hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

南麻布・西麻布の坂③

2023-06-22 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その180。大横丁坂を再び登り、左に行く。すぐのところに神社があるが、桜田神社である。

稲荷信仰の神社でかつては『霞山稲荷大明神』と呼ばれていた。また、新撰組の沖田総司が宮参りをしたことでも有名である。
間口は狭いが参道を歩くと薄暗いほど、次の鳥居をくぐると本堂が現れる。今は港七福神の寿老人を担っている。



表通りに戻り、六本木通りに向かうと右手には六本木ヒルズ、思わず見上げてしまう。六本木通りを左に曲がるが、この緩い坂が『霞坂』である。



由来は先ほどの桜田神社の旧称『霞山稲荷大明神』から霞町の町名ができ、そこに到達する道が明治20年代に開かれたので霞坂と呼んだと説明板にはある。



六本木通りを行くと西麻布の交差点に向かって下り坂となっていて、交差点を越えると今度は上り坂となる。この坂道が『笄坂』である。

笄とは『髪を掻き上げて髷を作る装飾的な結衣髪道具』をいう。由来は平安時代の939年に起きた天慶の乱の時に麻布あたりを流れていた竜川を渡ろうとした源経基を善司広雄という役人が関所を設け、阻んでいた。経基は身につけていた刀の笄を与えて通過したという故事から橋を笄橋と呼ぶようになった。町は笄町、坂には笄坂と付けたとのこと。今でも港区立笄小学校に名を残す。



再び外苑西通りを広尾方面に歩く。2本目の道を右に曲がると途中から上り坂になるが、これが『牛坂』。外苑西通りを挟んで反対側が大横丁坂で笄橋に続く古代の道路、牛車が往来したからこの名前がついたのであろう。



外苑西通りの一本手前の道を右へ。神道大教院の手前、右に上がる坂道が『御太刀坂(おたち)』である。坂の名前の由来ははっきりとわからない。



元の道を行くと二股に分かれる。右側の道が上り坂となるが、これが『堀田坂』。坂を登ると広尾ガーデンヒルズのエリアとなる。坂の由来は坂の上に大名堀田家の下屋敷があったためこの名前が付けられたという。



この周辺の坂道は木下坂、北条坂、青木坂、南部坂そして堀田坂とかつての大名・旗本屋敷の名前が付けられた坂が多いことには驚かされた。