幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

ジュゴンは本当に辺野古にいるのか?

2010年05月25日 | 沖縄を守ろう
(ニュースソースはこちら


「そういえば、辺野古の海には国の天然記念物であるジュゴンがいるって言われていますけど、本当にいるんですか??」答えは、意外なものだった。

「もう、長いことここで漁をしているけど、1度も見たこともないね~。」
毎日のように、海に潜っている2人の答えである。
そして、ある本土から移住してきた平和運動家の話を教えてくれた。
彼は、平和を願う市民が辺野古を訪れるたびに、お金を取ってグラスボートに乗せ、
「ここがジュゴンのいる海です」と案内するという。

本来、その地域で船を出すには、地元の漁協に属さなければいけないが、
漁師の人々は黙認している。
その彼が、ある時こう言っていたという。
「ジュゴンがお金を連れてくるのさ。」

話は脱線するが、ジュゴンを基地建設反対の理由に挙げるのは、「戦術」の1つだと聞いたことがある。
基地建設を、政治や安全保障の文脈で真正面から反対しても、中々ストップをかけることは難しい。
しかし、環境問題として取り上げたなら、国際会議等でも注目され、
基地建設を断念に追い込むことができるのだ、と。
確かに、戦術としては、上手いやり方だとは思う。

(中略)

毎日のように漁にでる2人は言う。
「ジュゴンはいない。」

一方、ジュゴンは「いる」と主張する平和運動家は言う。
「ジュゴンがお金を連れてくるのさ。」

辺野古の海に、ジュゴンはいるのか、いないのか。
ジュゴンがいるから基地建設反対と言った場合、
それは天然記念物の保護などには、本当は関心もないけれども、「戦術」として主張しているのか。
それとも本当にジュゴンの保護や、他の天然記念物の保護に関心があるのか。それとも・・・。

辺野古の人々が新たな基地建設にどう思っているか、よりも、
見たこともないジュゴンを引き合いに出して、米軍基地に反対をする人々もいる。

ぼくは、エゴだから思う。
日々、牛や豚、鳥、サカナを食べている。
また都市化の社会で、確実に他の動物の居場所を奪っている。
けれども、人類が存在している以上、多かれ少なかれ他を犠牲にするのは仕方がない、と。

ぼくは、エゴだから思う。
遠いイラクやパレスチナの人々の、日々の暮らしや治安、未来が気になっている。
しかし、それ以上に、同じ日本の、沖縄や東京の人々の、日々の暮らしや未来が気になっている。

ぼくは、エゴだから思う。
世界中の平和ばかりを追い求めて、自分自身や身内はかえりみないよりも、
まずは自分や身近な人を笑顔にしたい、と。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。