青森県蟹田は、津軽半島の東海岸に位置する町です。太宰は青森市からバスで「二時間ちかく」離れた蟹田を訪れます。小説『津軽』において「蟹田」はひとつの山場であると思います。何しろアップダウンが激しいのです。
蟹田に到着した太宰は、友人のN君とほぼ徹夜で団欒したあと、青森市のT君、Sさん、小説好きのMさんらと合流し、観瀾山に登って花見をします。みな、お酒が入ってほろ酔い気分。ところが、その席で「日本の或る五十年配の作家の仕事」について問われると太宰の感情は異様に高ぶるのです。「五十年配の作家」とは志賀直哉のことであると言われています。
太宰は、同席した人たちを前にして長々と志賀の批判を続けます。それが次第に感情的になってきて、例えにフランスのルイ十六世が登場したあたりから、やや話が脱線し、最後は志賀を「醜男」と文学の気質とはまったく関係のないところまで攻撃してしまうのです。そうして「僕の仕事をみとめてくれてもいいじゃないか」と太宰は嘆きます。他作家を攻撃するのはやりすぎな気がしますが、しかし、ここに「苦しい」太宰の心情が変化球ではなく、直球勝負で描写されているようです。私の太宰に対するイメージは、どうもなよなよして、弱々しい感じなのですが、彼の心にある激しい気持ちに触れた気がして、少し太宰に対する見方が変わりました。ちなみに『津軽』発表後、文学だけでなく、容姿までけなされた志賀は太宰に反撃し、それにまた太宰が答えるかたちで2人の間に争いが続きますが、それはまた別の機会に述べることにしましょう。
志賀への批判を読んだ後は読者もやや気分が悪くなるところですが、太宰は読者に対するフォローを忘れませんでした。この花見のあと、Sさん宅へよって食事をご馳走になるのですが、Sさんの「疾風怒濤のごとき接待」は笑いを誘います。ビデオを早送りしたようなSさんの接待は、太宰によれば、津軽人の愛情表現なのだそうです。批判めいた文章を書きながらも、最後のこうしたほっとさせる場面を持ってくるあたり、太宰の策略といったところなのでしょうか。
蟹田に到着した太宰は、友人のN君とほぼ徹夜で団欒したあと、青森市のT君、Sさん、小説好きのMさんらと合流し、観瀾山に登って花見をします。みな、お酒が入ってほろ酔い気分。ところが、その席で「日本の或る五十年配の作家の仕事」について問われると太宰の感情は異様に高ぶるのです。「五十年配の作家」とは志賀直哉のことであると言われています。
太宰は、同席した人たちを前にして長々と志賀の批判を続けます。それが次第に感情的になってきて、例えにフランスのルイ十六世が登場したあたりから、やや話が脱線し、最後は志賀を「醜男」と文学の気質とはまったく関係のないところまで攻撃してしまうのです。そうして「僕の仕事をみとめてくれてもいいじゃないか」と太宰は嘆きます。他作家を攻撃するのはやりすぎな気がしますが、しかし、ここに「苦しい」太宰の心情が変化球ではなく、直球勝負で描写されているようです。私の太宰に対するイメージは、どうもなよなよして、弱々しい感じなのですが、彼の心にある激しい気持ちに触れた気がして、少し太宰に対する見方が変わりました。ちなみに『津軽』発表後、文学だけでなく、容姿までけなされた志賀は太宰に反撃し、それにまた太宰が答えるかたちで2人の間に争いが続きますが、それはまた別の機会に述べることにしましょう。
志賀への批判を読んだ後は読者もやや気分が悪くなるところですが、太宰は読者に対するフォローを忘れませんでした。この花見のあと、Sさん宅へよって食事をご馳走になるのですが、Sさんの「疾風怒濤のごとき接待」は笑いを誘います。ビデオを早送りしたようなSさんの接待は、太宰によれば、津軽人の愛情表現なのだそうです。批判めいた文章を書きながらも、最後のこうしたほっとさせる場面を持ってくるあたり、太宰の策略といったところなのでしょうか。