『ぶらり橋巡り』その62。今回は江古田想い橋〜江古田大橋までぶらりと歩いてみる。江古田川は水源を学田公園(練馬区豊玉北)にもち、練馬区内は暗渠、中野区に入り下徳田橋で開渠となり、江古田の森公園を囲むように流れている。
スタートの江古田想い橋は江古田駅からくるバス通りが上を通る。上流は公園内を流れているが、この橋の左側は住宅地、右側はまだ公園となっている。
川沿いに行くとしばらくは土の道となり、桜が紅葉を始めている。そして次の西原橋からは完全に住宅地を通る。
本多橋の先には本多山公園が広がる。この公園内のハナミズキは、尾崎行雄東京市長が1912年にアメリカにソメイヨシノを送ったお返しとして1915年にアメリカより送られた木の原木がある。それにしても山と付いているのに平たい公園である。
下の原橋から先は川沿いに道がないため、並行した道を歩くことになる。そして、東橋、本村橋と並ぶ。
その次が大橋、上を通るのが江戸道と呼ばれた道で石神井から西落合、雑司が谷を通る古道であった。橋のたもとには昔あった水車小屋のレリーフがある。
不動橋は橋詰に垢離取(こりとり)不動尊が祀られており、大正時代には万垢離(まんごり)という祭事があったとされ、そのレリーフが橋のたもとにある。
歩くと新青梅街道とぶつかるが、橋には江古田大橋(えこたおおはし)とルビが振られている。今まで『えこだ』『えごた』をさんざん見て来たが、ここで初めて濁点のない『えこた』という読み方を発見。
突き当たりが江古田公園であり、妙正寺川と合流する。ここには『江古田原沼袋古戦場』の碑がある。1477年に太田道灌と豊島泰隆間で行われた合戦であり、記録には『江古田原沼袋』の記載があるため、室町時代には江古田という地名があったことがわかる。因みにこの合戦は太田道灌が勝利した。
妙正寺川と江古田川はちょうどY字のように合流するが、以前住んでいたそばにあったあの汚い妙正寺川とは思えない清流になっており、その技術には感心した。公園の中には江古田公園橋、この読み方はなぜか『えごたこうえんばし』である。