の」と言う言葉が出たら、私が年であるという証拠かもしれない。

前回、葬式北九州に行った事を書いたが、丁度その日は花日大会の日だった。

後で聞くと 関門海峡を挟んで両方から競争のように打ち上げ、たいそう豪華であるらしい。

叔母と二人、駅に着くと「花火行」と言う札が立っていた。構内には浴衣姿の二人連れや女の子のグループが多かった。

それでなくともお盆前の夕方で人は多く、私たちは疲れていたので一便遅らせホームの冷房の効いた待合室で30分余り、次の便まで待つ事にした。

反対の「門司行」の電車は次々と入ってくるが乗車率200%ぐらいで駅員さんが総出で押し込み、気の毒に乗車客は電車の窓にへばりついているように見えた。

それでも、若い男女は湧いてくるようにやって来た。それもほとんど浴衣姿で、見ていて飽きなかった。

しかし、それは浴衣と言っても私には信じられない程の柄と、着こなしで粋と言う言葉とは程遠かった。

まるで洋服感覚で私の感覚ではきついコントラストで帯は結ぶのではなく、もう形に出来上がった物を帯に差し込むと言うものであった。確かに昔からあるが、今風のものは大きくまるで背中に大きな蝶?(毒々しい蛾)がへばり付いているようであり、足元はサンダルか若しくは、中国製の下駄で履きなれていないのがわかる。

その上背中の中心線は上と下で揃って無く、全く浴衣とは別物で奥ゆかしさも清涼感も無く、見ているだけで暑苦しい。

その上、帯の上に白いレース状の帯揚げ?それにしては目立ち過ぎの物を付け、まるで後ろからはエンジェルの羽を付けているようであった。

それが流向と言うのかもしれないが、付いていけれない。感覚のずれか?自分の娘がそんな物を買ったら、後ろから蹴りを入れ絶対許さないだろう。

誰が流向を作るのか知らないが、踊らされる方がバカ、いずれ厭きてくるであろう。

学生の頃、スリムのデニムにロングブーツを履いて帰省したら、母に

「蒲鉾屋の兄ちゃんか?」と言われた。それがその当時の流行で、自分では良いと思っていたのが、流向など知らない母からしたらそんなに見えたのだろう。

おまけに、ヘアスタイルは くるくると巻き毛を流し、まるでお水。こっちは、数十年来の筋金入りのベリーショート、耳に髪の毛がかかるだけで、イライラしてくる性質である。

叔母とずっとそんなのを見ていて、二人で言い合ったのは「それなりにそれなり」であった。一組として、「それは無いでしょう。」と言う組み合わせは無かった。面白い物である。

だいたい、女性の姿が見え、後どんな男の子が来るのかなと思ったら、同じような格好の子だった。

先ほどの恰好の女性には必ずと言っていいほどの同じような姿のラメ入りの綿ではない生地の暑苦しそうな浴衣姿の男の子で腰で着ると言う感覚でなく、昔の郵便ポストが歩いているみたいだった。

古典柄で涼しげに着こなしている娘には普通のすっきりした男の子がいた。

中には「田植えに行くんかい?」と、言いそうな童の着るような短い丈の浴衣姿の女の子がいたが、こんな事を言い出したら、もう年なのかなと思うが、ずっと目の前を通りすぎる人達を見ている間に下りの電車は来た。田舎に暮らしている私には物珍しく、駅は人間観察するには面白い場所だと思った。


生前の生き様

2012-08-22 00:14:54 | 霊現象

昼間の通り雨のお陰で大分涼しくなり、先週つくつくぼうしの鳴き声を耳にしたと思ったら、虫の音がしだした。昼間の暑さが嘘のようである。

前回 父方の叔母の葬儀と書いたが、弔辞を頼まれた。しかし、私は疎遠で付き合いがない。

「疎遠で余り知りませんし、懇意にされてる方が読まれるほうがいいと思うけど。」と言って、断った。

私が知っている叔母の姿と言えば、20年ほど前に大阪の従兄弟の結婚式に参列ついでに京都観光を一緒にした事しかなかった。

その姿は金銭的にとても厳しく、未だにそれを上回る人はいない。義理の叔母と3人で周ったが、後の二人をうんざりさせるものだった。

当時消費税は3%、私は忘れていたが、義理の叔母が言うには

「みたらし団子1パックが350円で割り切れない。」と、文句を言い、高々しれている1円2円の事である。別れ際に京都駅でコーヒーを飲み、「支払いは一括で」と言われ、また割り切れず文句を言い始め、

