Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

すべて解消

2014-09-11 19:46:42 | 日々のつぶやき

 前回、「2年経ったら楽になる」と言うメッセージの事を書いたが、どういう風になるのかは検討がつかなかったが、最近、自分の体質がまた変わって来ているのに薄々気づいていた。

 一つ目はノワタリさんのお供をして歩いているうちに元々の憑依体質が過敏になり、一時期は歩く掃除機状態でこの数年は、土地、人、物などそれ自体が持っている因縁などのマイナスをもろに受けてしまい、私の行動半径は狭まり軽い引きこもりに近い状態であった。そして四足の肉を食べると、度々、体外に出してしまうまで苦しい思いをすることがあったが、それも無くなった。(食べる量も少なくなったが)

肉以外でもファーストフードの店に入ったりすると、たまに警告として食べる前に胃が痛くなったりし、その後気を付けるようになった。

ヨガ教室に通えば、軽いぎっくり腰なったりしたが、後で聞けば、私に合わないそうで「余計な事はするな。」との言葉でその時も2,3回の治療で治った。

先日、姪の結婚式が近くなったので新しいバッグが欲しくなり、ノワタリさんに

「爬虫類のバッグはだめですよね?」とお聞きした時、買っても良いと言われたので、今楽しみに探している。

本も同じで、闇とか霊とかの絡んだ本は読んだだけで気分が悪くなったり、背中に何かを背負ったみたいなるか、ミイラの石棺に入ったみたいに体がこわばり、読む前にセイジの葉でいぶすか、炊きながら読むしかなかったが、それも気づけばなくなった。

封印していたレイブラッ.ドベリ、スティーブン.キング、景山民夫のホラーも読めるのはないかと思っている。

旅に景山民夫の「ボルネオホテル」を持参していたら、

「すごいマイナスを感じるんだけど」と言われ、白いビニール袋に入れて宿のごみ入れに入れてそのまま帰ったが、彼ホラーとかエッセイには私の体験と同じようなことが書いてあったりして妹と「あるある。」と言って共感したりしたが、ノワタリさんの話される事と一致する事が多かった。

それを受けない力が付いたみたいである。

2つ目には以前も書いたが、私の土地の因縁が昨年の夏に解消し、全くラップ音を聞かない。今で言う事故物件であるが、最後の事件もう80年以上前のことであるが、何か起きた場所と言うものはそれまでも人が亡くなる事故か事件が起きているものだと言うが、起きる毎にだんだん念が増え、加速して凶悪化して行くことを知った。

3つ目は先祖事である。50年くらいほったらかされていた元墓が、35年くらい前にある事がわかったが家の墓があるのでそのままにしていたら、それから気づけとばかり、父が度々事故に遭い、骨折したり自動車事故で入院とかが続いた。

トラブルが続出した事から祈祷師を紹介され分かったが、その墓と無縁さんになった伯母がいる事と土地の因縁からだったが、一旦御祈祷で収まったかと見えたが、そうではなかった。

古いご先祖様はその祈祷師に御霊抜きをしてもらい家の墓地に入られたかと思っていたら、「動きたくない。」と言っておられたので、移ってはなかった。古い墓地を整備してもらい、掃除にには行ってたものの、周りの墓は同じくほったらかされた無縁仏ばかり、おまけにけもの道は険しく行ける脚力のあるのは私だけになっていた。

以前の祈祷師の力ではどうにもならなかったのが、ノワタリさんに上からの指示があり、大山祇神社にお参りした時に片付けて頂いた。その時の言葉がおかしく

「こんなもの残したら、子孫に恨まれますよ。」と言われた。

それですべてを解消したと思っていたら、完全ではなかった。

父の49日の法要の後、妹と墓参りして納骨室を掃除し、古い塔婆や余計なものを海辺でお焚き上げして海へ流した時、父がすべてを持って行ってくれて解消した。

その父の晩年も、家族がみんな仲良く穏やかに過ごしたので幸せだったと思う。

そして ここに来て母方の先祖を祀る事で、本当に終わり、以前ノワタリさんから

「あなたの家とお母さんの家はこれから連動して行くよ。」と言われた言葉が全く繋がらず、どういう展開になるのか分からなかったがこれで縁ができて現実味を帯びてきた。しかし、母方の4代前のおチヨおばあさんや学齢前前に亡くなられた愛子さんは他の親族の前にはないが、ノワタリさんを通して姿を現わされて気持ちを伝えてくれた。ありがたい事である。

