岩本町水飲み広場を後に秋葉原方面に向かうと神田川に架かる橋がある。これが和泉橋、親柱の隣にはコンクリートの柱。
よく見ると昭和8年と書かれており、はさむように丸い木の柱の跡がある。多分、戦前に事あるごとに日の丸を掲げていた旗の掲揚台だろうと思われる。
和泉橋は北側に伊勢津藩主藤堂和泉守(高虎)の屋敷に因むものである。橋の横には防災用の船着場があり、かもめがのんびりと日向ぼっこをしていた。
川に沿った道は柳原通りと呼ばれている。これはかつて川沿いにあった柳原土手に因むもので、江戸時代に葦簀張りの店で古着を売っていたが、これが岩本町の古着屋のはじめと考えられている。
柳原通りには戦前からの建物がまだ現役として残されている。海老原商店は明治の創業でこの建物は1928年築、古着を扱うお店である。
数軒隣にあるのが、岡昌裏地ボタン店。創業は1897年。建物はこちらも1928年築であり、こちらも現役、2階部分の銅板細工は見事である。
柳森神社もかなりの時代物。1458年に太田道灌が多くの柳を植え、伏見稲荷を勧請したことに由来する神社である。
鳥居をくぐるとすぐ右手に浅間神社と富士塚がある。さらにその先には大きな石がゴロゴロと置いてあるが、これはかつて力自慢のものが差しあげた力石である。
その奥には秋葉神社、明徳稲荷、金毘羅宮など狭い境内にいくつもの末社が祀られている。(秋葉原の由来にもなった秋葉神社は別)
本殿の手前にはおたぬきさまという祠。これは5代将軍綱吉の母、桂昌院が江戸城内に福寿稲荷として創建されたもの。明治2年に柳森神社に合祀されたのだが、他を抜いて玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうとお狸様を崇拝したと言われる。今もお守りに狸が使われている。
他にも狸の石像がたくさん置かれているが表情が色々あって楽しい。ただ、腹が出ているところは共通している。
また、柳森神社の御朱印が面白い。菓子箱の中にセットで入っていて参拝者が自ら押す仕組みである。お金は賽銭箱に100円を入れることになっている。
柳森神社の先に神田川を渡る人道橋『神田ふれあい橋』がある。総武線鉄橋と並行して作られていて渡るともう秋葉原駅まではすぐのところに出る。