Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

その後日談

2012-10-28 16:23:18 | 日々のつぶやき

前回で終了する予定だったが、その後妹が1年に一度の健康診断で胃にポリープが見つかった。切除して良性か癌か調べてもらった結果、癌であった。

しかし、その1個だけで粘膜にも広がってなく、転移の心配もない。有難い事である。

結果が出るまで、年老いた両親には伝えず、判ってから伝えたが、それまでは私も気がかりであった。

数年前もこの検査でマンモで乳癌が見つかり、その後の検査でマンモにも見つからなかった小さな癌があるのが分かり、本の初期だったので手術もせずに良くなった。

いつものごとく ノワタリさんに伝えると、

「守られてますから。これからもそうですよ。」と言われた。

そして、1週間ほど前 ノワタリさんの所に別れを告げられた出口ナオさんの代わりに王仁三郎さんが現れ、21日の日曜のお昼竜王様が姿を現されたと言う。やはり旅の終わりと共に何か変化してきているみたいである。

ノワタリさんは確実にUPしてきているみたいだ。

私と言えば、あれから1ヶ月の間に施餓鬼供養を二度した。

ノワタリさんに言わせれば、

「出来るから、頼ってくるんですよ。」と言われるが、その度に体が重く、痛く、気分的にも滅入る。

1度目はバザーのお手伝いの場所が海岸沿いの埋立地。その時は子供と犬、沢山の菓子類、お饅頭、ゼリーとお結び、ドッグフードを用意して一人で行った。憑いてきた場所の近くの海で行ったが、満潮から引き潮に転じる時だったので海いっぱいに広がっていたビタワンの粒は祝詞や御真言をあげて入間に流されていった。どんずまりの内港の奥だったので反対であれば押し寄せてきて冷や汗ものだったと思う。

2度目は、山沿いのトンネルを抜けて一気に100メートルくらい下るヘヤピンカーブの続く道を薄暗くなって通った。トンネルは暗く、真昼でも通行量は少なく薄気味悪い。

体調が悪く、透視していただいたら、その真っ暗なトンネルを 車で走っている私の姿が見えたと言われた。

遠隔で車と私自身を祓って頂いたが、祓ったはずが、又乗り込むとすぐに左半身が重く痛い。

そういえば、祓って頂いたときに、

「何故かしら、下半身が冷えてますね。こんなの初めてですね。温泉でも行かれたらいいですよ。」

と、言われた。

又具合が悪くなった事を伝えると、

「私の力不足ですみません。ゴメンナサイ。」と、言われるが、決して力不足ではなく 何か他にあるような気がした。

憑けて来た場所の事を話しているうちにそのヤバイトンネルの中に沢山の亡者が集まっている事と、それを弔う為にまた、施餓鬼供養をせねばならなくなった事が分かった。

私の前世の一つにも海で溺死している海女のおばあさんだった事もあり、それも含めてすることとなった。現金なものでそう決まると、体の不調は消えた。

これまで陸を清める事は多かったが、海もしなければならない事と、あちらの世界も3分の1になってくるので駆け込んで来るのだと、憑けて来た事に凹んでいる私に言われた。それもお役目であるらしい。まるで狂言回的である。

引田でしたように、お結び9個、お稲荷さん9個、チョコレート2種類、菓子パン5個、おせんべい、どら焼き4個とカスタードクリームの入ったケーキ6個とりんごとミカンを3個ずつそしてぶどう、お茶、ホットコーヒー、お酒、お水、そして白い花、御幣をつけた榊を用意して、「車の御祓い 施餓鬼供養」と半紙に2列に書いたものを台紙に貼り立てかけて、 憑けて来た営業車の中に敷物を敷き、紙皿に備え食べれる状態にして供えた。

8時のはずが、珍しく今回も二度寝をしたために1時間遅れの9時に遠隔でノワタリさんに手伝っていただき始めた。

狭い車内から、お結びの海苔の匂いや菓子の匂いが漂ってくる。ああ、この食べ物の匂いを頂かれているのだろうなと思いながら、祝詞や御真言、般若心経を30分近く上げて無事終了した。