長年、私を悩ましてきた3つの物はすべて解消されたが、それだけではなく、これまでの前世で解消できなかった数々の事が、旅を通して体の不調とか次々と出てくる事柄で解されていることを伝えられた。

旅が終わり、昨年春からずっとどこかに痛みが出て不調続きだったのも、前世の解消で、武将の時代が多く、今世に一番強く影響しているのも戦場で亡くなった武将であるので、首を切られたり、右足腰を痛め落ち延びたりしたせいで、子供の頃に右半身を痛めたのでそのせいで体に歪みがある。一つ直せば次とドミノ倒しのように痛みの出るところは変わったが、体の歪みを治しているらしい。

 しかし、体だけでなく、その頃の影響は大で今までの思考パターンも行動も同じだった。それも解消するために、息つく間もなく予想外の事柄でてきて、交渉事ばかりである。

「一度に出て来る時は、落着いて一つ一つ片づけてね。」とノワタリさんに言われた。

楽なる…。

それはすべてを脱ぎ捨て脱皮して、それからが本来の私個人の本当の人生を歩む事になることだという。

目下出てきている事はすべて片づけてから誕生日を迎えるらしいが、此処まで来るのに60年かかった。しかし、多くの人は消化できずに、次の世に持ち越すらしい。

ただ嬉しいのは、精神的にずっと楽になるらしいという事だ。

一番不思議なのは、四国と神奈川に居られるノワタリさんとの出会いだ。

「あなたのご両親も信心深いし、あなた方がその道の人だから、神様が導かれたのよ。」と言われたが、「Wake Up!」と言うタイトルを付けたが、今思うとやっと荒れ地が更地になったところで、覚醒とはまだ程遠い。

 出会って3か月経った時、不思議な夢をみた。

白っぽい壁と長い廊下を子犬と歩いていたら、子犬は

「僕、空を飛びたいんだ。」と言っていた。

ドアを開けた瞬間、私は青い空を飛んでいた。振り返ると、その犬は高砂の掛け軸に書いてあるような尻尾の長いカメの姿に変身して飛んでいた。

眼下には緑の草原と左には濃い緑の木々…。とても気持ち良く、見た事のないさわやかな風景だった。

そこは半月後、ノワタリさんに誘われて行った足摺岬の唐人駄馬の千畳岩から見た光景であったのでとても驚いたが、それが私を解放すきっかけだったのだろう。

つい最近、一生懸命にエアギターならぬエアスイムで競泳の水着にキャップという姿で長い廊下をクロールで泳いでいた。突当りの壁に着くとターンを繰り返し、片方の壁には年配の男性と若い女性の姿があったが、顔ははっきりしなかった。

泳ぎたいので又、夢を見たのかとも思ったが、水の中に頭をつけるのは直観がにぶるそうなので水泳だけはダメだそうだ。

ノワタリさんに話すと、

「空中を泳ぐっていいじゃない。」と言われた、

しかし 高さ1メートルくらいであろうか。まだまだそんなものである。

これからも、いろんな事るが、それが通る道で環境も変化していくらしい、脱皮をするように次の段階が待っていると言われたので、それを楽しみに生きて行こうと思う。 これが、一つの区切りになる。

元々、旅の記録として書き始めた物だったが、もう私達にそのお役目は終わり、ほかの方々がしているらしいが、このブログを通して神社とかパワースポット、浄化の仕方が少しでもお役にたてたらと思う。