「速くしないと 新幹線に間に合わないわ。」と、そわそわしだした。

しまり屋の義理の叔母でさえぶち切れて、

「こんなもん、いいわよ私が払うわ!」と言わせた。叔母はその言葉を待ってたみたいにそそくさと走っていった。

しかし、陸続きの九州、そんなに慌てる事も無い。私達の方が乗り換えもあり不便である。

案の定、チケット売り場でもたもたしている姿を見かけた。

帰宅して親にそれを言うと、2人とも呆れてしまい「そんなもの、全部払ってもしれているのに。」と言ったが、観光地に着くと、「カメラが無い」と言い出し、使い捨てカメラを買ったのは私。

口は出しても一切金は出さないし、宿の手配からすべてお膳立ては私だった。

1円でも余計に自分が出す事は許せないみたいで、出すべきものも人に迷惑を掛けても夫婦が共に出さず、財産を残した。

そんな事しか知らない。それを弔辞として言えば、大変な事になるだろう。

弔辞は友人の娘さんと言っても65歳の方が涙声で読まれ、時折喉を詰まらせた。

編み物や木彫りの趣味があり、その方は結婚祝いにもらったと言われた。

隣にいた義理の叔母と突きながら「ねぇ、もらった事ある?」「無い。そんな趣味あったのも知らないわ。」と、小声で話した。親族席は、3年近く患っていたので、諦めもありもう誰も泣く人も居らずご苦労様と言う感じだった。

広いホールに立派な祭壇、院号を付けてあるのに、なぜかお坊様は一人。参列者も身内親族が10人余りとご近所友人も同じくらいでこじんまりと2列ぐらいで 今まで参列した葬儀の中で一番寂しいものだった。生前の姿が現れている。普通のおばあちゃんってこんなものなのかしら?不思議に思ったのは従兄弟の同僚や友人の姿はなかった。

お経が途切れたのでふと前を見ると、一人で鳴り物をガチャガチャと鳴らしていて忙しい。

余り係わりたくなかったので、食事を済ませ葬儀場に行き、フェリーの便を口実に葬式が終わり、火葬場に向かうバスに一旦乗ったものの、松山の従兄弟が乗ってこなかった。

「微妙なんだよ。に乗れるかどうか。」と言う。予定表では17時にはまた、帰ってくるようになっていたが、どうも遅れそうである。

残っていた従兄弟のお嫁さんに確認すると、渋滞に巻き込まれると、火葬場は遠いので17時半でも帰れないそうであったので、そこで見送り、義理の叔母と従兄弟と駅に出た。野辺の送りもまた、いっそう寂しいものになった。

その晩、からをいれ、挨拶もせず帰った事を詫びたが、もう従兄弟達とも付き合うことは無いだろう。

具合が悪くなってから、叔父が先に急死し、心配した母が何かと送ったが、従兄弟達は冷淡で生物を送っても叔母にすぐに食べさせず、母が電話で指示する有様だった。

ノワタリさんはよく言われるが、

「自分のしてきた事を見せられ味合わないと逝けれない。」

その言葉通りの最後を過ごさなければならなかった人の姿を他にも身近に見せられた。

亡くなった叔父は父を裏切り続け、仕事もいい加減であった。他人の所ではたぶん務まらないであろうと思う。

その叔父の最後の3年はとても厳しく、生き地獄であった。

60代でありながら 喉に食べ物を詰まらせ、一旦息を吹き返したものの、肺に雑菌が入り高熱が続いた。

熱も下がり正気に戻った時には、手足どころか痰を吐くことも出来なくなっていた。

その状態で3年近く寝たきりで過ごし、未だに成仏は出来ていない。

その事を知ったのは嫁いだ従姉妹の新築の家に行った時、ドアを開けると息苦しかった。

「この家、息苦しいわね。」

「え!やっぱりそう思う?」と、従姉妹は驚愕して言ったが其処もノワタリさんに遠隔をしていただいたが、

「男の人が首をギューと大きな手で絞められてます。」と言われた。

食べ物を詰らせたことになっているが、見えない手で食事中に絞められたらしい事が分かった。

ある程度の事までは従姉妹もしたが、少し楽になると、此処も中途半端で終わってしまっている。

生き様が大切である。後もそれを引き続く事になる。それを私に知らせているみたいである。

 

 

 

 