終了の電話を頂いた時、「充分。」と、言われたそうである。そしてノワタリさんは国常立命様の秘蔵っ子であるらしいと言うメッセージを頂かれたことを恥ずかしそうに言われたが、ご本人はとても謙遜されていたが、私は常日頃の彼女の神事の姿を見ているので「そうであろう」と納得している。

その後海にすぐに流し、お清めをしたが、海は穏やかだったが前回よりもとても速く沖へ持ち去った。それで1時間遅らされたのだと気づいたと同時に、朝食も取らずにしていたのでどっと空腹感と疲れが出た。

相変わらず、こんな日々を過ごしている。

読んでくださいまして有難うございました。

たぶん、又何処かでこんな事を書き出すのだろうと思います。


ごきげんよう

2012-10-01 23:13:52 | 日々のつぶやき

今夜はお月様が厚い雲間からとても強い光を放っている。昨晩の中秋の名月は残念ながら雨だった。

中秋の名月と言えば、学生の頃友達5人と海岸へ行き、月見のはずが、9月20日だと言うのに泳いでしまった。腕を動かす度に、夜光虫ガキラキラと輝き綺麗だった事を思い出す。

今回で、このブログも終了。

これ以上書いていると私の内心を吐露しそうであるので…しかし、これには大いに助けられた。私の事を知っているのはほんの数人、どう書こうが何処の誰だかわからないと思い、自分と向き合い、思っている事を書いたお陰で随分心が軽くなり、整理されたと思う。

ノワタリさんと、金比羅様の境内で一緒になり、それが此処まで続き旅のお供をするとは思わなかった。私が9年半、彼女はもう20年近くになる。

あの時、「神社のお清めに周っています。」と、仰られたが、沢山の人が、願い事をして曇っているのを元々の力を発揮する為にニュートラルな状態にしているとの事だった。

もう、一旦その役目は果たされたという事か?それとも世の中が不穏で動けないという事か?

この国を取り巻く情勢は急激に変化し厳しい。日月神事のように日本対世界にならなければ良いがと思う。以前ならば、まさか…と思えていたが、起きても不思議では無い。

 今思えば、毛沢東に呼ばれて2年前の2月嫌々(私は気が進まなかった)北京へ天安門広場にある毛主席記念堂へ行き、旧正月で中には入れないので建物の前で氷点下の気温の中外でノワタリさんが祈られた事を思い出す。その時、小平はニコニコして現れたと言われたが、今の状況に何らかの関係でもあるのだろうか?、何時も行った時は何故だか分からず、ずっと後になって教えられたり、気づく。

しかし、昨年の3月11日に被災した地方にはお呼びが掛からず、行く事が無かった。

どういう事だろうか、阪神淡路も10年後慰霊に周った。

お会いした頃、38歳で不眠の症状(御神木ベッド)から始まった更年期で背中は痛く底なしに滅入っる事が多く、車で走っていて何度飛び込んだらと思ったりした事があった状態から、少しう上向きになり抜け出そうとあがいていた。

ノワタリさんは私がとても暗い顔をしていたと言われる。

周りから「タフだ」と驚かれる現在と違い、昔は虚弱体質でおまけに遺伝なのか?リュウマチも軽かったが中学2年の時に症状がでた。30歳前には風邪をこじらせ、階段が下りれなくなるほどになって1ヶ月寝たきりになった事もあったが、今では陽性反応は出るものの全くその心配はなくなった。今年卒寿を迎えた父も同様で、リュウマチと喘息が交互に出ていたのが全くそれはなく元気で毎日プール通いをしている。

病気の問屋であった母も柳に雪折れなしの言葉のごとく、ペースメーカーは入れているものの元気で、みんな自立している。ありがたい事だと感謝している。ご近所でこの年齢でぼけずに足腰元気で夫婦揃っているのはうちくらいのものである。

この旅に誘われなかったら、多分私の生き方も違い、目の前出起きてくる事に一喜一憂してギスギスしていたのではない方思う。

それにしても随分とノワタリさんには助けて頂いたと思う。私達家族だけでなく、親族、友人と。最後の方の旅はうちの親族になってしまった。一体どういうご縁があったのだろうと思うが、私達を救う為に神様がお使いになられたのであろうと思う。

