『メトロに乗って』その95。西早稲田駅の続き。高田馬場跡の看板を見た後、新目白通りの方に坂を下っていく。
すると左側に水稲荷神社の入口に到着。階段を登り、鳥居をくぐると左側に堀部安兵衞の碑がある。
忠臣蔵の中でも有名な『高田馬場の決闘』の事績を顕彰する碑であり、その篆額は西園寺公望、賛助者は頭山満、大隈重信、犬養毅と錚々たるメンバーである。
参道を歩くと右手に甘泉園公園の入口があるが、先に神社にお参りに行く。もうすぐ祭礼があるためか、提灯などの飾り付けも為されている。
参拝の後、建物の裏手に行くと『富塚古墳』の看板、この名前が『とづか』の由来でのことである。
参道に戻り富士塚を探す。この富士塚は1780年に築かれた江戸では最大かつ最古の富士塚と知られているのだが、毎年7月の2日間のみ公開される。しかし、その場所がわからない。昔のブログを見てようやく入口は分かったが、トラックが停められていて中がよく分からない。
やむなく甘泉園公園に入り、塀沿いに裏に回って見ると確かに富士塚らしき小山があった。わずか1時間の間に早稲田で箱根山と富士山を回れるのである。
階段を降りて行くと甘泉園の庭園が広がっている。2つの池が配されて、高い池から低い池に水が流れ、そこは飛び石があるため、水に触れるのだが、冷たそうな池の水は温かった。
それでも1m近くある鯉がゆったりと泳ぐ。江戸時代は三卿の1つである清水氏下屋敷があった場所で一時は早稲田大学が所有していたが、戦後東京都が買収、現在は新宿区が管理している。
出口の前には新目白通り、都電荒川線の線路。帰りは面影橋電停から都電に乗ることにした。