乱読の日々

2012-08-21 01:25:12 | 日々のつぶやき

お盆休みにはゆっくり本でも読んで過ごそうと思い 本を買い込んだが、予定の半分も読む事は出来なかった。

12日の朝、言われてから1週間近く経っていたがネコのぶうちゃんの供養と海のお清めに出かけた。海は待ちかねていたように、塩を撒き始めると同時に、船も沖を通らないのに盛り上がって行き、ザワザワと大きな波が何度も打ち寄せて来た。引き潮だったのでほとんど海面近くまで降りていたので、焦ってしまった。それと、また足摺の竜王神社へ行かなければと思った。

帰宅すると以前から癌を患っていた叔母が亡くなり、その当日が通夜、翌日が葬儀の知らせで、もう通夜は間に合わないので翌日朝一番で九州に出かけ、その夜深夜に戻った。

また翌日は松山の日赤で健康診断、また大雨の中朝6時に家を出た。二日続けて睡眠は3時間ほど、どういう結果が出るのだろうと思ったが、当日分かった範囲内では別段変わりはなかった。

しかし、その翌日からしわ寄せでひたすら寝ていた。お墓とお寺にお参りしただけで休みは終わってしまった。

オリンピック後、何かが起きると不安に思っていたら、イランで13日地震が起きた。イスラエルと敵対する国、やっぱりと思う。

先日書いた「日月神事の緊急未来予測」とその続編をノワタリさんにもお送りしたが、

「あの本とても重いですね。敏感なあなただから、とても受けたの分かります。本でこれだけ寒気が来るなんて初めてです。盆があけるまでセイジの葉でいぶします。」と言われた。道理で頭痛がしたはずだと思った。

怖いとも思ったが、分かっていた事だが日本は首根っこを押さえられていて経済及び防衛は丸裸で泣きたいほど非力である。私達は奴隷同然であり 本当に悲しくなってしまう。

分かっているだけで年間3万人の自殺者がいるなんて異常であり、その事に対しての対策も無く、国民の方を向いていない政府など、期待するほうがバカである。

しかし、怖いもの見たさで「3.11人工地震でなぜ日本は狙われたかⅢ」も買っていた。

こちらも相当きつく、足摺岬へは必ず行かねばならない事を確信した。

ノワタリさんとも3度、そしてこの2年間足摺から宇和海沿岸、幾つものブレスやパワーストーン、御神鏡を奉納せねばならなかったか?納得した。豊後水道の延長線上の太平洋も地震の震源となる可能性がある。

そして、この著者の書いている事よりも高山右近の子孫との対談の方がリアルで怖く、日月神事に書かれている事が近い将来起きるとしたらと思うとぞっとする。

ノワタリさんが言われるには「あちらも整理されていってるから…」幽界も無くなって行き、そこにいる魂も消滅すると言うことらしい。

それでまだ先祖事がきっちり治まっていない従姉妹のタカコチャンはとても気にしていたが、実家を継いだ妹の方はそれをする気がなく、実家に説得しに行ったが事は思い通りには進まなかった。

「実家の方に向いて毎晩、祈ってね。うちの母も毎晩実家の事も自分の部屋で祈ってるから。」と言って慰めた。

誰も身近に差し迫らなければ気づく事はまず、無いであろう。

うちの場合、古い墓が見つかってからもそのままにほっておいたことから、父は毎年交通事故や転倒事故に遭った。気づいてほしいからそういう事が起きるのだとその後係わった祈祷師に言われた。

そして1ヶ月近く前に読んだ冊「日本新生」と言う本も、3.11は序の口で2013年から大地殻変動がおきると書いてあり、近未来の日本の地形が書いてあったが、残る人の数も日月神事の3分の1よりも厳しくもっと少ない。それも上からのメッセージを受けて書かれたものらしかく、興味深かったのでノワタリさんにも手配して送った。

今 友達に貸している手元に無いので表現は違うが、「天上界からこの世に使わされた者」と言うような意味の言葉があった。

ノワタリさんもそうであるが、そういう方々が目指す方向は同じだが、それぞれのお役目や立場で多少の視点の違うメッセージを受け取られ、導く為に存在されていると言う。

万が一、すべてが集中している東京に地震が起きた時、どんな事が起きるかそしてどう対処するのか?参考の為と思い「首都消失」を手に取ったが、登場人物が多く話がステレオタイプであちこちに飛びなかなか読み辛く、終わり方も曖昧なままであったので期待はずれだった。

それならば、江戸から明治の時代の変わる時はと思い、司馬遼太郎の「明治という国家」を取り寄せた。どちらかと言えば、小説やドラマでヒーロー扱いされている明治の元勲よりも傾きかけた幕府を支えた幕臣の方に興味がある。そんな事で乱読の日々を過ごしている。