長い間読んで下さった方々、本当にありがとうございました。

唯一つ訂正します。母方の現れた筒袖の着物を着た先祖の女性は厚い生地だったと言われ、その袖は平安初期までだというのを調べたが、妻問婚が頭にあったので平安時代と勘違いしてしまった。

今日図書館の本で飛鳥時代であろうと確信した。その方が大元だと言われたがどうも母方は節目には女性になるみたいである。

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首の痛み

2014-09-09 22:02:41 | 霊現象

昨晩は知り合いの家の屋上でお月見をした。

中秋の名月である。これまでの雨がうそのように晴れて、外は明るく、本当にお月さまにはまるでウサギが左側にいるような形で長い耳の形が見えた。

海岸近くにある家からは湾が一望でき、山影がくっきり浮き上がって向こう岸に新しく出来た施設の灯りが明るく、月の光を反射するという事はなかったが、泊まっているフェリーの灯りは対岸の建物のように見えた。

真夜中になっても寝付けず、目を開けると月の光が部屋の中まで差し込み、なお一層明るくなっていた。

さて本題、2年前の事 電話でノワタリさんと話していると、

「2年経ったら楽になるよ。」と言うメッセージを伝えられた。しかし、彼女はその事を覚えてはいなかった。

その2年が来月になる。

その10月は私の誕生月であり、60歳になる。

それまでに浄化されていないものをするものをすべて片づけると言われた。そのせいか、予想しなかった事が次々と現れてきた。

その一つとして、今月に入って、突然むち打ちのように吐き気と痛みでうつむくのと仰向けに寝て枕を当てることが数日できず、テーピングをしてもらって数日過ごした。そのうえ、母も夏の疲れか体調が悪いのでノワタリさんに連絡をとると、

「にこにこ笑った昔の坊主頭の目のくりくりした男の子が出てきました。」と言われる。私の兄水子さんだ。7,8年前にちゃんと水子供養しているので笑っているそうだが、3日間仏壇にお線香をあげて声をかけると良いと言われ、土曜日まで供養をした。母方の先祖事も含めて目鼻がついたので出て来たみたいである。

その後海辺でおたき上げをしてお清めした。

「海がすべて受け入れてくれるからね。早くしたほうがいいわ。」と言われていた。

首の痛みは前世のもので戦場で敗退した武将の頃、首を切られたのが出たと言う。

大祓の祝詞のごとく、海に投げ入れた菊の花も供えた菓子も短冊の灰も今回は祝詞をあげている間に姿を消した。

午後になり雷を伴った大雨になったが、その日から私の首の痛みは消え、後になって海の懐の大きさを深く感じた。

 

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如意輪観音様

2014-09-06 00:54:40 | 日々のつぶやき

 月日の流れは速く、気づけば9月に入った。虫の声も賑やかである。

この半月は新盆の事もあり、とても慌ただしく過ぎて行った。私のストレスの原因は気ままな一人暮らしであったのが、母との同居になりリズムが狂ったせいだった。

うるさいくらいに話しかけてくるが、年を取ると行動範囲も狭くなるが同じように話題も少ない代り、反比例して同じ内容の話をする回数は増えるのと、大概噂話か自分の気に入らない事を話すので相手をするのは苦痛だった。

そんなある日、父が夢の中に出てきて長テーブルの斜め前の席に座り楽しそうに談笑して食事をしているのを見た。数人の人がいたが他の方の顔は分からない。

父は死んだはずだけど…と思い、手を触るととても暖かい。

おかしいな死んだはずなんだけど…。

デジカメで撮るとやはり姿は写って無かった。 そんなところで目が覚めた。

ノワタリさんにお話しすると、

「それは向こうでのお父さんの姿ですよ。楽しく過ごされてますよ。そして手が暖かいって言うのはいいですね。満足されてるのね。」と言われ、姿を見せられた事は涙が出るほど嬉しかった。でもノワタリさんがイタコ代わりに話してくださるので有難い。