私にとってお供をして歩いてきた旅の経験は一生ものの財産だと思っている。

旅が終わったからと言って、縁が切れるわけでなく、又しょっちゅう電話をするであろうし、まだまだ、教えていただかねばならないと思う。

「みんなパワーアップしましたよ。」と京都で言われたが、一旦この環境を卒業という事になるのかな…。

今回 京都から帰った夜、子供の頃両脚にあったノブヤケが大きくなるにしたがって薄くなり分からなくなっていたのがこの最近また薄っすら浮き出ていた。お風呂で擦っても洗っても消えなかったのが、その晩湯船の中で右足何時ものごとく擦っていたら、垢のようによれて無くなった。

左は何もしなかったのに消えていた。???これって何だったのだろう。

気づけば、全くラップ音はしなくなり、遊びに来て必ずおなかを下していた敏感体質のユキちゃんも具合が悪くなるという事も無くなり、お社を置いている部屋は「妹は気持ち良くよく寝れる。」と、言われるまでになった。

先祖事は納まり、土地の因縁も大分軽くなった。

埋立地は日本全国にあり、それがみんなケガレ地ではないのでその事をお尋ねした時、

「その土地に住む人の心ねで変わる。と言われたので、此処からは私自身の生き方で変わっていくのだろう。

とても厳しかった憑依体質もお陰で3月を境にこの半年は憑ける事が無くなり、楽になった。

以上私の抱えていた物は気づけば、大方解消されている。有り難い事である。

この旅の間、黙って出してくれた両親にも感謝である。

負から始まり霊現象に振り回されていたが、神の存在をこの10年足らずの間に実感する事が多く、先日の友人達のようにかっての私も目に見えぬものは半信半疑であった。

これからはボツボツと自分の足で、歩むしかない。

憧れの岸田森様や大好きな景山民夫さんと、お話したいと思っているが、どうやらこれはあの世に行かねば無理みたいである。

人生が旅であると言う言葉通り、また、次のコンパートメントにはどのような出会いと展開があるのやらと思うが…明るく過ごしていくであろうと思う。

そして、このブログに付き合ってくださった皆様、長い間有難うございました。飼い猫の事や犬の事も書くつもりでしたが、本来の目的の旅が一旦終了となりますので、今回でこのブログも終了したいと思います。有難うございました。ごきげんよう。


鞍馬山

2012-10-01 20:27:33 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

最終日の23日日曜は雨、天気予報では全く雨のマークが出ていなかったので傘の用意はしていなかった。昨晩、母に電話すると、午後から雨と言っていたので降ってもおかしくない。

結構雨足は大きかったが、何時も現地に着くと、小雨か止むので大して気になっていたが、肌寒い天気なのでそうも言っておれず、近くのコンビニまで走り傘を買った。

8時前に京都駅を出発し、バスと叡山電車で行くと、大きな天狗の面のお出迎え、雨で清めていただいて電車を下りると凛とした空気が漂っていた。もし、お天気ならば、観光客も多かっただろうが、下りたのは私達以外には2,3人だった。

こちらは狛犬ならぬトラのお出迎え、昨日のおきつねさんや猿がったが、今日はトラであった。ネズミの所も、京都市内に有ると以前、ノワタリさんからお聞きしたことがあったが珍しい。

ケーブルに乗る頃には山歩きの会の団体がやって来た。

多宝塔

伏見稲荷が千本鳥居ならば、此処は朱塗りの灯篭がずっと並んでいた。予想通り、傘も不必要になり杖代わりになった。

本殿に着くと、その前に魔方陣?結界?のようなものがあった。みんなで代わる代わるその真ん中の三角の印の所に立った。周囲は真ん中を高くしてあり斜めになっていた。

立ってみると、足元からジンジンとエネルギーが湧き上がってくる。

ノワタリさんが姪に立たせると、「幸せになった。」と言う言葉が出て、それを姪が復唱した。

姪にはよい事が起きるみたいである。昨晩の彼氏の事だろう。どちらにしても良い事である。

後で調べると、「鞍馬山の六芒星」と言ってエネルギーの強い所だそうである。

魔王の乗ってきた乗り物だそうだが、まるでufoである。みんなで見ていて、妹が、

「青い光のラインが見える。」と、不思議そうに言った。二度その光の筋が見えたという事である。

彼女にとってこんな経験は初めてだったので、「とても嬉しかった。」と聞いた。

「此処からが、本番。」と、木戸をくぐり、奥の院への石段前で言われた。

不動堂

 

