学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

『津軽』 本編 五 西海岸

2008-09-18 21:37:25 | 読書感想
『津軽』を読み終え、少し目をつむって考えてみるに、この「西海岸」はクライマックスでありながら、しごく感想を書きにくいことに気がつきます。どうも違和感があるのです。それが何なのか。それを突き詰めることが「西海岸」の感想になるのかもしれません。

太宰は「この機会に、津軽の西海岸を廻ってみようという計画も前から私にはあったのである」と冒頭で述べています。一文を読むと、別に目的もなく、ただ時間があれば西海岸を廻ってみようと思ったという風に受け取れます。のちのち振り返ると、変な一文なのですが…。

金木を出発した太宰は、木造で父のルーツを追い、深浦町、鯵ヶ沢と歩きます。このあたりは実に淡々としており、まさしく紀行文といった体です。ところが、鯵ヶ沢から五所川原へ引き返し、そこで「越野たけ」の名前が登場してから作風に波が現れます。「このたび私が、津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたいひとがいた」と書き出すのです。冒頭ではそれほど切に願う気持ちは微塵もなかったのにも関わらず。

越野たけさんは太宰の育ての親代わり(むろん太宰の叔母の存在も大きいのですが)なのです。太宰はたけに会いたくて、小泊へ尋ねていきます。運命のいたずらか、なかなかたけに会うことが出来ないのですが、最後に感動的な再会を遂げます。太宰は急に無口になり、たけが思い出を述べるシーンが印象的です。久しぶりに再会して、お互いにどんな会話をしたらいいのかわからなくて、無言になる様子がよく描写されているのではないかと思います。しかし、物語はたけとの会話で唐突に終わりを告げるのです。

紀行文、余韻を持って終えるのが一般的ではないでしょうか。たとえば、極端ではありますが「遠くに少年時代と変わらぬ月がぼんやり浮かんでいた」とか「汽車が遠ざかる音に、故郷への別れを感じた」とすることで、読み手の心にじんわりと染みてくる効果を狙い、誰しもが感じる旅の余韻を生み出そうとしないのでしょうか。ところが太宰は「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」で終わりにしています。風のようにさっと消えてしまうような終わり方です。彼は一体どうしてしまったのでしょう。

太宰は自分自身の「気障」(きざ)さに嫌気が差した、あるいは恥ずかしくなって、風のような終わらせたのではないかと考えてみました。『津軽』の本編でも随分「気障」という性質を嫌がっている場面があります。友人たちとならまだしも、家族のことやいい大人になっても親代わりだった「たけ」をいつまでも慕う自分自身が気障でどうしようもなくなった…と考えることはできないでしょうか。唐突な意見かもしれませんが、私は少なくともそう感じました。

『津軽』は太宰のなかでも私が最も好きな作品です。繰り返し読んだせいで、本が随分手になじんできました。本が手になじむ、と本の世界を楽しんだな、と自己満足に浸ります。次回から、何かまた新しい小説を読んでご紹介することにしましょう。
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