hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

玉川上水の橋を巡る②

2020-05-02 05:00:00 | 川と橋


『ぶらり橋巡り』その102。玉川上水を境橋まで歩いたが、ここで桜橋まで桜通りを引き返す。上水と反対側を歩くが農園もあり、また、民家の藤が綺麗に咲いている。
桜橋を渡ると境浄水場の入口がある。ここから浄水場に沿って歩くが、歩道も広くなり歩きやすい。土手にはまだ八重桜が花を付けている。




次の橋は青く塗色されているのが『松見橋』。近くにはクルミと思われる大木が生えていてイモムシのような花が垂れ下がっている。



さらに行くと『大橋』が現れる。案内板には『江戸時代に玉川上水ができて武蔵野市に作られた橋は保谷橋、新橋と並びこの大橋であった。(中略)この橋を通る道は大正7年に境浄水場ができるまでは西北が田無を経て青梅・所沢、南は調布5宿を経て横浜街道と称していた。』でいった趣旨のことが書かれていて大切な道であったことが分かる。



平成29年に全面掛け替えが行われたが、親柱は昭和7年のものが使われていた。



武蔵境通りに出るがここに架けられているのが『いちょう橋』、こちらも武蔵境通り拡幅に伴い掛け替えられている。



通りを渡り、いちょう橋と並んでいる人道橋『ぎんなん橋』はかつてこの北側にあった武蔵野競技場と三鷹駅を結ぶ鉄路の路盤上に建設されたもの。武蔵野競技場線は1951年開業した武蔵野グリーンパーク野球場への乗客輸送を目的に同年4月に三鷹〜武蔵野競技場前3.2kmが開通した。最初の頃は国鉄スワローズの主催試合や東京六大学な試合(当時は神宮球場が占領軍に接収されていた)が行われた。



(昭和30年1月時刻表から)
しかし、目論んでいたプロ野球チーム本拠地誘致に失敗、プロ野球開催は1951年1年のみであり、その後は球場も使われなくなり、1956年に解体、鉄道路線も1959年11月に廃止された短命な路線である。



ぎんなん橋に鉄路が残されているのはこれを記念するもので、さらに橋の袂には案内板がある。殆ど当時の面影はないが、この廃線跡も一度歩いてみたいと考えている。



西久保公園の横を通り歩き続けると左側から広い車道が現れ、これを越すと再び上水が顔を出す。



三鷹駅手前、欅橋の手前には『庚申塔』、1729年に作られたものらしい。欅橋は昔風に作り直されているが、上水は暗渠となり中央線の下を通過していく。三鷹駅付近は親水公園のように整備されていて緑の多い駅となっていた。









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