 山道を登っていると、後ろで姪の叫び声がした。「ヒルに喰われた~。」

雨上がりなのでヒルが出てきた。話には聞いた事があったが、すぐに水で洗い、ノワタリさんの持っていたフルコートを塗った。その後、今度は私がチクッとしたと思ったら、ヒルがいた。取り除いたつもりが靴の縁にへばり付いていたので、ティッシュで摘みのけたが、まるで縫い針くらいの大きさだった。

不動堂の前にも本殿と同じような結界?があったのでそこでも真ん中に立ってみた。やはりエネルギースポットと言うだけ強い。

 魔王堂

木の根道を歩き、650万年前金星から来たと言うサナート.クマラと言う魔王が降りたという魔王堂に行くと、団体の先客がいて中で、祝詞や般若心経を上げられていたので、灯篭のそばで待っていると、まるで背骨が管のような感じで上から、グ~ッとエネルギーが流れてきて、体中が共鳴振動して風が吹いている初めて経験する感じを受けた。

中に入り、イワクラの前に座り、目を閉じて座っていると、先程よりもずっとそれが強くなり、とても心地よい。今でも思い出すだけで、そんな感じがする。

しかし、みんな静に祈っている所にとても賑やかな家族連れがきて「お金が沢山入りますように」とか、実に生々しいお願いをあれこれとして最後に父親らしい人の声で「封筒、封筒、何でもええから、名前みんな書いて置いたら…」と言って拝み倒して行った。とてもおかしかったが、こちらは目を閉じているので顔は見ていない。

ノワタリさんは首筋から黄金に輝く強い光がス~と、背中にかけて入ったと言われていた。

「楽しみは最後に」と、言われたはずだ。

其処から、貴船に向かって山を下りた。降りた所で雨が降り出した。みんなのズボンの裾にはヒルが付いていて、取り合ったが、結局被害が無かったのは長めのズボンを着用していたノワタリさんと妹だけだった。妹はティッシュでみんなのヒルを取ったのをバッグのポケットに仕舞いこんだが、帰宅して出してみると水分が無いので干からびてみんな死んでいたと笑っていた。

丁度お昼だったので昼食をと思い、手招きされるお姉さんの店に行くと、表には写真はあっても金額が明記されて無かったが、その値段を見てみんな驚き、外に出た。大体京都の観光地は割高な感じはするが、余りにも高い…。天ぷらそば定食で2980円、他のそばの定食も同価格だった。

こんな薄ら寒い日に川床にわざわざ行かなくても良いと思うが、あちらこちら歩いてもそんなものできっちりした料亭の川床はそれなりに設備も良いがそんな風流な趣味は無い。

連休の為、狭い道にひっきりなしに車は来てなかなか離合出来ない有様だった。結局土産物も置いているお店でおそばを頂き、神社にお参りした。

水の神様のはずが、縁結びを前面に出していて、若い男女が多い。こちらはもろ観光地と言う雰囲気だったので、本殿にご挨拶をして、叡山電鉄で出町柳まで出た所で、下賀茂神社にお参りする事となった。

最後の神社が、さっきの貴船神社だったら、締まらないなと思っていたら、下賀茂にお参りできることになり嬉しく思った。妹達は金曜日に上賀茂神社へお参りしているので、いっそう喜んだ。

糺の森からゆっくり歩いて行き、私達はその場のエネルギーを楽しんだ。ノワタリさんは御神木の説明をみんなにしていたが、なぜか私一人時間が気になって仕方なく、みんなを急かしてしまった。でも、此処が本当に最後である。神様の粋な計らいに感謝した。

