いまテレビのニュースを見ていたら
今日は「終戦記念日」
広島のテレビ局だからだろうか
原爆のことからのニュースがあった。
私自身あまり見たくもないし、聞きたくもない
なぜか?
祖父母も、親戚の叔父さんも
もちろん私の父母も
この時期になるとなぜか会話が嘘っぽくなってくる
笑っているが、なにか大きなものを背負いつつ笑っている
母はニュースを見るたび
アメリカが許せない
私の友達はみんな亡くなったといいニュースを見る
祖父母は黙ってニュースを見る
父は一番可愛がっていた妹
教員になったばかりの8月6日
学徒動員で連れていた進徳の生徒を助けるために
川を泳いで何度も連れ帰っていたという
中国新聞にそのとき助けられた人が「かたりべ」に
なられている記事が出ていた
「脇田先生!もういいけぇ!いかないで!」
それでも、・・・
また、進徳の生徒を助けに泳いで行ったそう・・・
「進徳の生徒のぉ!進徳のぉ~!」と言って叫びながら
助けていたそうです
戦地から帰った父は広島中を探したようです
可愛がっていた妹、十八歳でしたか
父からはその話を聞いてはいませんが
言の端から分かっています
母がニュースを見るたびに
友達が今の原爆症で亡くなって行くと言っていましたら
父はいつも東京でもどこでも空襲で亡くなった人がいると
母に諌めていました
原爆は悪いが、戦争が悪い
戦争はやらんで政治で外交でやるんよ!
母には分からなかったようですが
あまり口数の少ない父の言葉を胸に刻まれています
私も、原爆の本の編集に加わったことがあります
もう30年前でしょうか
被爆30周年で何か本を出そうと言う企画があったようで
私の亡くなった伯父から依頼され
図書館に行き、資料を借り
毎日、会社から早く帰り食事をするとすぐ睡眠
夜、一時ころから二時ころか起きて
資料を読み、慰霊碑にまつわることを書き抜く毎日
すごい量の原稿の厚さ
デモ刷り上ったものは「慰霊碑の写真と記録」
私の書いたものは「はしがき」だけ
それが30年たった今でも
原爆資料館で売られているみたい
私は父のように、原爆のことも戦争のことも
思いたい、広島だから特別じゃなんだ!と
言っていた父の妹そして弟に対する気持ちをなくし
「戦争を、戦争に至らなくするのが施政者の義務よ!」
と言っていた言葉を思い出す。
でも、いまも中国新聞に掲載された妹さんの記事、「妹の写真」を見て
父は、可愛かったのだろうし、会いたかったのだろうしと思う
また、「かたりべ」として生き残った人に感謝されていることに
大きな誇りを妹さんに抱いているのだと思う・・・
今日はお盆、いま父も妹さんもこの家に
来ているのかな・・・・
仏壇にお線香をあげておこう
私も、この会ってもいないおば様を
「誇り」に思っている
今日は「終戦記念日」
広島のテレビ局だからだろうか
原爆のことからのニュースがあった。
私自身あまり見たくもないし、聞きたくもない
なぜか?
祖父母も、親戚の叔父さんも
もちろん私の父母も
この時期になるとなぜか会話が嘘っぽくなってくる
笑っているが、なにか大きなものを背負いつつ笑っている
母はニュースを見るたび
アメリカが許せない
私の友達はみんな亡くなったといいニュースを見る
祖父母は黙ってニュースを見る
父は一番可愛がっていた妹
教員になったばかりの8月6日
学徒動員で連れていた進徳の生徒を助けるために
川を泳いで何度も連れ帰っていたという
中国新聞にそのとき助けられた人が「かたりべ」に
なられている記事が出ていた
「脇田先生!もういいけぇ!いかないで!」
それでも、・・・
また、進徳の生徒を助けに泳いで行ったそう・・・
「進徳の生徒のぉ!進徳のぉ~!」と言って叫びながら
助けていたそうです
戦地から帰った父は広島中を探したようです
可愛がっていた妹、十八歳でしたか
父からはその話を聞いてはいませんが
言の端から分かっています
母がニュースを見るたびに
友達が今の原爆症で亡くなって行くと言っていましたら
父はいつも東京でもどこでも空襲で亡くなった人がいると
母に諌めていました
原爆は悪いが、戦争が悪い
戦争はやらんで政治で外交でやるんよ!
母には分からなかったようですが
あまり口数の少ない父の言葉を胸に刻まれています
私も、原爆の本の編集に加わったことがあります
もう30年前でしょうか
被爆30周年で何か本を出そうと言う企画があったようで
私の亡くなった伯父から依頼され
図書館に行き、資料を借り
毎日、会社から早く帰り食事をするとすぐ睡眠
夜、一時ころから二時ころか起きて
資料を読み、慰霊碑にまつわることを書き抜く毎日
すごい量の原稿の厚さ
デモ刷り上ったものは「慰霊碑の写真と記録」
私の書いたものは「はしがき」だけ
それが30年たった今でも
原爆資料館で売られているみたい
私は父のように、原爆のことも戦争のことも
思いたい、広島だから特別じゃなんだ!と
言っていた父の妹そして弟に対する気持ちをなくし
「戦争を、戦争に至らなくするのが施政者の義務よ!」
と言っていた言葉を思い出す。
でも、いまも中国新聞に掲載された妹さんの記事、「妹の写真」を見て
父は、可愛かったのだろうし、会いたかったのだろうしと思う
また、「かたりべ」として生き残った人に感謝されていることに
大きな誇りを妹さんに抱いているのだと思う・・・
今日はお盆、いま父も妹さんもこの家に
来ているのかな・・・・
仏壇にお線香をあげておこう
私も、この会ってもいないおば様を
「誇り」に思っている
でも、なかなか
言っていいものかと
たじろいてしまいます