後日、「中間報告だ。」と言う言葉が入った。

そして菩提寺の和尚の新盆のお経も10分足らずでさっさと帰られ、お布施稼ぎかと思いたくなるようなあっけない物だったが、そのかわりノワタリさんが遠隔で1時間近く丁寧に供養されたので、有難く思った。

その頃、母は実家が独身の男兄弟しかいないので先祖供養もきっちりできていない事や、途絶えてしまう事を大変気にしていたが、ノワタリさんにうちでも母が祀ればよいと勧められた。

初めは、実家と言えども他家であるので気にしていたが、

「神様、家のご先祖を先にすれば、問題ないわよ。」の言葉に背中を押され、嬉しそうにいそいそと仏具を買い準備を始めた。

丁度良い事に母屋の仏壇は私の方に移っていたので、母屋にすることにし、3代前からの先祖の戒名も母が持っており、以前ノワタリさんの目の前に姿を現された4代前のおチヨおばあさん夫婦の戒名は元墓の写真があったのでそれを拡大して書き留めた。

またこれもノワタリさんにお世話になった。

「おチヨさんが出て来られると思っていたら、とても古いご先祖が出てこられましたよ。それが始める時にいつも国常立命様にご挨拶するんですけど、その時にふっくらした顔の筒袖の着物の女性が出られまして、お辞儀をされました。大元ですかね~。お父さんもよしよしって言ってます。」と言われる。そんな着物は調べてみると、平安初期までらしいのでまた驚いた。それが8月21日の事であり、夜お礼を言っていると、

「あの~、黒い仏像はどうなりましたかね?」と言われる。

「ええ、お不動さんも毘沙門天さまもそれらしいのが無いので、見つかってませんので…。」

私が仏像を捜し始める少し前、横浜の従兄も恵比寿さんを探していたが該当するのが見つからなかったが、ノワタリさんのお友達の手をお借りして探すとすぐに見つかり、御魂入れをされた事を話された。

「じゃあ、私もお頼みします。」と言ってお頼みすると、翌日すぐに見つかり、連絡が入った。

「あの~、ありましたよ。一目見て、ピッタリのが、広隆寺の弥勒菩薩様のようなやさしいお顔をされた如意輪観音様です。でも予算がずっとオーバーしますけど。」と言われたが、お頼みした。

すると段取り良く翌日のお昼に届き、あまりの速さに驚いた。その晩 灯篭送りの為に妹家族が来て、妹も話が急展開で進んだので大変びっくりした。

またその翌日は朝仏様のお霊供を炊き、如意輪観音様に御魂入れをして頂き、母方の元墓にみんなでお参りに行き、夕方は送り火を焚き父を見送り、菩提寺へ灯篭送りに出かけた。

1日中次々とする事が多かったのでみんなその晩は疲れが出てしまいバッタリと休んでしまった。

妹達は翌日一緒に墓参りをし、その翌日の朝ゆっくりするまもなく慌ただしく帰って行った。やはり宮崎は高速が大分付いたといえども遠い。母方の先祖の事から灯篭送りまで3日くらいの間の事だった。

話は前後するが、仏像を求めるよう助言された時、これは私でなく一切母がお世話するように言われていた。

あの時点で見つかっていても、たぶん母は、

「家は代々お不動様を祀っているから、要らない。」と言って全くとり合わなかったと思うが、先祖が入った事で素直に喜んで受け入れた。これが絶妙のタイミングだったと思う。

「お母さんの最後の仕事ね。この如意輪観音様とご実家の先祖を拝んでいくうちに、寿命も延び、落ち着いて行かれますよ。このままではあなたも潰れるといけませんからね。穏やかになられますよ。」

今の状態では寄りかかられてしまい身動きもままならず、仕事以外外出する事を嫌い束縛し、私は引きこもりがちになっていたが、母が自分の事が出来るのを後5年と想定し、何かを始めたくなっていた。

仏事の事だけでなく、畳み込むようにいろんな事が起きて行った。

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