占い師のHが私はずっと旅を続けるであろうから、生涯現役で仕事をすると言われた事を言うと、ノワタリさんが、「いや、人生その物が旅だって言ってますよ。」と言われた。

此処がその発祥の地だと言う事でその後近くでみたらし団子を頂いた。今まで、そそくさとお参りして走っていたので、看板は目に付いても食べる事は無かった。

こんがり焼いてあり、風味が良い。今回はゆとりのある旅である。

その後、満員状態のバスに揺られ、京都駅に着いた。妹達が最終便の飛行機に乗るので解散は5時半、そこでみんなでお茶を飲んでゆっくりという事になったが、なかなかお店が無く、そこで別れかけたが、小奇麗なレストランが丁度開いていて、妹と姪を呼び戻し、ノワタリさんにご馳走して頂いた。

そこで、姪は具体的に結婚の話が出て25歳までにするようになどと指導して頂き、あのままお別れしたら、もう一つ遠のいていたであろうと思う。

今回、姪も出来たら参加するようにとの意味が分かった。

あれこれ話した後、「これで一先ず、幕引きですね。でも、何かあって呼び出されたら、また、行きましょうね。」と言う事で終わり、名残惜しいが分かれる事になった。

ノワタリさんは5時半と言う事で、半過ぎの新幹線の予約を入れていた。

何時もなら、彼女を見送って私が最後に出ると言うパターンが多かったが、今回タカコちゃんと一緒だったので勧めていただき、予定より30分早い便に乗りお別れした。

今回の旅は行く前から区切りがあるだろうと思っていたが、姪がこういう形で結婚話がすんなりと進んだ事は本当に喜ばしい。

私は独り者、妹もすんなりと周りに祝福されと言う風には行かなかった。これは土地の因縁(先の住人である婚約者がありながら、惨い死に方をした娘さんがいた)が、大分浄化されたという事かしらと思った。

私自身も、学生時代の友人との別れもあったが、これが現実であり本当の姿を見せられたという事かと思う。

しかし、これだけでなく まだおまけがあった。

松山にてタカコちゃんと別れた後、インター入り口で右折したいたところ、自転車と接触してしまった。幸い相手はまだ30歳代の男性で転倒する事も無く怪我もなかったが、警察と念の為保険屋さんには連絡をした。 

 物損と言う事で免許書にはなんら影響はないということだったが、後で見てみると車の凹みも無く、ぼかすだけで済んだ。相手も無事で自転車の後輪のブレーキがキィキィと音をたてるくらいで大した事はなく、修理代を出すだけであった。2日後、1万500円の請求が来た。ちょっと高いような気もしたが、私に非があるのですぐに振込んで済ませた。これで済むならばありがたいものである。

もし、お年寄りであれば、転倒して怪我、打ち所が悪ければ、命に係わってくるようなことが起きてもしかない事である。想像しただけで、背筋が凍る。

ノワタリさんに伝えると、

「警告ね。『これからもあり得ることだ。』と言ってるわ。でも、事故って言うけど、事故とはいえないぐらいのもので、こんなに軽く済んで上もよく考えてるわね。」と言われた。本当にこれくらいで済んであり難かった。

気落ちして家に予定より1時間近く過ぎて深夜に帰ると、一階の戸を開け、中に一歩踏み出そうとすると、ほのかに青っぽい光が斜めに入ってきた。一瞬の事である。あれ、何か光ったと思ったが、錯覚かしらとも思った。

自分の部屋の玄関の扉を開けると、先程の光がまた、差した。今度は間違いない。

妹と話すと、彼女が鞍馬山の魔王の乗り物だと言うUFOに似た砂で出来た物体のところで見た光によく似ていた。多分、気落ちしている私に元気が出るよう見せてくれたのだと思う。

その晩、夢にまたぶうちゃんがおなかがペタンコで頭ばかり大きな姿で空っぽの餌椀の前で待っている姿で出てきた。癌が再発して亡くなった彼女は3ヶ月ほとんど食べずに体重が半分になるくらいやせ細って亡くなった。

「ごめんね~。3日間留守したから、おなか空いたよね。すぐあげるけんね。」と言っているところで目が覚めた。

ノワタリさんに教えて頂き、3日間たっくさん餌と水を朝晩盛って供養した後、台風の晴れ間に海に流しに行き、今回は余った餌を他の食べれなかった猫チャンたちの為に「沢山食べてね~。」と、言いながら海に撒いた。

これで最後の旅と、それに引き続いて起きた事は切りよく9月30日までに済んだ。

金比羅さんにてお会いして9年と半年経っていた。