hokutoのきまぐれ散歩

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萩 東光寺と松陰神社〜夏旅行(4)

2018-09-01 05:00:44 | 旅行

夏旅行第4弾、防府市内の観光を終えて山口市に向かうが、まだまだ時間もあるので約60km先の萩市まで足を延ばすこととする。萩市は長州藩の中心ではあるが、これは関ヶ原の戦いで毛利輝元が破れ、従来の所領が長門・周防国の2つとなった際に徳川家康から山口市から萩市に中心を移すことが命じられたからである。

今回はその毛利家の菩提寺の一つである東光寺を訪れた。東光寺は毛利家3代吉就が造らせた黄檗宗の寺院である。(形式的には寺が新しく作ることができなかったため、下関にあった寺院を移築したことになっている。)黄檗宗は江戸時代に中国僧の隠元が日本に伝えたのであるが、隠元の高弟木庵の弟子である慧極は萩出身で、この慧極に吉就が帰依したことによる。


寺は立派な朱塗りの門があり、入口で入山料を払う。三門も大きく、階段があり、中に上がることができる仕組み、もちろん今は公開していないが。その先には右手に鐘楼、正面には大雄宝殿が立っているが、いずれも堂々たる建物であり、また、日本様式の寺とは少し異なる。


寺の裏手には毛利家廟所があり、3、5、7、9、11代の藩主と夫人の墓計10基、さらに近親者などの墓もある。周りに500近い石灯籠が並んでいるが、これは封建時代には当たり前に行われていた殉死を藩の力が弱くなるとして禁じた毛利家が重臣たちに自ら死ぬ代わりに献上させた石灯籠である。


なお、偶数代の藩主の墓は萩市の大照院にある。また、藩主の墓の前に石で作られた亀の上に石碑が載せられているものがあるが、これは黄檗宗の寺の特徴、『亀趺(きふ)』と言われ、故人の遺徳を称え、生涯の功績を碑文に刻んだものである。よく見ると亀の顔が色々とあるのが面白い。

参拝を終えて寺の前にある東光窯の陶器を売っている店に入る。全て手作りとのこと、せっかくだからと記念に青の片口を一つ求める。

私は以前に萩は来たことがあるので萩の観光は簡単にとは思ったが、やはり松陰先生の手を合わせないわけにはいかず、松陰神社に向かう。神社に参拝した後、松下村塾や蟄居した家なども見て回り、また山口市に向かった。