学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

『津軽』序論

2008-09-06 15:25:12 | 読書感想
南風にのって、遠くから祭囃子の音が聞こえます。私はお祭りというものが苦手で、情けないことにどうもあの力強さに圧倒されて観ているだけで力を失っていくような気がするのです。けれども、遠くから聞こえる笛やら太鼓やらの音色は好きで、思わず聞きいってしまいます。

今日は太宰治『津軽』を読んでいます。昨年の今頃、東北一周旅行を企てて、青森県の金木に足を運ぼうかと考えていましたが、結局行くことが出来ず、行ったつもりで買った『津軽』だけが私の思い出になっています。

私は太宰の小説をあまり読まないのですが、この『津軽』だけは別で何度か読み返しては青森に旅行したつもりで喜んでいます。序論を細かく読んでいくと、自分の青森時代の思い出を語りながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐を紹介しています。特に青森と弘前については、随分具体的に著述しています。

故郷を褒めるというのは、簡単なことのようで中々難しいことです。自分の性格を自己診断するのと同じことで、短所はすぐに見つかりますが、長所は見つけにくいためです。太宰は当時、青森から離れて10数年立っていると述べていますから、故郷から離れて、やや客観的に観ることができるようになったとはいえ、津軽の「特異の見事な伝統」を「はっきりこれと読者に誇示できないのが、くやしくてたまらない」と序論からもどかしく嘆いています。しかし、これが正直なところなのでしょう。

太宰によって青森と弘前の比較がなされますが、本人も文章のなかで申しているとおり、弘前をやや贔屓目に見ているようです。弘前は、太宰の言によれば、先祖から関わりの或る土地であるそうです。また、県庁所在地を青森市に持っていかれたことにも歯がゆさを感じていたとも。無意識のうちに、そうしたことが弘前に対する贔屓目につながっているのかもしれません。弘前に対する愛着が、太宰の心には強く残っているようです。

次回は『津軽』本編について、ご紹介することにしましょう。
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